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断罪された公爵令嬢ですが、幼馴染の彼と幸せになってもよろしいですか?  作者: ぱる子


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第42話 事件

 告発の声が続く中、貴族たちの視線は、すべてコーデリアに集まっていた。


 あれほど優雅な笑顔を振りまいていた彼女が、まるで別人のように焦りと怒りを剥き出しにしているのがわかる。わたしも胸の奥がざわついて息がしづらいけれど、ここで引き下がるつもりはない。なぜなら、ユリウスとわたしが集めてきた証拠が明るみに出た今、コーデリアがやってきた数々の陰謀が暴かれようとしているから。


 だけど、そのとき――コーデリアの瞳には、普通ではない光が宿っているように見えた。まるで常軌を逸したような、激しい焦燥と狂気が、ドレスの端から(のぞ)く何かを引きずり出そうとしている。


「フェリシア……あなた……!」


 コーデリアの声はもはや「上品さ」など微塵(みじん)も感じさせない。彼女は大勢の貴族の前にもかかわらず、まるで悪夢のように顔を(ゆが)めながらわたしを睨みつける。その背後では取り巻きの令嬢たちが震え上がり、「コーデリア様、落ち着いて!」と必死に声をかけているが、もう何の効果もないようだ。


 わたしは自然と身構えてしまう。心臓が激しく鼓動するのを感じる。これまでもコーデリアから敵意は向けられていたが、ここまで凄まじい殺気を露わにするとは想像していなかった。


(なに……? あれは……?)


 彼女のドレスの裾から、不自然にきらりと光が揺れるのが見えた。その正体が短剣だとわかった瞬間、わたしは息を呑む。貴族の女性が護身用に短剣を持ち歩くことが皆無ではないとはいえ、こんな公の場で抜いて振りかざすなど、あまりに常軌を逸している。


「こんなことになるなんて……! このわたくしの計画を、台無しにして……! どうして、どうしていつもあなたばかりが……!」


 コーデリアが声を荒らげ、短剣を高々と振り上げる。それがまっすぐ、わたしの胸元を狙っていると理解するのに、ほんの一瞬しかかからなかった。だが、動けない。足がすくんだようにすら感じられる。ドレスの裾がもつれ、逃げようとしても間に合わない――わたしは心臓が凍りつくような恐怖を覚えた。


「フェリシア……っ、危ない!」


 誰かの悲鳴混じりの声が耳に届く。同時に、視界がぐらりと揺れた。わたしは思わずまぶたを閉じてしまう。鋭い風が頬をかすめ、次の瞬間、嫌な手応え――いや、血の匂いが鼻を突いた。


「……っ!」


 見開いた目に飛び込んできたのは、わたしのすぐそばに倒れ込むユリウスの姿。彼がわたしの前に飛び出して、わたしをかばう形で刺されたことを理解するまで、数拍もかからなかった。


 ユリウスの脇腹には短剣が深く突き立てられ、そこから赤い血があふれ出している。時間が止まったように感じられるほど、わたしの意識は凍りついた。


「うそ……ユリウス……!?」


 わたしの声は震えて、思うように出てこない。ユリウスは地面に膝をつき、そのままぐったりと仰向けに倒れそうになったところを、わたしが慌てて抱きとめる。周囲から悲鳴やどよめきが起こり、コーデリアの取り巻きたちが「いやあ……!」と叫ぶ声が混ざる。


「やめて……嘘よ……そんな、やめて……!」


 わたしは泣きそうな声を上げながら、ユリウスの体を支える。ドレスの裾にべったりと赤い液体が染み広がっていく。わたしはそれを見ても信じられなくて、ただ必死に彼の顔を覗き込むだけ。


 ユリウスは苦しげに息をつき、うわごとのようにか細い声を出した。


「ごめん、フェリシア……俺が……(かば)えば、君は……傷つかないと思って……」

「何を言ってるの、しゃべらないで! 血が……血が止まらない……! 助けを呼ばないと……!」


 わたしは嗚咽(おえつ)まじりに声を張り上げ、周囲を見回す。衛兵や侍従たちが駆け寄ってくるのが見え、誰かが「医師を呼べ!」と叫んでいる。わたしは、ユリウスの体から抜け落ちそうな意識を支えようと、彼の名前を連呼した。


「ユリウス、お願い……行かないで……! あなたがいなくちゃ嫌……死なないで……!」


 目の前にいるユリウスの顔がどんどん青ざめていくのを見ながら、わたしは涙を止められず、必死に呼吸を整える。取り返しようのない惨劇が、目の前で起きた現実を受け止めきれない。


「嘘……こんな……こんなの……!」


 聞き慣れた声が耳に入る。ハンナがわたしのそばに駆け寄り、「フェリシア様!」と叫んでいるようだが、わたしの耳には遠くかすかにしか届かない。一方で、視界の隅にはコーデリアが捕えられたまま錯乱し、あたり構わず叫んでいる姿が映る。


「違う、こんなの違うのよ……! わたくしの計画が……全部フェリシアのせい! あんたが……あんたが悪いんだから……!」


 暴れるコーデリアを、衛兵が数人がかりで押さえ込む。顔をゆがめ、混乱しきったその姿は、もう貴族令嬢の面影さえない。周囲の貴族たちは皆、口を覆って動けずにいる。


 アルフォンス殿下の姿が見える。蒼白な顔で立ち尽くしている。何を言えばいいのか分からないのか、「ユリウス……」と息を呑むばかりだ。近くにいた誰かが必死に医師を呼びに走ったのは理解できるが、時間がどれほどかかるか分からない。


「フェリシア様……ユリウス様……どうか……!」


 ハンナがわたしの肩を支え、「大丈夫ですよ」と震える声で繰り返す。わたしはただ、ユリウスの傷口を押さえながら、「お願い、死なないで、死なないで……」と祈るしかできない。血がこんなにも温かいものだったなんて、皮肉なことに、今はっきりとわかる。


「……フェリシア、傷が……なくて……よかった……」


 途切れ途切れに声を出すユリウスが、薄く笑うのが見える。わたしは首を横に振って、涙を止められない。


「どうして……どうしてそんなこと言うの? わたしを(かば)うだなんて……あなた、馬鹿じゃないの……!」


 胸を突き上げる嗚咽(おえつ)が止まらない。ずっとわたしを守ると宣言してくれた幼馴染が、こんなかたちでわたしを救うだなんて想像しなかった。


 わたしが呼ぶたびに、ユリウスの瞳がどんどん霞んでいくのを感じる。会場の床には、赤黒い血の跡が広がり、華麗だった夜会がまるで地獄のような惨状へと変わっていく。噂好きの貴族たちも、この現実には言葉を失い、ただ呆然としているのがわかった。


「ユリウス……! しっかりして、あなたはここで死ぬ人じゃない……こんな、こんな形で終わるわけ……ないじゃない……!」


 言葉が喉で詰まる。肩口に誰かの手が触れ、「フェリシア、もう少しユリウスを安静に……」と声をかけられるが、わたしは必死に彼を離さない。血に染まったドレスの裾が重たく感じられ、まるで自分の足もとが崩れていくようにふらつく。


「早く、医師を……急いで……!」


 誰かがそう叫ぶ。わたしはユリウスの脇腹を押さえ込みながら、小さく震える肩を見て、その命の糸が今にも切れそうなのを痛感する。押さえたところで、傷からあふれる血を完全には止められない。


「フェリシア……ごめん……痛む……?」


 わたしを案じるユリウスの声は弱々しく、どれほど苦しいだろうか想像もつかない。わたしは必死に首を振り、彼の頬を軽く叩くようにしながら、「駄目、目を閉じないで……!」と叫んだ。


 視界の端で、アルフォンス殿下が表情を(ゆが)め、コーデリアを押さえる衛兵たちを睨みつけている。「コーデリア、お前……なんということを……」と何度もつぶやいているようだ。コーデリアはもう聞く耳を持たず、「違う違う!」と狂乱した声をあげるばかり。


「どうしてなの……ユリウス……あなたが刺されるなんて……」


 わたしはこの惨状を受け止めきれないまま、ただ涙を流し続ける。血の海のなかにあるユリウスの身体を、震える両腕で抱え込む。切り裂かれるように痛いのは、わたしの心なのか、彼の傷なのか。


 そのとき、ユリウスがかすかな力でわたしの手を握り返した。かすかすぎて、幻覚かと思うくらい。でも、確かにわたしの指先に触れる指の動きを感じる。


「フェリシア……助けて……あげられて……よかった……」


 (かす)れた声がわたしの耳に届き、彼の瞼が重く下りていく。そこまで見届けると、彼の意識がすとん、と抜け落ちるように切れた気配があった。


「いや……いやいや……ユリウス……返事して……死なないで……ねえっ……!」


 わたしは大声で彼の名を叫び続ける。ハンナが涙ぐみながら「大丈夫です、きっと間に合います……!」と励ましてくれるが、わたしはもう何も考えられない。ただ彼の体温をこの腕の中に閉じ込めておかねばという思いばかりだ。


 周囲では大勢の人々が騒ぎ立て、医師を呼ぶ声や指示が飛び交う。豪奢(ごうしゃ)なドレスや(きら)びやかな装飾に彩られた夜会が、あっという間に血と絶叫で染まっていく。コーデリアの叫びが遠くでかすれるが、誰もが彼女に手を貸そうとはしない。捕縛された姿でなおも何かを(わめ)き、失われた冷静さを取り戻せるはずもない。


「こんな……こんなことになるなんて……!」


 アルフォンス殿下の声が震えて聞こえる。わたしは返事をする余裕がない。ユリウスが生きているのかどうか、それだけしか考えられないのだ。


 激しい足音とともに現れた衛兵や侍従が、濡れた床に滑りそうになりながらユリウスを抱き上げようとする。わたしはそれにしがみつくように拒むが、ハンナが必死にわたしをなだめる。


「フェリシア様、医師が応急処置をするには……! ユリウス様を診てもらわないと、手遅れに……!」

「でも……離れたくない……!」


 しがみつきたい気持ちと、彼を助けたい思いがせめぎ合い、わたしは泣きながら腕を緩める。衛兵たちがユリウスを担架にそっと乗せ、血の跡が点々と続く廊下へ運び出していく。わたしはそのあとを追おうとするが、足がもつれ、血で滑りそうになる。


 ハンナがわたしの肘を支える。ドレスの裾はすでに赤黒く染まり、足元はふらふらとして、一歩歩くごとにまともにバランスが取れない。


「お願い……ユリウス……どうか、どうか助かって……」


 何度つぶやいても答えは返ってこない。あんなに生き生きと笑っていて、わたしを守ると宣言してくれた人が、今は動かない。ただ流れる血と、冷たくなりかけた指先が、現実を突きつけるばかりだ。


(大丈夫、死なないで……死なないで……)


 その言葉が頭を巡る中、周囲の貴族たちは茫然自失。美しく着飾った令嬢たちは顔を蒼白にし、紳士たちも言葉を失っている。さきほどまでコーデリアを称賛していた人たちが、いまは恐怖に駆られて口をつぐむしかない。


 結局、大夜会はここで事実上の幕引きとなった。王太子殿下はコーデリアを睨みつけ、すぐに彼女の身柄を衛兵に預けさせるよう指示を出す。血まみれのまま取り押さえられたコーデリアは、「違う、違うのよ!」と叫びながら涙と狂乱を繰り返し、自分の犯行を否定しようとするが、誰も彼女の言葉に耳を貸さない。


「フェリシア……」


 殿下がわたしの名を呼ぶ。しかし、わたしは顔を向けられない。ユリウスの血の感触が冷たく、心が痛すぎて、アルフォンスと話す余裕などない。ドレスの胸元を抑えながら、駆け寄ろうとする体は既に震えで言うことを聞かない。


 そのまま数人の侍従が懸命にわたしを抱き起こし、ハンナが付き添ってユリウスのもとへ向かおうとする。だけど廊下の向こうで、医師が急いで手当てを始めたらしい。視界は何重にもにじんで、ぼやけてしまう。


(ユリウス……死んじゃだめ。わたしを一人にしないで。あなたがいないと……)


 嗚咽をこらえられず、わたしは泣きじゃくる。豪華な夜会は一瞬で惨劇の舞台に早変わりし、あれほど苦労して勝ち取ったはずの名誉回復が、いまは何の慰めにもならない。


 コーデリアがどんなに狂乱しようと、取り返せないものがあるかもしれない。わたしはそこに絶望を感じながら、ユリウスが弱々しい息を吐いているかを確かめるしかない。医師が必死に止血を試みている姿が、遠目に見えた。


「ユリウス……どうか息をして……! 助かって……!」


 わたしの叫びはただ空回りし、血の海に沈んでいくような感覚がする。次々と貴族たちが後退りし、混乱のまま、誰もが手を出せずに立ち尽くしている。やがて衛兵が担架を運び始め、ユリウスの姿は廊下の奥へと消えかける。わたしはそれを追おうとしてよろめき、ハンナや友人に支えられて、床に崩れ落ちそうになる。


「――待って! わたしも行く……ユリウスのそばに……!」

「フェリシア様、落ち着いて……! あなたまで倒れたら、ユリウス様が安心できません……!」


 必死に説得されても、わたしの心は千々に乱れたまま。もう何がどうなっているのか整理できない。斜めに傾いた視界の先で、コーデリアが衛兵に腕をつかまれながらなおもわめく様子が見えたが、その声は雑音にしか聞こえなかった。


「――こんな、結末なんて……」


 声にならない叫びを心の底で上げる。あれほど粛々と証拠を並べ立て、コーデリアを追い詰めた。それで万事解決するはずだった。しかし、その瞬間に彼女は凶行に走り、ユリウスが大きな代償を払うことになった。


 血の臭いと悲鳴の余韻が残る中、ふと人々の動きが止まる。わたしの意識は激しい痛みと混濁で半ば遠のきそうになりながら、それでもただ一つだけを願う。どうかユリウスが無事であってほしい――それだけを祈っている。


 こうして、王太子主催の大夜会は、最悪の幕切れを迎えた。コーデリアの策謀は完全に暴かれ、公爵令嬢フェリシア・ローゼンハイムの名誉は回復されるだろう。けれど、その光の裏には、ユリウスが血に染まって倒れるという「究極の悪夢」が待ち受けていたのだ。


 ユリウスの生死は定かではないまま、わたしは涙で視界がにじむのを拭えずにいる。あの時、あんなふうにわたしを(かば)わなければ――と、もし後悔してしまうのが一番辛い。彼が笑顔でわたしに手を差し伸べてくれた日々が遠く感じられて、胸が裂けそうだ。


(ユリウス、お願い……行かないで。わたしをひとりにしないで……!)


 心からの叫びが言葉にならないまま、わたしは鮮血に染まる床と、運ばれていくユリウスの背中を見つめ続ける。夜会の狂乱の中で、すべてが闇に沈みそうになりながら――そこにはわたしの泣き声だけが響いていた。

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