第34話 決定的証拠
夏の陽ざしが穏やかに差し込む午後、アッシュフォード子爵家の応接室には張り詰めた雰囲気が漂っていた。壁紙は柔らかなクリーム色を基調とし、重厚なソファが何脚か置かれているが、その空間を埋め尽くすのは、今ここに集まった人々の熱い視線と決意だった。
中心にいるのは子爵家の嫡男、ユリウス・アッシュフォード。その傍らには、フェリシアの侍女ハンナが立ち、さらにフェリシアの旧友であるリディアや、他にも数名の友人たちが円を作るように腰かけている。まるで探偵チームのように、テーブルの上にはいくつもの書簡やメモが散らばり、真剣な眼差しが飛び交っていた。
「みんな、改めて集まってくれてありがとう」
ユリウスが控えめに感謝を述べると、ハンナがスッと手元の資料を差し出す。そこには手書きの細かな文字がびっしりと並んでいた。
「フェリシア様が持っている『偽造書簡』をベースに、わたしやリディアさんで追加調査した情報をまとめたものです。どうやら、コーデリア様の取り巻きが、『王太子殿下の署名』を騙る文書を意図的に流布していた可能性が高いと判明しました」
「具体的な証拠があるの?」
ユリウスが問うと、リディアがバッグから別の紙束を取り出してテーブルに広げる。そこには王太子殿下の公印を模したような印章と、微妙にずれた署名が印刷された書簡が貼り付けられていた。
「これ、わたしの知人が協力してくれて、商会を通じて手に入れたものなんです。紙質やインクの種類からして、普通なら王宮では使われないもの。でも、偽造書簡を『本物』だと称して見せびらかしていた人がいるらしくて。その人もコーデリア様の取り巻きと懇意だという話でした」
「なるほど、決定的じゃないか。コーデリアが実際に命じていなくても、取り巻きが勝手に『殿下が書いた』と吹聴していた可能性は高い。フェリシアが陥れられたのも、こうした捏造書簡が広められたからだろうな」
ユリウスは深くうなずくが、同時に苦い表情を浮かべる。何しろ相手は伯爵家、しかも王太子殿下が背後につく形で「王太子妃」になろうと躍起になっている女性だ。子爵家の立場でどこまで真相を暴けるか――その不安が頭をよぎる。
それでも、ハンナは毅然と顔を上げる。
「この書簡の筆跡やインクは、確実に王太子殿下のものとは違いますし、紙質も王宮の正規なものとは微妙に違います。わたしもフェリシア様の書庫で調べた記録と付き合わせ、さらにリディアさんの情報を補強すれば、十分に『コーデリア様が偽造書簡でフェリシア様を陥れた』と示唆できると思うんです」
「ただ、残念ながらこの『示唆』を『決定的な証拠』に変えるには、まだもう一押しがいるのよ。コーデリア本人や取り巻きが、それを使用していた事実をどう立証するかが課題ね。紙の入手先と印章のズレだけじゃ、伯爵家ほどの権力に対抗するには足りないかもしれないわ」
リディアが眉を寄せる。確かに、貴族社会ではいくら証拠があっても、「力」や「立場」で握り潰されてしまうことも多いのだ。
ユリウスは苦い笑みをこぼしながら、うなずく。
「わかってる。だからこそ、俺たちはここで立ち止まれないんだ。貴族社会において『子爵家が証拠を握ったから』と言って、みんなが動くわけじゃない。――だけど、フェリシアや俺たちがこの偽造書簡をうまく活用できれば、王太子殿下に直接突きつけることができるはず。そこが最大のポイントだよ」
同席していた数名の友人たちが力強くうなずく。中の一人が、「フェリシア様も確か『王宮の夜会』でこの証拠を発表しようか、と検討しているんじゃない?」と声を上げる。
ハンナが即座に答える。
「はい。わたしが聞いたところによると、フェリシア様はその大夜会こそが最後の大舞台になると考えているみたいです。王太子殿下が主催という形ですし、王家や主要貴族が一堂に会しますから、コーデリア様も出席は不可避。堂々と真相を暴けるわけです」
「だよな……それが一番効果的かも。――ただ、夜会の場で証拠を突きつけるって、すごくリスキーだよ。下手すればフェリシアが逆に攻め立てられかねない」
ユリウスの指摘に、リディアは神妙な面持ちになる。「だからこそ、入念な準備が必要」と口を揃えるのは、友人たちの総意だ。
ユリウスはまわりを見渡し、力強く宣言する。
「よし、俺たちで証拠を確固たるものにしよう。紙の出所や印章の偽装をより明確に示す資料を集めれば、コーデリア側がどう言い逃れしても無駄になるはずだ。……子爵家がどれほど弱くても、真実で勝負できる段階まで持っていけば、『王太子殿下の心』を動かせるかもしれない」
「ええ、わたしたちも協力します。フェリシア様とユリウス様が苦しむ姿なんて、もう見たくありませんから!」
ハンナが拳を握って燃え上がるように言う。ユリウスの唇にもわずかな笑みが浮かぶ。力強い仲間がいることで、状況が少しは好転しそうだ。
「ただ……俺にも現実的な不安はある。伯爵家ってだけで相当な権力があるのに、そこに王太子殿下が絡んでいる。もし殿下がコーデリアの側につけば、フェリシアの名誉回復どころか、俺らが逆に弾圧される恐れもある」
ポツリと漏らした弱音に、一瞬室内の空気が重くなる。しかし、それを打ち消すようにリディアが声を上げる。
「王太子殿下も最近、コーデリア様を信用しきっていないという噂があるわよ。『いまだに婚約を正式に発表しないのは、何かを調べているからじゃないか』なんて耳にしたの」
「それが事実ならいいけど……まぁ、俺たちはやるだけやるしかないよね」
ユリウスは皆に視線を巡らせ、深く息を吸う。もし王太子がフェリシアを完全に無視しているのであれば、コーデリアの思い通りになってしまうだろう。でも、近頃、殿下が動いているという話も伝わってくるのだ。
「たとえ殿下が動かなかったとしても、俺たちは証拠を固めてフェリシアを支えるよ。子爵家だからって諦めない。――もう下がるわけにはいかないんだ」
まっすぐな決意が部屋を満たす。ハンナやリディア、ほかの友人たちも同意の眼差しを送る。コーデリアが長年築き上げてきた噂工作の網を破るのは容易ではないが、フェリシアが苦しむ姿を放っておけないという気持ちが、彼らを突き動かしている。
ユリウスは机の上に並べられた書簡を整理しながら、胸の中でフェリシアの顔を思い浮かべる。あの強い眼差しが、一度折れかけたのに再び光を取り戻した様子を、思い出すだけで思わず心が熱くなる。
「待っててくれ、フェリシア。俺たちが必ず君を救う。コーデリアの陰謀を暴けば、王太子殿下も黙ってはいられないはずだから」
声に出さず、そう心に誓う。
そして、ハンナたちと顔を合わせ、明日の動きや書簡調査の役割分担を決める。まるで小さな軍隊のように各々が使命を負い、それぞれの得意分野を活かす。その光景は、子爵家とは思えない活気と決意に満ちていた。
「よし、今日のところはここまでにしよう。みんな、ありがとう。……次に集まるとき、もっと確固たる形でコーデリアを追い詰められるはずだ」
「ええ、がんばりましょう!」
皆がうなずき合う。そのときの彼らの表情は明るい。フェリシアという公爵令嬢を守るために立ち上がった、小さな「チーム」の一体感がそこにはあった。
ユリウスも一歩退いて集まった資料を眺め、充実感を得る。捏造された書簡、印章の偽造、紙の出所――これらが合わさり、コーデリアの仕掛けた陰謀を突き止められそうな手応えを得ている。だが、成功するかどうかはまだわからない。貴族社会の壁や王太子殿下の判断など、乗り越えなければならない障害は多いからだ。
「…………」
一瞬、ユリウスは自嘲ぎみに笑う。かつてはフェリシアの隣にいるなど、身分違いとしか思わなかった自分が、いまこうして全力で彼女を救おうとしている。
けれど、それは公爵令嬢としてのフェリシアではなく、幼馴染としてのフェリシア――そして、ひとりの女性としてのフェリシアを守りたいという純粋な想いから来ているのだ。
「立場の差なんて関係ない、とは言えないけれど、これだけの仲間がいれば乗り越えられる。……フェリシア、君が望むなら、俺はどこまでも戦うよ」
その決意が胸に灯ると同時に、ユリウスはハンナに微笑みかける。彼女もまた、フェリシアを想う優しさと固い意志を宿した瞳でうなずいてくれた。
もう後戻りはできない。大夜会に向けて、フェリシアをサポートするための大きなステージが整いつつある――子爵家の応接室には、かすかな希望の光が差し込み、皆の熱気に満ちている。
こうして、ユリウスたちは最後の詰めに向けて動き出す。コーデリアの策略を断ち切り、フェリシアが失った名誉を取り戻すために、彼らは多くのリスクを覚悟しながらも、一丸となって立ち向かおうとしていたのだ。




