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第3話 最終宣告

「――お前の不正は明らかだ。よって、これ以上、私との縁を結んでおくわけにはいかない」


 その言葉が大広間に響いた瞬間、わたしは思わず息を呑んだ。アルフォンス様――王太子殿下がわたしに向かって、決定的な断罪を告げる。厳粛な式典のはずが、いまや張り詰めた空気が場を支配し、わたしを含む貴族たち全員が強烈な緊張感に包まれていた。


(終わり、なの……? 本当に……?)


 心臓が(きし)む。けれど、必死に背筋を伸ばす。公爵家の令嬢として、こんなところで取り乱すわけにはいかない。たとえ王太子殿下から婚約破棄を言い渡されようとも、誇りだけは失ってはならないから。


 アルフォンス様が壇上を下り、ゆったりとした足取りでわたしの正面へと進む。大広間の赤絨毯(じゅうたん)を踏むその足音がやけに耳に響いた。それはまるで「運命の終わり」を告げる鐘の音のようで、わたしの胸を鋭く切り裂く。


「公爵令嬢フェリシア・ローゼンハイム。これをもって、王家と公爵家との縁談は白紙に戻す。……今後、私の前に姿を見せることは許さない」


 鋭い言葉が突き刺さる。思わず息が詰まって、視界が暗くなりかける。周囲では好奇の視線と嘲笑、あるいは同情の声がない交ぜになって交錯していた。


「婚約破棄……これで確定か」

「フェリシア様は何もしていないように見えるのに……でも、殿下のお決めになったことだし」

「こんな場で断罪されるなんて、一体どういうこと……?」


 ひそひそとささやく声が、そのままわたしを裁いているかのようだ。わたしは奥歯を噛み締めながら、どうにか気丈に振る舞い続ける。これ以上、醜態を晒すわけにはいかない。


(だけど、本当にこれで終わりなの?)


 どこか遠く感じられる自分の思考を、わたしは必死に引き戻す。何より今は、この場で取り乱すわけにはいかない。そう強く自分に言い聞かせようとしたとき、突然、誰かがわたしの肩にそっと手を置いた。


「待ってください! 殿下……本当にフェリシアが不正を働いたとお考えですか?」


 伸ばされた腕の主は――ユリウス・アッシュフォード。わたしの幼馴染だ。幼い頃から一緒に勉強し、礼法を習い、時に励まし合ってきた大切な友人である。子爵家の身でありながら、今まさに王太子に異議を唱えようとしていた。


「ユリウス……っ!」


 わたしの声は驚きと焦りで震える。彼がここまでして庇ってくれる気持ちはありがたい。けれど、それは同時に、彼の身にも危険を及ぼしかねない行為だ。王太子殿下の決定に異を唱えるなど、並大抵の勇気ではできない。彼に余計な負担をかけたくない気持ちが、わたしの胸をさらに締め付ける。


「殿下、どうかフェリシアに弁明の機会を与えてはいただけませんか。彼女はそんな陰湿なことをする人ではありません! わたしがずっと見てきたのですから――」


 ユリウスの瞳には確信めいた力が宿っている。周囲の貴族たちも、そのあまりに必死な姿勢に息を呑む様子がうかがえた。だが、アルフォンス様は冷ややかに目を細め、低く言い放つ。


「黙れ。子爵家の分際で、私の決定に口を挟むとはいい度胸だな。……それとも、お前も同罪か?」


 その言葉が落ちた瞬間、ユリウスの表情に痛みが走ったのがわかった。周囲からも「王太子殿下がお怒りだ」とざわつく声が湧き上がる。それでもユリウスは唇を噛み、すぐには引き下がらずにわたしを見る。その瞳が「諦めるな」と言っているようで、胸が苦しくなる。


(彼まで巻き込みたくないのに……)


 わたしの心はユリウスに手を伸ばしかける。それをどうにか踏みとどまり、肩を震わせながら、かすれた声で言った。


「ユリウス、もういいの……お願い、黙っていて」

「フェリシア……どうして、こんな――!」


 ユリウスの訴えは、苦悶に満ちている。けれども、わたしはまっすぐに彼を見据え、静かに首を振るだけだ。もしここで彼がさらに争う姿勢を示せば、子爵家までが王太子殿下の敵とみなされてしまうかもしれない。それは絶対に避けなければならない。ユリウスの将来を潰すなど、わたしには到底できない選択だから。


「わたしの問題よ。あなたに迷惑をかけるわけにはいかない」


 毅然(きぜん)とした声でそう告げると、ユリウスは目を伏せ、拳を強く握り締めた。誰もが息を呑むような沈黙のなか、アルフォンス様は眉をひそめて嘲笑混じりに言い捨てる。


「――くだらん芝居は終わりだ。フェリシア・ローゼンハイム。お前との婚約は破棄する。二度と私の前に姿を見せるな」


 その言葉に呼応するように、周囲の貴族たちがざわめき始める。「やはり破棄か」「もう覆ることはないのか」など、思い思いの感想が渦巻いていた。コーデリア・クロフォードの冷たい視線がわたしを貫く。あの微笑……まるで勝利を確信しているかのような表情。きっと彼女がこの陰謀の鍵を握っているに違いない。それでも、今は何も証明できない。


 わたしは震えそうな膝を何とか支えながら、息を吸い込む。自分に向けられる嘲笑や同情の目を振り払うため、わざと背筋を伸ばして――最後に、はっきりと声を出した。


「アルフォンス様……わたし、フェリシア・ローゼンハイムは、何もやっておりません。たとえどれだけの『証拠』とやらを突きつけられても、それは事実とは異なるもの。わたしは潔白です」


 ピンと張り詰めた空気が、さらに冷たさを増すのを感じる。アルフォンス様はその言葉に対して表情一つ変えず、淡々と言い放った。


「ならば、その潔白とやらを証明してみせるがいい。……もっとも、いまさら無駄だろうがな」


 くるりと背を向けるアルフォンス様。その隣では、コーデリアがまるで面白おかしい見世物を見ているかのように、優雅に扇を広げている。言いようのない屈辱と悔しさがこみ上げてきたが、それを飲み下してわたしはドレスの裾を翻した。


「これで終わりだ。婚約破棄は正式に決定とする」


 断罪の宣言は、はっきりと大広間に木霊する。わたしはもう何を言っても無駄だと感じ、ひとまずここを出ようと歩を進めた。ざわつく貴族たちの視線を背後に受けながら、刻まれる足音すら痛々しい。


「フェリシア……っ! 待って、話を――」


 ユリウスの声が聞こえたが、わたしは振り返らない。胸の奥がちぎれそうなほど苦しいのに、ここで足を止めるわけにはいかない。誰かを巻き込むわけにもいかない。今は、公爵令嬢としての最低限の威厳を保って退くしか術がなかった。


 大広間を出たとき、どっと力が抜けそうになる。だが、深呼吸をして何とか踏みとどまる。今はまだ泣けない。馬車へ向かう回廊を早足で進む間にも、使用人たちの好奇の視線を感じて、心がぎゅっと縮まる思いがした。


(わたしは、やっていない……必ず証明してみせる)


 自分の中で何度も繰り返すように唱える。まるでそれが、誇りを繋ぎとめる最後の糸であるかのように。


 ほどなく馬車に乗り込み、扉が閉まる音に胸を突かれる。扉ひとつ隔てるだけで、王宮の華やぎから遠ざかった狭い世界。ここでようやく息をついたものの、心の中では嵐が吹き荒れていた。


(ユリウス、ありがとう。だけど……ごめんなさい。わたしがあなたを巻き込めるわけがない)


 馬車が動き出すと、窓の外に広がる景色が少しずつ流れていく。その闇の向こうに、コーデリアの笑み、アルフォンス様の冷たい表情、侍従の(あざけ)るような声が、まだこびりついて離れない。


 同時に、わたしを必死に守ろうとしてくれたユリウスの顔が鮮明に甦り、申し訳なさで胸が潰れそうになる。


(でも……絶対に諦めない。こんな陰謀で終わるわけがない。わたしは……わたしは公爵令嬢、フェリシア・ローゼンハイムなんだから)


 気づけば、拳を握り締めていた。その手は震えているけれど、これから先の覚悟を決めるために、強く強く力を込める。たとえ婚約破棄で全てを失ったとしても、わたしは真実をつかむまで歩みを止めない――。


「……絶対に取り戻してみせるわ」


 ほんの小さな声で誓いながら、わたしは薄暗い馬車の中で静かに目を閉じた。まだ気持ちを整理するにはほど遠いけれど、今は唯々、心を奮い立たせるしかない。アルフォンス様にも、コーデリアにも負けはしない。


 そう固く決意したまま、馬車は闇夜の王宮を後にする。外の風はひどく冷たく、まるでわたしの運命を嘲笑うかのように感じられたが――それでもわたしは立ち止まらない。自分の潔白を証明するために、そして、守りたい人々を傷つけないためにも。


 この夜が、わたしの「新たなる戦い」の始まりだった。すべてを失いかけた今こそ、わたしは本当の自分を取り戻すために歩み出さなければならない。絶望の底を味わったからこそ、もう恐れるものはない。


 ――わたしは、公爵令嬢フェリシア・ローゼンハイム。


 (ゆが)められた真実など、必ず暴いてみせる。

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