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断罪された公爵令嬢ですが、幼馴染の彼と幸せになってもよろしいですか?  作者: ぱる子


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第25話 すれ違い

 午後の光が柔らかく差し込む公爵邸の書斎は、本来なら落ち着いて勉強や読書をするのに最適な空間のはず。けれど、その静謐(せいひつ)な雰囲気を台無しにするかのように、わたしとユリウス・アッシュフォードの間には息苦しい空気が漂っていた。


 机の上には見慣れない書簡や書類が散らばっている。偽造された王太子の書簡――ユリウスが命がけで手に入れてきたらしい、コーデリアの陰謀を示唆する決定的な証拠。


「フェリシア、この書簡を見ればわかると思うんだ。文面や署名が王太子殿下のものと微妙に違ってるし、紙も王宮で使われる質と合わない。……決定的な証拠になり得るよ」


 ユリウスはいつになく熱い眼差しで、テーブルに広げられた書簡を指さす。わたしはそれを一瞥(いちべつ)しただけで、背筋に冷たいものが走った。数日前まで、コーデリアが裏で何をしているか確信が持てなかったけれど――ここまで目に見えるかたちで証拠が現れると、改めて背筋が凍る思いだった。


「たしかに、これが本物の王太子殿下の書簡じゃないことは、専門家が見れば一目瞭然でしょうね。筆跡も印章のズレも、あちこちにある。……でも、だからと言って、今すぐこれがわたしを救う決定打になるとは限らないわ」


 わたしは深呼吸して、できるだけ冷静な声音を保つ。一方で、ユリウスは目を見開いた。まだ高揚感に包まれたままなのか、わたしの冷たい反応が信じられないようだ。


「どうして? これだけ分かりやすい偽造書簡なら、王太子殿下も『あ、これが本当の犯人の仕業だな』って、すぐ気づくんじゃないのか?」

「……ユリウス、あなたは身分の差を甘く見ているわ。子爵家が『偽造書簡だ』と騒いだところで、相手がコーデリア・クロフォード伯爵家と繋がっている以上、そう簡単に(くつがえ)せるかどうか」

「だけど、真実じゃないか。こんな書簡が存在するってわかれば、『コーデリアが裏でフェリシアを(おとしい)れようとしていた』と証明できるはずだよ」


 彼の言い分は正論だ。真実があれば、あとはそれを証明するだけ。――ただ、貴族社会というのは事実よりも「政治的な力関係」が優先されることも多い。それが嫌と言うほど身に染みているから、わたしは素直に飛びつけない。


「ありがとう、ユリウス。でも……現実は、もっと複雑なの。わたしがこれを王太子殿下に渡そうとしたところで、果たして殿下は今さらわたしを信じてくれる? コーデリアはすでにわたしを悪者に仕立て上げる噂を徹底して流している。それがこんな一通の書簡で崩れるかどうか……」

「なら、崩せるよう動かなきゃいけない。俺はそう思うんだ。フェリシアだって、そのために調べてきたんじゃないのか?」


 ユリウスが声を張り上げる。彼が必死なのはわかるけれど、その理想的な姿勢に胸がチクリと痛む。


 わたしが揺れているのは、これだけの証拠を持ってしても、周囲の貴族たちが動くかどうか疑わしいという不安が拭えないから。ましてや、公爵家は王家に反発できない立場。父も母も、本気でわたしを支える余裕があるのか疑わしい。


「今はまだ、わたしの力だけでは動かせないのよ。父様や母様が本格的に動いてくれれば別だけど、彼らは王太子殿下との関係を壊したくないから、あくまでも静観。そうなると、わたしがこうやって証拠を携えても、誰が後ろ盾になってくれる?」

「その後ろ盾こそ、俺じゃダメなのか? もちろん俺は子爵家の人間だけど、他にも協力してくれる貴族はいる。いくらでも探せると思う……!」

「……子爵家の立場じゃ、無理よ。貴族社会はそんなに甘くない」


 一瞬の沈黙が落ちる。ハンナが両者を見比べて、どうにか中和しようとソワソワしているのが目に入る。申し訳ないとは思いつつも、わたしはここでユリウスに期待を持たせるわけにはいかないのだ。


「それはわかってる。だけど、何もしなかったら永遠に噂は消えないし、フェリシアが不当に罪を被ったままだろう?」

「……そう。何も動かなければ、わたしの名誉は地に落ちたまま。わかっているわ。でも、その『動く』っていうのがどれほどのリスクを伴うかわかっているの?」

「俺はリスクを背負う覚悟がある。むしろ、それがないなら最初から俺は動かなかった」


 ユリウスの真摯な瞳を見た瞬間、心がわずかに揺れる。彼が言うとおり、こんなにも熱心にわたしを助けようとしてくれる存在はありがたいはずだ。


 でも、その裏でわたしが恐れるのは、彼自身や子爵家が被るかもしれない損害。わたしのために犠牲になってほしくはない。だからこそ、わたしは敢えて突き放すような言葉を選ぶ。


「……わかったわ。あなたがそこまで言うなら、任せてみてもいいかもしれないと思っている。でも、今すぐこれを持って殿下に突きつけるなんてことは不可能よ。裏付けが足りない。ここに書いてある内容と筆跡のブレだけでは、コーデリアを断罪するには弱すぎるの」


 やっと少しだけ歩み寄った言葉が出た。ユリウスは「よかった」と安堵の声を漏らす。だけど、わたしはまだ冷ややかな面を崩さない。


「それに、あなたが表立って動けば動くほど、『下級貴族が王家に弓を引いている』なんて噂が立つ可能性もある。コーデリアに利用されかねないわ」

「それも承知の上だよ。何もしないで後悔するより、動いて後悔したいんだ。幼馴染として、君がこんなに傷ついている姿を見るのは辛いんだよ……」


 ユリウスの声が震える。あの日、廊下で冷たく拒絶したわたしの態度も、彼の心を傷つけたのだろう。わかってはいたけれど、どうしても踏み出せない線があった。


「わたしだって……好きでこんな風に突き放してるわけじゃない。あなたがいつか、わたしのせいで追い込まれるのを望んでるわけでもないし」


 ごく小さな声で言葉をこぼすと、ハンナが「お二人とも、もう少し落ち着いて」と控えめに声をかける。


「そうだね、少し荒くなりすぎた。すまない……」


 ユリウスが額に手を当てて深呼吸する。わたしも緊張で硬直していた肩を落とした。


 とりあえず、この偽造書簡の価値は理解している。後は、どう使うか。わたしとユリウスが共闘できるのか、それとも別々に動くのか――まだ決まっていない。


「わかったわ。あなたの熱意は確かに伝わった。……ただ、今はまず、わたしなりにこれを分析してみたい。この書簡がどこから来たのか、紙の出所や印章の偽造にどれほどの手がかりが隠されているか……それを調べる必要がある」

「うん、もちろん。俺の仲間も協力できることがあればする。俺たちも紙の仕入れ先や印章の刻印情報を追いかけているから」

「ええ……ありがとう。ハンナにも協力してもらって調べるわ。……でも、その先どう動くかは、わたしが決める」


 ユリウスは目を伏せ、苦い笑みを浮かべる。「結局、君は俺を信用しきれないんだね」とでも言いたげだけれど、押し殺しているようにも見える。


「……俺は、フェリシアがどう判断しようと、君を放っておく気はない。わかってるよね?」

「知ってるわ。それでもわたしは、あなたに負担をかけたくない。――この辺りの溝は、簡単には埋まらないわね」

「……そうだな。だけど、いつか必ずわかってくれると信じてる」


 ほんの短い沈黙。ハンナが気まずそうに手元の書類をまとめ、「よろしければ、そろそろ……」と促す。ここで長々と押し問答していても仕方がない。


「じゃあ、俺は一旦これで失礼するよ。書簡は君に預けておく。その代わり、どうか無理だけはしないでほしい。……ほんとに、あんまり無茶はしないでくれ」


 ユリウスが差し出した書簡を、わたしは何度も見返す。大切そうに扱いながら、もう一度だけ彼に向けて言葉を絞り出す。


「ユリウス……ありがとう。わたしはあなたの熱意を否定する気はない。ただ、現実は厳しいことをわかっていてほしいの」

「わかってる。……でも、だからこそ頑張るよ。俺にとって、君は放っておけない存在だから」


 そのままユリウスは扉のほうへ歩き出し、わたしを残して部屋を出て行った。パタンと静かにドアが閉まると、ハンナが「フェリシア様、……」と心配そうに声をかける。


「大丈夫よ、ハンナ。わたしはちゃんと彼のことを理解している。それでも、わたしはわたしのやり方を貫きたいだけ」

「はい……でも、フェリシア様。ユリウス様は本当に……」

「わかってる。わかってるのよ……」


 無理にそう言い含めながら、わたしは書簡にそっと指を滑らせる。ここにはコーデリアが仕組んだとされる確かな痕跡があるかもしれない。これをどう活かすか。それを考えることこそ、今のわたしに必要な作業だ。


 結局、ユリウスの熱い思いとわたしの冷たい現実認識は噛み合わないままだ。けれど、少なくとも彼が手に入れた証拠は、わたしを窮地から救うかもしれない。そう思うと、胸の奥にわずかな温もりが芽生える。


「ハンナ、早速調べましょう。インクの種類や紙質、刻印のズレ……全部、洗い出してコーデリアの関与を立証する手がかりをつかみたいの」

「はい、フェリシア様。わたしもお手伝いいたします!」


 ハンナが笑顔で応じてくれる。その小さなはずの支えが、今はとてもありがたい。ユリウスの意気込みも、わたしの誇りも、いずれ一つの結論に繋がるかもしれない。


(それでも、今は……)


 苦い思いがこみ上げる。冷静に突き放すしかない。自分もユリウスも、そして公爵家も、皆が共倒れにならないために。貴族社会の厳しさを身に刻みつけられているわたしは、そう簡単に誰かに頼れない。


「……ごめんなさい、ユリウス。でも、あなたの証拠はありがたく使わせてもらうわ」


 そうつぶやき、わたしは書簡を手にもう一度向き合う。真実だけでは戦えない、そんな現実を痛感しながらも、ここで止まっては先に進めない。


 噛み合わぬまま終わったユリウスとの会話に、どこかもどかしさと切なさが残る。わたしたちは同じゴールを見ているのに、背負うものが違いすぎるのだ。それでもいつか――噛み合う日が来るのだろうか。


 そう思いながら、わたしはインクの文字を見つめる。消えない噂と陰謀の網を打ち破るには、まだ多くの難題を乗り越えねばならない。けれど、わずかな希望の光を握りしめ、わたしは今夜も資料に向き合うしかない。


 「真実」だけで勝てないなら、「真実」を補うだけの策略をわたしも用意するまでよ、と心に誓いながら。

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