第24話 暴かれた真実
夕刻、空が茜色から薄紫に染まり始める頃。公爵邸の一角にある書庫に、わたしは身を置いていた。昼間に買ってきたばかりの本を広げ、これまでの記録と照らし合わせながらあれこれ調べものをしている。けれど、まだ決定的な手応えは得られない。
(この記述……捏造された書簡を見破るにはインクの成分や紙質の出所を探れとあるけれど、実践できるかしら……)
ページをめくるたびに溜め息がこぼれる。コーデリア・クロフォードの仕組んだ陰謀を暴くには、やはり具体的な証拠が必要だ。王太子殿下に「わたしは無実」とどんなに言っても、周りがわたしを敵視する限り届かないかもしれない。
胸の奥にじんわりと焦りが広がる。あの日から、どれだけの噂がわたしを傷つけ、家の名誉を踏みにじっているだろう。だけど、立ち止まるわけにはいかない。そう自分に言い聞かせ、わたしは机上の書類を抱え直した。
――と、そのとき。廊下の方からかすかに声が聞こえてきた。誰かが使用人たちと言い争っているような……耳を澄ますと、聞き覚えのある声。
「ユリウス様、申し訳ありませんが……今はフェリシア様にお会いいただくのは難しく……」
「それでも伝えてほしいんだ。『偽造書簡を手に入れた』って」
偽造書簡――その言葉を聞いた瞬間、頭に稲妻が走った。まさか、本当に捏造の「決定的な」証拠を手に入れたというのか? ユリウスはあれほどわたしに「巻き込みたくない」と拒絶されてもなお、動いてくれたというのか。胸がドキリとする。
「フェリシア様! ユリウス様がいらして、偽造書簡を……」
慌てて飛び込んでくるハンナ。わたしは思わず立ち上がり、戸惑いながらも足を廊下に向ける。彼を退けるように言ってきた父のことを考えると、表立って会うのは難しいかもしれないが、この情報を聞き逃すわけにはいかない。
「わかったわ。ハンナ、行きましょう。もし本当に『偽造書簡』があるのだとしたら……これは大きな進展になるかもしれないもの」
「はい、フェリシア様!」
すぐさま書庫を後にして廊下を進むと、玄関ホールでユリウスが使用人たちに囲まれ、説得されていた。何度も頭を下げられても、彼は頑として帰ろうとしない。その手には封筒が握られていて、どこか大切そうに扱っているのが見て取れた。
「ユリウス……」
わたしの声に、彼が振り返る。使用人が困惑したままわたしの方を振り向き、「お嬢様……よろしいのですか?」と目を泳がせる。こんな形で彼と会話するのは、父の意向に反するかもしれない。でも今はそんなことを言っている場合じゃない。
「フェリシア……来てくれてよかった。邪魔をする気はなかったんだけど、どうしてもこの書簡を見せたくて」
「偽造書簡を手に入れたと、聞いたわ。……本当なの?」
わたしが一歩近づくと、ユリウスはひどく緊張した面持ちでうなずく。周囲の使用人たちが「もう少し控え室に」と促しているが、わたしは短く指示を出す。
「皆、少しだけ席を外してくれる? ハンナだけ残ってもらうわ」
「か、かしこまりました……」
彼らは戸惑いながらも退出していく。玄関の隅に残されたのは、わたしとユリウス、そしてハンナだけ。短い時間であっても、こうして落ち着いて話せるなら好都合だ。
ユリウスは改めて封筒を差し出す。そこには何枚かの書簡が束ねられていて、封の一部には奇妙な印章が押された跡があるようだ。わたしは恐る恐る受け取り、ハンナと共に封を開く。
「これは……王太子殿下の署名と印が入っているように見えるけれど、筆跡が微妙に違うわね。紙質も、どこか不自然……?」
「そうなんだ。俺も仲間たちと調べていたら、どうもコーデリアの取り巻きが『王太子殿下からの正当な指示書』として広めようとしていたらしいんだ。内容は『フェリシアがこんな悪事を働いた』というようなものを証明する書簡と称してね」
「なんて……そんなものを……」
言葉が震えそうになるのをこらえる。これはまさに、わたしを陥れるために偽造された「証拠」の一端だ。しかも王太子殿下の名を騙っているとなれば、陰謀にもほどがある。うまく立証できれば、コーデリアの企みが決定的に崩せるかもしれない。
「フェリシア、君に拒まれても動き続けた結果、ここまでたどり着いた。危うい橋を渡ってくれた協力者がいるんだ。まだこれだけで決定打になるかは微妙だけど、大きなヒントになるはず」
「……どうして、そこまでしてくれるの。わたしがどんなに遠ざけても、あなたは諦めない」
自分の声が少し震えているのを感じる。怒りというより、困惑と感謝が入り混じっている。ユリウスは唇をきゅっと引き結んで、短く答えた。
「幼馴染として……それだけじゃなく、君がこんな理不尽な形で失脚しかけるのを放っておけない。それが理由だよ。僕も自分が信じる正義を貫きたいだけだ」
真摯な瞳を見ていると、胸の奥が温かくなるのを否定できない。今まで彼を巻き込みたくない一心で冷たく突き放してきたけれど、ここまで動いてくれたのだ。手を伸ばさないわけにはいかないと感じ始めている。
「わかったわ。……この書簡、必ず有効に使う。コーデリアの裏を暴くための手掛かりになるはず。だけど、くれぐれも無茶はしないで」
「それはお互い様だと思うよ。でも、今はありがとう。『放っておいて』なんて言われるかと思ったけど、今回は話を聞いてくれた」
ユリウスが安堵の笑みを浮かべるのを見て、わたしも少しだけ笑みを返す。それは、わずかな前進かもしれない。完全に彼を受け入れたわけではないが、少なくとも今は同じ目的を共有している。
「まだあなたを……頼るかどうか、決められたわけじゃない。でも、せっかくの証拠を活かさない手はないもの」
「うん、それでいい。俺も君が望む形で助けたいだけだ。もし協力が必要になったら、いつでも声をかけてほしい」
そんなやりとりを交わした後、ハンナが「そろそろ私室へ」と促す。おそらく父たちに見つかれば、また文句を言われるだろう。わたしもユリウスに長居させるわけにはいかないと判断し、短く別れの言葉を告げる。
「ありがとう、ユリウス。……また、何かあれば知らせて。わたしも……報告するから」
「わかった。じゃあ、気をつけて」
そう言って、ユリウスは使用人たちの視線を浴びながらも、堂々と公爵邸を後にした。その背中を見送っていると、ハンナがほっとしたように微笑む。
「良かったですね、フェリシア様。これで一歩前進ですよ」
「ええ……そうね。少しだけ、希望が見えた気がする」
わたしは書簡の束を持ち上げ、しっかりと胸に抱く。王太子の名前を騙った偽造書簡があるということは、いよいよコーデリアが「公式な裏付け」を用意していた証拠。もしこれを突き止められれば、わたしにかけられた罪が嘘だったと示せるかもしれない。
同時に、ユリウスの存在がわたしを支えているのも確かなのだと感じる。かつては彼を遠ざけることで守れるものがあると思っていたが、今では彼がいなければこの決定的な証拠を得ることはできなかった。思わず胸が熱くなり、感情が込み上げてきそうになるのを必死で抑える。
(ありがとう、ユリウス。でも、もう少しだけ……もう少しだけ頑張ってみせるわ)
心の中でそっとつぶやいて、わたしはハンナとともに執務室へと足を向ける。これから、この書簡をどう使うか、どのように王太子に提示するかを考えなければ。コーデリアがいる以上、下手に動けば先回りされる危険もある。けれど、わたしもこのまま黙っているつもりはない。
(コーデリア……あなたが仕組んだことを、必ず暴いてみせる)
胸を燃やす怒りと希望。そして、ユリウスへの感謝。すべてがわたしの動力源になる。コーデリアの網をかいくぐり、王太子の誤解を解くための道はまだ遠いかもしれないが、ほんの少しだけなら光が見え始めた気がした。
こうして、偽造書簡という手札を手に入れたわたしは、コーデリアへの反撃に向けて小さく一歩を踏み出す。王太子殿下との婚約は破棄されたままだけれど、これで完全に終わりだなんて誰が決めたの? わたしにはまだ、戦う余地が残されているのだ。
次にユリウスと会うときは、もう少し素直になれるだろうか――そんな期待をほんのりと抱きつつ、わたしは玄関ホールを後にした。周囲の視線を感じても、さっきより胸が痛まないのは、この書簡のおかげかもしれない。わたしは「独り」じゃない。そう思えるだけでも、だいぶ救われた気がするから。




