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第13話 策謀

 朝の光がしんとした伯爵家の廊下を淡く照らしていた。ぴかぴかに磨かれた床は、まるで鏡のように人影を映し出す。そんな廊下を使用人たちが忙しなく行き交う中、コーデリア・クロフォードの部屋からは控えめな笑い声が洩れている。


「ふふっ……まさか、あのフェリシアがこうも簡単に婚約破棄されるなんて。思いのほかすんなり事が運んだものですわ」


 繊細なバラの模様が描かれたティーカップを口に運びながら、コーデリアは優雅な笑みを浮かべている。室内は淡いピンクとクリーム色の調度品で統一され、まるで華やかなサロンを思わせる雰囲気だ。そこには彼女の“取り巻き”ともいえる令嬢たちが数名、茶会に集まっていた。


「だって、フェリシア様って昔から『完璧な公爵令嬢』みたいに振る舞ってましたものね。いつ見ても高慢というか……」

「そうよね。自信たっぷりに王太子殿下の隣に立ってた姿が鼻について、正直気に入らなかったわ」


 取り巻きたちが思い思いに言葉を交わす。まるで他愛ないおしゃべりでもするように、フェリシアを(けな)す言葉が飛び交っていた。


 コーデリアは彼女らの会話を、軽く頬に手を添えながら聞き流す。その頬には笑みが浮かんでいるが、瞳の奥には冷たい光が宿っていた。


「皆さまのお気持ちはわかりますわ。けれど……」


 そう切り出すと、部屋の温度がわずかに変化したのを感じる。取り巻きたちも、コーデリアが口を開くときは注意して耳を傾ける。彼女は軽やかにティーカップを置き、すっ……と背筋を伸ばした。


「フェリシア・ローゼンハイムの婚約破棄は、まだ『序章』にすぎません。王太子殿下が一度は断罪したとはいえ、公爵家がまったく動いていないのが気になりますわ。いつ彼女が反撃してくるとも限りませんもの」

「で、でも、殿下はもうフェリシア様を見限ったんじゃ……?」

「フェリシア様ご本人も、引きこもっているとか聞きましたけれど?」


 令嬢たちが口々に尋ねると、コーデリアはふふっと笑う。


 その笑顔に漂う冷徹さに、取り巻きの一人は一瞬だけ身をこわばらせる。まるで美しい花に秘められた毒のようなものを感じるのだろう。


「たしかに公爵家は当面動かないでしょうけれど、フェリシアが完全に屈服したわけではないでしょう? もしや、静かに策略を巡らせているかもしれない。だからこそ、こちらが先手を打っておくべきなのよ」

「先手……とおっしゃいますと?」

「たとえば、あの『証拠』がいかに真実であるかを、もっと周囲に印象づけるの。さらに、新たな噂を流すなりして、フェリシアに『追い討ち』をかけるのです。公爵令嬢とはいえ、世間体を失えば立ち上がれなくなるのが貴族社会ですわ」


 コーデリアの声には確たる自信が感じられ、取り巻きたちの表情にも「なるほど」とうなずく色が滲む。


「さすがコーデリア様。最初からここまで計画を練っていたんですね」

「私たちも協力できることがあれば……!」

「もちろん。皆さまが手を貸してくだされば、大いに助かりますわ。あのフェリシアがどれほどプライドの高い公爵令嬢だろうと、噂で周囲を囲まれればすぐに身動きが取れなくなるはず。――そして最終的には、王太子殿下が私に目を向けてくださればいいの」


 そこまで言い切ると、コーデリアは椅子に深くもたれかかり、ゆったりと微笑んだ。その姿には裏打ちされた狡猾(こうかつ)さが漂い、取り巻きたちは恐る恐るといった面持ちで視線を交わす。


「でも、コーデリア様……王太子殿下が本当に心変わりをなさるかしら? 殿下ってフェリシア様をずっと婚約者として認めていたんでしょう?」


 一人の令嬢が、少々不安げに問いかける。王太子の本心を完全につかむのは容易ではない。そこにわずかな懸念を抱くのも無理はない。


 だが、コーデリアはそんな不安を笑い飛ばすかのように、口元をきゅっと吊り上げた。


「うふふ……あなた、それでも私のやり方を疑うの? 安心してちょうだい。あれほど『決定的な証拠』を準備したのだもの。王太子殿下は、フェリシアが悪いと信じ込んでいるに違いないでしょうし。まだ『とっておき』も残していますわ」

「とっておき、ですか……?」

「ええ。噂と書簡の偽造なんて、ほんの一部にすぎません。いざとなれば、もう少し直接的な手段を使ってもいいのよ。……フェリシアを完全に(おとし)めるためには、どんな小細工だって惜しまなくてよ」


 あまりにも冷淡な言葉に、取り巻きたちは息をのむ。コーデリアが持つ執念は、単なる嫉妬を超えた、まるで底なしの欲望のようなものを感じさせる。美貌と社交術を駆使しながら、彼女は王太子の隣を手に入れたいのだ――その一点のためなら躊躇しないのだろう。


「それに、王太子殿下がどんな気まぐれを起こそうと、周囲の評判が下がりきったフェリシアでは、もうどうにもならないようにしておけばいいの。彼女が王太子妃にふさわしくないと誰もが思うくらいに、『事実』を積み上げればいいだけのことですわ」

「なるほど……。フェリシア様がいくら無実を主張しても、立場が弱まってしまえば聞き入れられない……ですね」


 コーデリアは肯定するように軽くうなずいてみせる。まるで一度に幾通りもの手札を用意しているかのような、どこまでも用意周到な笑みだ。


 令嬢たちの中には、わずかに不安そうな顔を浮かべる者もいるが、今さらここで「やっぱりやめましょう」とは言い出せない。すでに彼女たちは「コーデリアの計画」に少なからず加担してしまっているのだ。


「では……早速、次の噂の種を広めるとしましょうか。あのフェリシアが、自分の潔白を証明しようとして、さらに王家に泥を塗るような行動をしている――そんな話が広まれば、公爵家もますます身動きが取れなくなるでしょう」

「さすが、コーデリア様。用意周到ですね!」


 取り巻きの一人がそう言うと、コーデリアは艶やかな仕草で髪を払う。まだまだ彼女の計画は続くというわけだ。


 しばらくすると、使用人が新しい茶葉を淹れたポットを運んできた。取り巻きの一人がそれを受け取り、コーデリアのカップに注ぐ。濃厚な香りが室内に広がり、まるでこの場の邪な空気をさらに増幅させるようだった。


「お茶の香りがいいですね。甘くて優雅……ふふ、フェリシアも今ごろ、この香りを嗅ぎながらくつろいでいられれば幸せだったでしょうに」


 コーデリアは皮肉な調子で微笑む。誰からも崇められ、「次期王太子妃」として当然のように君臨していたあのフェリシア・ローゼンハイムを、今や宮廷の中心から遠ざけるところまで追いやった。その達成感は、彼女にとって何事にも代えがたい快感だった。


(本当に、滑稽(こっけい)な女だったわ。プライドだけはやたらに高いくせに、周りを見下していて。……こうやって一瞬で地獄に突き落とされるとも知らずにね)


 心の中でそう嘲笑すると、コーデリアはカップを口元に運んで優雅に一口含む。舌の上に広がる上質な紅茶の味わいが、まるで勝利を味わうかのように甘美に感じられた。


「――まあ、まだ気は抜けませんけれどね。公爵家はそんなに簡単に崩れる相手じゃありませんし、王太子殿下の気まぐれや幼馴染とやらの妨害が入るやもしれない。……でも、そんなことはいくらでも潰しようがあるわ」

「そうですわ! もし余計な動きを見せる者がいれば、さらに陥れてしまえばいいですものね」


 取り巻きたちが同調するようにうなずき合う。コーデリアが広げたフェリシア陥れるための計画は、思った以上に順調に進行しているのだ。偽造書簡や噂話の拡散、そして王太子殿下にフェリシアへの不信を抱かせる種を仕込んだのも大成功だったと言える。


「おほん……。では、細かい段取りは後ほど改めて指示を出します。皆さまには手分けして動いていただくわ。しっかり頼みますわよ?」

「お任せください、コーデリア様!」


 令嬢たちが口々に励まし合いながら、コーデリアに視線を向ける。彼女は今や「小さな王国」の女王のように、この場を支配しているのだ。


 カップを置いたコーデリアは、悠々と椅子から立ち上がり、身につけたアクセサリーを確かめるように軽く撫でた。宝石がきらりと光を反射し、部屋の壁紙に煌めきを落とす。


「では、茶会はもう少し続けましょうか。なにしろ優雅な時間ですもの。それが終わってから、皆さまには指示通りに動いていただく。フェリシア・ローゼンハイム……あなたが闇に沈む日も近いのよ」


 最後の言葉は小声だったが、取り巻きたちの耳にはしっかり届いていた。ゾクリとするほどの冷酷さに、彼女らは胸の内で改めて恐怖を覚える。


 しかし、その恐怖にも似た畏敬の念こそが、コーデリア・クロフォードの「力」の源――。ともすれば、彼女を疑う者は同じように(おとしい)れられてしまうかもしれない。もう誰も彼女の命令には逆らえないのだ。


 コーデリアが取り巻きにうっすらと微笑みかけると、彼女たちは一斉に居住まいを正す。それを見届けながら、コーデリアは椅子に腰を下ろし、再びティーカップを手に取った。まるでこの部屋が自分の王国であるかのように、彼女の高笑いが薄紅色の壁に吸い込まれていく。


(フェリシア……あなたにはもう退場してもらうわ。王太子殿下の隣に立つのは、この私――コーデリア・クロフォード。誰にも邪魔はさせない)


 冷ややかな決意を胸に秘めながら、コーデリアは濃厚な紅茶を喉の奥へ流し込んだ。その余韻は甘美で、同時に氷のように冷たい。


 こうして、あどけない笑みを貼り付けながらも確実に「計画」を進めるコーデリア。彼女の執念がフェリシアをどこまで追い詰めるのか、まだ誰も知る(よし)もない。そして、それがどんな波乱を呼び起こすのかも――。

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