79 マリーナール
マリーナールは中堅どころの侯爵家長女として育った。父親は男の社交と言って外に出歩き家に居ることが少なかった。たまに戻れば子供や母に不満ばかり言う人だった。
母はそんな父のせいで侯爵夫人としてゆったり暮らすことなく家政から領地の仕事までしていた。それでも母としての愛情は十分注いでくれていた。しかし、マリーナールはそんな母を見て自分はそうなりたくないと思っていた。
父親は魔力がそれなりにあるマリーナールを良い所に嫁がせ資金援助を得ることに夢中になっていた。母はそんな父に逆らうことなく淡々と仕事をこなしマリーナールに淑女教育を施した。父はお酒を飲むと気性が荒くなる。些細なことでも大声を出し暴力を振るうことがあった。母は「子供たちは殴らないで」と言って、いつも私を庇ってくれていた。
そのうち父は屋敷に近寄らなくなった。愛人の所にでも行っていたのだろうけど子供の私には父の不在がただ嬉しかったし、静かな屋敷が大好きだった。弟は幼いながらも父より強くなり母や私を守るのだと剣術の訓練をかかさなかった。
そんな父がマリーナールがローライル家に嫁ぐと知った時から何かと父親づらをするようになった。そして「魔力の高い子供を生め」それが父の口癖になった。父は魔力至上主義の集まりに良く出かけていた。回顧主義の集まりだと弟は馬鹿にしていた。
あとから知ったが父は魔力が母よりも少なかった。魔力が少ないからこそ魔力に対して劣等感を強く持っていたようだ。
父は一時的に魔力を高める特別な魔道具を使って魔力量をごまかしていた。それを知ったのは私の出産の時、陣痛で苦しんでいる私に無理やり魔力を高める魔道具を腕に取り付けたからだ。出産は一人でも命がげなのに双子の私に父は無理を強いた。それができたのが夫が不在だったからだ。
そんな魔道具のせいか双子の一人は魔力を持たない真っ白な子供、もう一人は魔力過多症を発症していた。
「魔力がない子供など死産だ。死産にしろ」
「生きております」
「五月蠅い。捨ててこい」
この声をマリーナールは気が遠くなる中聞いていた。マリーナールが次に目を覚ましたとき、自分の横の寝台に娘が一人寝ていた。
「マリーナール様、お疲れさまでした。回復魔法をかけてありますので安心してください。お一人は死産でしたが、父君が縁起が悪いと早めに埋葬しました。公爵様にはお一人の誕生をお伝えします」
きっと父からの命令だろう。この子だけは父の自由にさせない。
しかし、娘は魔力過多症の治療で専属医師や介護士の手が必要になった。娘の部屋の入口から寝台に眠る娘は顔色も悪くマリーナールを見ようともしなかった。無理なお産で次の妊娠は困難と言われたマリーナールは次の子供を望めなかった。
夫はなにも責めることなくマリーナールを思いやってくれた。産後の肥立ちが悪いと言えば義母が外向きの仕事を変わってくれていた。屋敷の自室でのんびりと過ごせる生活、これこそマリーナールの理想の生活だった。屋敷の皆がマリーナールに気をかけてくれていた。
「マリーナール、エリーナの所に一緒に行こう」夫の誘いを「わたしが病弱な娘に生んだせいでエリーナは辛い思いをしている。顔など出せない」と泣けば夫は「大丈夫だ。そんな事はエリーナは思わない。賢い子だ。今回は私一人で会ってくる」そう言って夫は離れていった。
そんな事をしているうちに父は死んだ。父は侯爵の次代を育てることを何もしていなかった。急なことで弟は大変だろうが母が居ればどうにかなるだろう。父の葬儀も体調不良で出席しなかった。そんな時エリーナの危篤の知らせが部屋に届いた。エリーナを失うことよりもう子供を持てない不安が胸に広がった。その時父の言葉を思い出した。一人娘がいたことを思い出した。
「髪まで白い、魔力がない子」確か孤児院に捨てたはず。父の懇意にしている孤児院はあそこしかない。生きていればいずれ役に立つときがあるかもしれないと父は言っていた。
マリーナールはエリーナの所に向かわず孤児院に訪れた。そこには白い髪の3才ほどの女の子がいた。マリーナールは母親の「感」でこの子がもう一人の娘だと確信した。
エリーナと違い健康で笑顔が可愛い子供だった。白い髪さえ光り輝いて見えた。院長に確認すればエリーナの生まれた頃に孤児院の前に置き去りにされていた。父から多少の資金援助があったおかげで娘は生き長らえていた。
「あなたはロゼリーナ。わたしはあなたの母ですよ」
「ロゼリーナ?」
女の子は知らない貴婦人に急に抱きしめられても怯えずマリーナールに微笑み返してくれた。これでエリーナが死んでも娘がいる。娘をいつ失うかと長年の不安な思いに終止符を打つことが出来た。
ロゼリーナはなにをしても可愛い子供だった。ローライル家にもすぐに馴染んだ。病人を抱えた一種の暗い雰囲気を一掃してくれた。それからは何でもロゼリーナに買い与えた。本邸から義母が出て行った。これで家族水入らずの生活が始まると思った。それなのにエリーナは回復し、息子のセドリックの視線に冷たいものを感じるようになった。夫さえも一線引いているように感じられた。
「ロゼリーナは妹でない」
セドリックの言葉に怒りを感じたマリーナールであったがそれは真実だった。双子の腕の内側に同じほくろがあったことをマリーナールは思い出した。
「やはり双子だね。同じところに星型のほくろがある」
ロゼリーナにはほくろはなかった。自分さえ誰にも告げなければ、この穏やかな幸せは失わない。
学園に入るころにはロゼリーナはマリーナールの手を離れた。公爵夫人の仕事を再開するにも何も上手くいかなかった。お茶会に参加しても10年以上の空白は大きかった。参加者の変化、話題について行けない。エリーナの優秀さを褒められてもエリーナを知らない。ロゼリーナの話題を出せば皆が口ごもる。
「疲れたわ。体が怠い」
私室に引きこもれば家令や家政婦長が全てを采配してくれた。今思えば義母が手伝ってくれていた。再びマリーナールは優雅な生活を手に入れたと思ったらあれほど大事に育てたロゼリーナが問題を起こした。
マリーナールとロゼリーナは別邸に追いやられ、ロゼリーナがエリーナを襲うという事件ですべてが終わった。ロゼリーナを引き取らずエリーナの回復を待てばこんな事にはならなかったのか。
母の葬儀に出ていれば、父の負債を手助けしていれば弟がマリーナールを受け入れてくれたかもしれない。
馬車の中で「お母様がもう少し上手くやればこんな事にはならなかった」と私を罵る他人娘が疎ましく思えた。
「お前など娘でない」
「わたしを無理やり引き取ったのは貴女でしょ。あのまま孤児院にいればよい所に引き取られたかもしれなかった。外れくじを引いた」
「貴族の娘に慣れて何が不満なの」
「不満ばかりよ。実子でなければセドリックと結婚すれば元の生活に戻れる!」
「貴女馬鹿じゃない。セドリックはロゼを選ばないわ」
「ふん、セドリックは口煩いからこちらからお断わりよ」
馬車の中で二人は不満を吐き出す。それでも馬車は領地に向かった。領地の田舎でどんな暮らしが待っているか想像もできないマリーナール達だった。
3日後領地についたが、長閑な風景の中に所々木造の家が建っている。多くは畑であり羊や牛など飼っているようだった。
「お店はないの?」
「知らないわよ」
「お母様の領地でしょ」
「ここには来たことがないわ」
「だからお父様に捨てられたのね。何の仕事もしなかったからだわ」
「公爵夫人は王都で忙しいの」
「お母様は何もしていなかったわ。侍女たちを叱ったりした以外は何もしていなかった」
ロゼリーナの生意気な言葉に思わずマリーナールはロゼリーナの頬を叩いてしまった。赤く腫れた頬を抑えロゼリーナはマリーナールを睨みつけた。
「やっぱり、殴る相手がいなくなったら今度はわたしなのね。でも、もう遠慮しないから。自分のことは自分でやって。たとえ同じ家でも手伝いはしない。いづれ王都に戻ってみせる」
見たことのないほどのきつい目をしてロゼリーナはマリーナールを睨みつけたあとは何も話さなくなった。やっとたどり着いた小屋と言ってもいい家は見たことないほど狭かった。台所と食卓テーブルと椅子で一部屋、個室は2部屋、外にトイレと井戸があるだけ。
「ここで暮らせと?」
「十分でございます。先ずそれぞれの部屋に荷物を運んで棚に仕舞ってください。しばらく家事炊事の指導をします。村長の妻のオカンと言います。領主様から伺っています。しっかり仕事を覚えてください」
「え・・使用人は?」
「いませんよ。平民は使用人など雇えませんよ。お金があるのですか?」
「おかね?」
「お母様はお金の使い方も知らないの?」
「惚けていないでください。わたしは領主様から1年間この仕事を受けましたが、それ以上は何もしませんからそのつもりでしっかり覚えてください。刺繍などできるなら内職でもしてお金を稼いでください」
お茶を飲むお湯さえ誰も準備をしてくれない。食事はオカンが届けてくれたパンを水で飲みこんだ。何もしなくてもお腹は空く。魔石コンロの使い方が分からない。井戸の水をくむ方法も分からない。マリーナールは硬い寝台の上で一睡もできなかった。
ロゼリーナはオカンに抵抗するも食事抜きは堪えたのか、若さの柔軟性か仕事を覚え1か月もたてばそれなりに暮らせるようになった。ロゼリーナは半年後親しくなった村長の末っ子の三男を騙し村から集めた金を盗んで家を出て行った。
ロゼリーナはすぐに村人に捕まり右手首を切り落とされた。監視の目があることに気が付かなかったようだ。マリーナールとロゼリーナは反目しながらも、お互い一人では生きていけないことを悟った。その頃には井戸から水をくむ手にの豆が硬くなった。二人は慣れない田舎暮らしを続けた。
マリーナールはセドリック、エリーナの結婚、ユリアの葬儀、マロンのことも何も知らずに生涯を終えることになった。
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