78 ユリア
ユリアはマロンが持ってきた新しいひざ掛けの起動の霧切り替えの青い小さな丸の刺繍に魔力を流す。ゆっくりと流れた魔力と共にひざ掛けの内側がほんのり温かくなってきた。もう一度魔力を流せば加温の魔法陣が切れたことが分かる。
マロンはたいした効果ではないといったが、年を重ねた者には大変ありがたい。ほかにも活用できる場所は沢山ある。確かに商品として売り出すにはいろいろ検査をしなければならない。今の彼女ではそれをするのは難しい。公爵家の後ろ盾があればそれも簡単なこと。
でもマロンはそんなこと望んでいない。魔道具の開発が盛んな辺境で、魔法陣を使った新しい商品が生み出されるのも近いかもしれない。義両親の話を嬉しそうにするマロンの様子は本当に幸せそうであった。今更「実の親」など彼女には必要ない。
ロゼリーナがエリーナを襲った。エリーナさえいなければマリーナールがロゼリーナを公爵令嬢にできると言ったせいだった。ずさんな計画だったからセドリックが防ぐことができた。本当に良かった。
マリーナールはロゼリーナが実子でないことを知っていた。それでもロゼリーナを囲ったのは思うままに扱える人形のように思ったためだった。こんなことさえしなければ二人をユリアの屋敷に住まい替えしてもよいと思っていた。
ロゼリーナを公爵家の実子と偽造した時点で大罪に当たる。マリーナールは暴君だった父親にある意味虐げられてきたからこそ公爵夫人に拘った。可哀そうであるが実の娘のエリーナを襲うなどしてはいけない。
息子はやっとマリーナールに見切りをつけた。ロゼリーナと共に離婚したマリーナールは領地の片田舎で平民となって暮らしていく手筈を取った。これさえも息子の甘さだとユリアは思う。しかし父親の借金で首の回らない若い当主(マリーナールの弟)に出戻りの姉を押し付けるのは可愛そうだ。ロゼリーナを除籍したところで贅沢な暮らしになれた二人が実家に迷惑をかけるのは目に見えていた。
いつまでもユリアが口出すことではないが、エリーナの心を守りセドリックの成長を見守るためにユリアは本邸に戻ることにした。
あと10日で冬の長期休みに入る。エリーナは新年からユリアとともに本邸に戻る。マリーナールは名目上病気療養のため領地に向かう。母親のお気に入りのロゼリーナは学園を退学して付き添うことになった。離婚したことはすぐに知れるだろうが遅ければ遅いほど良い。
なさぬ仲であったが一度はマリーナールを嫁として受け入れたユリアは、マリーナールを見送るためにエリーナとセドリックと共に本邸に向かった。貴族としての身の回り品は役に立たないので実家から持参したものは現金に換えた。平民の服や日常に使う物など最低限の荷物のせいか馬車は2台用意されただけだった。領地にも店はある。領地の者に家事炊事一つ一つを習わなければならない。
生まれた時から侯爵令嬢として生きてきたマリーナール、甘やかされ贅沢を覚えたロゼリーナ、これからの生活がどれほど辛いものになるかは領地に行ってみなければわからない。身の回りにいた使用人は誰一人付き添うという申し出はなかった。
嫁に来た頃はまだ夫が生きていたので、家に慣れるためにと家の仕事は二の次で、ロースターとマリーナールは仲良く社交に出ていた。跡継ぎのセドリックが生まれ、マリーナールは貴族の仕事をやり遂げたと安堵したようだ。ユリアは一人息子のロースターしか今はいない。女の子を産んだが流行り病でなくなってしまった。
夫は「また産めばいい」と気安く言ったことを私は今でも覚えている。子を産む女の気持ちなど夫には分からない。義母は「ロースターを生んでくれただけで充分よ」と泣く私を抱きしめてくれた。
マリーナールのお産はロースターが不在なこともあり、マリーナールのご両親が側につきそっくれていた。双子と分かり難産になるのではと回復魔法師を待機させていた。まさか魔力なしは恥と言ってロースターの許可もなく孤児院に出すとは思わなかった。
長女のエリーナが魔力過多症を発症した時はローライル家一丸となって専門の医師や介護士を雇い治療に当たった。マリーナールに自分の二の舞はさせたくなかった。
しかし、マリーナールはエリーナに思い入れはなかった。エリーナに付き添うこともなく、顔さえ見せには来なかった。結果、エリーナは母親を知らず5才まで会わずに療養した。
マリーナールは実父が無くなると急に双子の一人だと言って孤児院から女の子を迎え入れた。
「親子鑑定をしてから籍に入れなさい」と言った私の言葉に半狂乱になったマリーナールは今までのうっぷんを晴らすがごとく暴言を吐いた。
確かに公爵夫人として侯爵令嬢では足りない行儀作法や家政の事など教え始めていた。遅かれ早かれロースターが家督を継いだのだから仕方がないことだった。いつまでも若奥様ではいられないことは本人も自覚していると思った。
「母上、マリーナールは今は心穏やかに過ごさせてやりたい。ロゼリーナはとりあえずマリーナールの実家の籍に入れてもらった。親子鑑定の結果で養女として席にいれる」
「わたしの顔を見るのも嫌だろうし、わたしも顔を見れば言いたくなるから貴族街の屋敷に移るわ。貴方も当主になったのだからあなたが決めたことに従うわ」
私にとってはこれが精一杯の妥協だった。エリーナの療養は心配だが馬車ですぐ来れる。マリーナールも時間を置けば落ち着くことを願った。
ローライル家のことは家令から報告があり女手がいる時は手を出すことも多かった。エリーナが全快し安心したが、ロースターとマリーナール、ロゼリーナの疑似家族が出来上がっていた。エリーナは疑似家族に遠慮し本邸に戻りはしなかった。ロースターとマリーナール、ロゼリーナもそれを良しとしてしまった。
その頃からセドリックはエリーナを疑似家族から守るようになった。何度かエリーナをユリアの屋敷に引き取ろうとしたが、それはエリーナに断られていた。早くに無理やり引き取ればよかったのかもしれない。「あの時やっておけばよかった」と後悔する毎日だった。
ロースターは早くからセドリックの教育を始めた。セドリックはロースターに似ずわたしに似てなかなか過激な所があった。両親とはずいぶん衝突していたようだ。それも仕方ないことかもしれない。歪んだ家族をこれから立て直さなければならない。
「体に気を付けてお過ごしください」とユリアは最後の言葉をかけたが、マリーナールはユリアを見ることはなかった。
「エリーナ!旦那様にとりなしなさい」
「お姉様、ここに残りたい。お父様にお願いして」二人の叫ぶような声にエリーナは静かに答えた。
「お母様の娘はお望み通り死にました。ロゼリーナは母をお願いします。二人ともお体に気を付けてお暮しください」
「生まなければ良かった」マリーナールはエリーナに言った。
「わたしもお母様から生まれたくはなかったです」
思わずユリアはエリーナを背に庇いマリーナールを睨みつけた。
「マリーナールは最後の機会を失ったわね。貴方はセドリックとエリーナの母親ではなかった。二人を襲い傷つけたことに謝ることもできないのね。もっと早く公爵家から出せばよかった」
「お義母様!あなたが口出しするから」と叫ぶマリーナールの声と共に馬車は動き出した。
最後の最後まで自分のことしか考えないマリーナールだった。マリーナールが最後にエリーナに謝っていればまだ救われたのに。ユリアは毅然として母との別れをしたエリーナを抱きしめた。
ここにいない実子マロンを知ったらマリーナールはどう思うだろう。マロンが孤児院にいたとしてもマリーナールはロゼリーナを選んだだろう。「髪が白い」それだけで選んだのだから。エリーナが死んでしまえばもう子供を授からないことは可愛そうだが、セドリックがいる。どうして実子に愛情を注げないのかユリアには分からない。愛情を注げなくても虐待などしなければまだマリーナールはロースターの妻でいれた。
マリーナールはマロンに学園で会ったにもかかわらず理不尽に怪我を負わせた。マロンはローライル家に引き取られなくて良かったのかもしれない。シャーリーンに愛情と教育を受けたマロンはとても聡明な娘に成長している。いつかセドリックに真実を伝え私の遺産の一部をマロンに渡したい。
マロンなら「自分で稼ぐ」と言いそうだが新しい物を作るには資金がいる。ユリアの親友のシャーリーンの人生を豊かにしてくれたお礼だから少しでも役立てて欲しい。
近くユリアたちは本邸に戻り気弱な息子ロースターを鍛えなおさなければならない。エリーナに家庭教師をつけ淑女教育を進めなければならない。いずれはセドリックの嫁に公爵夫人の教育もしなければならない。五月蠅い年寄りと嫌われようとローライル家を守るために尽くしてからシャーリーンと夫に会いに行きたい。
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