75 王女統括侍女長カリルリル
カリルリルは公爵家の三女として王宮侍女として職を得た。最初はドレスの管理を任され、次に王宮の催事の補助5年ほど働いた。実家からは初婚に行くには年を取り過ぎたと後妻の話を持ち込まれたこともある。しかし、その後女性初の催事統括部長になった。順調そうに見えるが女ばかりの職場、足の引っ張り合いなど辛いことも多々あった。
催事統括部長は基本男性武官がなる。その下で多くの侍女が運営当たっている。前回の催事統括部長の男性文官が横領で捕まった。その上配下の侍女に不倫を強要したことで罷免となった。その陰にはカリルリルの働きがあった。今回のこと王妃よりたっての希望で女性がその地位に就いた。王宮主催の催し物には王妃がかかわるものが多い。催事の成功は王妃自身の評価にもつながる。
飾りつけの花一つでも季節、催事の目的や内容、招待客の内容等の他にも催される会場の決まり事や禁忌事項など多数ある。国内のものなら多少のことは目をつぶれても国外のことになるとその国の歴史や王族、主な貴族にまで知識を広げなければならない。
カリルリルは適任だった。多くの書籍を読み王妃とも綿密な打ち合わせをすることで、いくつもの催事を成功を収めた。まあ、どんな催事も成功で当たり前、失敗はわずかなことでもお叱りの対象になる。カリルリルの最後の仕事がデビュタントパーティーになった。パーティーが終わらないうちに王妃に呼び出され、隠された王女イリーシャ様のお世話を任された。
カリルリルは王女の統括侍女長として重責を担うことになった。事情のあるイリーシャ様を王女として遇するため、彼女の立場を盤石にするため王妃直々の使命だった。
男爵令嬢の侍女マレに育てられたイリーシャ様は貴族にしては素直で優しく、我儘も言わぬ扱いやすい子供だと思っていた。しかし、食事を取らなくなり、夜も眠れないのか子供が目の下に隈を作るようになった。イリーシャ様に聞いても何も話さない。色々原因を模索するも何もわからず、寝台から出ることがなくなった。
王妃の悲しそうな顔を見ると自分の失態を責められているように感じた。侍女のマレから、辺境伯家の寄子の男爵令嬢マロンと交友があると聞いて、藁をもすがる気持ちでマロンを迎い入れることにした。
「最高のものを準備したから万全ではない。3歳のイリーシャへの心配りがない」
「部屋も煌びやかすぎて落ち着かない。以前の生活から違い過ぎて戸惑っている」
「汚したらダメ、転んだらダメ」「音立てちゃダメ、小さく切らないとダメ、よく嚙まないとダメ、上手くなきゃダメ、カップの持ち方がダメ。ダメ、ダメ、イリーシャ様はご飯食べられないほどの恐怖を感じている」
マレだって他の侍女と共に日替わりでイリーシャ様を担当させている。家庭教師は王子たちを担当したことのある有能な方だったはずなのに。
「ダメダメ尽くしで心が委縮し、心身に影響が出てました。イリーシャ様は親代わりのマレから離されぽつんと一人置いてきぼりにされたただの3歳の子供です」
カリルリルはリチャック公爵家の三女だった。姉二人は見目もよく社交的であったがカリルリルは静かでおとなしいおっとりとした少女だった。姉の基礎教育の家庭教師がカリルリルの教育も受け持ってくれたが、姉たちのように上手くは出来なかった。
「お姉様方ならできたのに」が口癖の家庭教師だった。そんな時カリルリルは4才の時、お茶の際にカップを落として割ってしまった。
「高級なカップなのに、どうしてそんな愚鈍なの」と家庭教師に叱られ庭の隅で泣いていた。私の騒ぎに母が気が付き庭に私を迎えに来てくれた。「何も上手くできない愚鈍な三女」と言われていることが悲しいと泣いた。
母は「あなたは愚鈍ではないわ。私の大好きな旦那様に似ているのよ。旦那様も私と初めてのお茶会の時紅茶をこぼしたわよ。上手く遣ろうとして緊張してしまうのね。あの家庭教師とは相性が悪いようね新しい先生を探しますから心配しないで」
そう言って母は、私の涙を拭いて抱きしめてくれた。母が紹介してくれた新しい家庭教師はとても優しい人だった。
「祝福の日までにお漏らしする人はいないわ。だから何も今できないからと焦ることはないわ」
なんて最初に言うから「とっくにお漏らししません」と言ったら「上出来です」と褒められた。カリルリルは家庭教師に褒められたことがなかったから良く覚えている。今思えば、自信喪失の私への励ましだった。
一つ一つを丁寧に手本を見せながら行儀作法も文字も言葉遣いも教えてくれた。「なぜそうするのか」「どうしたら良いか考える時間」を与えてくれた。7歳までシャーリーン先生は根気良く付き合ってくれた。
母にとって大切な侍女であったことはあとから父から教えられた。シャーリーン先生のおかげで学園の成績は姉たちより良くでき、王宮の侍女として仕事に就くことができた。
私は仕事に慣れ過ぎていたのかもしれない。イリーシャ様を見ずに王女として見ていた。あの頃の私と同じ3才児。癇癪起こしても仕方がないのに泣かずに胸の内にため込んでいた。私もあのままなら心を病んでいたか癇癪持ちの何も上手くできない愚鈍な公爵家三女のままだった。
カリルリルは静かにイリーシャの部屋に入った。水色のカーテンはと赤いじゅうたんは確かに綺麗だがほかの家具と合わせると落ち着きがないのかもしれない。イリーシャ様は眉間にしわを寄せながら寝ていた。
少しやつれたイリーシャ様は茶色い抱き枕を抱えていた。少し草臥れた毛布ではあるが金色の刺繍糸はそこに猫がいるように刺繍されていた。あの短時間に仕上げたのかと思うと驚きだ。シャーリーン先生も刺繍が得意だった。
カリルリルは王女統括侍女長として、イリーシャ様の元住んでいた部屋を確認し、イリーシャ様が落ち着ける部屋を作り直すことにした。その前に料理長にお菓子のレシピを渡さないといけない。腕に自信のある調理長を説得するのもカリルリルの仕事だ。他人のレシピを使うのを嫌がる者もいる。しかし、ご褒美は大事だから料理長に納得してもらわないといけない。
基礎教育の先生も選びなおさなければならない。専属侍女の教育もし直なおさなければならない。やり直しの多さにカリルリルはめまいがするが、急がねばならない。
「失敗したらやり直せばいいの。何回も練習したらできるようになるわ。今日出来なくても明日頑張ればいい」
シャーリーン先生はそう言っていつも励まし、出来た時には大いに褒めてくれた。大人になると出来て当たり前になる。それを相手にもついつい求めてしまう。人それぞれ違うと知っていたのに新しい職場に力み過ぎたのかもしれない。今からやり直していきましょう。翌朝まずは家庭教師の変更を王妃に願い出た。
「どこがいけないのかしら?」
「素晴らしい先生ですが、王女が委縮して食事もとれず、不眠になっています」
「あら、そんなに厳しいの?」
「王女様は環境の変化に心身がついて行けないようです。今は王宮の生活に慣れることを一番にしたいと思っています」
王妃は先日顔合わせしたイリーシャ様を思い出したしていた。
「そうね。その方が良いようね。元気がなかったわ。心配していたけどそういうことなのね」
「7才のお披露目までに間に合うように教育は進めます。しかし、このままでは心身が弱り病んでしまいそうです」
「イリーシャの事はカリルリルに一任するわ。手助けすることがあれば必ず声を掛けて」
「早速ですが、乳母の代わりもできる穏やかな家庭教師を探しています」
王妃はイリーシャ様の状況を理解してくれたようですぐに新しい家庭教師を選出してくれた。最初の家庭教師から苦情が出たが、王妃の差配なのでカリルリルは対応しなかった。機転の利く王妃なので上手く処理してくれると信じている。王宮で働いたことのある家庭教師の中には自分の力量を見せるために子供を人形のように仕上げることを目的にしてしまう人がいる。
優秀な家庭教師は何処の貴族家でも欲しがる。家庭教師の中には親の前と教える子供の前では態度が違う者もいる。中には言葉の暴力や体罰さえ与える者がいることは聞いたことがある。さすがに王女に体罰はしないと思いたいが、攻め立てるような教えはしてはいけない。
教えに従えない子供を「出来そこないの子供」と決めつけ卑下する。貴族の親子関係は割と希薄なことが多い。乳母や侍女、家庭教師からの報告は重要視される。カリルリル自身も母が心砕いてくれなければ「落ちこぼれ三女」として蔑まれていた。
新しい家庭教師はイリーシャ様のお生まれから育ちの状況を理解して、イリーシャ様に寄り添っていただけることを第一にお願いした。
部屋は転びにくい毛足の短い茶色の絨毯、カーテンも同色にした。子供らしさはないが材質は良い物なので見栄えは良い。部屋の中の余分な家具は片付けた。
動きやすく普段着る服は飾りを少なくして、毎日庭まで散歩を日課にした。体をうこかせばお腹もすく。子供は動き回るもの。聞き分けの良すぎる子は後から問題があるとも聞いている。精神的負担は体を動かして発散して頂く。ダンスなんかも良いかもしれない。
マロンさんの助言を受けて20日ほどたった頃にはイリーシャ様は食欲が戻り、笑顔も増えた。マロンさんはあの短時間に猫の刺繍を済ませ抱き枕を作った。誰よりイリーシャ様の心を掴んでいる存在だ。
今回の事はカリルリル自身自分を振り返る切っ掛けにもなった。マロンさんには感謝しかない。学園卒業後、王宮侍女をマロンさんが目指してくれたらすぐにでも私の元に引き抜きしたい。
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