73 イリーシャは3才児
イリーシャはしばらく抱き枕の猫を抱きしめたりほおずりしたりして楽しんでいた。侍女が持ち込んだ軽食を食べ猫のミミを抱いて寝台であっという間に寝てしまった。イリーシャの体はよほど眠りを欲していたのだろう。マロンが静かに部屋から出るとそこにはひっつめ髪の厳しそうな女性が立っていた。
「マロンさん、イリーシャ様のことを教えていただけませんか?」
王女の病回復の発表した手前、王女が再度病で倒れたなど許されない。この女性がイリーシャの責任者のようだ。緊張した声に責任の重さを感じる。マロンはイリーシャ統括侍女長カリルリルに連れ侍女長室に案内された。イリーシャの部屋とは違い落ち着いた家具と広い事務机、落ち着いた色のソファーが置かれていた。事務机のソファーに案内された。
「王女様は久しぶりに食事をされお休みになられました。マロンさんのおかげです。このまま体力をなくしていくのかと心配していました。侍女のマレでも上手くいかなかったのです。どうしてか教えてもらえませんか?王女様にできることは総てしていると自負していましたが、このようになって困っていたのです」
カリルリルの顔色が悪い。疲労がたまっているようだ。王女を任され出来る事はすべてし尽くしたのだろうが、良い結果が出ない。イリーシャの顔色も悪かった。名医が見ても病ではないと言われたと話した。
「学生の私が言ってもよいですか?」
「身分などこだわっている場合ではないのです。ご自由に発言ください」
「イリーシャ様を王女と呼ばないでください」
「どうしてでしょうか」
「誰もが王女と呼びますが、イリーシャ様はまだ王女になれていません」
「そんなことはありません。両陛下がお認めになられています」
マロンはどうしたら上手くカリルリルに理解してもらえるか言葉を選びながら話を続けた。
「イリーシャ様の心が今の現状に追いついていけないのだと思います。急に「王女様」と呼ばれ、豪華で煌びやかな部屋に家庭教師をつけられた。親代わりのマレから離され、ぽつんと一人置いてきぼりにされた3歳の子供です。良かれと思うことがイリーシャ様には負担であり、環境に変化が心と体が付いていけないのだと思います」
「侍女も家庭教師も最高の人を選んだつもりです。お部屋も王妃様と相談し王女にふさわしい部屋にしました」
「カリルリルさんたちの努力は普通の貴族から見たら最高の待遇なのかもしれません。ここで働く方は最初から貴族の子供として生まれ育てられてきた。きっとこの待遇も喜んで受け入れたと思います。
イリーシャ様のような環境や待遇とは違うと思います。急激な変化は不安や恐怖でしかないと思うのです。3歳のイリーシャ様の今を受け止め、徐々に貴族令嬢から王女に押し上げていく方法を考えられた方が良いと思います」
「そういうものですか?王女、イリーシャ様はお年の割にはしっかりしていたので、ついそれ以上をと願ってしまったのが負担だったのですね」
「わたしが急に今の待遇になったらきっと逃げだしています。マレさん一人でイリーシャ様を育てたそうです。ですからマレさんから急に離されたのも堪えたようです」
「いえ、マレは5人いる王女専属侍女に入っています」
「マレさんは私と同じ男爵令嬢、他の方は違うでしょ。マレさんも気後れして何も言えないと思います。別にほかの方々悪いのではないのです。基本が違うから仕方がないのです。イリーシャ様のお披露目には時間があります。今は元気な体と王宮、王妃様に慣れることが大切ではないでしょうか」
「目標の誤りね」
「あと、食事は基礎教育の一環で必要なのはわかりますが「ダメ出し」ばかりで食べるのが怖くなったそうです」
「ああ、あの方の教え方が厳しすぎたのね」
「部屋も煌びやかすぎて落ち着かないそうです。以前の生活から違い過ぎて戸惑っています。絨毯は真っ赤なうえに毛足が長いので転んでしまうそうです。ドレスもまだリボンや宝石などいらないのではないですか。「汚したらダメ、転んだらダメ」のダメ尽くしで心が委縮してしまっています」
「最高のものを準備したから万全ではないんですね」
「3歳の子供に対しては万全ではなかっただけです。カーテンや絨毯は最上級品でも茶色の物はありますか?」
「ありますよ。いつでも準備できます」
マロンはイリーシャの環境を以前の生活環境に近づけてあげたいと考えた。
「以前の部屋に似た部屋を作ってあげてください。お茶を零しても簡単に掃除ができる。歩いても転ばない毛足の短い絨毯。食事もゆっくり指導してくれる人が好いと思います。いずれはイリーシャ様も王女の自覚が持てるようになります。
その時に合わせて基礎教育をしてあげてください。イリーシャ様本人を見てあげてほしいです。あと、ランプと猫の抱き枕は取り上げないでください。心のよりどころです」
「猫の抱き枕??」
「はい、イリーシャ様が使っていた毛布と枕で作りました。刺繍糸は魔蜘蛛糸ですから見た目は一応豪華に見えます。汚れ防止が付与してありますから洗う心配はありません。2年もすれば飽きると思いますが今は心の友ですから」
「付与ですか。魔蜘蛛糸で刺繍をしたのですか?」
「あと、これはイリーシャ様の好きなお菓子のレシピです。時々作ってご褒美にあげてください」
「お菓子のレシピまでよろしいのですか?」
「はい、色々失礼なことを言いました。カリルリルさんの温情に感謝します。私はこれで帰ります」
「イリーシャ様が目覚めるまでいていただけませんか?」
「いいえ、私に依存してはいけません。ここには多くの優秀な方がいます。何かありましたら学園に連絡ください」マロンは迎えに来てくれた事務官に学園まで送ってもらった。
「マロン、魔力随分使っただろう」ユキが労わるように聞いてきた。
「まあね、イリーシャちゃんが可哀そうになってね。皆が良かれとしてくれた事が返って悪い結果を産むこともあるのね」
「まあ、コユキを残しておいたから任せておけ」
「ありがとう。今日は早く寝るわよ。あっ、荷物!?」
「大丈夫だ担任が寮に届けてくれた」
学園長に報告に行くべきか悩んだが「王女のことだからきっと秘密厳守さ」というユキの言葉で其のまま帰寮した。マロンは王宮から戻り寮でぐっすり寝て起きた。
「やっと起きたか?やっぱり魔力の使い過ぎだ」
「そうかな?刺繍で魔力を使うとは思わなかった」
「おお、凄く速かったぞ、イリーシャなんて目を丸くしていた。生活魔法の進化系だな」
「でも上手くできたでしょ」
「ジルから借りた絵本の話は面白かったからな。あの絵の猫にそっくりだった。マロンは上手いな」
「妖精の猫なんて知らないから、絵本を見せてもらったから助かったわ」
ジルは体と心の回復と共に薄れていた記憶をいろいろ思い出してはホワイトに話して聞かせていた。それをコユキがユキに伝えている。森に飲み込まれた屋敷を最後に旅立つとき、屋敷を守っていた精霊が、自分が何も持てないので、主の思い出の品をジルにいろいろ持たせた。「妖精猫の本」もその一つだった。
流石に女神に守られし幻の国で作られた本だけあって、精霊や妖精、ジルのような聖獣などが色々出てくる。ジルは本に書かれた妖精も精霊も聖獣も総て本当にいたと言っていた。
「ユキは風の妖精は知っているぞ。『シルフ』というんだ」
「シルフはユキみたいな毛玉?」
「違う。ユキの知っているのは、マロンの手のひらぐらいの子供の小人で、背中に綺麗な羽が生えていて自由自在に空が飛べるんだ。ユキを吹き飛ばしては面白がっていた」
「ジルはほかにも絵本持っているかな?」
「持っているんじゃないかな。あの絵本の中の男の子がジルの主らしい」
「ええ?女性じゃなかった?」
「なんか色々あって、子供のころは男の子に偽装して冒険者していたらしい」
「今度辺境に帰ったら色々話を聞きたいわね。お土産にお菓子をたくさん作っていこうね」
「そんなことしなくても色々話してくれるはずだ」
「そういえばお菓子を作るのがとても上手な薬師さんだったね」
「ジルの長い時の中で、短い主との時間が一番貴重だったんだろう」
「だからこそ失った時は辛かったんだろうね」
ユキははるか昔のジルを知っている。痩せ、覇気の無くなったジルを見るのは辛かったんだろう。今年の冬も辺境に帰ろうとマロンは思った。
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