5 マロンの初仕事
マロンは日が昇る直前に眠い目をこすりながら、音を立てずに起き上がり枕もとにいる毛玉に「おはよう。おばあ様をお願いね」と声を掛け、身支度を整え顔を汲み置きした水で濡らした布で拭いて口をゆすぐ。髪をとかしてロバートさんの所で買ったリボンで方保手まで伸びた茶色の髪を結び、白いエプロンの入った布かばんを持って家をでて、パン屋に向かう。
パン屋の近くに来ればパンの焼きあがる香ばしい香りがしてくる。パン屋の裏から声を掛けて、厨房に顔を出すと、元冒険者だった大将が、熱い窯の蓋を開けてパンを机に出して粗熱を覚ましていた。
「おはようございます。今日から宜しくお願いします」
「おお、悪いな」
「いいえ、私にとっても昼前で上がれる仕事は助かります。店前の掃除をしてきます」
女将さんは手に火傷をしてしまって、店番は出来るが水仕事ができない。息子さんが修行に出て行って抜けた穴ははそれほどでもないが、女将さんの心に穴が開いているという。どういうことかマロンには分からないが、きっと淋しいんだと思う。大将も分かっているから女将さんに無理しないようにマロンを雇ってくれた。
店の前を掃き掃除したら、店の中を掃除してパンを並べる棚を拭き、籠を出入り口のテーブルに重ねる。この籠に欲しいパンを入れて女将さんの前に並んでお会計する。みんな布袋持参だから自分でパンを入れ替えて店を出る。
「小麦のパン屋」には特別のパンがある。細長いパンを縦長に切れ目を入れ用意した野菜やハムをバターを塗ったパンにはさみ塩を軽く振りかける。片手で食べれるうえに野菜も食べれる。一人者や勤め先でのお昼にと人気のパンなので、女将さんの火傷で休むわけにいかない。大将はパンを焼くことで手一杯。そこでマロンの出番。マロン普段調理をしているのでナイフの取り扱いも上手い。器用にパンに切れ目を入れバターを塗り希望の肉やハム、野菜を挟んで籠に入れる。この挟みパンはお昼前で終了になる。そこまでがマロンの仕事になる。
「マロンちゃん、朝ごはんをどうぞ。もう準備できているのね。ありがとう。あんた、朝飯の準備できてるよ」
女将さんは開店前に焼きたてパンと暖かなミルクと昨夜の残りのスープを準備してくれる。そこに季節のジャムが添えられている。女将さんと大将と三人でパンの出来など話しながら朝食を済ませる。そして朝6の刻に店を開ける。
できたてパンを買いに来る主婦や子供、仕事に向かう人たちが入れ替わりと出入りする。マロンはナイフで手を切らないようにして次々挟みパンを作っては籠に入れていく。おしゃべりなどしている余裕はない。
「あら、可愛い子が手伝っているらね。いつ生まれたの?」
「そうなのよ。隠し子よ」
「ええ、」
「嘘よ。わたしが火傷してしばらく手が使えないから、お手伝いに来ているマロンちゃんなの」
「良かったわね。息子さんが修行に出て淋しいかったもの。エマも助かるわね」
「女の子はいいわね。うちは二人とも男でパン修行に出ていったから居ないようなものね」
「男の子なんてそんなものよ。女の子だってすぐにお嫁に行くのよ。最後は旦那と二人よ」
そんな会話をしながら女将さんはお会計を済ませる。常連の婦人なのか「ありがとうね」と声を掛けてくれた。商売とはただパンを売るだけでなく、言葉を交わすことが大切らしいことを知った。女将さんが声を掛ければお客さんは笑顔になる。女将さんの手の包帯を見て「お大事に」と声を掛ける人もいる。街の人に愛されるパン屋だとマロンは知った。その日残った挟みパンと丸パンを貰ってマロンは家に帰った。挟みパンを見たおばあさんは珍しそうに眺めた。
「あら、これは思いつかなかったわね。「挟みパン」と言うのね。パンにジャムを塗ることはあっても野菜や肉を挟むなんて知らなかったわ。野菜も肉もお皿に盛るものだから」
「冒険者は歩きながら手軽に食べれるので喜ばれる。手軽なお弁当として近所の人も買って行きます。朝の掃除が終わって、朝食用のパンを並べたら、女将さんが焼きたてのパンにジャムを塗ってスープを準備してくれています。お店は6の刻に開店してそれからは大忙しです。わたしは挟みパンを作り続けました。ナイフの使い方が上手いと褒められました。カリンさんのおかげですね」
おばあ様は優雅に挟みパンをナイフで切りながら、マロンの話に耳を傾けていた。マロンが挟みパンを「ガブリ」とかみついた時は驚いていたが、「そういう食べ方があるのね」と少し残念そうだった。
午後からは座学をして、内職の刺繍をしながら「祝福の儀」に着て行く服について話し合った。毛玉はマロンが家に入るとふわりと窓際の日当たりの良い窓辺に転がっていった。マロンはハンカチを窓辺のわずかな棚の上に広げ毛玉をその上に移した。綿毛が嬉しそうに揺れている。
「マロン、「毛玉」では可哀そうだから名前を付けたらどうかしら?毛玉ちゃん私の側にもいてくれるの。毛玉ちゃん、可愛いわね」
おばあ様と相談して、「毛玉」改め、見た目綿雪のようだから「ユキ」と名付けた。ユキちゃんは夜はマロンの枕もとにいるが昼はおばあ様のいる部屋の日当たりの良い窓辺で日光浴をして過ごしている。