135 ハリソンの決意
ハリソンはリリアナから離れすぐに自宅に慌てて戻った。つい数日前までリリアナとの婚約を前向きに考えていると父に伝えたからだ。伯爵家の婚約には事前に相手側の調査に入るのでまだ正式な返事はしていないはずだ。
伯爵邸の門をくぐったらハリソンは思わず駆けだした。本来ならそんなことはしない。迎えに出た執事が慌てて家の扉を開けてくれた。
「父上は?」
「執務室です」
それだけ聞いたハリソンは音を立てず階段を駆け上った。執務室の前に立ち深呼吸して心を落ち着かせドアをノックして入室の許可を待った。
「随分慌てているようだな?急ぎか?」
「父上、私は席を外しましょうか?」
父の執務を手伝っている兄はハリソンの顔を見て席をはずそうとした。
「いえ兄上も一緒に聞いてください」
父は執務室内の事務官に休憩を与え執務室から人払いをしてくれた。ハリソンが執務室に来たのは初めてかもしれない。広い部屋だろうに机がいくつも並び窓以外は本や閉じられた書類が整然と作り付けの棚に並んでいる。父は家族の前では柔らかな優しい印象だが執務室内では厳しい顔つきになっていた。
「父上、顔つきが悪いですよ。ハリソンが話せないではないですか?」
「そうか?この部屋が悪いんだな。代々の自画像が皆厳めしい顔をしているせいだろう」
「いずれは父も私も厳めしい肖像画になりますね」
「仕方ないだろう。この中で笑顔の自画像など置いたら夜中に顔に悪戯書きされるぞ」
「あり得そうですね。ハリソン落ち着いたか?父上に話があるんだろう」
ハリソンは父の話から壁に並んだ肖像画に気が付いた。優しかった祖父の厳めしい顔に驚いた。国に仕え、領民を守るために代々の当主が心血を注いだ証だった。
「父上、リリアナとの婚約を正式に断って下さい」
「乗り気だったのではないのか?」
「乗り気でした。魔術師に成れず悩んでいた時にエドックおじさんに声を掛けられ錬金術師になることにしました。今思えば愚か者でした」
「お前の魔力量なら魔術師は難しくはなかったと思うが」
「あの頃の自分は出来て当たり前と奢っていました。魔術師に成りたい者の努力を馬鹿にしていたのです。魔力量があってもそれを生かす努力を怠った。魔術師に成れないなら他に転科すればいいと軽く考えていた」
父は急がさずハリソンの話を聞いてくれていた。
「エドックおじさんに錬金薬師の資格を持てば商会で働けるし娘と婚姻すれば商会を継げると言われたのです。いずれは公爵家を出る身には甘言でした」
「ハリソンは俺の補佐に残って欲しかったのに」
「それが嫌だったんだろう。分からなくもない。後継者以外の子供は自分の身の振り方を考えなければならない。ハリソンは魔力も学力も優秀なだけに高みを目指したんだ。兄のおまえには分からないことだ。おまえの後継としての人生しか歩めない苦しさは知っている」
「・・・・お兄様は成りたいものがあったのですか?」
「あったな。おまえほどの魔力量はなかったが魔術師に成りたかった。・・・今は侯爵家を継ぐことに不満はない。良き当主になりたいと思っている」
ハリソンは自分だけが苦しんでいる、後から生まれただけで家を継ぐこともできないことに理不尽だと思っていた。しかし錬金術を学ぶ仲間の中で切磋琢磨していくうちに自分の悩みは誰もが通る道だと知った。
「家を継ぐのも大変だぞ。兄貴なんか傲慢な貴族の娘と政略結婚だよ。家を守るためには仕方ないと言っていたけど同じ屋敷に住むのは嫌だな」
「その点、次男三男は気が楽だ。自分の食い扶持さえ賄えればどうにかなる」
「しかしな・・」
「それに執務室で数字ばかり眺めるのは性に合わない」
「まあ、おまえは仕方ないな。数字に弱いから」
「父も兄も頭の毛が・・・」
そんな話も今思えば良く分かる。兄はまだしも父の頭の毛が淋しくなっている。俺の視線に気が付いたのか父がじろりと視線を遮った。
「話の続きをしなさい」
ハリソンはエドックに声を掛けられ安易な気持ちで錬金術に転科した。しかし真剣に学ぶ学友に自分の甘さを痛感した。リリアナとの婚約はハリソンの純粋な思いではなかった。安易に薬種商会を継いで爵位を手に入れることが目的だった。
父も兄も顔色一つ変えず話を聞いてくれていた。ハリソンはエドックが不正にレシピを盗み商売の手を広げようとしていること、リリアナとの婚約を餌にその不正の片棒を担ぐよう言われたことを話した。
「ハリソンはどうしたいんだ」
「以前の私ならその話に乗ったと思います。兄の苦労を知らず家を継いで貴族のままでいられることが羨ましかった。魔術師に成れたかもしれないのにその努力を怠り、安易に錬金術に転科した。しかし、本気で学んでいる者にはかなわなかった」
「ハリソンの成績は良いはずだが」
「錬金科で学ぶ中で良い仲間に恵まれ自分の甘さや未熟さに気が付いたのです。級友を裏切ることはしたくない」
「良いのか?級友を裏切らずともお前のことを好きなリリアナとなら婚約は簡単だろう」
「そうかもしれません。でも・・リリアナとは結婚したくないのです。彼女は爵位が上がるのなら不正などたいしたことないと言いました。リリアナは思い込みが激しく他人を思いやることが出来ない。」
「遥か昔、マッカロニー家から始まった薬種商会は領民の流行り病のための薬を作るための商会だった。それが一つの商いとして独立した。その間には商売の浮き沈みがあった。マッカロニー家はそれなりに援助してきた。それが悪かったのか横領事件を起こし、我が家からの支援がなくなった。色々あったがハリソンがリリアナと上手くいくなら支援を再開してもと思っていたんだがな」
「リリアナとの婚姻は無理です。わたしは錬金術の腕を磨き魔術師棟の錬金術師になりたいと思っています。まだまだ錬磨が必要です。今回は魔術師の時のように安易に諦めたくないのです」
「父上、ハリソンはAからSクラスのポーションが作れるくらい優秀です。領地にも欲しい存在です」
「分かった。まだ、正式に婚約したわけではない。こちらから断わりの返事を入れておく。あと一年だ頑張れ」
父は書類に目を戻した。ハリソンは静かに執務室を後にした。廊下には仕事の再開を待つ事務官が待っていた。ハリソンの胸には新しい目標ができた。今度こそ諦めずに頑張ろうと思わず握った手に力が入った。
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「なんでだ。リリアナとも上手くいってたのではないのか」
エドックは薬種商会会長室でマッカロニー家から釣書の返却の書類に気が付いた。書類の中にはハリソンが魔術師棟の錬金術師を目指すため婚約は出来ないと書かれた手紙が入っていた。あの甘ちゃんな小僧がいっぱしの錬金術師になれる訳がないと思っていたエドックはハリソンの豹変に驚いた。
ハリソンの関係からレシピを手に入れ商会を大きくしようと思っていたのに。上手くすればマッカロニー家から資金援助もしてもらえる。それなのになぜだ。思わず手紙を握りしめた。エドックの頭の中の計画がガタガタと崩れていった。そこにリリアナがノックもなしにドアを開けた。
「お父様、騎士団の方が来ているわ。凄く素敵な方なの。ハリソンのようなあの女の味方をする軟弱者より頼りがいのある方を婿に貰うわ。今日来た騎士の方が凄く素敵なの。「きれいなお嬢様」なんて言ったのよ」
リリアナは何を考えている。いや何も考えていない。錬金術師だから薬種商会に必要なんだ。騎士など何の役に立つ。まして平民の騎士など何の金にもならない。
「あれほどハリソンが良いと言っていたのに」
「だって、ハリソンは小言ばかり言うんだもの。ドレスも宝石も買ってくれないし」
「ハリソンはまだ学生だ。それに正式に婚約をしていないんだから当たり前だ」
「だって、花屋のリリカは色々な男の人から贈り物を貰っているわ。わたしだって・・」
「平民の街娘と貴族の令嬢は違うんだ」
「それなら街娘の方が御得ね」
エドックはリリアナの顔をまじまじ見つめた。可愛らしいがその頭の中に何が詰まっている?エドックはリリアナに薬種商会を継がせることが出来ないことを悟った。リリアナの笑顔の先には商会が潰れる未来しか見えなかった。
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