船旅 2
2日後。船が外洋に出たため揺れが小さくなり、いくぶん眠りやすくなった。航海中はあまり仕事の無い人も結構いるので、いつ仕事をするかは完全に個人の自由。私は自分の部屋でのんびりした後、会議室に向かった。
会議室で、東京に残った人たちとのオンライン会議をした。船での暮らしの状況を聞かれて、私は食堂の注文システムについて触れておいた。
「そういうふうにいくつも選択肢を選ばなくちゃいけなくて、そのうえ最後にダメ出しされて『自己責任』なんて言われて、気分悪いですよ」
社内ソフトの開発担当者が画面に現れた。
「ダメ出しみたいになるのは仕方ないんですよ。栄養面のアドバイスは、注文内容から栄養成分を計算して行ってるんです。ユーザーからの注文が終わらないと計算できませんから最後になっているんです」
それはやり方が悪いと思う。食い下がってみよう。
「選択肢を選ぶ前に、これを選べばどんな栄養がある、って薦められるようにできませんかね」
「システムがそういう設計になっていませんね」
「ソフトウェア開発ってのは、常にフィードバックを受けて設計を見直していくものだと思っています」
システムエンジニアが画面に現れた。
「それにはそれなりのスケジュールが必要です。プロトキャッスルの建設が進んでから、改めて検討することになるでしょうか」
「そうすると食堂の利用者が1万人になりますよ。500人の今のうちに改修したほうが楽でしょう」
「スケジュールの組み換えとなると、社長の意見を聞いたほうがいいですね」
それはそうだ。あとでナノに話を持ち掛けてみよう。
しばらくして、さっきのシステムエンジニアが画面に現れた。
「社長に伺ったところ、『システムを改修するのー。プロトキャッスルが本格稼働する前に済ませておくのー』とのことでした」
「その口調はかわいいナノが言うからいいんですよ。それより、そんなメールはこっちに来てませんけど」
「いえ、先ほど口頭でそのように」
「へっ? ナノは今この船に乗ってますよ?」
「え? 社長は今この楽園本社にいますよ?」
どういうこと!? 私は訳がわからなくなり、ナノに電話をかけてみた。でも電話には出ない。
「ナノを探してきます!」
私は会議室を飛び出した。
まずナノの部屋に行ってみた。インターホンを鳴らしても返事がない。ドアには鍵がかかっていない。
ドアを開けてみた。私の部屋と同じ狭さだけどタンスや棚が多い。ベッドは無く、布団が無造作に転がっている。布団の中に大きな人形があるということは、人形を抱いて寝ているのだろう。ナノとお泊りするとリンが眠れない理由がわかった気がする。
明らかな手掛かりはなさそうなので、手当たり次第に探すことにした。
まずは12階。大浴場を覗いてみたけど誰もいない。フィットネスジムでトレーニングしている人がいたけど、ここにナノは来ないだろう。屋上では魔法の自主トレーニングをしている人たちがいた。
次に11階。体育館ではチアがバスケットボールをしていた。
「あ、ピコ先輩。一緒にバスケどうッスか」
「いや、別にいいよ。これってどういうメンバーなの?」
「適当ッス。自分が一人でバスケの練習してたら、なんとなく人が集まってきて、いつの間にか試合になってたッス」
「へえ。それより、ナノがどこにいるか知らない?」
「見てないッスね」
ラウンジに行くと、多くの人がくつろいでいた。たくさんのテーブルとイスがあり、コーヒーメーカーと給茶機があるので、談笑している人たちやゆったりと飲み物を楽しんでいる人たちがいる。
「あらピコさん、どうしたのかしら?」
委員長が声をかけてきた。
「ナノを見ませんでした?」
「こっちには来てないわね」
委員長は一人で本を読んでいたようだ。そばに大きな本棚がある。
「ここの本棚はみんなが自由に本を置いていいことになってるから、暇をつぶすにはもってこいよ」
「そうですね。私も本を持ってきていますので、いつか置いておきましょう」
本棚には漫画も結構あるから、私の漫画を置いても不自然ではなさそうだ。
宴会場に行くと、ここにも多くの人がいた。大きなテレビが4つあり、衛星放送を見ている人たちやゲームで盛り上がっている人たちがいる。お菓子の棚もあるので、お菓子を食べながら語り合っている人たちもいる。
座卓を子供が取り囲んでいる。この船には社員の家族として幼児が6人、小学生が6人乗っている。なので有志が交代で小学生に勉強を教えているのだ。ほほえましい空間がそこにだけ広がっている。今は低学年と高学年に分かれて国語の授業中のようだ。
ん? 子供たちの中に、なんか見たことのある顔が。
「あーっ! ナノ! 見つけた!」
いつものうさ耳カチューシャが無いからぱっと見で気づかなかったけど、間違いなくナノだ。
「あーあ、ばれちゃったのー」
「ナノ、なんかおかしなことになってるから、会議室に来て」
私がナノを連れて行こうとすると、国語の講師をしていた人が呼び止めた。
「ちょっと、その子は今勉強中ですよ」
「この子は22歳です。うちの社長です」
子供たちはあっけにとられた。講師の顔が青ざめた。
ナノを連れて会議室に戻ると、オンライン会議が続いていた。
「ナノを連れてきましたよ」
「え? こちらにも社長がいらしてるのですが」
画面にナノが映った。見つめ合うナノとナノ。
「分身の術なのー」
「そうじゃなくて! メカナノだよね!」
さっきのシステムエンジニアが画面に映った。
「そちらの社長にはうさ耳がありませんね。こちらのほうが本物っぽいです」
「いや、そこが判断基準なのはおかしいでしょ」
「じゃあ、食堂の注文システムの改修スケジュールについて意見を伺ってみましょうか」
私は注文システムの話をナノに説明した。
「システムを改修するのー。プロトキャッスルが本格稼働する前に済ませておくのー」
システムエンジニアは満足げな顔をした。
「ナノ社長が2人もそう言ってるんですから間違いありませんね。これでよしとしましょう」
「ナノが2人いることが間違いですって! メカナノ、いいかげんにして!」
画面の向こうのナノが笑いだした。
「あははははは」
うん、偽物だ。ナノはこんな笑い方はしない。
「ほんまおもろかったですわ」
「いたずらでナノに成りすまして仕事してたの?」
「いやー、楽園の本社にふらっと行ってみたら、『社長、船には乗らなかったんですね』なんて言われましてな。つい調子乗って色々受け答えしてもうたんですよ」
つい調子に乗っていたずらするロボットって、よくできているんだか、いないんだか。
その後の話で、食堂の注文に限らずシステム全般について改善してほしい箇所をアンケートすることになった。
穏やかな日々が続いた。船は南下を続けていて、甲板に出ると熱帯の厳しい暑さを感じるようになった。
私の仕事といえば、会議に出席したり、プロトキャッスルの設計やシステム関連の相談に応じたりといったものばかりで、自分で解決するような課題を抱えているわけではない。なのでたまに暇になる。散歩でもしようか。
作業場にはピコパイプ製造装置が何台も並んでいて、そこでは建設作業員たちが交代でピコパイプを作る練習をしている。そうはいっても一度に装置を使える人数は限られるため、多くの人は暇を持て余している。
甲板では釣りをする人たちがいる。外洋なので魚は少ないうえに船の速度が速いので、あまり釣れていなそうだ。
ラウンジの本棚は本で満杯になっている。私が置いた漫画も読まれた形跡がある。みんな自分の部屋に持ち帰って読んでいるのだろう。本棚の中身は漫画が多い。タイトルを眺めてみると、「転生」という言葉が含まれるのが多いのが目につく。「エロゲーのヒロインに転生してしまった俺」「転生した悪役令嬢だけでハーレム組んでみた」……なんだかいかがわしそうなタイトルが多いのは、この船に乗っているのが若い男性中心だからだろう。
異世界転生ものの話といえば、マホをこの世界に転生させた女神とは何か関係があるんだろうか。もしかしたらその女神が、この世界で異世界転生ものが流行していることを知って、自分も異世界転生をやってみようと思いついたのかもしれない。だとすると本当に、この世界からどこかの世界に転生した人たちが反則的な能力で活躍しているかもしれないな……。




