魔法使いと女子大生 2
少しためらってから、イリスは語り始めた。
「わたくしは7歳のとき、魔術学校に入学しましたわ。入学して早々、出会った同級生たちの中で、特に一人の女の子と気が合いましたわ」
「ちょっと待つのー。そこから話されると大勢の登場人物を覚えなきゃなんないのー。結末だけ話してほしいのー」
「めでたしめでたしですわ」
「結末すぎ」
「もうだめかと思いました、その時……」
「そこに至った経緯を簡単に教えて」
「……魔術学校ではわたくしの魔法の腕前はトップクラスでしたわ。卒業後は冒険者として経験を積みまして、それから軍に入りましたわ。というのも、わたくしの住む国は隣国とよく戦争をしていまして……隣国の軍隊が攻め入ってきて、魔法で町の人々を殺していきましてよ。わたくしは街を救うべく、敵の軍隊を魔法で撃退する戦いに身を投じましたわ」
つらそうな顔で語っている。耐え難い経験だったに違いない。
「わたくしの役目は後方からの大火力の魔法攻撃でしたわ。ですけど戦況は押され気味でして……」
「つらかったんだね」
「そんなある日のことですわ。わたくしは前線近くの木陰でパンを食べていたところ、敵襲の知らせを受けまして。突然の知らせに驚いて、パンをのどに詰まらせて息が出来なくなって、もうだめかと思いました、その時……」
そこでその場面に戻るの!?
「死因はまさかの窒息死!?」
「いえ、その時、背中に魔法攻撃を受けてパンを吐き出しましたわ。振り向くと、顎の長い長身の男がいまして……敵の魔法剣士でしたわ」
その敵さんも、そこで攻撃しなかったら勝てたんだよね。
「わたくしはとっさに風の刃を放ちましたわ。ですが、敵はそれをかわして、わたくしの体を剣で貫きましてよ。もうだめかと思いました、その時……」
ああ、この場面だったのか。
「不思議なことに、わたくしはお花畑の中に立っていたのですわ。そしてそこで女神と名乗る美しい女の人に出会いましてよ。彼女はわたくしが死んだことを告げまして、別の世界に転生することをわたくしに勧めましたわ」
「へえ、転生するかどうか選べたんだ」
「ええ、それはもう美しい絵をたくさん見せてくださいまして、どの世界に転生するか迷いましたわ。その中で、『高度な科学文明で誰でも悠々自適! 憧れの地球で過ごす70年間』という見出しが気に入りまして、この世界を選びましてよ」
それ、旅行パンフレットだよ! 異世界転生ってパック旅行みたいなノリでやってるの!
「女神様はわたくしに、この世界で魔法を広めることを託して見送ってくださいましたわ。そして気づくとわたくしは道端に立っていまして、そこでピコさんに出会いましてよ」
ということは、ほんとにこの世界のことを何もわかんなくて行くあてもない状況だったんだ。
「魔法を広めることを託された以上、わたくしは冒険者になる必要がありましてよ」
「この世界に冒険者はいないよ」
「あらあらまあまあ、冒険者がいらっしゃらない世界だなんて、さぞかし魔獣やドラゴンに苦しめられておいででしょう。しかしわたくしが来たからにはもう安心でしてよ」
「いや、そもそも魔獣とかドラゴンとかがこの世界にいないから冒険者が必要ないってこと」
「おかしいですわね。どうしてこの世界にいない魔獣やドラゴンをご存じなのでして?」
どうしてだろう。異世界で魔獣やドラゴンと魔法で戦うアニメをしょっちゅう見ているせいで「異世界というと魔獣やドラゴンがいて当たり前」という感覚になっている気がする。
「異世界について書かれた物語がたくさんあってねー、そこだとねー、冒険者が魔法で魔獣やドラゴンと戦ってるものなのー。だから異世界は知らなくてもどんなものか予想がつくのー」
さすがナノ、答えに窮した私に代わってうまく答えてくれた。論理的に考えると物語の中の異世界の世界観が実際の異世界と一致する必然性が全く無いので説明としてはおかしいのだけど、深く考えなければなんとなく納得してしまう。ここは私もその話に乗っからせてもらおう。
「そんな感じで魔法についても物語で知ってはいるんだけど、この世界には存在しないんだよ。いや、存在しなかった、あなたが来るまでは」
自分で言いながら、苦しい説明だと思う。でも実際に魔法を受けてみて、理屈とか論理とかは細かいことだと思えるようになってきた。
「なるほど、魔法が存在しない世界ですから、女神様はわたくしが魔法を広めることを期待されたのですわね。でも困りましたわね、冒険者が必要ないのでしたら、いかにして魔法を役立てたらよろしいのかしら」
「ピコのやけどを治したみたいにねー、医療に役立てるといいのー。お医者さんになるのー」
それもいいけど、ちょっと引っかかる。
「確かにあんな短時間で治療できるのは画期的だけど、一人で治せる人数には限りがあるよね。女神が『魔法を広める』って言ってたってことは、ひょっとして魔法って誰でも使うことができるものなんじゃないかな?」
「魔導石があればあとは訓練次第で魔法を使えるようになりましてよ」
イリスは胸元から服の中に手を入れて卵のような赤い宝石を取り出した。
「これが魔導石ですわ」
「なんでそんなとこにしまってるの」
「これは魔力の源ですので肌身離さず身に着けておく必要がありましてよ」
もし胸の谷間にしまう必要があるものだとしたら使える人がかなり限られそうなんだけど、胸のサイズが絶望的なナノの前で言うのはやめておこう。きっと身に着けていればどこでもいいに違いない。
「それって作ることができるものなのー?」
「ええ、わたくしでしたら魔導石を作ることができますわ。ただ、魔導石にたくさんの魔力を蓄える必要がありますのですぐにはできませんことよ」
「だとすれば、魔導石を作りながら魔法の使い方をたくさんの人に教えていけば……」
「この世界でもみんなが魔法を使えるようになるのー!」
「でも、この世界の方々は魔法を必要としてくださいますかしら。魔獣もドラゴンもいませんのに」
「必要だよ。傷を治すこともできるし、さっきはあっという間に私の服まで直してくれたでしょ。あれって何なの?」
「あれは物の形を変える魔法ですわ。布の形を変えて、あなたの服の形にしてさしあげましてよ」
「その布はいったいどこから?」
「わたくしの服でしてよ」
イリスの服を改めて見てみると、たくさんあったはずのフリルが無くなってシンプルなデザインに変わっていた。
「あ……ごめん、私のために。でもこの魔法を使えば、物を作ったり修理したりするのが簡単になるんだよね」
「そうですわね。わたくしはこの錬成魔法が得意ですので、身の回りの品は全部魔法で作ってますわ」
私はわくわくしてきた。私のような工学部の学生の夢は世の中に役立つ物を作ること。そして今、世の中のあらゆる人に大いに役立つ新しい可能性が目の前に秘められているのだから。
「じゃあさ、みんなが魔法を使うようになったらいろんな仕事がすごく楽になるよ、きっと。だから、魔法がこの世界でどう役立つか研究しない?」
「研究……でして?」
「ここは大学だよ。いろんなものを研究する所だよ。私も魔法を研究してみたいし、きっとたくさんの人が力になってくれるよ」
「あたしも一緒にやるのー!」
ナノは商学部だから、いったい魔法を何に役立てる研究をするつもりなんだろう……。そんな心配をよそに、イリスは顔をほころばせた。
「まあ、あらまあ……。大変うれしゅうございますわ。これからよろしくお願いしますわ、ピコさん、ナノさん」
「こちらからもよろしくお願いなのー、イリス……って、あたしもあだ名で呼びたいのー」
「あだ名ですの? そうですわね……『たなか』とお呼びになって」
「いやその見た目でそんな名前は違和感ありすぎ!」
「では『魔法使い』でいかがかしら」
それあだ名じゃない!
「わかったのー! よろしくなのー、マホ!」
「ちょっと、『う使い』はどこ行った! ごめんね、マホ」
「あら、わたくしのあだ名は『マホ』かしら。気に入りましてよ」
ツッコミを期待していたけどマホはこれで納得しているようだ。じゃあいいか。
「ねえ、錬成魔法でどんな物が作れるか見てみたいな」
「そうですわね、何か要らないものがあればそれを使ってご覧いただけましてよ」
「じゃあごみ置き場に行こうか」
私たちは教室を出て大学構内のごみ置き場に向かった。