知識のデータ化 2
そのメールでエンパワー社からアポを取ることに奇跡的に成功したらしく、四月中旬にナノはアメリカ出張に旅立った。付け焼刃の翻訳魔法で会話するらしい。
一週間してナノが帰ってきて、早速私たちと会って話をした。
「オートマタの魔術回路を模したニューロコンピューターについてプレゼンしてねー、それを製品化してくれってお願いしたのー。そしたらねー、向こうで研究してくれることになったのー」
「あらまあ、良かったですわね」
「製品化したときの利益の取り分でこんな話をしたのー。本のようにめくれる集積回路は楽園がアメリカでも特許を申請してるからねー、売り上げの10%をもらうことを要求したのー」
「10%は虫が良すぎじゃない?」
「そしたらねー、CEOはこう言ったのー。『HAHAHA、かわいいお嬢ちゃん、そいつは大胆すぎるってもんだぜ。ニューロコンピューターの特許はうちが持ってんだ。悪いことは言わねえ、1%にしときな』って」
なんでアメリカ人のセリフを日本語訳するとこういう口調になるんだろう。
「だからねー、言ってやったのー。『特許料は1%という条件をのむ代わりに、こちらも要求するのー。一つ、こちらで開発するロボットのためのニューロコンピューターは2割引きの値段で納入するのー。一つ、こちらの用意する知識データを購入して搭載するのー』って」
最初に高い要求を突きつけて拒否させておいて、その負い目から本命の要求をのませるパターンだ。誰に対しても図々しいナノらしいやり方だ。
「そしたらこう言ったのー。『HEY、お嬢ちゃんの会社は出来たばかりのヒヨッコで、ロボットなんて作れやしないだろ? いいぜ、一つ目の要求はのんでやるよ。だがな、知識データはだめだ。そいつが売り物レベルになる保証はあるのかい?』って」
「さすが大企業のCEO、単純な交渉術にはかからないね」
「あたしはねー、CEOのそばに寄って、こうしたのー」
ナノは顔の前で指を組み、上を向いた。
「そしてねー、『おじちゃん、お願い』って言ったのー。そしたらねー、『OK OK、約束しよう。お嬢ちゃんの会社の知識データを買ってあげるよ。3年間はうちの会社で知識データの開発はしない』って言ってくれたのー」
「それでいいの、CEO!? ナノの必殺技『童女のお願い』が通用しちゃうんだ!」
「人の心を操る魔法は犯罪ですわ」
「魔法じゃないのー! 身長差を利用して相手の心に付け入……いや、あたしの純粋な心が相手の心を動かしたのー」
「純粋さとは程遠いたくらみが聞こえたんだけど、気のせい?」
「気のせいなのー。あたしは汚い世界なんて知らない、純真無垢な乙女なのー」
「純真無垢な人はそんな事言わないよ。まあともかく、よかったね。交渉お疲れ様」
「あたしが最高の条件を獲得してきたからねー、みんなは最高の知識データを作るのー。チアたちも使って作るのー」
純真無垢な人は他人を道具扱いしないよ。
エンパワー社のほうでは3年間知識データの開発をしないということだけど、もし他の会社がもっといい知識データを開発したら、その会社に乗り換えないとは約束できないとのこと。頑張っていいものを作らなきゃ。
知識データ作りが始まった。知識を解析する魔法はすでにマホが社内のみんなに教えている。まずは社内で各自の知識を魔法でオートマタにコピーすることから始めた。その知識を整理してファイル化し、1つにまとめてから再び魔法で整理すると、一般常識の知識データができた。
私はそのデータをタマにコピーして、タマに話しかけてみた。
「ねえ、買い物に行きたいんだけど、何か私におすすめのものはあるかな?」
すると画面に文字が表示された。
「便秘薬はいかがでしょう」
確かにここのところ便秘がちだけど、なんでそんな事知って……ああそうか、私の知識データも入ってるからか。
「私が便秘だなんて情報は要らないよ! 消去して」
「かしこまりました。鈴木さんも便秘だという情報は必要でしょうか?」
「余計な事知っちゃったよ! そういう個人情報は……うん、あとでまとめて消去する。とりあえず、今は個人情報のことは考えないで」
「では、ひげそりはいかがでしょう」
「私が女子大学生ってことは考えていいよ」
「では、邪神の加護の闇法衣はいかがでしょう」
「何それ」
「黒いコットンの布で、肩から羽織ると暖かいです」
ああ、鈴木がよく着てるあのケープか。鈴木はそんな名前を付けてたんだ。鈴木の中二病知識も要らないな。
「ただ、邪神の加護の闇法衣は会社の経費で落とせませんので、領収書をもらってこられても困ります」
「領収書なんてもらわないよ! というか、買わないよ!」
岡部さんの知識だろう。経理の知識はあったほうが役立つけど、今する話題じゃないよね。
単に言葉と日常の知識があるだけだとちゃんとした会話にならないな。会話をする技術というのも必要だね。
私は知識データの整理をやり直した。
それから、私たちは大学の先生やサークルなどに声をかけ、知識データを増やしていった。社員たちも知人から知識データを集めてきて、オートマタたちはどんどん役立つ存在になっていった。
私はタマのためのソフトウェアも作ってみた。今まではタマがパソコンの画面を見てマウスやキーボードの信号を送ることでパソコンを操作していた。それが私のソフトを使うことで、USBケーブルを通して文字や画像をやりとりし、チャットができるようになった。タマが画面を見なくてもよいのだ。
さらに、私のソフト内からウェブブラウザーにアクセスする機能を追加して、タマが画面を見ずにインターネットにアクセスできるようになった。タマが頭の中で考えるだけでネットの画面が脳裏に浮かぶということだ。タマが慣れてくると、データ量の大きい画像などがダウンロードされる前に文字だけで内容をおおよそ把握するようになり、タマの操作はますます高速になった。
六月になり、タマがネットから勝手に集めてきた知識は膨大なものになっていた。私はまたタマに聞いてみた。
「ねえ、私が何か買うとしたら、何がいいと思う?」
「そろそろお墓を買ってはいかがでしょうか」
また意外過ぎる答えに面食らった。
「どういうこと?」
「ネット上では、『ピコ死ね』という意見が多数見受けられます。そろそろお亡くなりになる準備をしてはいかがでしょう」
背筋が寒くなった。
「やめて! 死んだりしないから!」
「では、透け透けのバニースーツはいかがでしょうか。ピコさんのエロいバニー姿をご所望の方々がいらっしゃいます」
「それもやめて! もういい、それ以上聞かないから!」
私は心底恐ろしくなった。そっか、ネットから知識を集めるととんでもない意見も拾っちゃうんだ。タマに悪意は無く、ネット上の話を純粋に信じただけなんだろう。リテラシーも育てていかないといけないな。とりあえず、ネットから知識を集めてくるのはやめさせよう。
翌日、ナノたちにこの話をしたら笑われた。
「ぷしゅしししっ! 世間から見たピコのイメージはやっぱりバニーガールなのー」
「バニーはナノのせいだよ、まったく」
「あらあら。オートマタの知識を整理するときは、道徳の知識を消さないようにしなくてはなりませんことよ」
「そうだね。相手の気持ちを思いやることとかも、人生の中でこつこつ培ってきた技術なんだよね。本当に役に立つ知識って、実はそのあたりなのかもしれないな」
「やっと気づいたようじゃの、未熟者。わらわの崇高な倫理観を見るがよい」
「失敗例だね」
「なんじゃとー!!」
「あらあら、うふふ。わたくしの知識整理魔法もまだまだですわね」
「そんな、マホよ、そこはピコの話を否定するところじゃろうがー!」
試行錯誤しながらだけど、機械に人間らしさを与えるための道筋がだんだん見えてきている。




