3.父と息子
その日の晩餐の時間。
ルーカスは久しぶりに父と一緒に食事がとれてとても嬉しかった。
大きなテーブルには領主さまの無事の帰郷を歓迎し、彼の大好物が並ぶ。辺境伯城の料理人が腕によりをかけ調理したそれらに舌鼓を打ちつつ、ルーカスは父不在の間の領地に起こった出来事を語った。
ふたりきりの晩餐の同じテーブルには令嬢用の席も用意されていたが、そこに座るはずの人は最後まで来なかった。さきほど老執事をとおして令嬢は疲れて寝てしまったので晩餐を辞退する旨が伝えられたばかりだ。
(……なんでだろう。ぼく、がっかりしてる)
あのワケあり令嬢が食堂に現れなかったことに少なからず落胆した自分に戸惑うルーカス。そんな息子をサルヴァドールはやさしく見つめていた。
「ルーカス。場所を変えよう。おまえに伝えておかなければならないことがある」
「手紙でいってた“その後の騒動”ってやつ?」
王都からよこした手紙には『筆にせず直接おまえに語って聞かせる』と書かれていた。その話はあのワケあり令嬢がこの辺境に来るに至った経緯に違いない。あれのことだろうと当たりをつければ、サルヴァドールはにやりと笑い、ルーカスの頭を大きな手で力強く撫でた。
「私の息子は本当に聡い」
笑顔の父にそう言われるのが、ルーカスはなによりも嬉しい。父不在のあいだに勉強だってしていたし、領地に不備はないか気を配ったり『風の噂』を聴いたりしたのも報われる。
しかし気持ちとは裏腹に、口は勝手に憎まれ口を叩いてしまう。
「ほんと、ちちうえは親バカだよね」
「いいえ。閣下は親バカの上をいく、ただの『莫迦な親』でございます」
傍らに控えていた忠実な老執事が、間髪を入れずに口を挟んだ。頭を撫でる父の手を振り払っていない時点で、ルーカスの憎まれ口など老執事にはお見通しなのだろう。
「違いない」
辺境伯閣下はすぐさま肯定し、豪快に笑ったのだった。
◇
城の西翼の三階奥、辺境伯の私室へ移動した。
このエリアは呼ばれない限り城内の使用人も近づかないサルヴァドールのプライベートエリアのため、とても静かである。
彼が静謐を好む質であるとともに、彼の亡き夫人の肖像画や彼女が生前愛用していた私物が大事に保管されているエリアだからだ。夫人が存命のころは彼女の私室でもあった。
辺境伯夫人、正式名はガブリエラ・フアナ・デ・クエレブレという。
ルーカスにとっても亡き夫人は懐かしさと慕わしさ、そして哀愁を覚える存在だ。
記憶に残るのは甘い香りと温かい手。
やさしい瞳はルーカスのそれと同じ紅玉色。
彼女の膝に抱き上げられ、本を一緒に読み文字を覚えた。
音読すると褒めてくれた。
病床の彼女の枕元で、彼女が好きだという物語を何度も読んだ。竜神と聖女の建国神話や、精霊と恋する乙女の話。魔法使いの少年の冒険譚もあった。穏やかな、やさしい時間。
(つい、きのうのことみたいだけど……おかあさまが亡くなってから何年経ったっけ?)
辺境伯夫人の肖像画を前に、ぼんやりと物思いに耽っていたルーカスの小さな頭をやさしく撫でる大きな手があった。
「ソファのある部屋へおいで。私は酒にするが、ルゥは……ホットミルク?」
いつの間にか、すぐ傍にサルヴァドールが立っていた。揶揄う気まんまんな瞳でルーカスを見下ろしている。
「ぼくはお茶で! そしてもう“ルゥ”って呼ばないでって言ったでしょう?」
「はいはい。お茶ねぇ……眠れなくなるぞ?」
「へいき!」
「眠くなったら無理せず部屋に帰れよ……あぁ、“おとうしゃま”と一緒に寝ればいいか」
「ちゃんと自分の部屋に戻ります!」
いつまでも子ども扱いして欲しくないルーカスと、いつまでも息子を猫可愛がりしたいサルヴァドールのいつもの会話。
夫人の肖像画に覚えた哀愁が少しだけ薄れた。
ルーカスは父のあとを追い、肖像画の間から移動した。
◇
それぞれソファに腰を下ろし。
サルヴァドールには琥珀色の酒が入ったグラス、ルーカスにはカモミールティが用意され老執事も下がり「さて」と辺境伯が口を開こうとしたとき。
「ふたりきりになったから言うんだけどね。お手紙に書いてあったことだけどね、ちちうえ」
先に口を開いたのはルーカスであった。
「お手紙には『おまえの諫める声が聞こえた気もした』なんて書いてあったけどさ。それってつまり解ってやったってことだよね?
ここ二十年くらい、ずーーーっとクエレブレに留まっていたちちうえが久しぶりに王都へ赴いて王宮の夜会での騒ぎに首を突っ込んで大捕り物って、まずかったんじゃないの?
ちちうえに騎士団長とか王都守備隊長の肩書きがあるならともかく、今のちちうえは無官だよね?
捜査権も逮捕権もないよね?
なのに無頼の輩を捕り押さえちゃったんだよね? 真っ先に乗り込んで。
解っていたけど首突っ込んじゃったんだよね? どうしてジッとしてられないのかなぁちちうえは」
『立て板に水』と言った調子でぐいぐいと詰問されサルヴァドールは目を白黒させる。
途中で口を挟もうとしても、ルーカスのいつもは愛らしい赤い瞳が『ギンッッ……!』と力強く睨みつけるので挟めない。
「ちちうえが引き籠ったここ二十年あまりでこのクエレブレは以前と段違いに魔物の出現率が低下して農作物も豊かに実って、税収もあがってウハウハ状態だけどそれを王都の連中に知られないようにうまく隠しとおすんだって言って出かけていった記憶があるんだけど、あれはぼくの見た幻だったのかなぁ?」
「いや、あれはだな……」
魔物の出現率が高い辺境の地クエレブレ。木もろくに生えない死の山々と、その麓には砂漠が広がり農耕地と呼べる地面はほとんどなかった。
だからこそ王都へ納める税も免除されている。
わずかなオアシスに堅牢な城塞を築き魔物討伐をして細々と生活しているのがクエレブレという土地だと一般的には思われている。
王都の連中にはそう思わせたままでいたかった。
「立地の酷さに王都からの視察官も行く意味がない未開の地だと思わせていた方が、クエレブレの民に還元できるから都合がいいんでしょ? そう言ってたよね?」
「あ、あぁそうだなルーカス……」
「なのにちちうえ自身がそんなに派手に目立ってどうするの?
夜会に出ても誰とも話さないでのんびりするさ~なんて言ってたような記憶もあるんだけど?
うっかり知り合いに会って最近どうですか? なんて聞かれないよう逃げ回るんだって言ってたのもぼくの気のせい?」
「う、うん、だがな」
「大捕り物だなんて、そんな目立ったことして現職の方に越権行為だって睨まれたらどうするの?
もうちちうえは警備隊長じゃないんだよ?
このクエレブレにいるならすべての裁量権はちちうえにあるけどね?
王都ではそうじゃないでしょ?
いつどこでだれの利権に抵触するかわからない魔物の巣窟なんでしょ?
気難しいって評判の宰相閣下に足を掬われる材料になったらどうするの?」
「あー、そうは言ってもだなルーカス……」
一言一句、息子の言は正しい。正し過ぎて反論の余地が見当たらない。
「えぇ、解っていますよぼくも。解りますとも!
お手紙にあったとおり、無抵抗の令嬢が理不尽な目にあっていたら、飛び込まないちちうえなんてもはやちちうえではないと! さすがはクエレブレ辺境伯だと自慢に思います!」
これだけスラスラ発声と発音ができるのになぜいまだに『ちちうえ』という単語だけはたどたどしくなるのだろう可愛いなぁ、なんてどうでもいいことを考えているサルヴァドール(親バカ改め莫迦な親)。
「ですからね、ちちうえ」
呑気なことを考えていた辺境伯に、息子はズバリ質問を浴びせる。
「こちらでお預かりしたというあのご令嬢は、足もと見られた結果なのですか? それともちちうえのその揺るぎない義侠心に付け込まれた結果?」
サルヴァドールは絶句した。
聡いとは思っていたがここまでとは、と。それとも自分の行動を把握されすぎているせいなのだろうかと内心で狼狽える。
息子の真摯な瞳がじっと自分を見つめている。どうせ話さなければならないとはいえ、このままでは親の威厳まるつぶれなのでは……と少々情けない心地もあってサルヴァドールの口は重い。
自分を見つめる息子を見る。
ほとんど白に近い淡い色の金髪。少年らしさを証明するまるい頬に整った容姿。
そしてつぶらな瞳は紅玉のように赤くうつくしく煌めき、そこには父親に対する信頼が色濃く映っている。
(……嘘はつけねぇしなぁ……全面降伏だ)
『風の噂』なんかで知られるよりいっそ自分で話した方がましである。
一度、大きな深呼吸をし気持ちを固めた。
「あー。状況的には……見て見ぬふりができなくて」
「義侠心が疼きましたか」
さすがですちちうえ、とルーカスは呟いた。褒めているらしい。
「結果としては足もと見られたというか」
ルーカスの赤い瞳がキラリと光った。
「……なにか約定でも結ばされましたか」
クエレブレに不利な約定でなければいいのだがと言いたげなルーカスに、サルヴァドールは苦笑いしか返せない。
「……本当に私の息子は聡い」
将来が楽しみ、だなんて。
サルヴァドールの喉元まで出かかったことばは、けっきょく音にはならず酒と一緒に呑み込んだ。