37.「理由もわからず謝るなんて最低よっ」
【前半ルーカス:後半フォルトゥーナ】
はやる気持ちを抑え、木の上を猛スピードで駆け抜けているルーカスであったが、地上を移動するのでは遅いと気がついた。
(ゼフィー、ぼくも空を行く)
『承知』
相棒へ手を伸ばせば、契約精霊はルーカスの手をしっかりと握り、上空へ飛んだ。
風の精霊とともに風に乗り空高く飛ぶ。肌に触れる風の心地良さや爽快感に、このまま飛んでいたいと一瞬思う。
が、いまはそれをゆっくりと味わっている暇はない。
まっすぐに目指すのは真っ黒に見える樹海の中でも、はっきりと派手に目立つ朱色の炎。
天にも突き刺さりそうなほど、高く聳え立つ炎の柱が目印だ。
ルーカスがそれを目指し飛び出したときは、まだその炎の柱は安定していた。
だが、次第に大きさを変えたり太さを変えたり位置をじりじりと動かしたりと、怪しげな動きをしている。
『あの炎柱の周囲を魔獣どもが群がって囲んでおるぞ。やつら、火を見たら引きそうなものだが』
ゼフィーに解説されるが、ルーカスにはそこまで状況が分からない。
(魔獣って? どんな種類? 数は?)
『人の子はダークホーンウルフと呼ぶ狼型の魔獣だ。頭部に毒の角がある。悪食で一度狙った獲物は逃がさない。数は……まだ分からん。多いのはたしかだ』
(ちっ。やっかいだな)
『厄介なことなどなにもない。主が威嚇すれば蹴散らせる』
(なんでもいい。フォルトゥーナになにごともなければ!)
空を行くこと数分。炎の柱目前まで辿り着く。
どうやら大きな円を描く『炎の壁』が、そのまま高く聳え立ち巨大な柱になっている状態だ。
その炎の壁の中心地点にフォルトゥーナがいるのが分かった。
(たしかにフォルトゥーナの魔力を感じるけど、こんな大規模の魔法になるなんて……)
『あるじがもたせたねっくれすの石、あれをいっしょにつかっている』
火のレイヤが解説してくれた。
『サラがわざとやった。あるじにあいずをおくるため』
「フォルトゥーナのサラが? ぼくに合図を送るためにわざと派手な魔法にしたっていうのか?」
つまりこの炎の柱は狼煙目的なのかと合点がいった。わりと遠くにいたはずのルーカスに届いたのだから。
そういえばフォルトゥーナの契約精霊は独断での実行力がすごかった。
フォルトゥーナが幼児退行し召喚されないにも関わらず、彼女の意を汲みルーカスの許へ案内していたことを思い出す。
(どこにいても探し当てられたもんな)
「とはいえ、派手すぎな気もする……」
高く高く聳え立つ炎の柱の上空へ飛べば、炎とそれを巻き上げる風の勢いが強すぎて近寄れなかった。
「とりあえずはメンドクサイのを追い払うか」
炎の壁はそのままに、地面へと降り立った。
壁の周りを徘徊していたダークホーンウルフたちが、一斉にルーカスに注目する。その数、およそ十五頭。ゆっくりとだが近づいてくる。
(新たな獲物の登場に舌なめずりしてる感じかな?)
あいにく、どうぞと食べられる趣味はない。
ルーカスは一度深呼吸をする。無意識のレベルで抑え込んでいた自分自身の感情を全開にして魔力をことばに乗せる。
腹の底から溢れさせる思い。
“フォルトゥーナに近寄るな!”
「去れ!」
威圧を乗せたことばとともに『風の刃』を浴びせれば、ダークホーンウルフたちは、一斉に鳴きながら逃げ出した。
(蜘蛛の子を散らすっていう表現は、こういうときに使うことばかな)
『あるじ、おみごと』
『さすが、あるじ』
『あるじ、やればできるこ』
『やるな、主』
四大精霊たちが同時にルーカスを褒めた。
「ちょっと待てガイ。やればできる子ってなに?」
土の精霊ガイのことばに文句をつければ、彼は黙って炎の壁を指差した。
『つぎはあれ』
『われがともにいく。あるじはもえない』
『もえたらわれにまかせよ。すぐけすぞ』
『我は一緒に行くと被害甚大だからここで見てる』
(あぁうん、いいよゼフィーはそれで)
四者四様のことばに心強いと思いつつ、同時に脱力する。
火のレイヤがルーカスの頭に乗った。
彼が一緒にいるのなら魔法で出現している炎を制御できるだろう。少なくともルーカスにその火が燃え移ることはない……はずだ。
意を決し地面を蹴る!
両腕を顔の前に十字の形で交差させ、炎の中へ飛び込むと同時に。
「ルーカスの、ばかーーーーーーーーー!」
フォルトゥーナに罵倒された!
なんてことだ!
ルーカスの助けは遅かったのだろうか? 怪我でもしてしまったのだろうか?
焦ったあげく、咄嗟に口をついて出たことばが
「ごめんなさーーい!!!」
だった。
回転しながら着地すると同時にフォルトゥーナの姿を認める。
彼女は。
地面に座り込んでいた。
髪がぐちゃぐちゃになっていた。
なんだか疲れ果てているように見えた。
そしてなによりも――。
涙を溢していた!!!!!!!!!
心臓が握りつぶされたように痛い。急激な息苦しさに襲われる。
ナゼ泣イテル、ナゼ涙ヲコボス、ナゼソンナニつらそうナ顔ヲスル
ダメだ。
だめなのだ。
フォルトゥーナの涙はルーカスの心臓に悪い。直撃する。なにも考えられなくなり、ただただ罪悪感に押しつぶされ彼女の涙を止めるために奔走するしかなくなるのだ!
「フォルトゥーナぁぁぁ!!!」
ルーカスは夢中で彼女のそばへ駆けつけた。
ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ
ルーカスの脳内に繰り返されるたったひとつのことば。自分のせいだ、彼女から離れたから彼女は泣いてしまったのだ、彼女を泣かせたくないのに、悲しませたくないのに、笑っていてほしいのにっ!
フォルトゥーナがルーカスを見つめている。
びっくりしたように見開かれた黒曜石の瞳が、炎に照らされ金色に輝いている。
彼女の両腕がルーカスへ向かって伸ばされた。
フォルトゥーナが泣いているのに、笑っているように見えたから。
駆け付けたルーカスは彼女を抱きしめた。
◇
「ルーカス……ルーカス、ルーカス!」
フォルトゥーナはルーカスに抱きしめられながら、何度も彼の名を繰り返した。
信じられなかった。
炎の壁の中から突然現れたルーカス。
彼女が追い求め、探し求めた人が目の前にいるのだ! しかもへたり込んだフォルトゥーナを抱きしめているのだ!
生きてる。本物の本人。
フォルトゥーナもルーカスを抱きしめ返した。
この身体のぬくもり。感触。匂い。
これはとても慣れ親しんだ感触だ、となぜか思った。
フォルトゥーナはこうやって何度も彼を抱きしめていたような……そんな気がする。
そんなはずはないと思いつつ、いやぜったいそうだという根拠のない確信もあった。
でもいまはそんなことを気にしている余裕はない。
「ルーカス!」
言わなければならないことがあるのだ。
「おねがいっ!」
まずこれを言わなければならないのだ。
「どこにも行かないで! わたくしをおいていかないで!」
おねがいおねがいと繰り返しながら、ルーカスの身体を抱きしめる。泣きたくなんかないのに、いくらでも涙が零れてしまう。
ルーカスが掠れた声でぽつりと彼女の名を呼んだ。
あぁ戸惑わせてしまっただろうかと、フォルトゥーナは急に怖気づいた。腕の力を少しだけ緩め、恐る恐るルーカスの顔を見る。
ルーカスはポカンと気の抜けたような顔でフォルトゥーナを見ていた。
「ルーカス。あなたさっき、なんで謝ったの」
「え」
寝不足のせいなのか、空腹のせいなのか。
ルーカスの顔を見たとたん、フォルトゥーナは急に怒りの感情に支配された。
「さっきごめんなさいって言ってたわよね」
「はい。言いました」
「なんで謝ったの⁈」
なにを理不尽に怒っているのだ自分は。
燃え盛る炎を突き破って来てくれたルーカスに対して、怒るなんてどうかしている。
フォルトゥーナの中の冷静な理性がそう分析するが、どうにも激昂してしまった感情が止まらない。
ルーカスのきれいな顔を見て、ホッと安心してしまったのだ。嬉しかったのだ。
おそらく、その反動がきた。
だってこの二日間、彼女は心配しまくっていたのだ。ルーカスを案じていたのだ。寝不足だったのだ。
「フォルトゥーナが、泣いていたから」
だというのに、ルーカスの返事は相変わらずのイケメンぶりなのだ。
彼は心配そうな表情でフォルトゥーナを見ている。どこか困っているようにも感じた。
「理由もわからず謝るなんて最低よっ」
「ごめんなさい」
「なんでそこで謝るのよっ!」
あぁ駄目だ。完全に言い過ぎている。
フォルトゥーナの理性でも止めきれない感情の発露は、涙になって流れてしまう。
「最低だって怒られたから」
ルーカスは途方に暮れたような顔をしている。そして発言はイケメン。彼は八つ当たりしているだけのフォルトゥーナを責めようなんて思ってもいない。
「ほいほい気軽に謝っちゃだめなのよ! わたくしが泣いていたってだめなのよ!」
「だめじゃない。フォルトゥーナが泣いているのなら、それはその要因を取り払えなかったぼくが悪い」
どこまでルーカスはイケメンなのか。
どうしてこうもやさしすぎるのか。
ルーカスに悪いところなんてこれっぽっちもありはしないのにと、フォルトゥーナの理不尽な怒りが収まらない。
「悪くないわっ! ルーカスは悪くないっ。わたくしが勝手に泣いてただけなのよっ!」
泣きながら怒っている自分はなんて面倒くさい存在なのだと、フォルトゥーナの理性が呆れたように首を振っている。
涙を止められないフォルトゥーナに焦れたのか、ルーカスも声を荒らげた。
「それでもっ! それでもフォルトゥーナが泣いているのなら、ぼくは万難を排さねばならない」
「なんでっ⁈」
「ぼくがっ、フォルトゥーナを好きだからっ! だいすきなきみが泣いているのを見たくないからっ!」