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彼女は父の後妻、  作者: あとさん♪
第六章
34/45

32.出奔、あるいは家出。もしくは反抗期

 


『あーるーじー。いいかげん、おーきーろー』


 風の精霊ゼフィーに話しかけられ、ルーカスは意識を浮上させた。目を開けるとそこに見えたのは硬い地面。


(あぁそうだ……。城から抜け出して……走って走って……転んで倒れて……そのまま寝ちゃったんだ……)


 夜明けまえに自室の窓から衝動的に飛び出し、城壁を蹴って走り続けた。


 だれもいないところへ行きたい。

 ただそれだけを考え走り続けた。

 一日中、走り続けたと思う。

 周りをよく見ていなかったけど、気がつけば死の山を越え、山脈をみっつほど駆け抜けていた。と、思う。


 どこまでも岩がゴロゴロする荒れた風景が続く山々のどこかで、石につまづいて地面に倒れ込んだ。起き上がる気力もなかったからそのまま倒れた状態で目を瞑った。


 転ぶなんてみっともない。

 こんなことで悩みまくってみっともない。

 ちっぽけな自分がみっともない。

 

 溜まった鬱屈を追い払いたくて、倒れたまま大声で喚いた。

 罵詈雑言、だれに対してなのか分からなかったけれど無茶苦茶怒鳴り散らした。


 ……もしかしたら泣いていたのかもしれない。そのまま疲れて寝た。

 ここが魔獣の跋扈(ばっこ)する土地であるのは承知の上。なにもかも、もうどうでもいいやと思いながら。


 自暴自棄、という状態だったのだろうとルーカスは昨日までの己の行動を振り返った。


『あーるーじー?』


 ゼフィーの間の抜けたような呼びかけにため息をひとつつくと、うつぶせ寝の状態から身体を起こした。

 固い地面に倒れ込んだまま寝ていたから全身が土に塗れているし、節々が痛い。大声を出し喚き続けたせいか喉も痛い。

 ルーカスは身体を起こしたその場にぺたりとお尻をつけたまま、深い深いため息をついた。俯いた先に見える自分の手の平も泥だらけで、手を洗いたいなぁなどとぼんやり考えた。


 たぶん、睡眠時間だけはたっぷり取ったはずだ。

 けれど気は晴れなかった。

 寝ながらも思考は行ったり来たり。堂々巡りで結論なんか出なかった。


(嫌なことから逃げただけだもん。気が晴れたりしないよな)


 ちび精霊たちが、泥だらけのルーカスの手の平を物珍しそうにちょいちょい触っている。そんな彼らをぼんやりと見つめながら、これからどうしたらいいのだろうと思った。


 気が気じゃないのはたしかで。

 大好きな人の花嫁姿なんて見たくないのもたしかで。

 あのままあそこにいたら自分の心が憎しみ一色になりそうなのが嫌で。


 逃げ出した。


 ふと。

 顔を上げその場を見渡したルーカスは、自分の見たものが信じられず目をこすった。

 あれ? と声に出し。


「ねぇ、ゼフィー。ぼくの記憶が間違っているのかな。ここって、こんなに木々の緑が溢れた場所だった?」


 “緑が溢れた場所”というより、これはすでに森……いや、見渡す限りの原生林を人は樹海と呼ぶであろう。


 ルーカスは樹海の中に、いた。

 ルーカスの周りだけがすっぽりと木々のない、空白状態になった場所で。

 頭上を見上げれば空が見えた。


 ルーカスは、ふだん『念話』を使い精霊と会話する。

 けれど今は周りの情景を目にし、そのあまりの非常識さに驚きの声を出してしまった。


 なにも考えず走ってきた場所であったが、石と岩と地面しかないような荒廃した山だったような記憶があるのに(その証拠のようにルーカスがいる地点だけは地面のままだ)、けれどその記憶を裏切る風景の中にいたのだ。


 ルーカスの周りから緑の絨毯のようにさまざまな種類の植物が生い茂り、ちょっと離れた個所から背の高い木々が鬱蒼と続いていた。そんな景色がぐるりと囲む。

 寝ている間に別の場所に移動したかのような錯覚を受けたのだ。


『昨日(あるじ)が来たときは荒涼とした荒れ地だった。主がまるまる一昼夜そこでふて腐れて泣き明かしたらこんなザマだ』


 ゼフィーがいつものとおりあっさりとしたようすで返答する。彼はいつもちょっとそっけない。


「泣き明かしたって……ゼフィー、言うね」


『我は事実を述べたにすぎん』


 なるほど客観的に自分の状態はそうだったのかと、ルーカスはやっと冷静になった。気恥ずかしい。


 いつものルーカスは感情の起伏が激しくならないよう、常に平常心を心がけていた。なにごとにも動じないよう、だれかに怒りを感じないよう、なにかを強く悲しまないよう。

 どうやら竜の封印を受けた彼は、感情の起伏で周囲の自然に影響を与えるらしいのだ。

 十三年前、辺境伯夫人の死に立ち会ったときにゼフィーからそう説明を受けた。

 とはいえ、たった一日で見渡す限りの樹海を形成してしまうほどだとは思ってもいなかったが。


『そこでウジウジでもでもだってだってと、ぐるんぐるん悩みまくっている主が悪い。いい加減、こちらがイライラするわ! 好きな女子(おなご)は奪い取れ。その気骨がなくてどうする』


(ゼフィー、過激だよ)


 精霊には理解できないかもしれないが、人の世界にはいろいろと面倒臭い決まりや習慣があるのだ。自分がこうしたいからとそれを押しとおせば、どこかでそのしわ寄せを受ける被害者が現れる。

 ルーカスはその道理を率先して壊してはいけないと思っているのだが。


『我は風の精霊。主のように後先などいちいち考えん! 風の向くまま気の向くまま、吹かれていればそれでよいのだ。主も我の主なのだから、そうしても良いのだぞ?』


(いや、ダメでしょそれじゃあ)


『そうか? 火の加護を受けたあの娘は、主に似合いだと我は思おておった。だいたいあの娘はな』


(そのことは言うなって、まえに言ったよね?)


 ジロリとゼフィーを睨めば、彼はすぐに黙った。納得はしかねると言いたげな表情で。

 ゆっくり六十を数えるくらいのあいだ、睨みあっていたのだが。

 ゼフィーが肩をすくめため息をついた。


『主がそう言うなら我はもう言わんが……あとでぜったい後悔するからな!』


(後先考えないと言ったおまえが言うなっ!)


 物語の悪役が退場するときみたいなセリフを精霊が口にするから、少しだけ可笑しく思った。


『で? 主はこれからどうする気なのだ』


(これからって?)


『“風の結界”の修復やら“風の噂”を集めたり……毎朝行っているルーティン、と言ったか? それをまるっと無視しているが?』


 ゼフィーに指摘されたルーカスは愕然とした。

 自分のことにかまけ、しなければならない仕事を放棄していたことにやっと気がついたのだ。


(大変だ! え? あれからどれくらい時間が経ってるの?)


『主が家出してからまる二日経ってる。今は三日目の朝だ』


 どうしようと悩んだのは一瞬。

 だが立ち上がろうと思っても立てない自分にルーカスは気がついた。

 手足に力が入らない。どうにも動けない。

 変な体勢で寝てしまったからだけでなく、なんとなく気力が湧かないのだ。


(まだ……帰りたくないな)


『良いではないか』


(え?)


『帰らずとも良いと、言った。もうあの地に縛られる必要もないだろう。主は主の好きなことをすれば良い』


「ぼくの、好きなこと……」


 好きなことをすれば良いと言われても、なにをすべきなのだろうかとルーカスは戸惑った。

 そもそもゼフィーの言うことは、その場しのぎで無責任極まりないのだ。

 話題を変えようと樹海へ目を向けた。


(この樹海の向こうはどうなっているの?)


『なにもないぞ。この地を作った神が飽きてしまって、そのまま放置したからな。主が赴けば新しい土地ができるぞ。行くか?』


 なにもない土地に、ルーカスが赴けば新しい土地になる?

 この樹海のように?

 疑問だらけになりながらゼフィーの顔を見れば、彼はなにごともないように言う。


『冷静になってしまった今の主にはできない技だがな』


(つまり、泣き喚きながら行けってこと?)


 子どもじゃあるまいし、そんな恥ずかしい真似ができるかと思いながら精霊を睨む。ゼフィーはいつもの飄々(ひょうひょう)とした風情で受け流した。


『試してみればおのずと結果は出よう』


 彼はいつも肝心な答えは返してくれない。

 ルーカスといつ契約を交わしたのかとか、竜の封印の解き方とか。

 どうしておまえはいつもそうなんだと聞いたことがあったが、彼は笑って言うのだ。

 それは我が風の精霊の証。気まぐれが(さが)だからだと。


『ところで主。いいのか? クエレブレを放置したままで。主があとで悔やむことにならんかー?』


 我は別にどうでもいいがなと言いながらゼフィーが質問をする。

 たしかに、ルーカスの良心がちくっと痛んだ。


『養父殿も主の心配をしているのではないかなー。外泊などしたことなかったものなー。伝言だけでも送っておくかー?』


 さらなるゼフィーのことばに、ルーカスの良心がちくちくっと痛んだ。

 彼はひとさまに迷惑をかけたいわけではないのだ。


『反抗期というものなのだろう? 主のしていることは』


「反抗期ぃ?」


 まさか精霊の口から聞くとは思ってもいなかった単語に、ルーカスは目を剥く。


『人の子の成長過程には必要なものらしいぞ』


「ゼフィー。おまえはどこで育児書を読んだ?」


『我が書物など読むはずなかろう? なにを寝とぼけたことを言い出すのだ。執事がそのようなことを言っていたのを聞いたのだ』


 胸を張って答えるゼフィーに脱力してしまったルーカスである。


(あー。うん、もういいよ。ゼフィーはそれで。……そうだな。だれか父上に『風の便り』を届けてくれるかな)


 ルーカスの問いかけに、ちび精霊たちがわらわらと集まる。みな瞳を輝かせてルーカスのことばを待っている。


『なんということばを届けるのだ?』


「そうだね……“ぼくはだいじょうぶなので、父上も心配しないでください。納得がいったら帰ります”……かな」


 ゼフィーがニヤリと笑った。嫌な予感がした。


『よし、我が届けよう。ついでに魔力を預かる。『風の結界』も修復してくるから案ずるな』


 ではな! と言ってゼフィーが飛び立っていってしまった。止める間もなかった。


「余計なことは話すんじゃないぞーーーー!」


 ルーカスは大気に紛れてしまった己の契約精霊に向かって怒鳴ったが、果たしてその声をゼフィーが聞き取ったのかどうかまでは分からなかった。




 ◇




 ゼフィーは風の精霊である。


 ゼフィーはずっとむかし、ルーカスと契約した。


 正しくは、ルーカスの「親」に彼を託された。


 彼が喋れるようになったとき、我は西風(ゼフィロス)だと名乗ったら幼い声で「ぜふぃー?」と言われた。そのときから精霊は『ゼフィー』となった。


 厄介なものを託されたと思ったこともあるが、いまはこの(あるじ)を気に入っている。


 あるときからルーカスは成長しなくなった。


 本人は悩んでいるようであったが、あんなものへでもないとゼフィーは思う。


『“封印”、ねぇ……人の子は“呪い”などと言っていたが……』


 ゼフィーはクエレブレの城を目指した。


 そこの城主は彼の主の養父。


 主はこの養父に恩義があるのだ。ゼフィーも養父の人柄は嫌いじゃない。


『人の情というものは、じつに厄介なものだな』


 彼の主もおもしろいほど“人の情”に塗れている。雁字搦(がんじがら)めといってもいい。


『だが厄介なものほど、愛おしいものなのだな』


 風に乗れば城は目の前であった。







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