29.辺境伯閣下、かく語りき(side:公爵令嬢)
※注※ 乳幼児突然死症候群を匂わせる表現があります。
トラウマをお持ちの方は覚悟するか避難してください。
自己責任でお願いします。
辺境伯閣下みずからが淹れてくれたお茶を手渡されたフォルトゥーナは、黙って彼のことばの続きを待った。
彼女の前にある椅子に座った辺境伯は自分の淹れた茶を一服し、さてと呟いた。
「私が若いころ、王都で騎士団にいたことはご存じかな? 先代の国王陛下からの依頼でね。戦争にも参加したし、当時王都を暗躍していたスパイやら人身売買のルートやらの捜査もしていて……」
◇ ◆ ◇
クエレブレ辺境伯サルヴァドール・フアンがまだ“辺境伯”ではなかった昔。若かりし頃。
当時の辺境伯と当時の国王陛下との密約で、サルヴァドールは王立騎士団に所属していた。隣国から攻め入られ、その撃退のため一時的に入団していたのだ。
本来ならばサルヴァドールはクエレブレ辺境伯軍として従軍すべきであった。
だが当時の国王はとっとと戦争を終わらせたかった。友軍と王立騎士団が指揮系統で揉めるよりも手っ取り早いだろうと、クエレブレ辺境伯に大将軍格を約束したうえで王立騎士団への入団を打診した。
クエレブレ辺境伯は息子を派遣した。
弱冠十九歳で大将軍に抜擢されてしまったサルヴァドールは、実力でアクエルド王立騎士団のお歴々を黙らせた。だれにもかれにも“こいつに任せた方が戦は早く集結する”と思わせるような武勇を見せつけた。
実際それは叶った。その勇猛果敢さに“戦場の白髪鬼”というあだ名までつけられた彼は戦争を早期に終わらせた英雄となった。
国王と辺境伯の間に友情がなければそのままクーデターに発展してもおかしくはない案件であったが、それはさておき。
戦争が終わると、サルヴァドールは国内にのさばる外国からの密偵や怪しげな人身売買ギルドなどを捜査・摘発するために王都守備隊へ転属した。
このアクエルド王国は周辺諸国の中で唯一、魔獣被害の少ない国である。それは初代の建国王が竜神であり、彼が遺体――アクエルド王国民は“聖体”と呼ぶ――になった現在もその竜の威によりこの国を守っているからである。
だがアクエルド王国以外は違う。
常に魔獣被害に頭を悩ませている。
国防のためにも正規兵の育成や冒険者ギルドの運営も盛んである。そんな周辺諸国にとってアクエルド王国は垂涎の的なのだ。なんとかして初代建国王の遺体の一部でもいいから欲しいのだ。
過去には何度か他国から攻め込まれそのたびに迎撃したが、サルヴァドールが参戦した戦いを最後に現在では平和協定が結ばれ戦はない。表向きは。
実際は国内にスパイが潜伏する状態になってしまった。
先日発覚した元第一王子の失脚に係わったブローサ男爵一家もこれに当たる。
◇ ◆ ◇
「え。ブローサ男爵令嬢は、スパイ、だったのですか」
初めて耳にする情報に、フォルトゥーナは驚きの声をあげた。
辺境伯は鷹揚に頷く。
「あぁ。祖父の代から我が国に潜り込んでいたスパイだった。私の捜査網からすり抜けていたというわけだな」
かのブローサ男爵はその当時まっとうな商いをする新興男爵だった。と、思われていた。
「エウティミオさまはとんでもない女性に篭絡されていたわけですね」
「二ヶ月……いや、もう三ヶ月ほどまえなるか。その元王子、現ブローサ男爵が君に謝罪したいと言って来訪した。私たちの判断で追い返したが」
現ブローサ男爵、と呟いた令嬢は少し考えを巡らせたあとでひとつ頷き、ありがとうございますご面倒をおかけしましたと頭を下げた。
その仕草にフォルトゥーナが粗方の事情を察したらしいことを辺境伯は理解した。
◇ ◆ ◇
三百年ほどまえに、このクエレブレの砂漠から発生した魔獣大暴走で王国の西側が半壊した記録がある。人口も三割方減るような大惨事であったのだが、そのときの対処方法が行き当たりばったりなやり方だった。
建国王の聖体の一部を分割し、王国の東西南北四方に分散させ祀ったことで対処したのだ。
この西の辺境地クエレブレと東の領にはそれぞれ神殿を建てた。
南北の領には当時の王子に爵位を与え新たな公爵を興した。
それぞれに聖体の一部を安置し祀ることで、魔獣被害をそれでも最小限になるよう収めたのだ。
フォルトゥーナの生家ラミレス公爵家は、そのとき興った南の守護公爵である。
秘密裏に行われたことではあったが、その事実はまことしやかな噂として周辺諸国に渡り、今現在でもその聖体を盗もうとする輩があとを絶たない。
当時のサルヴァドールは戦後処理の一環として、王都でそういった輩を取り締まっていたのだが。
今から二十年ほどまえ。サルヴァドールの妻ガブリエラが精神的に参ってしまった。
サルヴァドール夫妻の生まれたばかりの乳児があっさりと儚くなったからである。
結婚からだいぶ経って生まれた赤子は夫妻にとって初めての子どもで、夫婦ふたりで彼の誕生をとても喜んでいた矢先の出来事であった。
生まれたばかりの我が子を亡くした妻ガブリエラは半狂乱になった。
それは誰のせいでもなかったのに、彼女は己のせいだと落ち込み心を病んでしまった。産後の肥立ちも悪く、花が日々萎れていくように生気がなくなっていった。
過去、戦争を終わらせた英雄と名を馳せたサルヴァドールの妻として、社交界でそれなりの地位を築いていたガブリエラであったが、人の多い王都ではその地位も彼女を苦しめた。
見舞いと称し人が訪れる。
彼女を慰めるためのことばでさえ、そのときのガブリエラには傷口に毒を塗られた刃を突き立てられたように感じたのだ。
彼女がぽつりと「クエレブレに帰りたい」と漏らした弱音に、サルヴァドールは決意した。
そのとき追い詰めていた怪しげな人身売買のシンジケートを摘発し、それを最後にクエレブレに帰郷しようと。
もともと、国王の依頼があったからこそ王都に来たのだ。
彼の気持ちひとつでいつでも辞めてよいというお墨付きも貰っている。サルヴァドールにはクエレブレを守護する義務があるのだから。
十九歳で王都に来て、このときはもう三十半ばになっていた。
長く居すぎたと思ったくらいである。
人身売買の違法オークション会場に乗り込んで摘発し、首謀者をあらかた捕縛したあと会場の事務所を差し押さえた。
オークションに関係がありそうなものを押収していたとき、サルヴァドールは布に包まれた怪しげな置き物の存在に気がついた。それを持ち上げ布を開くと、中から現れたのは生後間もなくとみられる赤ん坊だったから驚いた。
ほとんど白に近い淡い色の金髪を持つ赤子。
泣きわめくでもなく、その無垢な瞳をまっすぐにサルヴァドールへ向けた。
その瞳が妻と同じ紅玉だったのを認めたサルヴァドールは、彼を引き取り育てることを決意した。
(オークション会場で商品だった子どもも幾人か引き取っている。このとき保護し、親元を探せず行くあてのなかった一人が今現在辺境伯城の厨房で働くトーニョである)
赤子はルーカスと名付けられた。
ちいさなルーカスはガブリエラに生きる気力を与えた。彼女の心身は見違えるほど健康になった。
彼は文字どおり、サルヴァドール夫妻の希望の光となった。
この子は儚くならないよう、この世のなによりも強いドラゴという名をセカンドネームに与えた。
生まれ故郷のクエレブレに戻ってきて七年。
サルヴァドールが父から辺境伯位を譲り受けしばらくして、もともと身体の弱かったガブリエラはちいさな風邪がもとで儚くなった。
最愛の妻を失った嘆きのなか、サルヴァドールは気がついた。
今までなんの障害もなくすくすくと成長していたルーカスの背が、いっさい伸びていないことに。
一年経っても同じ身長。見かけは七歳児。一ミラたりとも背が伸びないのはなぜか、なにかの病気なのか。クエレブレの神殿にいる神官に息子を診察してもらった。(このとき診て貰った神官が、現在は王都の神殿で神官長をしているケルビム神官長である。彼はガブリエラの臨終にも立ち会っている)
神官は、自分には分からない大きな力がルーカスに関与しているという診断をし、自分の手には負えないと王都の神殿にいる大神官を招聘した。
大神官は呪いの解呪に長けた能力を持っていたからだが、結果としては大神官にもルーカスの身におきた現象を解消することはできなかった。
ただし大神官の診断は『これは強い竜の息吹を感じる。竜による強い封印が施されている。だから少年はおとなになれない』というものだった。
◇ ◆ ◇
「竜による、強い封印?」
フォルトゥーナの問いに辺境伯は頷いた。
「大神官さまはそうおっしゃった。神殿で聖体の安置された霊廟の波動を受けている自分には分かる。同じ波動だとおっしゃっていた」
大神官はルーカスに科せられた封印を解呪しようと試みてくれたが、竜の力を人間の身でなんとかしようなど、無謀なことだった。
大神官は力尽き、現在意識不明のまま王都の神殿の地下で昏睡状態になっている。
ケルビム神官長は大神官の看護をしながら、彼の目覚める日を待っている。
いったい、いつどこでルーカスが竜の封印を受けたのかは分からない。
だが実際問題として、彼が成長を止めたのとほぼ同時期にクエレブレは劇的に変化していった。
砂漠は肥沃な大地に。
草木も生えなかった死の山が、緑あふれる山に。
まるで、“竜の霊廟に守護される王都”のように。
竜の封印を受けたルーカスがこの場にいるだけで、この地は王都のような恵まれた地に変化したのである。
「ルーカスが竜の封印を受けたことで、この地が豊かになった。魔獣も山を越えてまで侵攻してこない。まるで竜神がここにいるかのごとく。
だがそれは呪いとなんら変わらないと私は思っている。
あの子は成長できない。
何年経っても少年のままだ。
あの子が複数属性の精霊と契約できるのも。超人的な力を有するのも。
すべて気まぐれな竜の封印のせいだというのだから……皮肉なものだ」
視線を合わせないまま。
ことばを選びながらゆっくりと語る辺境伯に、フォルトゥーナはなにも言えなかった。
辺境伯の苦悩をそこに見た気がしたので。
彼女の目の前にいる初老の男は、自分の治める土地が裕福になったことに喜びを感じているが、それ以上に一人息子が成長を止めたことをなによりも憂い嘆いているのだ。