25.いつのまにか防御結界を張られていた(side:公爵令嬢)
二日もすれば、フォルトゥーナは発熱から完全に快復した。
熱にうなされながら見た夢が良かったせいかもしれない。
しょせんは夢なので、起きたあとで詳細は忘れてしまった。ただ、なんとも心が温かくそして少しだけ切なくなる夢だったのは確かだ。
朝から食堂に顔を出したフォルトゥーナにルーカスも辺境伯もとても喜んでくれた。
ふたりが喜んでくれているのに、フォルトゥーナの気持ちは沈んだままである。とくに辺境伯に対して申し訳ない気持ちが湧き出てくる。
フォルトゥーナからみても寛容な辺境伯は、幼児退行していた彼女を保護し療養させていたにすぎない。
回復したのだからクエレブレにきた本来の目的を果たすべきだ。このまま安寧としていようなど、ずうずうしいにもほどがある。
フォルトゥーナはラミレス公爵家の娘。ラミレス公爵家は王家の傍系。僅かとはいえ誇り高き竜の血を引く末裔なのだ。
そんな彼女が己の矜持も忘れ無為に日々を過ごしているなんて、本来許されざる行為なのである。
(自分のなかにある迷いのせいで踏ん切りがつかないなんて……今のわたくしは……卑怯者だわね)
熱は下がったが心の踏ん切りはつかなかった。思い悩むから食の進みが遅い。
いつもとようすの違うフォルトゥーナにルーカスは気がついたのかもしれない。
彼が毎日きいてくる定番のセリフが、いつもと違ったのだ。
「フォルトゥーナさま。体調がよいのなら、今日はぼくの実験にお付き合いいただけませんか?」
「実験?」
いつもの彼はフォルトゥーナの意向をきいてくれるのだ。自分に付き合えと要望する彼は珍しかった。
それに実験とはなんだろうと、フォルトゥーナの好奇心が刺激される。
「はい。新しい魔導具を試作したので、どのていど効果があるのか実験してみたいのです」
「新しい魔導具? それはどんな効果を生むの?」
やや前のめりに尋ねたフォルトゥーナに対し、ルーカスは落ち着き払った笑顔を見せ「それは実験してのお楽しみです」と躱されてしまう。
そうなったら気になって仕方なくなるのが人情。
卑怯だと自覚しつつも、フォルトゥーナは悩みを一旦棚上げにする。
騎士団員専用の訓練所で披露するというので彼女も同行することにした。
訓練所に行くのなら、すでに定番になったフォルトゥーナの魔法特訓もできるだろう。そう考え動きやすいラフな服装に着替えた。もうすっかりひとりで着替えをすることにも慣れてしまっている。
そんな令嬢らしからぬ彼女に対しクラシオン夫人は、とくになにも言わず温かく見守っている。
「お怪我などなさいませんよう、お気をつけくださいませ」
それでもやっぱりひとことあるのかと、フォルトゥーナは少しだけ笑ってしまう。
「だいじょうぶよ。ルーカスさまがいっしょだもの」
笑顔でそう応え部屋をあとにした。
ルーカスに対し、無意識に絶対の信頼を抱いていることに気がつかないまま。
城の正面玄関前には馭者付きの箱馬車とルーカスがフォルトゥーナの到着を待っていた。
「お待たせしました」
編み上げブーツの踵を鳴らしながら小走りになれば、ルーカスはいつもの穏やかな笑みで「待つ時間も楽しいのでだいじょうぶですよ」などと応えてくれる。
(ほんとうにっ……どこまでもイケメンなんだからっ!)
イケメンという単語は王都にいたころ、なにかの本で知ったことばである。
無自覚に人タラシで、とくに女性の気持ちを弄ぶ悪い男の総称だったはずだ。無自覚なところがとくに罪深いのだとか。
人タラシという単語もそのとき同時に知った。
ことば巧みに他者を誘惑し、自分の虜にさせる魅力溢れる人物のことをいうらしい。
フォルトゥーナはそう理解している。
ルーカスの手を借りながら馬車に乗りこみ着席してから、ふと思い出した。
最近はどこへ行くにもこうして馬車を手配される。
とはいえ、もともと公爵家の唯一の公女として過ごしたフォルトゥーナにとっては、こうした馬車での移動は日常である。どこへ行くにも護衛と侍女が付き、馬車で移動していた。
だからこそ、あまり疑問にも思わず過ごしてきたのだ。
ふと思い出したのは、フォルトゥーナの意識が回復した日のことだ。
あの日、フォルトゥーナとルーカスはふたりだけで死の山の山頂にいた。馬車など使わず、ルーカスに抱き上げられて移動したことを思い出したのだ。
(……たくさんの精霊たちに囲まれて、抱き上げられて移動したのって、あのときだけ……あれ以来ないのよね……)
直接外気に触れ陽の光を浴び、風に吹かれながらの移動。
聞こえるのはルーカスの息遣いと彼の走る足音だけ。
目に見えるのはたくさんの精霊たち。
樹木に囲まれていたかと思えば田園のなかへ、つぎつぎに移り変わる景色。
抱き上げられ徒歩での移動だなんて、一見ぞんざいな扱いである。
しかも彼はあのとき、とんでもないスピードをだして走っていた。
けれど。
あのときと、しっかりとしたクッションが用意された馬車の中で揺られている現状とを比べると、ルーカスに抱き上げられていたときの方が遥かに揺れが少なかったような気がするのだ。
あのときルーカスはたしかに言った。
“ぼくの生命に代えても御身を傷つけないと誓います”と。
彼はきっと誠心誠意、己の誓いを証明すべく尽力してくれたのだ。フォルトゥーナの身の安全のために。
たいせつに。とてもたいせつに扱われていた。
(あれは……爽快だったわ……猛スピードで地を走る四つ足の獣のような……いいえ、空を飛ぶ鳥のような心地がしたもの)
いま、馬車の中で揺られながら、フォルトゥーナはあの日を懐かしく思い出す。
馬車の中にいると、外気に触れることはない。
窓を開ければ別だろうが、それでも全身で風を感じることは不可能であろう。
そして地面のでこぼこを車輪が拾うから細かく揺れるのだ。
それは“あたりまえのこと”だったはずなのに。
いま、馬車の中でルーカスとふたりきり。
対面に座っているからその距離は遠い。
(あのときは……もっとすぐそばにルーカスさまの気配があった……)
「どうかしましたか?」
じっと自分を見つめるフォルトゥーナに気がついたルーカスが小首を傾げる。
「いいえ。……いったどんな実験なのかしらと思って」
そつのない返事をしながらフォルトゥーナは思った。
狭い馬車の中なのに、彼との距離があること。それがむしょうに寂しい、と。
◇
騎士団の訓練所でフォルトゥーナを椅子に座らせたルーカスが、彼女にちいさな小箱を渡した。
促されるまま開けてみると、そこには赤い天鵞絨張りのクッションの上に金色に光る宝飾品――イヤーカフ――が一組鎮座していた。
フォルトゥーナが見たところ、素材は金のようだ。うつくしい紋様が施され、ちゃんとした宝飾品に見える。
「これ、外耳に着けるイヤーカフよね? 魔導具を見せてもらえるのではないの?」
「それが魔導具です。防御結界を付与してあります」
「防御、結界? これに?」
「はい。本当はもっとちいさなピアスにしたかったんですけどね」
そう言いながらルーカスがひとつを手に取り、フォルトゥーナの外耳に着ける。
彼の温かい手が髪や耳に触れるので、どきりとしてしまう。
「魔法を文字列へ変化させて書き込むために、それなりの大きさと強度が必要で……現状ではこれが最小サイズなのです。素材は金と融合させたミスリル合金です。一見してそれとは分からないよう仕上げてみました」
ルーカスは説明をしながら、フォルトゥーナの左右の耳にあっという間に着けてしまった。彼の体温が遠ざかる。ホッとするような惜しいと思うような、複雑な想いが胸に溢れる。
(わたくし、なにを考えているの?)
「右のは対魔法防御結界。左のは対物理衝撃防御結界。つまり、これを着けていれば下手な鎧よりよっぽどマシな防御が可能ってことになります。背後、ようするに死角からの攻撃にすら自動で反応します」
ドギマギする思いはそれとして、彼の説明にもちゃんと耳を傾ける。
ルーカスの紅玉のような瞳がキラキラと輝いて、なんとも楽しそうにそして得意そうに説明してくれるから。
「重くはないですか?」
「……重くないわ。だいじょうぶ……でもこれ、ほんとうに魔導具なの? なんの波動も感じないのだけど」
「まだ起動させていないので。最後のキーが必要なのです。お手数ですが、フォルトゥーナさまの精霊を召喚してください」
「わたくしのサラを? ……べつに、いいけど」
ルーカスのやろうとしていることはサッパリわからないが、彼のキラキラした瞳を見ているとなぜかそのことばに従ってしまう。
(さすがは“イケメン”よね。末恐ろしいとは、このことだわ)
「サラ。わたくしの声に応えて、その姿をみせてちょうだい」
声に魔力を乗せ召喚すれば、赤い炎を纏ったちいさな精霊がすぐに姿を現した。
ルーカスがやさしい声で話しかける。
「やあサラ。いまから君のご主人さまに対して有益な防御結界付き魔法を起動させたいんだけど、君の力を貸してほしいんだ――レイヤ。仲介して」
フォルトゥーナの見ている前で、もうひとりちいさな火の精霊が顕現した。
精霊に男女の差などないが、フォルトゥーナのサラはなんとなく少女の形態で、新たに顕現した精霊は少年のように視えた。
ちいさな精霊たちは仲良さそうに手を繋ぐとにっこりと笑顔を浮かべフォルトゥーナを見た。
そして。
ばちっ!
「っ!」
一瞬であったが、フォルトゥーナの両耳に弾けるような音と熱を感じた。突然の衝撃に驚き肩を揺らしてしまう。
「! だいじょうぶですか? 熱かったですか?」
ルーカスが慌てたように顔を覗き込むが、衝撃は一瞬のことでびっくりしただけだとフォルトゥーナは伝える。
彼女のそばで心配そうに見つめるサラたちが愛らしかった。
「どうですか。魔法を感じますか?」
ルーカスの問いに、なにか変わったことはないかと自分の周囲に気を配ってみると。
(これは……風の気配?)
フォルトゥーナの周囲、ごくごく近いところに風の魔法の波動を感じた。それは彼女の全身を包み込んでいる。
「あとは……これを着ければ完璧です」
ルーカスはそういうと、彼女の背後に回ってその首に細い金の鎖を――ネックレスを――かけた。トップにはかなり大きな宝石――彼女の親指の爪くらいの大きさ――が光り輝いている。
「これは……紅玉?」
フォルトゥーナが自分のデコルテを見れば、そこには赤い宝石がキラキラと光りその存在を主張している。
「あぁ……金剛石なんです、それ」
ルーカスは頬をかきながら申し訳なさそうに言う。
「ぼくの魔力を込めたら、色がついてしまいました……ごめんなさい」
「魔力を込めた? なぜ?」
なぜ“ごめんなさい”なのかは分からなかったが、それ以前に宝石に魔力を込めるとどうなるのか疑問を持ったのできいてみた。
「はい。それが蓄魔力になって、イヤーカフに付与した結界の効果が続きます。ぼくの試算では一日中ずっと使用しても一年くらいは効果が持続するかと」
その想定どおりなのか実験してみたいのだとルーカスは続けて言った。




