16.初めての……(side:元王子)
「こちらがクエレブレ辺境伯閣下だ。おまえが会いたいって言ってたご令嬢は閣下の居城にいらっしゃる。直接お願いしてみろよ」
さきほど牢を出ていった若い牢番が、辺境伯の後ろから顔を出し言った。どうやら辺境伯を呼んできたらしい。
(こ、この男がクエレブレ辺境伯だって?!)
だがエウティミオは彼のことばの半分も聞いていなかった。
恐怖でパニックを起こしかけていたからだ。
(だめだ、あの男に逆らったら死ぬ!)
夜会のときに感じた恐怖が蘇った。
辺境伯の纏う黒い騎士服が死神の装束に見えた。
彼の放つ圧倒的な覇気。少し離れた位置に立っているにも関わらず目の前に立たれたかのような重苦しい圧。それらに怯えた。
(目を見たらダメだ!! 殺られる)
エウティミオは目を逸らし俯いた。俯いた視線の中、己の手が小刻みに震えている。
彼と自分の間には鉄格子がある。決して直接に危害を加えられることなどないのに、その鉄格子さえ壊し侵入してくるのではないかと思えて恐ろしくて堪らなかった。
心なしか空気が薄い。
冷や汗が背を伝う。
心臓の鼓動が早い。
口の中がカラカラに乾く。
狭い檻に獰猛な獣と閉じこめられた方が、まだましなのではないかと思った。
それほど、彼が恐ろしかった。
(怖いっ、怖いっ、怖いっ!)
怯え縮こまるエウティミオを前に、辺境伯が口を開いた。
「あぁ。確かに。この顔は……元、王子だな。げっそりやつれちゃぁいるが、間違いない。だーいぶ汚れちゃあいるが、この金髪と目の色はあのとき、おーぜい人を集めて、わっざわざ恥をかいた大マヌケの元王子だ。国王に赤っ恥かかせて王妃を恥辱塗れにさせた張本人だ」
ニヤニヤと人の悪い笑顔でエウティミオを見下ろす辺境伯。
ことさらゆっくりと繰り返されることばの端々に、エウティミオを揶揄い貶めようとする悪意を感じた。
「身に覚えのない謂れなき暴言だと思うなら反論してもいいぞ?」
思っていたよりも柔らかい声で辺境伯は言ったが、反論の余地などないと知っているからこそのことばだったのかもしれない。
実際、エウティミオが夜会でしたことは両親である国王と王妃に恥をかかせたのだから。
しばらく沈黙がその場を支配した。
エウティミオの反論を待っていたのかもしれない。
なにひとつ言い返さずただ冷や汗をかき震えるエウティミオに、辺境伯はさらに追いつめるようなことばを紡ぐ。
「それで? 元王子の男爵閣下。優秀な婚約者に難癖つけて無理やり婚約破棄してまで娶った嫁がスパイだったんだって? いや、一家ごとだったか」
エウティミオは己の耳を疑った。
恐怖も忘れ弾けるように顔を上げると、辺境伯の鋭い視線とかち合う。
(なぜそれを知ってる?! 公にはなっていないはずなのに!)
エウティミオが結婚したキルシェ・ブローサが家族ぐるみでスパイだったのは本当である。揃って逮捕したが、その事実は公表されていない。表向きには体調を崩し、家族で療養地に行ったことになっている。
辺境伯への恐怖も忘れ、まじまじと顔を見つめてしまったエウティミオ。
そんな彼に対し、辺境伯は肩を竦めると人の悪い笑みを見せた。
「正式発表されていないのに、なぜ知っているのかと言いたげだな」
辺境伯は喉の奥でクツクツと笑った。彼の纏う剣呑な覇気がより一層濃くなった気がしてエウティミオは震えあがる。
「学園を卒業したばかりのぼうや。私を甘く見るなよ? 二十年王都へ顔出ししていなかったが、情勢を把握するなんて朝飯前だ。うちの諜報部は特に優秀なんでね」
辺境伯の後ろに控えていた無精ひげの牢番がクスリと笑った。
「ま、そうでないと辺境伯だなんて名乗れないがな」
ひよっこには分からんかとひとりごちた辺境伯の迫力は変わらない。
エウティミオはバカにされていると感じた。酷い恥辱を受けた。
けれど、それ以上にクエレブレ辺境伯への恐怖が増した。
(こんな、こんな男でなければ辺境を治めることはできないのか……こんな男だからこそ、荒くれ者どもを制御できるのか……)
本人の武勇だけでなく、他を圧倒する覇気だけでなく、離れた場所からも情報を得るだけの人脈あるいはなにかしらの手段のある男……それがクエレブレ辺境伯なのだと思い知らされた。
身体全体が小刻みに震えていた。歯の根がカタカタと小さな音をたてる。寒さのせいではない。恐怖のため震えが止まらないのだ。
股間だけが温かく、失禁したのがわかった。
「ラミレス公爵令嬢への面会は許可できん。おまえらのせいで頭を強く打って以来、彼女はまともに人と話すことなどできん状態だ」
そこまで言ってなにかに気がついた辺境伯はことばを切った。
ついで鼻で軽く笑う。
「ふっ。ぼうやがおもらししたか。悪いことは言わない。帰れ」
辺境伯は踵を返すとエウティミオに背を向けた。彼は牢番たちに低い声でなにごとか指示を与え牢から出ていった。
エウティミオは若い牢番にさんざん揶揄われながら牢から出された。
外にはすでに、囚人移送用の窓のない小さな箱馬車が扉を開いた状態で彼を待っていた。
背中を押され、問答無用で乗り込まされる。中は椅子すらなく、板敷きの床に直接座るしかなかった。
馬車はエウティミオが乗り、扉が閉じられると同時に出発した。
窓のない馬車だったが、馭者の後頭部が見えるのぞき窓があるお陰で暗闇になる事態は避けられた。
エウティミオは打ちひしがれた。
あんなに苦労して辿り着いた辺境の地だったのに、あっという間に追い出されてしまったのだ。
自分のした苦労はなんだったのだろうかと呆然となった。
だが、あの恐ろしい男たちが視界から消えたことに安堵している自分にも気がついていた。視界から消えた今でも震えは治まっていない。
(恐ろしい……あんな恐ろしい輩どもの巣窟なんて……)
エウティミオは恐怖に震え続けた。
あんな恐ろしい場所に元婚約者はいるのだと気がついたので余計に。
けれど彼にはなすすべがない。
無力な彼にはなにもできない。
彼ひとりでは。
(ごめん、フォルトゥーナ……僕は無力だ……)
◇
元王子が移送される馬車を見送った辺境伯は、自分の背後にいた牢番を振り返った。
牢番――無精ひげのいかつい大男――は、辺境伯の視線に気がつき表情を緩める。
彼は牢番のふりをしていたが、辺境騎士団の団長エドムンド。辺境伯の従弟でもある。
移送車の馭者席に座っている若い方の牢番は辺境警備隊一番隊の隊長レオ。
どちらも悪人顔といっても差し支えのない容貌であるが、中身は気の良い男たちだ。
今回、その悪人顔を買われて牢番役を担当した。
レオなどはノリノリで演じていたなぁと一部始終を見ていたルーカスは思った。
「閣下はおやさしいですな」
エドムンドは、失禁してしまった元王子に同情したらしい辺境伯に肩を竦めてみせた。
「そうは言うがな、エドムンド。怖くて漏らした赤ん坊相手にどうもできんよ」
本質的に善人である辺境伯には仕方がないことだとエドムンドは納得する。
元王子を目覚めさせるためにかけたバケツの水も魔力回復ポーションを混ぜていた。かけられた本人は気がついていなかったようだが、辺境伯のささやかな心遣いである。
「これに懲りて、二度とここに来ようなんて思わなければこちらもラクですがね」
「確かに。――ルーカスはちゃんと見れたか?」
「うん見た。なんとなくだけど、元王子がどんな為人なのか分かった気がする」
実はルーカスもあの場に居合わせていた。
牢屋の隅で自身に『陽炎』(『風の結界』を個人サイズにした認識阻害魔法)をかけ姿を隠していたので、第三者には気づかれていなかったが。
「俺は若さまが居たのにぜんぜん気がつきませんでしたよ」
エドムンドは乾いた笑いを浮かべる。
彼は元王子を移送車に押し込めたあとで姿を現したルーカスにびっくりした口である。
馭者台に座ったレオも二度見して驚いていた。
あの驚いた顔はちょっと面白かったなと、ルーカスはこっそり考えた。
「ルーカスからみた元王子は、どんな人間だった?」
辺境伯に尋ねられたルーカスは小首を傾げて暫く考えたあと口を開いた。
「んー、そうだね……魔力はそれなりにあったけど、契約精霊はいなかったな。あのひょろひょろの身体だと、ちゃんと剣も持てないだろうし、“王子”ならいいかもだけど、ちゃんと自分の身を守れるのか不安になったね。あとは……独善的で権威主義。恫喝に弱い。総じて印象は“世間知らずのおぼっちゃま”って感じかな」
エドムンドは確かにと頷いた。
人に守られる王宮で王子として生きるのならいいが、その他の場所で生きていけるのか甚だ疑問を持たざるを得ない男だったなと。
少なくとも、クエレブレでは自分の力で立とうと思わなければ生き抜けない。
「迎えの馬車は隣の領に着いているのだろう?」
辺境伯の問いに、ルーカスはこっくりと頷いた。
風の精霊を少しだけ遠くへ飛ばして確認済だ。
クエレブレと隣接している一番近い町にラミレス公爵が擁するラミレス騎士団の迎えが来ている。元王子はそこで彼らに引き渡され、ラミレス領で根性を叩き直すための修行とやらをする予定らしい。これは宰相の提案で、すでに国王も了承済である。
クエレブレで元王子の扱いをどうするか決めた時点で王宮へ連絡し早々に決まったことであった。
「うちとしては厄介者をさっさと追い出せて一安心だな」
辺境伯のことばにルーカスとエドムンド団長は揃って頷いた。
『厄介者』の返却時は窓のない囚人用の箱馬車で移送するので、クエレブレの豊かな景色を見られずに済む。
牢番役のふたりと辺境伯が意識的に殺意を込めてかけ続けた威圧は、彼の心に恐怖心を植え付けたはずだ。再来しようなどと思わないだろう。
……よほどの莫迦でなければ、たぶん。




