第5話 魔王さまのお出ましです。
シュルリと衣擦れの音が、静かな部屋に響く。バサッと空を切るような音は、上着を羽織った音。
将軍の着替えを手伝うエイナルさん。「苦しくないか」とか「大丈夫ですか」なんて野暮な質問はしない。着替える方も手伝う方も慣れているからこそできる、阿吽の呼吸の着替え。
すべてを着つけ終え、仕上げに首元のタイを微調整。選ばれた生贄……もとい、タイの色は真紅。どうやら、将軍の妻になるかもしれない王女の瞳の色をイメージしてるらしい。
「鏡」
簡潔にエイナルさんに叱責され、自分が鏡係だったことを思い出し、盾ぐらいの大きさの鏡に将軍の姿を映してみせる。
将軍も、その鏡に映った自分の姿を確認して、軽く髪と服を整える。と言っても、ほんと、ちょちょいっと触る程度。完璧に出来上がってるから……というより、自分の姿に興味がないけど、鏡を見たからには礼儀として触っておいたってかんじ。
たいして鏡を眺めないでくれたのは、鏡係として正直助かる。
いや、だってね。
あの目でジッと鏡を見られた日には……。鏡を持ってる側としては、まるで魔光線をはね返してる盾を持ってるような気分になるわけでして。昔話で聞いたような英雄みたいに、眼力光線をはね返して、相手が石化すればいいのに。
ビカーッ!!
なっ!! 俺が石化する……だとっ!?
ビシ、ピシピシッ……!!っていう、固まっていく音も付け加えておいてあげよう。
「ヴィラード、準備はできたかい?」
コンコンッと軽い叩扉の音と同時に開かれた扉。ちょっぴり顔をのぞかせたのは、アルディンさまだった。
「――今、行く」
手首のあたりを軽くりながら将軍が、そちらをふり返る。
「似合ってるよ、ヴィラード。やはり、ガタイがいいから、何を着てもサマになるね」
「うるさい。……どうして、こんなものを着なきゃならんのだ」
「仕方ないよ。今日の夜会は僕たちが〈主賓〉だからね」
「〈見世物〉の間違いだろう? 未来の王配候補として貴族連中に品定めされるだけだ」
「まあ、そういう一面もあるけど……」
褒められても不満そうな将軍に、アルディンさまがなだめながら苦笑する。
今日の夜会。
女王陛下主催で行われる王宮の夜会。
その夜会に参加される将軍とアルディンさま。
将軍の言った通り、この夜会に王配候補の品定めの意味がないわけじゃない。アルディンさまのように貴族として王都に暮らしていたのなら、貴族の方々も「ああ、あの方が候補なのね」ですますだろうけど、将軍のように辺境にいた者に対しては「将軍ヴィラード? 名前は知ってるけど、どれどれ」と鵜の目鷹の目になって観察したくなる。名前しか知らない相手、それも身分が低く勇猛ってだけで王配候補に選ばれた者に対して、その興味に僻みややっかみ、悪意が混じってないとも限らない。
王配、夫を選ぶのは王女ご自身だけど、誰が選ばれるのか、選ばれるに相応しいのか。貴族という政治に関わる人たちなら、自ずと興味を示すだろう。選ばれた王配によって、自分の立場とか仕事が変わってくるとなれば、無関心でいられるはずがない。
まあ、将軍がそんな悪意があるからと、参加をしぶってるようには見えないけど。どっちかというと、「面倒くさい、窮屈」だから嫌がってるだけ。
(悪意や害意だけで倒せるような相手じゃなのよね、将軍って)
そんな感情だけで倒せるのなら、敵国は苦労しないだろう。
(それにしても……。全然違うお二人よね~)
白と黒。
色こそ違えど、アルディンさまと将軍が着ている正装は同じ意匠。王女さまを意識して選ばれたタイの色は、お二人とも赤。
だけど、印象は全く違う。
アルディンさまは、もう、なんというのか「王子っ!!」ってかんじなんだけど、将軍は……。その顔つきから、街の路地裏でヤバいことやってそうな人に見える。
同じ赤いタイでも、アルディンさまは「情熱の赤」。将軍のは「血みどろの赤」。
(そういや、路地裏の怖い人たちも、キチッとした格好をしてお仕事するんだっけ)
チンピラ、ゴロツキ程度ならちょっとだらしない服装だったりするけど、上の方、元締めとかにもなれば、正装とまではいかないまでもカッチリした服を着てることが多い。上流階級ともつながりがあるからとかなんとか。
将軍の正装は、まさしくその元締めかなにかのよう。このまま子分(エイナルさん?)を連れて、ちょっくらカチコミに行ってきます? みたいな。もしくは、ヤバい取り立て。
黒を着るのは、ちょっとぐらい返り血を浴びても目立たないから。帰ってくる頃に、タイがどす黒く変色してなければいいけど。
「じゃあ、行ってくるね」
「はい、いってらっしゃいまし」
笑顔で挨拶してくれるのはアルディンさまだけ。将軍は通常運転、ムスッとしたまま魔王の威圧感を出してる。
そんなアルディンさまと将軍、つき従うエイナルさんを見送って一息つく。今回、エイナルさんは、将軍の従者として夜会会場でおそばに控える役目を担っている。
(やっぱり、慣れないなあ、あの眼光)
拾われて早三ヶ月。
記憶をすべてを失って、道端にコロンと転がってたわたしを拾ってくれた将軍。“ミリア”という名前をつけ、生きてくために侍女という仕事もくれた。
ここだけ聞くと、とても心優しい将軍ってことになるんだけど……。
(怖いんだよね、正直)
すべてを見抜いてしまうような、魔王の眼光。
心の奥というか、内臓まで見透かしてるんじゃないかってぐらい鋭い目力。あの眼光に射すくめられると、優しさとかそういうのが一気に吹き飛んで、「怖い」だけが残ってしまう。
悪い人じゃない、怖い人じゃないって思うのに、どうしても緊張してしまう。だから、こうしてそばにいないと、肩の力が抜けるっていうのか、ホッとするっていうのか。
(ダメだな~、わたし)
こんなの、将軍が傷つくだけだよ。
たとえるなら、道端で拾った子猫を大事にしてやってるのに、懐かずに警戒されてるようなもんだもんね。懐で温めてやろうとしてるのに、いつまでもガッチガチに固まって怯えてたら、いかにあの将軍であっても傷つくと思う。
だからって、「拾ってくれてありがとうございますニャ~ン♡ これからも温めてくださいなんだニャン♡」なんてできないし。
(わたしにできることとすれば……)
しばらく思案し、それから行動に移す。
これぐらいなら、わたしにでもできるもんねっ!!
* * * *
「――これは?」
「えと……。柑橘水……です」
夜半すぎ、部屋に帰ってきた将軍に、〈わたしにできたこと〉をおずおずと差し出す。
夜会の場でたっぷりお酒を飲んできたであろう将軍。「お疲れ様です!! 酔い醒ましに柑橘水ですよっ!! さっぱりして気持ちいいですよっ!!」とかなんとか、元気よく渡せればよかったんだけど。語尾が尻つぼみになってしまう。
(だって、怖いんだもんっ!!)
お酒が入ってるせいか、いつもより目が座ってるかんじになって、迫力倍増。疲れてるのか声もさらに低くなってる。ズモモモ……というか、ゴゴゴゴ……というか。背後からにじみ出てる険悪オーラ。眉間のシワも一本増えてる。
これでは、考えてた口上もへったくれもない。伝えたいことは全部喉にひっかかって詰まってしまう。当然ながら、目なんて合わすこと、絶対にできない。“捧げ持つ”を理由に、床を見たまんま、お盆を持つ手が震える。
「――助かる」
短い言葉とともに、お盆の上の重みが消える。恐るおそる顔をあげると、将軍がコップに入った柑橘水を口にしていた。
(……飲んでくれるんだ)
ただ、酔を醒ましたかっただけなのかもしれない。二日酔いになりたくなかったからかもしれない。
それでも、こうして用意しておいたものを飲んでもらえると心が弾む。
(あ、シワが一本減った……)
メッチャ怖い魔王から少し怖い魔王になった。
暗い窓を背に柑橘水を召し上がる魔王将軍。その姿は、怖いけどどこかシュッとしてカッコいい。
「……なんだ?」
「あ、いえっ!! なんでもありませんっ!!」
見とれてたなんて、口が裂けても言えませんっ!!
「美味かった。が。こんなことに気を回してる暇があるなら、トットと寝ていろっ!! 明日も早いんだろうがっ!!」
「はひっ!! すす、スミマセンッ!!」
突っ返された空のコップをお盆に載せ、脱兎のごとく部屋を後にする。
将軍、優しいけどやっぱり怖いっ!!