第2話 魔王さまの拾い物。
「お前に〈ミリア〉という名前をやる。ナナシでは呼びにくいからな」
三ヶ月前。
記憶も名前もすべて失くして、道にポテン、コロンと転がっていたわたし。
かろうじて服は身に着けていたけど、身分や記憶につながるものは何一つなく、住む家もなければ、食べるものもない状況だった。
「行くところがないなら、このまま俺のところで働け」
拾った以上は、面倒を見てやる。
そんなかんじで、わたしを連れ帰ってくれたのが将軍ヴィラード。
「落ちてるのを知ってて助けずに、それでお前に何かあったら夢見が悪すぎる」とか、「拾ったからには最後まで責任を持たなければ」とか。人を犬猫のような扱い発言してきたけど、それもまあ、照れ隠しというか将軍の優しさなのかなって受け取ることができる。
けど。
あの容貌は恐ろしい。
つり上がった目。鋭すぎる眼光。
あれで、もう少しブサイクなら怖さも半減するんだろうけど、なまじ整っているから威力倍増。メチャクチャ怖い。
その上、武芸で鍛え上げた長身は、女でもチビの部類に入るわたしからは、もう砦というか、そびえ立つ巌というか。ズゴゴゴゴンッと目の前に立ちはだかる壁のよう。そこから、あの目で見下ろされるのは、正直、逃げ出したいほど怖い。
「魔王」と異名をとる風貌は、戦場では有利に働くかもしれないけど、日常では不利にしか働かない。
すなわち――。
・ 将軍の勇猛さに憧れてた子どもが、いざ将軍を目の前にしたら、怖すぎて泣き出してしまった。
・ 「泣く子も黙る~」とか言うけど、あれはウソ。泣く子はさらに大泣きして、恐ろしさのあまり、お漏らしをする。もしくは、その恐怖に動けなくなって石化する。
・ そんな恐ろしい将軍だから、仕える人も怯えてしまい、将軍の元には必要最低限の人員しか配されていない。
・ その必要最低限の人員は、あらゆる仕事をこなすことになり、過重労働となりやすい。
で。
現在、将軍に仕えているのは、逃げ出したところで行くあてのないわたしと、将軍に恩義があるからと、奇特にも仕え続けているエイナルさんの二人だけ。もちろん将軍なのだから、軍属の部下はいるけど、彼らは、将軍の身の回りの世話は行わない。お世話は、わたしとエイナルさん、二人だけの仕事だった。
先月、突然の王宮からの呼び出しにあい、降って湧いたように「王女の婿候補」に選ばれた将軍。将軍の王宮入りにともない、従僕のエイナルさんと唯一の侍女だったわたしが、そのお供をすることになった。
「身の回りのことなど一人でできるが、誰も仕える者がいないのは王宮では具合が悪いことなんだそうだ」
将軍自身、納得してないみたいだけど、それが王宮のしきたりだと言われてしまえば従うしかない。
「ま、何人連れてこいとは言われてないからな。二人もいれば充分だろう」
ということで、増員もせず、エイナルさんとわたしだけが王宮へと連れてこられた。
合理的なのかなんなのか。
「まあ、俺が選ばれることはないだろうからな。この窮屈な王宮暮らしは、せいぜい二、三ヶ月で終わるだろう」
将軍自身、自分が次期女王となる王女さまの王配に選ばれるとは思っていないらしい。選ばれるのは、もう一人の候補、高位貴族出身のアルディンさまだと考えてる。
(まあ、鏡に映った自分を見たら、そう思うよね)
よっぽどのナルシスト、自分に激甘の人物でもなければ、鏡の自分を見て、これで選ばれる……なんて思わないだろう。王女さまを怯えさせて、結婚生活を牛耳っていくつもりなら別だけど。
(優しい方ではあるんだけどねえ……)
わたしを助けてくれたぐらいだし。勇猛な人ではあるけど、悪い人じゃない。
ただ、その優しさを吹き飛ばしてしまうほどの強面なだけで。
その将軍のために、お茶を淹れる。
お茶は砂糖もミルクも入れない。お茶は、沸かしたてのお湯で淹れる。なるべく濃い目。将軍は、熱いお茶が好き。甘いのは好きじゃない。お茶の香りを楽しむことなく、グビッと飲んじゃう、喉を潤すためだけにお茶を飲みました、日中から酒を飲むわけにはいかないから、代わりにお茶を飲みましたタイプ。別に水でもいいのだけど、それでは王宮で顰蹙をかっちゃうから、仕方なくお茶飲んでますって人。
これぐらいは専任の侍女だし(というか、わたししか侍女はいない)、ちゃんと頭に入ってる。別に、好きで専任の侍女になったわけじゃないけど、なったからには、最低限の仕事だけでもこなせるようになっておきたい。
(拾ってもらった恩義もあるしね)
怖いからって、なにもしないでいるわけにはいかない。助けてもらったからには、ちゃんとお礼をしたい。
お湯を沸かし、カップを用意する。
(あれ? 茶菓子は用意するんだっけ)
テキパキと動きかけてた手が止まる。
普通、茶を飲むって言ったら、セットで茶菓子が必要になるけど。
「――お茶って言われたのなら、お茶だけでいい。余計なことはするな」
「え、あっ、はいっ!! ……って、エイナルさん」
わたしがウゴウゴマヨマヨしてたことに気づいたんだろうか。後ろにあきれ顔のエイナルさんが、書類を片手に立っていた。
「あの方は、喉が渇いたから茶を飲む。それ以外の理由で茶を所望されないから、余計な気を回すな」
「……はい」
わたしと同い年ぐらいのエイナルさんは、将軍に仕える大先輩。将軍に長く仕えているせいで影響されてるのか、それともこれが本性なのか。口調の厳しさは、将軍と同じ。顔が怖くないだけマシだけど、それでも、取りつく島のない話し方は将軍の小型版のよう。
「あ、そうだ、エイナルさん。将軍が、エイナルさんに来てほしいっておっしゃってました」
伝言、頼まれてたことを思い出す。書庫帰りっぽいエイナルさん。偶然だろうけど、伝言を知らせるために探しに行く手間が省けた。
「わかった」
エイナルさんが、きびすを反す。将軍のもとに行かれるのだろう。
ヨシ。
仕事、一つ、クリア。
思わず、手をグッと握りしめる。
「あっ、エイナルさん。エイナルさんのお茶には、砂糖とミルクを入れてもいいですか?」
将軍はなにもいらないっておっしゃったけど、人には好きずきがあるからね。ちゃんと確認しておかないと。
「……。オレの分はいらない」
へ?
「オレは、仕事で将軍に呼ばれただけで、茶を楽しむために呼ばれたわけじゃないからな。茶を飲む暇もなく、次の仕事を命じられるだけだから、必要ない」
あ、そうか。そうなんだ。
「それに、茶ぐらい必要なら自分で淹れる。余計な気を回してないで、将軍の分をサッサと用意しろ。お湯、沸いてるぞ」
「え、わ。わわわっ!!」
カタカタと蓋を鳴らすポット。あわてて火を消して、ホッと息を漏らす。
「早く持って行かないと、また怒られるぞ」
そう言い残して、サッサと立ち去ってしまったエイナルさん。やはりその口調は、将軍とソックリでつっけんどん。
魔王とその手下――。
将軍とエイナルさんをそう評してる人がいるらしいけど。――まさしく、そうだと同意してしまう。
(お二人とも、怖いもん)
エイナルさんは幾分マシだけど、将軍は、その態度も顔も声もすべてが怖い。
怒られ睨まれると、ヒィッと身体がすくみ上がってしまう。悪い人じゃないってわかっていても、怖いものは怖い。
長年魔王に仕えていると、あんな風になっちゃうんだろうか。それとも、もとからあんな風だから、長年仕えれちゃったりするんだろうか。経年変化だとしたら、わたしも気をつけなくちゃいけないかも。
(って、早く持って行かなきゃ!!)
「遅いっ!!」って怒られたくない。
すくみ上がるだけならまだしも、下手をすればその恐ろしさに石化しそうだもん。
トレーに、ポットと温めておいたカップを載せ、将軍の部屋に向かう。砂糖、お菓子、ミルクは載せない。
冷めないうちに、手早く。怒られないうちに、手早く。
お茶一つで、あの怒りの石化光線を浴びてたら、こっちの身がもたないからね。