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死神  作者: 裃白沙
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暗礁

 結局、その場に紗綾がいたのが幸いした。彼女の迅速な通報で大造は一命を取りとめた。しかし意識は戻らず、救急車の後からやってきた警察の捜査も残念ながらはかばかしくは進まなかった。なお紗綾にとって運が悪かったのは、この事件の担当である土屋警部が紗綾のことを知らなかったことだ。すぐに紗綾は爪弾きにされてしまい、この時どのような捜査が行われたのかわからなかった。

 しかし、目の前でこのような奇怪な事件が起きていて、すごすごと引き下がるような紗綾ではない。紗綾はすぐさま警視庁の藤原警部に連絡を取ると、S県警の知り合い、行橋(ゆくはし)警視を紹介してもらった。それだから二日後には彼女も土屋警部の捜査方針を知ることができた。ここではその情報も交えてまとめておこう。

 まずあの骨は誰のものであるかが問題になった。本来骨の出るはずのない蝋人形から骨が出てきたのだから、まず考えられるのは柩の取り違えである。しかしその日火葬を行った他の遺族から、お骨が出なかったという報告はなかった。誰もが夫なり父なり、母なりのお骨を拾ったという。

 するとあの骨は一体何なのだろうか……?

 もちろん真っ先に疑われたのは蝋人形の製造元であったが、これは完全に不発であった。つまり、蝋人形に骨が塗り込められているという、探偵小説じみたことは否定されたのだ。そもそも、仮にそういうことが行われたとしても、人骨の出所がわからないのに変わりはないではないか。

 人骨の正体が彼らに立ちはだかる最初の問題であった。土葬の人骨であればDNA鑑定もできるのだが、火葬となっては肝心のDNAも失われてしまう。ましてや火葬に立ち会った人ならわかると思うが、収骨時のお骨は念入りに焼くから脆く、崩れやすい。白骨化死体のように肉付けすることもままならなかった。つまり、調査はここで行き詰まるかに思えた。

 しかし意外にも早くその端緒はつかめた。Sホールの管理人である新井があの日から行方不明になっていたのだ。どのスタッフに尋ねてみても、誰も火葬場についてからの新井を見ていない。最後に彼を見たのは、霊柩車を運転していた佐野であった。新井は佐野とともに一足先に火葬場に着くと、柩の台車を引き渡してくると言って車外に出た。それが彼女の見た、ひいては、証言として登場した最後の彼の姿であった。

 以上からあの骨は新井のものと目されている。

 ではあの骨が新井のものとして、問題の柩はいかにして作業員に引き渡されたのだろうか。火葬場の従業員に聞いたところ、誰もその柩を炉まで運んだ人間は居ないのだという。


 ここに一人の怪人物が現れたことになる。


 それではあの時紗綾たちの前に現れた作業員は何者だったのだろうか……? それはあまり長い時間のことではなかったし、誰もがこの脇役に注意を払っていなかった。

 つまり、犯人の行動をまとめるとこうなる。新井は柩を降ろして炉の横、柩の待機所に向かった。その途中で犯人に襲撃され、蝋人形の代わりに柩に押し込められた。犯人はそのまま作業員の変装をし、大造たちの見下ろす炉の前に現れ、新井を葬った。

 そうなると問題はあの炉を見下ろす舞台にいなかった人物は誰か、ということなのだが、これについてはずっとその場にいたことが立証できた者とそうでない者がはっきりと分かれた。

 まず紗綾が見ていた希々佳と大造は確実にあの場にいたと言える。副社長の川崎は従業員である大河原の隣に立っていた。これは大河原によって立証された。一方の佐野は柩を降ろしてもらったあとすぐに霊柩車をホールに戻しに帰った。途中で渋滞に巻き込まれ、戻ってきた時には既に一同が待合室で時間を潰している最中であった。そしてもう一人、司会役を務めた鞍馬は火葬場に着くやいなや腹痛を感じ、何度もトイレと待合室を往復していたという。ようやく腹痛が治まると、ちょうど大河原が中庭から戻ったところで、仕出し弁当の文句を言いながら喫煙所に向かったという。つまり、バスを降りてから大河原に会うまで彼のアリバイは不完全であった。

 一方で今回のイベントの計画を最もよく知っていたのは誰か、それを調整できたのは誰かというのも検討された。というのも、火葬場に作業員として忍び込むには、それなりに火葬場の人員事情に詳しい人間でなければならない。さらに、それを知った上で霊柩車が到着するタイミングを調整しなければならない。だからこのイベントのタイムスケジュールをいじれる人間こそ疑惑の中心になるべきなのだが、副社長の川崎は今回のイベントのスケジューリングには一切関与していないという。残るはホールのトップである新井と社長の大造なのだが、かたや行方不明、かたや人事不省と、いずれも話を聞けずにいる。

 つまり大造の意識が回復しないかぎりこれ以上の進展は見込めなくなっていたのだ。



――――


 事件から一週間が経ち、紗綾は今日も相変わらず窓際、棚の上に寝転がっていた。夏休みが始まっていた。美術室のクーラーは学校の集中管理から外れていたから、いつでも最低温度である。それだけに、たとえ作品を描かずとも居心地がいい。

 紗綾は捜査資料を頭の中で反芻しながら窓の外を眺めている。いつもはうるさい琴芝舞も、紗綾が考え事をしている時ばかりは静かにしてくれる。でも時々、紗綾の方がそんな空気に寂しさを感じてしまうのだ。ペンを落とす音さえはばかられる静かな図書館よりも、聞いたことのない音楽や雑談が溶け込んだカフェの方がいいのと同じだ。寂しさが思考を妨げる。後から考えてみれば重要でないような悩みが、いま割かれるべき頭脳のリソースを侵食している。そんなことすら考えるようになってしまう。悪循環なのだ。

「さーやん、あんまり日向にいると熱中症になるよ?」

 ああ、舞はわかっているんだな。紗綾はそう思いながら、脇腹をつついてくる舞の指を握った。

 確かに、いくら考えてもわからないことは、考え続けても仕方がないのかもしれない。紗綾はふぅっとため息をつくと、ロクロ棚から降りて深呼吸をした。それを待っていたかのように、校内放送がかかると紗綾が呼び出された。事務室からであった。


 一時間後、紗綾はSの市立病院に到着した。事務室での呼び出しは、希々佳からのものだった。学校が休みである今、希々佳は毎日大造の病室で過ごしていると聞いていたが、実際事件後顔を合わせるのは初めてであった。何故希々佳が紗綾を呼び出したか、事務室の説明は要領をえなかった。ただ、緊急事態が起きたかS市立病院の一一二五号室まで来てくれと、それだけであった。しかしそれだけでも十分何があったのか紗綾には察しがついた。

 一一二五室に入ると、行橋警視、土屋警部と二人の刑事が立ち尽くし、大造の横では希々佳が泣き伏せていた。

「五分ほど前に、亡くなられました」

 行橋警視はそう告げると、トンと紗綾の肩に手をおき、病室の外に出るよう促した。

「何があったんですか」

「昨晩侵入者があったようだ。何をしたかは知らないが、久根別大造の容態は急変。こうしてあの男が知ってたことも全て葬られたわけだ」


 こうして捜査はいよいよ暗礁に乗り上げてしまった。


 考えてみれば、これは完全に紗綾の落ち度であった。いくら希々佳が仕方ないと言葉をかけ、祖父の仇を討ってくれと彼女の手を強く握りしめても自分の行動を悔やんだ。彼女はあの火葬の一件にとらわれていたのだ。犯人の当初の目的は大造の襲撃ではなかったか。犯人はあの人骨の登場に観客の目を向けさせ、大造から注意がそれている間にその命を狙ったのだ。紗綾はその大胆さ、狡猾さに息をのんだ。しかし同時にそれは、結果として彼女の闘志に火をつけることとなった。

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