悪友の面影
そんなことはつゆ知らず、紗綾は火葬場へと向かっていた。徒歩で一時間だから、バス代をケチって歩こうと思ったのだが、夏の陽気である。しかもジャケットなんて羽織っているから、着いた時には滝のように汗が流れる始末だった。
火葬場の中は冷房がきいていた。今日も火葬を待つ人はいるようで、ロビーに座る紗綾を奇異な目で見ながら喪服の人々が通り過ぎて行く。しばらく待たされて出てきたのは、あの日出勤していた一人の作業員だった。彼は紗綾の紅いジャケットを見るとすぐにあの日の人と思い出したようで、怪訝そうな顔をした。それでも紗綾は相変わらずニコッと笑ってかえすと、
「お忙しいところありがとうございます」
「はぁ、あの日のことでしたらもう警察の方に……」
「いえ、実は今日私が訊きたいのはあの日のことじゃないんですよ」
相変わらず愛嬌がある。さっきまで汗をたらし疲れ切っていた人と同一人物とは思えない、涼しげな顔をしている。
「過去にも同じようなことがあったんじゃないかと思いましてね」
「そんな、あんな恐ろしいことは一度だけです」
「いや、これは私の言い方が悪かった。私が言いたかったのはこうです。本社からの研修か何かでちょくちょくここに作業に来ていた人がいなかったかということです」
「は、はぁ。研修ですか。えぇ、確かに以前から本社の研修の方が時々見えていました。でも、あの日がそうだったかまでは……」
「それじゃあ、あの出来事の後、研修はありましたか?」
「いえ、それは一向に。でも、時期も時期ですから、てっきり研修は終わったものかと」
なるほどよく考えたものだ、と紗綾は感心した。
「ときに、その研修で来ていた方って、この方ではありませんか?」
そう言って紗綾がバッグから取り出したのは、一葉の写真であった。
紗綾が犯人から襲撃を受けたのはその夜のことであった。
大きくフロントのへこんだ車の横で、行橋警視はタバコに火をつけると、足元に座り込む紗綾を見おろして、ふっと息をついた。少し膝を擦りむいているのか。行橋はポケットの中に一枚絆創膏を見つけると、それを紗綾に差し出した。
「すいませんね」
「すまないも何もあるか。まずは感謝だろう」
「ありがとうございます」
「これだからよ、探偵はやめとけって言ったんだよ」
「……?」
「お前の母親にな」
「行橋さんは、母を知っているんですか?」
「ホームズにとってのレストレード。いや、金田一耕助にとっての等々力大志というところかね」
「それで私にも協力してくれるんですか?」
「んなわけないだろ」
「そうですか」
フッと行橋は笑うと急に真面目な顔になった。
「ときに、川崎はしっかり車にはねられちまったそうだ。そのアシで君も轢き殺すつもりだったんだろうな」
紗綾はぶるりと肩を震わせた。
「向こうさんも君の行動には注意しているわけだ。今後護衛はつけるけどな、そろそろどういうことか、私に喋った方がいいんじゃないか?」
しかし紗綾はそれに答えなかった。代わりに、
ぐぐぅ。
とお腹を鳴らせると、あらためてうずくまった。
「もうしばらく待ってろよな。代わりの車が来るからよ。そしたらうまいもん食わせてやるよ」
「ありがとうございます」
「その代わり、今度はちゃんと答えてもらうぞ」
「ああ、うぅん。その前に一つ確認していいですか?」
「なんだ」
「川崎さんは、亡くなられたんですね」
「ああ、はねたうえに、ご丁寧に轢き殺していったそうだ。見る影もないね」
「そうですか」
紗綾はそれきりしばらく口を開かなかった。時折車に寄りかかると目を閉じて首を横に振っている。そのすぅっとした顔が、昔の相棒の面影がちらついている。行橋警視は空を見上げた。夜でも雲が広がり、星も月も見えない。ただオレンジ色の街灯だけが辺りを照らしている。
「行橋さん」
行橋は一度咳をはらうと、紗綾に顔をあえて背けた。
「なんだい」
「犯人は、結局何がしたかったんでしょうね?」
彼には、彼女がポツリポツリと語るその様子が懐かしかった。それが意見をきいているわけではないことは、随分昔に教えられた。
「犯人は、もともと久根別大造を狙っていた。でも、確実に殺そうという意志は、はたしてそこにあったんでしょうか?」
「確実に殺すなら、もっと他に方法があったと」
紗綾はコクリとうなずいたのだが、行橋警視にはそれを見ずとも反応がわかった。
「おかしくなってきたのは、生前葬の後なんです。犯人は、立て続けに殺人を実行した。堰を切ったように。いったい、犯人に何があったんでしょう? ねぇ、行橋さん。私、お願いがあるんです」
「なんだい?」
「私もこればかりは確証が持てないんですけど、火葬場の裏にある川、捜索してもらいたいんです」
「なにがあるか……。いや、君は何があると思ってるのか、次第だな」
紗綾はその答えを渋るようにまた首を回した。でも、ようやく決心がついたのか、すっと立ち上がると、ツッと背伸びをして行橋の耳元に囁いた。
「新井さんの遺体です」