第7話 アンナ・スピアーズ侯爵令嬢
ベルナル公爵家訪問の翌日の午後、私たちはスピアーズ侯爵家にいた。
ちなみにアンティーク品の鑑定はとっくに済んでいて、もちろん探しものではなかった。
スピアーズ侯爵様も急用ができたとかで応接室からは立ち去っており、部屋には私とルーカス様そしてアンナ様の3人が残されていた。
「ルーカス様、わたくしは淑女教育は完璧に済ませておりますの。外国語も5ヵ国語まで話すことができますわ」
「ルーカス様、わたくしは刺繍も得意ですの。よければハンカチに刺繍させていただきますわ。ダンスも自信がありますのよ。ぜひ夜会で一曲踊っていただきたいものですわ」
「ルーカス様、わたくしはリンガール王国に興味がございます。もちろん、アンティーク品にも。ぜひリンガール王国を訪問してみたいものですわ」
アンナ様はグイグイと自分を売り込んでいる。
夜会でのキラキラゴテゴテの服はルーカス様の反応が良くなかったのを悟ったのか、今日は清楚な薄紫色のワンピース姿にハーフアップの大人しめの姿だ。
この国では女性からアプローチするのは決して悪いことではないけれど、アンナ様の目はギラギラ感は隠しきれない。
ルーカス様は微笑みを浮かべながら話を聞いているが、あの顔は帰りたくなっていると思う。誘いへの返事も決定的なことは言わずのらりくらりと躱しているのは王族ならではの技ではないだろうか。
しかし、チラチラこちらを見ているところを見ると私にそろそろなんとかしろってことかしら?ノア様はなぜか不在なので私が助け舟を出そうかと思う。
「ルーカス様、次のご予定がございますのでそろそろ」
「そうだな。そろそろ………」
ルーカス様も席を立とうとした。
「おかしな格好をした案内役もどきが何を言いますか!わたくしたちの話に口を挟むものではありませんよ。それよりもルーカス様!あのような姿のものをお側に置くのは品位に関わりますわ」
アンナ様は私を上から下まで見てからジロリと見たあとバサッと扇子を開いて口元を隠した。
ルーカス様の顔色が変わった。
「おかしな格好とはどのあたりかな?」
ルーカス様は笑っているけど、目が笑っていません!
「ル、ルーカス様?」
アンナ嬢もルーカス様の様子に気がついたのか驚いている。
「アンナ嬢、答えてくれないか?」
少しの沈黙の後アンナ様は話し始めた。
「……ええと、黒いワンピースに華美なエプロン、やぼったい三編みに顔に乗せている丸いガラス。どこから見ても淑女の格好ではごさいません。もちろん侍女としても相応しくありません」
アンナ様はルーカス様に怯みつつも言い切った。
言いたいことはハッキリと言う強い人だと思った。
「アンナ様!私がおかしな格好をしてのは存じております。それはルーカス様もご承知の上なのです。そしてアンナ様が華美なエプロンとおっしゃるものはルーカス様がデザインされたものなのです」
ルーカス様のデザインなのでまずは〈あやまれ〉という念も込めておいた。
「まあ、まあそうなのですね。エプロンは素晴らしいデザインですわ。着ている者のせいで価値を下げてしまうようで嘆かわしいですが」
ホホホとアンナ様は笑った。
アンナ様に助け舟を出したつもりだったのに、嘲笑われた。
私の顔は引きつっていたんじゃないかと思う。
「さて、アンナ嬢はそれで満足したかな?私は自分の気に入っているものを貶められて喜ぶような男ではないのだよ」
ルーカス様から笑顔が消えた。
美しい顔から笑顔が消えるとこんなにも冷たい表情になるのだと知った。
自分の気に入ったものって………まさか?
私の顔がカッと赤くなったのがわかった。
「ルーカス様!そんなわたくしは、そんなつもりでは!そのエプロンにそんな思い入れがあるなどと知らず、申し訳ございませんでした」
アンナ様は真っ青になっている。
ルーカス様の気に入ったものってエプロンかぁ〜。
〈まさか?〉なんて思ってしまって恥ずかしい。誤解を招く言い方は心臓に悪いから止めてほし〜い!
ルーカス様の方をチラリと見ると、なぜか首をかしげている。
アンナ様はそんなルーカス様の姿を見て謝り方が足りないと思ったのか突然シクシクと泣き始めた……かと思うと叫んだ。
「私だって頑張ってるのにぃー!なんなのよーう!」
今度は私とルーカス様が目をまん丸くした。
「アンナ様?」
「アンナ嬢?」
私たちの様子に気がついたのかアンナ様はハッとして口を押さえた。
「あ!あのですね、その……すみません」
―――――――
私たちは侯爵家の侍女に新しい紅茶を入れてもらい椅子に座り直した。まずアンナ様が口を開いた。
「その、さきほどは失礼いたしました。正直に申し上げますと、ルーカス様に気に入られればこの国を出ることができると思っていましたがうまく行かず…つい」
「アンナ嬢はこの国をなぜ出たいの?」
ルーカス様は尋ねる。
「さきほど私が5カ国を話せると申したのを覚えておりますか?私は幼い頃から他国に憧れを抱いておりました。絵本や物語で読んだ他国の文化に触れたいのです。ですが、父は留学などは許してくれません。それならば結婚して他国へと行くことを考えました。国外の異性とはなかなかそういう機会もないでしょうから、国内で何らかの仕事で外国へ行く人の妻になれば行く希望もあるでしょう。それは政略結婚という形で叶う事になるはずだったのですが、婚約破棄によって私の望みは絶たれました。意気消沈した私の前に現れたのがルーカス様だったのです。この気を逃せば再び自国の貴族との縁談がまとめられ夢が叶うことはありません。仕事で外国へ行くような有能な令息たちはすでに婚約者がおりますから。それでルーカス様の目にとまるよう派手な格好をして話しかけてアピールをしているつもりでした」
アンナ様はまるで別人のように落ち着いた口調で話した。
「なるほどそういうことだったのか。残念だが妃として君を我が国に迎えるわけにはいかないのだ。すまないな」
「はい。それはわかっております。慣れない衣装も化粧も侮られないよう高慢な態度をとるも疲れましたし、あの程度で心を乱してしまっては私には他国の妃などという難しい立場は向いていないことがわかりました。これまでルーカス様を煩わせてしまい申し訳ございませんでした」
アンナ様は深々と頭を下げた。
「ローラさんにも酷いこと言ってごめんなさいね」
「わかりました。アンナ様にも事情があったようですし。婚約破棄されたのですか?」
「ええ、〈真実の愛を見つけた〉とかで婚約破棄されましたの。危うく悪者にされそうでしたが、そこは難を逃れました。外交などで外国へ行きたいがために我慢して婚約を続けたところでこれですからね。いっそのこと国外追放にでもされた方がよかったかもしれませわね。フフフ」
「もしかして、アンナ様の元婚約者とは……」
「この国の第二王子のライアン様でしたわ。私のようなものは地味で真面目でつまらないとのことでした。ライアン様が子爵令嬢と仲睦まじくしていても私は我慢をしておりましたの。子爵令嬢には側室にでもなってもらって外交には私が行くなんて浅はかな考えでしたわ。お互いに政略結婚という考えで愛は無かったので〈真実の愛〉というフレーズにはドキリとしました。でもまさか、2人が結婚するために私を陥れようとするなんて〈真実の愛〉とは恐ろしいものでしたわ」
アンナ様はふぅっとため息をついた。
真実の愛に目覚めて婚約破棄なんてどこかで聞いたような話だ。前世の乙女ゲームやラノベとかでありそうだ。
それに婚約破棄とは私と同じだと思うと急に親近感が湧いてきた。
「なるほど、ライアン王子の元婚約者だったのか。どこかで見たことのあるご令嬢だと思ったが、今の姿を見ればすぐにわかったかもしれない。ライアン王子の起こした騒ぎについては我が国にも伝わっていたよ。お相手のご令嬢が気の毒だと思っていたのだよ」
ルーカス様も腕を組みながら頷いていた。
アンナ様も話を聞いて私は思わずアンナ様の手を握った。
「アンナ様、私も同じなんです。ついこの間婚約破棄されたのです。しかも相手は私の妹で……」
すっかり意気投合した私とアンナ様はそれからお互いの元婚約者、婚約破棄について盛り上がったのだった。
アンナ様は転生者ではないようだけど、婚約破棄の一連の話を聞くとやっぱり乙女ゲームかラノベのストーリーのようで、私のいるこの世界でそんなストーリーが進んでいたなんて驚いた。
ルーカス様はというと、盛り上がる私たちを横目にいつの間にか部屋に戻ってきたノア様と部屋の隅で何かを話しているようだった。
帰り際の馬車の前までアンナ様が来てくれた。
「ローラさん、また遊びに来て下さいね!」
アンナ様は私の両手を握りしめた。
「アンナ様、もちろんです!」
私も笑顔で両手を握り返した。
ルーカス様はそんな私たちを不思議そうな顔で見たあと、やっぱり首を傾げていた。
婚約破棄された気持ちがわかるのはやっぱり同じ境遇の者なのよ。
「ルーカス様。あの……」
アンナ様がルーカス様に近づいた。夜会のグイグイ来るイメージが強いせいか、ノア様が手で制するような素振りをみせた。
「もう!ルーカス様にはそういう気持ちはもうありませんから」
アンナ様はノア様を睨んだ。
睨まれるノア様を見てルーカス様は笑っていた。
「ルーカス様、私は何なりとお手伝いしますからね」
チラリと私の方を見てアンナ様が言った。
探しものの手伝いをしてくれるのだろうか?
私も話に参加しようとした時
「ローラ嬢、私がいない間にアンナ嬢と何があったのですか?」
ノア様が首を傾げながら尋ねてきた。
私がノア様に説明をしている間にも、ルーカス様とアンナ様は何か話をしているようだった。
そんな姿にちょっぴりモヤッとした気がした。