108 好奇心
夕食後、部屋に戻ったシンは悩んでいた。
直接話が出来た今、ガーシュウィンの情報を、これ以上集めるか否かで……
あれほどの人だ、混乱していたイドエの人達は知らなくても、シャリィやバリー、他にも村に住みついている人達に聞けば何があったのか知っている可能性はある。
仮に知らなくても、シャリィやバリーなら簡単に調べることは出来るだろう。
聞いてみるか……
シンはキャミィの一件以来、シャリィには必要最低限の接触で済まそうとしていたが、いつまでもその状態を続けられないのは分かっていた。
どうしてガーシュウィンさんがこの村にいるのか……
どうしてあのようになってしまったのか……
だけど、逆に知った事で俺に生じる変化を、企みや策略と捉えられるかもしれない。
それによって、俺達への協力を頑なに拒むかも……
嘘や誤魔化しが通じないのなら、今のまま何も知らず、出来るだけ純粋な気持ちであの人に接する方が良いのかもしれない……
結局はこれも…… 策略か……
「……」
シンは欲しがっていたガーシュウィンの情報を集める事を止める。シャリィにバリー、そしてユウにその旨を伝え、ガーシュウィンに関する一切の情報を遮断した。
翌朝……
ガーシュウィンに朝食を持っていくと、昨日運んだ器が外に出されていた。
野菜スープとパンを置いたシンは、ノックをしてその場を離れて行く。
本はあれから動いていないようだ……
これも、直接話が出来た今、置き続けるのは悪手だったかもしれないな……
どうする、持って帰るか? いや、今更か……
シンは立ち止まり、思案する。
明確な理由を思いついたら…… か……
昨日はガーシュウィンさんと直接話が出来た事で浮かれていたが、もっともな理由を思いつくのはかなり難しい。
つまり、それなら鍵は……
兎に角、少しでも早ければ早い方がいい。もしかしたら、直ぐにでも気が変わって会ってくれなくなるかもしれないからな。
再び歩き始めたシンは、モリスの食堂に器を返した後、いつもの様に野外劇場を訪れる。
すると、そこには老人達の姿もあった。
そして既に少年達は老人と共に練習をしており、シンはその光景を見て笑顔になる。
「おはよう」
シンの挨拶に、全員が返してくる。老人達も……
いつもならラジオ体操から始めるが、シンはそのまま練習を続けるように言うと、笑顔で見ている。
しばらくすると、一人の老人に声をかけ、話を始める。
「すみません、実はまたお願いがありまして……」
「うん? シン君よ」
「はい?」
「遠慮なんかせんでの、わしら皆を手足のように使ってくれんかの」
その言葉で、シンは薄っすらと優しい笑みを浮かべる。
「……分かりました、ありがとうございます。あの~」
「なんだの?」
「ヴォーチェは使えますか?」
「勿論だの。音楽家なら、皆使いこなせるの」
一方、その頃ユウは……
「じゃじゃ~ん」
いつもと違い、妙にテンションの高いユウが取り出した紙を見てポカンとする少女達。
「なんだっぺぇその紙?」
「リンちゃん!」
「は、はい!?」
「よくぞ聞いてくれました!」
「……はい。普通聞くっペえね?」
返事をした後、ナナに耳打ちをするリン。
「これには、いつも聴かせている曲の歌詞が書かれています!」
曲の歌詞……
「……それをどうするっぺぇ?」
「どっ、どうするって、勿論皆で唄うのです」
唄う…… 確かに、アイドルってそんな事をするって聞いてはいたっぺぇけど……
「見ていいっぺぇ?」
「勿論だよ! はいどうぞ!」
歌詞の書かれた紙を配ると、少女達は直ぐに目を通し始める。
それを見ているユウは、先ほどまでとは違い、緊張した面持ちで少女達を見つめる。
ドキドキと胸の高鳴りを感じ始めていたその時、最初に声をあげたのは、最年少のクルであった。
「クルクルクル~」
……ドキッドキッ
「クルクル、可愛い~」
ユウの表情が、一気に笑顔へ変化する。
「ほっ、ほんと!?」
「クルクルクル~」
笑顔で頷くクル。
他の皆は……
そう思い、一人一人の表情を見るユウ。
歌詞を見ている少女達は軒並み笑顔で、感触は悪くない。
だが……
「ちょっといいっぺぇ?」
声をあげたのはナナ。
「どうしたの?」
「うーん、うちらは身体を動かすのはまだ出来るっペぇけど、唄は…… 正直自信ないっぺぇ」
……そうか、そうだよね。
僕達の世界では生まれて直ぐにでも、いいや、何だったらお腹の中に居る時から音楽を聴いている。
けど、この世界はどうなのだろうか? 特に、この村の子供達は……
「心配ないっペぇ」
そう言ったのは、リン。
「当然ユウ君がお手本を見せてくれるっぺぇ?」
「……えっ!?」
「クルクルクル~、楽しみ~」
いや…… けど、考えなくてもそうだよね。僕しかいないよね……
しかし、自分で作った詩を皆の前で唄うなんて……
恥ずかしいというか……
練習もしていないし…… そこまで考えていなかった、これは困ったぞ。
オドオドしているユウを、ジッと見つめる少女達。
「あ…… あの…… はな」
「はな?」
少女達はそう口を揃えた。
「は…… そう! まずは鼻歌で練習を始めましょう!」
「クルクルクル~、それならクルも出来るよ~」
「うん、そうだね。それならお姉ちゃんも出来そう」
そう、それなら僕にも直ぐに出来そうなんだ!
昼休みになったら、シンに相談しないと……
「では、さっそく始めましょう!」
「はーい」
「クルクル」
「分かったっぺぇ」
お昼時より少し早くモリスの店に最初に現れたのは、シンと二人の老人。
テーブルには、一人で昼食をとるバリーの姿があった。
バリーはドアを開けたシンに気付く。
「あら~、シン!?」
「ん?」
バリーはシンを見ると、大急ぎで芋のスープをかき込みだす。
「ズバズバズバー、ズズズズー。ゴクン! ズズズズー!」
二人の老人達は、驚きの表情でその様子を見ている。
「バリーさんは…… 随分と個性的な食べ方だの……」
「そ、そうだの……」
フッ、フフフ……
シンは心の中で笑っていた。
老人をその場に残し、厨房にいるモリスの元に向かう。
「モリスさん」
「シンさん、どうも」
「お芋はありますか?」
「ええ、ありますよ。シャリィ様が、他の食材もいつもの様に」
「そうですか、良かった」
ガーシュウィンの好物があるのを確認したシンは、バリーの元へ向かう。
「バリー」
「ズーズズズズー。ゴクン! あら~、シン。どうしたのかしら?」
そう返事をしたバリーの口周りは、スープで濡れており、食べカスが沢山付いている。
「……ば、バリー。口……」
「え? あっ、失礼。あちきとしたことが……」
バリーはインベントリからナプキンを取り出す。
「ほぉ~、さすがA級だの~」
「うんうん」
バリーの魔法を見て、感心する二人の老人。
口を丁寧に拭いたバリーがシンに訊ねる。
「どうしたのシン?」
「忙しいところ悪いけど、実はバリーに頼み事があって」
「あちきに?」
「あぁ。俺は今から昼食を運んでくるから、あの人達から詳しい話を聞いてくれ」
「あの二人に……」
そう言って視線を老人に向けた。
老人二人はニコニコと笑顔でバリーを見つめている。
……いったい、何の頼み事なのかしら?
裏口に着いたシンは、真っ先にある物に目を向ける。
本はそのままか……
空になった器はいつもと同じ様に外に出されている。
何も思いつかなくても、何か話をした方がいいんじゃないかな……
どうする…… 中に入ってみるか……
「シン!」
呼ばれたシンが振り向くと、そこにはユウの姿があった。
「どうした?」
「昼休みの短い間でも、ガーシュウィンさんにアイドルの素晴らしさをまた話そうと思って、パンを食べながら来たんだ」
ユウの手には、食べかけのパンが握られていた。
……フッ。 ユウ……
「食事は僕が中に運ぶよ」
「あぁ」
ユウは自分のパンを口に押し込み、ドアを開けて中に入ろうとした瞬間何かを思い出す。
「あっ! スン」
「スンって? フフ、飲み込めよ、待ってるから」
シンはそう言って笑っている。
急ぎパンを噛んで飲み込むが、少し喉に詰まってしまう。
「大丈夫か?」
「う゛っうう」
パンが詰まったユウは、ガーシュウィンの為に持ってきたスープを口にして流し込む。
「あっ!?」
シンは顔を背けて、見ていないふりをする。
「ゴクン。う~びっくりした。あのね、あの曲なんだけど」
「う、うん」
「唄っているヴォーチェも欲しくて…… そのー、唄にはあまり自信が無くて……」
「それならもう、手は打ってあるよ」
「えっ、本当?」
「あぁ、俺が唄っても良かったけど、同じキーで唄ったのを聴かせた方がいいと思って。だから心配しないで、ガーシュウィンさんにアイドルの素晴らしさをタップリと教えてやってくれ」
「たっぷり…… うん! まかせて!」
ユウが中に入ったのを見送ったシンは、モリスの食堂へ戻ってゆく。
「ガーシュウィンさん、昼食を持ってきました」
この日のガーシュウィンは、ベッドに腰をかけて座っていた。
「私の名を、軽々しく口にするなと言ったであろう!」
「あっ、すみません。それよりもですね」
「それよりも…… だと!?」
「あっ、えーと、まずは食事をどうぞ」
ユウは小さなテーブルに、シンが運んできたスープとパンを置く。
「……うむ」
置かれた芋のスープを見つめるガーシュウィン。
うぬぬ、せっかくの好物だというのに、スープが少ないではないか!
途中でこぼしおったな!?
「では、時間が惜しいので食べながら聞いてくれますか?」
「いいだろう。私がお前達に協力する、思いついた理由とやらを聞こうか」
ガーシュウィンはテーブルに移動し、スプーンでスープをすくい口に運ぶ。
「はい、アイドルについてですが!」
「ぶっ!」
ガーシュウィンは口に運んだスープを吹き出してしまう。
「あっ、アイドルだと!? それは私が全否定して終わった話だろうに!」
そう言われても、ユウは笑顔でガーシュウィンを見つめる。
「いいえ、そうではありません。僕の説明不足……」
説明不足だと!? 数時間も訳の分からない話を一方的にしておったのに説明不足?
「でしたので、恐らくそのせいです!」
いや、そのせいではないだろうに!?
ユウを見つめ、スプーンを持つ手は止まる。
ユウも真っ直ぐにガーシュウィンを見つめている。
この少年…… 良い目をしておる……
「分かった…… 私は食事をする。その間、好きなように話してみろ」
ガーシュウィンは、あれほど全否定したアイドルの話を以外にも許可し、再び食事を始める。
「はい! ありがとうございます! アイドルというのはですね……」
……うむ、この芋のスープ。とても良い味だ……
「それで、アイドルは……」
今日のパンも、悪くない……
まるで興味の無い様な態度であったが、モリスの作った食事を楽しみながらも耳は傾けていた。
食堂に戻って来たシンは、宿のバリーの部屋を訪ねる。
「コンコン」
「どうぞ」
中に入ると、二人の老人と共にいるバリーが、笑顔でシンを迎える。
「シーン!」
「ど、どうした?」
「あちきにこの役を回してくるなんて、分かってる~」
「フッ。どうですか?」
シンは二人の老人に問いかける。
「バリーさんは器用での、シン君との打ち合わせ通り進んどると思うがの、細かいところはわしらでは判断できんで、来てくれて助かったの」
そう言ってヴォーチェをシンに差し出す。
手に取って、録音された物を聴き始めるシン。
「……悪くない」
やはりな……
シンは普段のバリーとの会話で、リズム感や発声が良いのに気づいていたのだ。
「全然問題ありません。この調子でお願いします」
「分かったの。まだまだ最初だけだがの、バリーさんは凄いの、この曲に直ぐに対応しておる」
その言葉に、もう一人の老人が直ぐに反応する。
「おい、何をいうとるのかの……」
「あっ、シン君! 曲を悪く言っておるのではないからの」
「大丈夫です、分かってますよ」
褒められて有頂天なバリーは、とんでもない言葉を発する。
「ウフフ、そんなにあちきを褒めて~、もしかしてお爺ちゃん?」
「なんだの?」
「ピッチピチでナイスバディのあちきと、一晩過ごしたいのかしら?」
シンに対して誤解を生むような発言をしてしまい、少し焦っていた老人だが、バリーの言葉を聞いて、一瞬で無の表情へと変化した。
「ガーシュウィンさん、ここは重要なので良く聞いてください!」
「……うむ」
「アイドルは……」
名を呼ばれても、怒ることをしないガーシュウィンは、ユウの話に興味持ち始めたかの様な態度を示している。
自分の話を真剣に聞いてくれている、そう感じているユウは、更に熱弁を振るう。
「そろそろ時間なんで、後をお願いします」
「まかせておけの」
「うふ、完成を楽しみにしててねシーン」
シンはバリーの部屋を出て、食堂へ移動する。
その時、ちょうど戻って来たばかりのユウと顔を合わす。
「シン! 聞いてよ!」
「おっ! どうした?」
「ガーシュウィンさんが、僕の話をずっと真剣な顔して聞いてくれてたんだ!」
「おぉー、まぢか!?」
「うん! それでね」
「うんうん!」
「シンを呼んで来いって!」
「……俺を?」
「うん! 何か用事があるみたいだよ。もしかしたら、協力するって話かもしれないね!?」
昨日は全否定されたけど、今日はあんなにも……
そう、だから、良い話としか思えない!
シンはピカワンに引き続き老人達と練習をする様に伝え、ガーシュウィン宅に向かう。
裏口に着くと、本が無くなっているのに気付く。
本が…… ユウの話で、演劇に対する情熱を取り戻したのか!?
「コンコン」
「……入れ」
その声を聞いたシンは、ドアを開け中に入って行く。
ガーシュウィンはベッドではなく椅子に腰かけており、向かいの椅子に座るよう、シンに目線で促す。
裏口に置いていた本が、テーブルの上に置かれているのを確認したシンは、ゆっくりと腰を下ろした。
「……あのユウとか申す者の話」
「はい」
「非常に興味深い」
「そうですか!? それでは……」
ガーシュウィンは、シンの言葉を遮る。
「二つ三つほど、私の質問に答えてくれるか……」
「え…… はい、それは勿論!」
少し俯いて、本を見ながら話していたガーシュウィンは、ゆっくりと顔を上げ、シンの目を見つめる。
「アイドルとは……」
「……はい」
「……いったい何処の国の話だ?」
「……」
何も答えず、ゆっくりと目を伏せたシンを見つめるガーシュウィンは、更に口を開く。
「お前達が口にした、この世界とは……」
「……」
「どういう意味なのだ……」
目を伏せていたシンは、ゆっくりと瞳を動かし、ガーシュウィンと視線を交わす。