8.老子
「老子。もっと実戦に基いた修行を要求いたしますわ」
「ほう。ホーンナイト家の教育がかりになって五十年。儂の修行内容に文句を言ってきたのはお前が初めてだな」
すっかりと後退した白い髪を除けば、既に八十を超えているとは思えぬ覇気をその身に滾らせている彼こそは私とネリアの教育係代表 田中 仁。通称老子ですわ。
平民の出ながらも二十代の頃に参戦した戦争で魔王軍の軍団長を単独撃破という偉業を成しており、その功績によりホーンナイト家の教育係へと召抱えられた立派な方ではあるのですけどーー
「正直言いまして、今の老子の教育内容は私にあったものとは言い難いのですわ。これは実技だけではなく勉学についても同様ですわ」
七年を何度も繰り返した私は身に付けた膨大な基礎を応用してこの二ヶ月で既に高等部三年までの学習を終えましたわ。この調子ならあと一月もあれば四年生の分も終わるでしょうね。
そろそろ大学部のような専門的な研究に入ろうかという時期に小等部で習うようなことをやらされるのは、正直苦痛以外の何者でもありませんわ。
勿論、私の事情を知らない老子からしたら生意気盛りな子供が身の程知らずなことを言ってると思って当然ですけど。
「原因不明の眠りから覚めたお主の動きが見違えたのは一目で分かった。原因は分からんが、分からんからこそ無理はせず今は基礎を大切にする時期だと儂は考えておる」
「残念ながら老子。私は基礎と言う点においては老子すら上回っていると自負しておりますわ」
「ほっ?」
普段愛嬌というものがまるでない老子が珍しく目を見開いて、可愛らしい声を上げましたわ。
「これは……なんとまぁ。今日の訓練はもうやめにしておこう。儂は旦那様と話がある」
ああ、この顔。本気で私の精神状態を心配しちゃってる顔ですわ。
「老子らしくもありませんわね。それなら老子、私と決闘してくださいな。私が勝った場合、今後の授業内容は私の意向に沿ったものにしてもらいますわ」
「ネリアよ、姉を部屋に連れていってやりなさい。儂らが行くまで姉から目を離さんようにな」
「お、おう? よく分からないけど、分かったぜ」
言葉遣いを老子に注意されるのが嫌でずっと黙りこくってたネリアがこちらに近づいてくる。
「ネリア、そこでストップですわ」
「了解だぜ、姉ちゃん」
「まったく、少し前までが嘘のようなヤンチャぶりじゃの」
姉の言葉にきちんと従うかわいい妹。そんな可愛い妹の頭を撫でる私を老子が困ったような顔で見つめてくる。
……さてどうしましょうか。わかってはいましたけれど十歳という年齢は交渉ごとには不利ですわね。同じテーブルについてもらえませんわ。いえ、こういう時の為のスキルですわね。
正直尊敬できる相手にこのスキルを使うのは抵抗感がありますが、命には代えられませんわ。私には時間がありませんの。
躊躇は一瞬、私は神様によって与えられた新たなる感覚を行使した。
スキル『屈服の瞳』発動。
途端、私の視界に映し出される文字列。
田中 仁
弱見ーーブリジット•ホーンナイトの下着を三回ほど盗んだことがある。盗んだ下着は空間偽装を施した小箱の中に収納されている。小箱の場所はホーンナイト家にある田中 仁の部屋。
単独服従率 40%
「ぐはっ!?」
「どうした、姉ちゃん」
「やはりどこかおかしかったのか、見せてみろ」
「だ、大丈夫ですから、触らないでくださいませ」
特にそこのハゲ。
ショックのあまり四肢をついた私は、荒くなった呼吸を何とか戻そうと運動着の上から胸に爪を立てた。
「姉ちゃん、本当に大丈夫なのか?」
「問題は心臓か? 意識は? 答えられぬようなら無理やり見るぞ」
「ぜ、全然平気ですわ。ちょっと神様が与えたもうた試練の厳しさに目眩がしただけですの」
こんなエロ爺に無理やり胸を見られるなんて鳥肌ものですわ。体は十歳でも心はとっくに成熟している私は未だに呼吸の荒い体を根性で立ち上がらせる。
「神、か。お前は倒れてからよくそれを口にするが、その神とやらは起きている時も見えているのか?」
このエロ爺、人を異常者の如く見る前に自身の行動を省みやがれですわ。……にしても、単独服従率? なんですの、これは?
(ああ、それはですね。話術や演出など、場を支配する為の様々な工夫をせずにそのネタだけで相手を従わせようとした時の成功確率を数字化したものです。ネタだけなのに何故成功か失敗かの二通りでないかというと、人の判断は選択をする時の様々な要素で変わるからです。人の目があるかないか、現在持っている知識、あるいは交友関係。はては気分の良し悪しや話を持ちかけられるタイミング次第でまったく逆の選択をする場合も珍しくありません。つまりそれら様々な状況での成功確率を平均化させたものがその数字というわけですね)
そうか! きっとこれはこの情報だけで相手を従わせようとした時の成功確率なのですわね。それにしても40%とは高いのか低いのか。この爺、もう老い先短いからってバレてもいいとか考えてませんわよね?
「どうした、アクアリア。ひょっとして今も何か見えておるのか?」
「……ええ。見えてますわ。神様はやはり私にもっと高度な訓練をするよう仰ってますの」
自分の突拍子もない言い訳に神様を使う(というかあながち間違いじゃありませんし)私を見て、老子はふぅ、とそれはそれは大きな溜息をつかれましたわ。
「そうか。その話はまた今度ゆっくりしよう。今日の授業はこれで終わりだ。二人とも部屋で休みなさい」
「お待ちくださいな。私の神様はこうも仰ってますの。ブリジット•ホーンナイト、つまり私のお母様ですわね」
「奥様がどうかされたのか?」
つまらなそうにこちらを見るそのすました顔に向けて、私は指を三本立ててやりましたわ。
「? なんじゃ。それは?」
「消えた下着の回数。そういえば道が開かれると神様はおっしゃってますわ」
果たしてエロ爺の反応はーー
「ほう、妙なことをいうものじゃな。お前の神とやらは」
ポーカーフェイス。圧倒的ポーカーフェイスですわ。
伊達に修羅場を潜ってきたわけじゃないと言うことですわね。でもそういう凄いところは出来れば別のところで見せて欲しかったですわ。
「あら、私は神様のお言葉を信じますわ。これは真偽を確認するためにもお父様とお母様に話して念入りに調べてもらう必要がありますわね。そう、誰かさんが大切にしてる小箱の中とか」
「……ふむ。何のことだか全くわからんが、お主の神とやらに少しばかり興味が湧いたの。……決闘じゃったか? うけてやってもよいぞ」
「おお!? 姉ちゃんと老子が戦うのか? 頑張れ姉ちゃん、負けんなよ」
「任せなさいですわ。ネリアはそこでお姉ちゃんの勇姿を見ておきなさいな」
「やれやれ。話は後でゆっくり聞くとして、まずは年長者への敬意を忘れたガキンチョにお灸を据えてやるとするかの」
老子の体から静かに練り上げられた霊力が立ち上る。普段ならその研鑚された霊気に流石老子と畏敬の念を抱くところなのですけど、スキルのせいでそんな畏敬は吹っ飛んでしまいましたわ。
何はともあれここまでは私の望んだ展開。あとはーー
「私のことを舐めていると痛い目見ますわよ」
「姉ちゃん、カッケー」
このエロ爺をぶっ飛ばすだけですわね。




