酒と煙草と薬物はご法度です
クレイは焦っていた。
いつまでも等級の上がらない己とギルド、確かな実力はあるはずなのに認めてくれない周囲の人間をいつだって見返したい。
それは仲間である盗賊のコンラッドと魔法使いのシャルも一緒だ。この前だって、C等級では難しいといわれる巨大猪を制覇して見せたのである。
自分たちはもう十分B等級に上がるに相応しい。冒険者となってまだ数年ではあるが、十分な功績は立ててきたはずだ。
であるのに、無理解な連中はクレイ達を認めようとしない。
クレイはそれを、お荷物を抱えているからだと受け取った。
回復職のトーリ。
大して怪我を回復できない、役立たずの荷物持ち。
骨折だって治すのに時間がかかり、解毒のスキルだって軽い食あたりをなんとかする程度だ。戦闘では盾にだってならない。最弱のゴブリンに追いかけ回されて悲鳴をあげていた情けない姿に、クレイが何度イライラした事か。
最もトーリが回復役として上手く機能しないのは、彼らがパーティーとしての連携がなっていないからであり、個々で突出しがちだからだ。
コンラッドは鍵開けとトラップ解除は上手いが索敵が下手、シャルは大技を使いたがる癖があり魔力切れを起こしやすく、クレイは後衛を守らずに前へと突出していく。トーリに至らぬ部分がないわけではないが、それは決して一人の欠点のみでクラス上げが出来ないのではない。
S級に飛び級で上がるような『才能の化け物』ともいえるような天才ならばともかく、大した才能があるわけでもない4人がC等級止まりであるのは、こういった連携の取れなさや個々の欠点を改善しない事にある。
下手な実力への過信は死を招く。
ギルドが彼らをクラス上げしないのは、分不相応すぎるクエストに乗り込んで無下に命を散らさせない為でもあった。
だが、そんな意図はクレイ達には関係がない。
クラス上げが出来ない鬱憤を一人に押し付けて、罵倒に罵倒を重ねてトーリを追い出したのが、今の彼らの現状だ。
「……ねえ、本当に森の大男なんているのぉ?」
トーリを着の身着のままで解雇して数日後、周囲からまるで馬鹿を見るような目で見られることに耐えかねた『疾風の刃』がその視線を見返すために向かったのは昨夜話題になった森の大男の退治であった。
聞けば荒くれ者のB等級冒険者の屑、シーザーとアリシアが森の大男に殺されたらしい。
B等級の冒険者が遅れをとるような恐ろしい野盗だか、モンスターだかを倒せばみんな自分たちを見返すに違いない。
そんな気持ちで、彼らは冒険者ギルドには無断で件の森へと足を踏み入れつつあった。
「あの奴隷に嘘がつけるとは思えない」
クレイは油断なく剣を握りながらそう言った。
奴隷が冒険者ギルドに駆け込んできた時、彼もいたのだ。泣き叫び、半狂乱になって主人の死と大男に怯えていたあの子供にそんな大層な余裕があったとは思えなかった。
それができるならアレは演技派もいいところだ。メリットのないような行為ではあるが。
「そうそう、あんな奴隷を買ったシーザーにも同情するけどな。へ、金どころか裸足で逃げてきたんだろ、奴隷なら買われた金額分主人に尽くせよなあ」
「コンラッド、お前な。……何もってるんだ?」
「トーリのハンカチ」
前方を索敵しながら歩くコンラッドの手には黒ずんだ汚い布が握られている。
悪びれもなくさらりとその布の正体を告げるコンラッドに、シャルは呆れたようにため息をついた。
「手癖わるーい、あの奴隷介護してるときに盗んだんでしょ」
「トーリは人がいいからなあ。財布がよかったんだが、まあ結果的には使えるとおもわないか?」
「どういうことだ?」
コンラッドの悪癖だ。元を正せば彼はスリである。
クレイとシャルより年上の男だが、この悪癖が仇となって何度か揉め事を起こしていた。
今回のハンカチも、冒険者ギルドで涙ながらに倒れ込んだ奴隷を介抱するトーリの後ろを通り過ぎるふりをして、かすめ取ったのだろう。狙っていた財布ではなくハンカチであったのは、彼の人生を物語っている気がする。
「豚鬼なら匂いで人を追いかける、あの奴隷臭かったからな、汗とか垢とかしみ込んだハンカチだぜ。匂いにつられて出てくるかもしれないし、そうじゃなくても鼻がいいならやってくるだろ」
「違ったら出てこないだろ」
「シーザーの件でD等級共はびびって今日は夜に探索しに来てねえよ。ってことは狩りをするには俺らしか相手がいないだろ?向こうがする気がなくても新しい足跡があればそれが奴のだ。すぐ見つかるさ」
最もらしい事を言いながら、コンラッドは前へと進んだ。
索敵に関して不安はあるが、それでも自分たちがするよりはコンラッドの方がマシだ。口をつぐむと、彼が振り回すハンカチから時々落ちる垢に当たらないように歩くペースをやや落とした。
深夜の森を歩くのは何度も繰り返したが、やはり死角の多い森の中は緊張する。早く終わらせて、みんなにほめたたえられたいものだ。
「……仕方ないな」
「あーあー、はやく魔法ぶっぱなしたーい。森だと火が使えないからつっまんなーい。ぐっちゃぐちゃにしてやりたーい」
物騒なセリフを吐くシャルに苦笑しながら、しばらく歩き、少しだけ休憩を挟む事にした。
気を張りすぎてもよくない。いつもはトーリが用意していた焚火の準備を、もたもたとこなすと、シャルとクレイは息を吐いて座った。
夜食の準備もこの後あるのだがめんどくさい。トーリがいれば全てしてくれたのだが、その事をありがたがるでもなく、クレイはぼんやりとパーティから離脱させるのではなく荷物持ちとして雇い直せばよかったと思った。
賃金は安く済むし、どうせこれからも成長できないのだから荷物をすべて持たせて後ろを歩けばいい。馬鹿馬鹿しい話だが、彼は本気でそう考えている。
「ちょっと周囲を見てくるわ」
念のために、と獣避けの袋を持って周囲を探りに行ったコンラッドの遠ざかる背を見ながら、クレイはため息をついた。
何もかもトーリが居なくなって上手くいくはずだ。明るい未来しかない。
僅かに緩む緊張に、クレイの隣でシャルはローブからごそごそと何かを出した。シャルの好きな紙煙草だ、魔力草を使われたそれは『マジックスモーク』と呼ばれあまり良くない安価ドラッグの一つである。
魔力草の粉を吸ったものは一時的に魔力が上がるが、依存性が高く使用者の気分の上げ下げを激しくする。
パーティーの為だとクレイは容認していたが、傍にトーリがいると本人の為にならないと難色を示していた。
「ぷはー、生き返ったー」
「上手い物なのか?」
「おいしいよー。えへへ、クレイも吸う?」
「少しだけ貰おうか」
つかの間の娯楽を楽しむのも、腕のいい冒険者の嗜みだ。
シャルが嬉し気に煙草から口を離して回してくるのに、クレイは少しドキドキしながら煙草に口をつけた。甘い煙が肺を満たして、少しだけ不安に曇っていたクレイの心を宥めてくれる。
ふわふわと後頭部が浮くような感じがして、胸の奥から勇気が出てくるようだ。トーリがいれば知る事のなかったその気持ちに、クレイは改めてトーリを追放した己が正しかったのだと知る。
そうして二人でたまに煙草をふかしながら、コンラッドを待った。
静かに待ち、雑に作った携帯食をふやかしたスープを啜る。穏やかとも言えるほど虫の声が聞こえない静かな森の中で、暖かなスープが冷たくなるほど待ったシャルは煙草に浮かされたままようやっと疑問を口にした。
「……コンラッド、遅いね」
「小便でもしてるんだろう」
「そうかも」
彼らがもう少し冷静であればーーー、あるいはこの場にもう一人仲間がいれば、先ほどから森を覆う異質さに気づいただろう。
いつの間にか動物の声が聞こえない。低レベル帯の森のモンスターたちは弱いが繁殖力が強く、確かに森に生命の鼓動を響かせていたはずなのに。
不安もなく、緊張もなく、無防備に足を踏み入れたのがおそるべき獣の顎であるのを知るのは唐突だった。
ぽーん、と何かが焚火の中に投げ込まれるその時まで、彼らはその脅威がすでに自分たちをとらえている事など気づきもしないのだ。
「……え?」
頼りなく燃える火の中に、燃えやすく組まれた薪を崩すようにしてそれはゆっくりと炙られていった。
皮膚が溶けて、髪がちぢれて恐怖に強張った顔をゆっくりと炎の中で崩していくコンラッドの生首は、まだ若い冒険者達を混乱させるのにはあまりにも十分すぎた。
「ひ、きゃあああああ!!」
「出たな!?」
ざくり、とそれは勿体ぶった足取りで現れた。
森の大男は血にまみれた手を隠そうともせず、気だるげに二人を見下ろす。
汚れた衣服と片手に持ったマチェーテ、背には長剣を下げた彼に、想像していた豚鬼でも、初心冒険者狩りの野盗でもない事にクレイは一瞬引っ掛かりを覚えた。野盗であればシーザーの鎧などを拾って身に着けていてもおかしくない、アリシアの胸飾りだって防御を上げてくれる魔石が嵌っていると聞いたことがある。
しかし、その違和感はすぐさま攻撃呪文を放ったシャルによってかき消された。
今はぐだぐだと考えている暇はない。
「《風の刃》!!」
「《渾身の一撃》!!」
シャルの魔法が煌めき、薄い風の刃が鋭く彼の肩を切り、その後を追いかけるように駆け寄ったクレイのスキルが炸裂する。
魔法に足を止めたジェインソは、まともに深々とクレイの力技の袈裟斬りを受け止めた。
確かな肉と骨を断つ感覚に、クレイの心が一瞬沸き立つも、すぐさま胴を薙ぐようにして食らわされる反撃でその気持ちが一気に萎む。
「がはっ!?効いてない、のか……?!」
《渾身の一撃》は威力は高いが隙が大きい、普段であればコンラッドがその隙を庇うようにして小技で相手を牽制していた。しかしながら今はコンラッドはもう死んでおり、彼の隙を庇うものはいない。
アンデッド、という言葉が頭をよぎるも、吹き飛ばされたクレイを巻き込むようにシャルが魔法を連打する。
パニックになっているのだ、クレイが吹き飛ばされたせいで彼女とジェインソの間には障害物がない。ゆったりと首を曲げてシャルを見るそのジェインソの視線に、シャルの肌は恐怖で一気に粟立っていた。
「《風の刃》!《風の刃ァ》!!」
「ば、馬鹿!あぶない!」
繰り出され続ける技の威力がどんどん上げられているのに、本人がまともに狙いを定めていないせいでジェインソに攻撃が上手く当たっていない。
それどころかクレイまで遠ざける結果となってしまい、益々シャルは焦る。
口早に呪文を唱え、魔力切れが近づいて煙草のせいも手伝い一気に気分が悪くなるのを感じながら、シャルは再びもう一度呪文を唱えようと口を大きく開いた。
「《風のーーー」
その時には、もう遅い。
シャルとクレイが瞬きした一瞬で、ジェインソはシャルの後ろに回っていた。
同じ攻撃は殺人鬼には通用しないのはお約束だ。
シャルは例え森を燃やすかもしれないと思っていても別の呪文を使うべきだったのかもしれない。
だが、それを思いつく前にシャルは後頭部を掴まれてそのまま木の幹に顔面を叩きつけられる。聞くに堪えない音がして、彼女の首から上が無残にはじけ飛ぶのを見て、クレイは初めてそこで自分の膝が震えているのが分かった。
「……違う」
今まで戦ってきたのは全て格下だったとは言わない。
クレイもシャルもコンラッドも頑張っていたはずだ。拙いやり方ではあったかもしれな、強引な力技が多かったが確かに彼らは勝ち続けてきたはずだ。失敗はあったが取り返せた。
なのに、何故こんなことになったのだろう。
ジェインソがこちらを向く。
クレイははっきりと、これは人ではない事を理解した。モンスターだ、人間の姿をした、怪物がこちらを見ている。
「違う違う違う!!こんなのはおかしい!!俺らは!俺は英雄になるんだ!!なんでだよ!!」
周囲を見返したかった。
弱いとか粋がってるとか言ってこちらを見下すベテラン冒険者達、貴方たちはまだ経験を積まないといけないという冒険者ギルド、あんたらに任せたけどねえ、と採取した薬草の状態を見てため息をつく商店、森の大男を退治するといえば鼻で笑った騎士団、僕が間違っていると認めるから君たちも間違っていたと認めてほしいと悲し気にこちらを見るトーリ。
全部が全部気に食わなかった、だから手始めにトーリを切って、周囲を認めさせるための討伐だったはずだ。
クレイは剣を握ったまま仲間二人の死体を放ってジェィンソに背を向けて走り出す。真っすぐ逃げれば逃げ切れる。あの小汚い奴隷だって逃げ切れたのだ、俺だって逃げられるはずだ。
仇討ちも何も考えずに生に執着して、クレイはいつも通り、自分の都合のいい前だけを見て走った。
「死にたくない!!」
だが、ジェインソの近くで『煙草や薬物を吸った若者』は逃げられない。
鋭く投擲されたのはマチェーテではなく、シーザーの長剣だった。奴隷を逃がした時と同じように投げられたそれは、しかして奴隷を助けた幸運が訪れる事なく、クレイの柔らかな栗色の髪の生えた頭を串刺しにして、木に縫い付けた。
死の痙攣を何度も繰り返し、じたばたと見苦しく逃げようとするように動く体を動かすクレイの死体を見て、ジェインソは静かにまるで安堵したように肩の力を抜く。
ジェインソはまた雑にクレイの頭から剣を引き抜くと、彼の手から滑り落ちた剣をまた拾った。何度か振って、シーザーの物の方がいいと思ったのか剣を投げ捨てると、コンラッドから奪ったハンカチをポケットから出してしげしげと見つめる。
そのまま黙って彼は、『疾風の刃』が来た道を歩き出す。
ーーー行く先は彼らの町、ビーキュウ。
死した彼らはただただ遠ざかるジェィンソの背を見つめて、静かに朽ちるのを待っている。
ぱちぱちと爆ぜる焚火の音だけが、彼らのつかの間の冒険談を語っていた。