1.とある女子高生の日常
物語と言うのは実に面白い。
漫画や小説、テレビドラマなど、世の中にはたくさんの魅力的な物語であふれている。
物語を見たり読んだりしていると、まるで自分がその物語の中にいるかのように惹きつけられる。
そんな物語も時には残酷だ。
その残酷さはフィクション故とも言えるだろう。
――そう、キャラクターの死である。
あなたはこんなことを考えたことはないだろうか。
「漫画の世界に行って、キャラクターを助けたい」と…。
これは、とある漫画を見て、そう強く願う1人の女子高生の物語である。
「…つらい、なぁ」
彼女は歌織。
どこにでもいる漫画が好きな普通の女子高生だ。
そんな普通の女子高生である歌織は現在、ふろ上がりのルームウェア姿でベッドにうつぶせになり、漫画を手にしてくつろいでいる。
ちなみに最近の彼女の悩みは、割と何でもそつなくこなせるが故に、誰にも負けない自分の取り柄がないことだ。
だがしかし、彼女の先ほどの発言はそんな悩みからくるものではなかった。
「やっぱり最後はハッピーエンドがいいんだけど…」
そう、彼女の深刻そうな「つらい」発言は、漫画を読んでのものだった!
拍子抜けである。
拍子抜けではあるのだが、ここで彼女の知り合いが「なんだ、そんなことか」と言おうものなら彼女は激怒するだろう。
「彼女は激怒した」と某有名文学作品の冒頭の文章が使えそうなほど。
漫画への愛を語るために奔走はしないが、ひたすら漫画の良さを相手に延々と語りだす。
誰が止めようとも決して止まらない。
彼女の気が済むまで止まらないのだ。
ちなみに過去最高記録は24時間。
歌織が語り始めて、気が済んだら1日過ぎていたのである。
その被害者は彼女の幼馴染。
その時の彼のセリフはこうだった。
「もう二度とアイツの前であの漫画の否定はしねぇ・・・できねぇよ・・・」
げっそりして視線はどこか明後日の方向を見ていた。
どんまい、幼馴染。
強く生きるんだ!
話は戻るが、それだけ歌織はとある漫画が大好きなのだ。
夜寝る前に何度も読み返してしまうほど。
キャラクターも好きだし、ストーリーの展開も。
戦闘シーンも割と頻繁に描かれているが、戦闘シーンもキャラクターの持つ能力も。
簡潔に言えばその漫画のすべてが好きなのである。
だが彼女に言わせれば、「好き」なんて簡単な一言では言い表せないらしい。(幼馴染談)
そんな彼女が愛してやまない漫画というのは、見る人を選ぶが、見ていない人でも誰もが一度は名前を聞いたことがあるといっても過言ではないほど有名な作品だ。
その名は「ユウナギ」。
この話は、突如病気に伏せた妹のために2人の兄弟が仲間と一緒に病気を治す方法を探しに行く話である。
道中に降りかかる様々な困難を時には1人で、時には力を合わせながら、協力して旅をする。
そんなストーリーなのだが、この話では仲間4人のうち3人が死んでしまうのである。
正確に言えば、最終的に死ぬのは1人なのだが。
死んでしまった仲間2人を生き返らせるために、兄が禁断の術を使い、自分の命と引き換えに2人を生き返らせるのである。
そこ、1人の命で2人も救えるのかとか言わない。
彼女の幼馴染の二の舞になるぞ。
妹を救えたという点ではハッピーエンドなのだが、命を落としたキャラクターがいると考えると、歌織としてはハッピーエンドとは思えないのだ。
もちろん、この作品の終わりについては賛否両論がある。
だが、仲間想いの兄の最後が読者の涙を誘う。
この終わり方だからいいという意見も意外と多い。
彼女は枕元にあったスマホを手に取り、メッセージアプリを起動し、件の幼馴染にメッセージを送った。
<ユウナギってさ、アニメ化とか映画化してないの?>
<こう、アニメオリジナルストーリーみたいな感じで全員生きてハッピーエンドとかさ>
――ピロンッ
「え、早くない?なにアイツ、暇なの?」
自分のことは棚に上げる歌織であった。
<アニメはやってたけど、まんま原作通りだったな…。映画化はしてない>
<なんだよ役に立たねぇな樹は>
<おま…。その作品教えたの俺だよな…>
<そだねーありがとうございますー(棒>
幼馴染の樹からは返事は来ていたが、返す気がなくなったようだ。
なんとも自分勝手である。
(――自分勝手だろうがなんとでも言え、私は考えることがあるんだ)
顔を合わせたらきっとそのように文句を言うだろう幼馴染に先手を打っておく、心の中で。
いつでも眠りにつけるよう仰向けになって考える。
とはいえ、彼女の頭の中はユウナギで忙しいからすぐに眠れるわけがないのだが。
「まず兄の典明が死なないためにはどうしたらいいのかな…死んだら雅明と明利が可愛そうじゃん」
順番に説明しよう。
今出てきた名前は、ユウナギの主人公こと夕凪典明、その弟、雅明と妹の明利。
明利が突然倒れたことで典明と雅明が妹の病気を治すために旅に出るのだ。
「かといって、明利が倒れないようにしたらそもそも2人は旅に出ることがないから、まず明利が倒れるのを防ぐ、すぐ治してあげるってのもないな、可愛そうだけど」
歌織が何を考えているのかというと、ユウナギのハッピーエンドのシナリオだ。
どんだけ好きなんだと引く人もいるだろう。
だがこれこそが歌織の作品に対する、キャラクターに対する愛なのだ。
「典明に生きていてほしいからといって、凛とロイが死んだままなのも嫌だよなぁ」
凛こと京極凛、仲間の1人で、ちょっと訳ありの唯一の女性である。
また、ロイこと、ロイ・ワイズバーンも同じく仲間の1人。
少々おちゃらけているところもあるが、4人の中で唯一の成人で、兄貴肌である。
「そう考えるとやっぱ凛とロイが死ぬのを防がなきゃいけないかぁ」
結論、凛とロイの死亡フラグを叩き折ることがが、典明の死亡フラグを叩き折ることになる。
そう、彼女の中で結論は出たが、実際に救いに行くことなんてできない。
「なんとかみんながハッピーエンドになる道はないのかなぁ…」
彼女の名誉のために行っておく、彼女は腐女子ではない、さらに言えば夢女子でもない。
どのキャラが攻めで受けでとか、どのキャラと恋仲になりたいとは全く考えていない。
ただ純粋に、キャラクター全員が生きていてハッピーエンドになってほしいのだ。
「…助けたい、な…」
だんだん歌織の瞼が落ちてくる。
今日の現実世界とはお別れだ。
明日はどんなことが起こるだろうか、とぼんやりと考えながら睡魔に身を任せた。
―――ふと目を開けたら真っ白な世界だった。
あたりを見渡しても何もない。
目の前に1匹の黒猫がいるだけだった。
「キミ、こんなところでどうしたの?」
当然黒猫は答えない。
ただじっと歌織を見定めるかのように見つめている。
そしてしばらく歌織を見つめたのち、身を翻して歩き始めた。
それだけ。
たったそれだけだった。
別に猫がついてこいなどと態度で示しているわけでもない。
でもなぜか歌織はこの黒猫についていかねばならないという使命感に襲われた。
猫は歌織のほうを振り向くことなく淡々と歩いていく。
なんとなく緊張感を抱えながら、歌織も後をついていく。
黒猫が立ち止まった。
目的地についたかのように凛とした佇まいでおとなしくしている。
その視線の先にあるのはただの黒いモヤだった。
―――君、影は好きかい?
どこからともなく聞こえる声。
黒いモヤがしゃべったようにも思えるが、直接脳内に語り掛けてくるようにも思えてくる。
「…えっと、普通かな。ただ、大事なものだとは思うよ」
―――へえ、どうしてそう思うんだい?
「だって、影はモノの存在を表している。正確には光があってこそだけど…。人間だって、この猫ちゃんだって、木や建物だってみんな影がある。それってそのモノがそこに存在している証拠じゃない?」
―――なかなか素敵な考えをするじゃないか。
そんなに変わった考えなのか、と歌織は思う。
―――なら…影が怖いと思ったことはないかい?
「んー、ないかと言われればある、かな。でも小さい頃の話だし、今は怖いと思うことないかも」
―――暗闇だって影だ。それに飲み込まれると考えてみてよ。どうだい?怖いだろう?
「そうかな?そりゃあ何かが襲ってくるっていうなら怖いけど、只々暗闇にいるだけならそんなに怖くないよ。むしろこのまま自分が飲み込まれたらどうなるのかとかちょっと気になるかも」
―――……。
「というより、あなたは私を怖がらせたいがためにこんな話をしてるんじゃない…よね?何かあるの?」
―――それは、言えないな。
「そう…無神経に聞いてしまってごめんなさい。」
―――でも決めた!
「え?」
―――君、歌織…だっけ?ちょっと僕に付き合ってよ!
「え、付き合うって?それに名前…」
―――細かいことは気にしないで!君は僕を楽しませてくれるだけでいいんだ。君にはその才能がある!
「さ、才能って…私特別得意なことなんてないし…。」
いいや気にするねッ!とは言えず、そのまま話を聞いているだけだった歌織。
ただ「才能」という言葉を聞いて俯いてしまう。
―――大丈夫。君がそのことを気にしているのも僕は知っている。だからこれを君にあげるんだ。
「これって…?何もないようだけど…?」
―――それは目が覚めてからのお楽しみ!
「えぇ…なにそれ…」
―――歌織。これは君にしかできないんだ。君が強い思いを持っているからこそできることなんだよ。誰にでもない、歌織だけができること。自信を持っていい。
「わたしにしか…でき、ない。わたしだけ、ができる」
自分だけができる、その言葉が歌織にとってはうれしかった。
うれしさのあまり、思わず言われたことを復唱してしまった。
―――安心してもらえたようで何よりだよ、歌織。
―――じゃあ今日はこの辺で。あんまり君の意識の中に居続けてしまうと睡眠時間を奪ってしまうことになるからね。じゃあ…また―――
「…っ!ちょっと待って!私まだ!」
不安だ、という言葉が出てこなかった。
確かに自分はそう発音したはずなのに
(――ああもう、整理する暇がないじゃないか!)
言葉が出てこないどころか、ふと自分を見下ろしたらなんとなく透けている。
自分ももうここから出るのか、と直感で思った。
だからこそ本当はここでの会話の意味をしっかり理解してから出たかった。
そう考えているうちに暗転、歌織が最後に見たのはじっとこちらを見つめる猫だった。