チョウチョとキンギョ 8
No.15
追って来る殺人彫刻を躱し、壁を蹴り飛んで家屋の屋根に飛び移る。ここに来て分かってきた。殺人彫刻は壁をぶち抜いて追って来ることはあるけど、屋根まで来ない。
屋上に道があれば突っ込んでくるけど傾斜のある屋根は乗った途端にバランスを崩して落ちてしまうから。
キツネは無事なのかしら。随分とここに詳しいけど殺人彫刻はバカみたいに真っ直ぐ追って来るのに。ああ、キツネもアイツらはバカだって言ってたっけ。
家を飛び越えると目の前に尖った屋根をした建物が現れた。その扉は大きく、片方は蝶番が外れているようで傾いている。目の前の道幅は広く、滑空するにも距離がありすぎて届かない。殺人彫刻は音は聞こえるがまだ姿は見えない。
足はガクガクと震えて体力は限界で、酸欠で頭が痛くなってきている。
「目の前よ、頑張れ私。キツネは大丈夫、きっと来るわ。」
屋根の傾斜を利用して出来るだけ扉の近くに降りれるように全力で走る。
動け動け足、コケるな私。
ジャンプと同時に羽を広げて、傾いた扉を睨みつけるように見つめる。一度羽ばたき距離を出来るだけ縮める。上手く飛べないのが悔しい。何度も羽ばたけば地面との高度を保てず、上へあがりすぎてしまう。そうなれば階層の天井にぶつかってしまって墜落だ。
自分があと何回羽ばたいても階層の天井に当たらずに済むか分からず、一回の羽ばたきだけにした。どうしても狭い場所での飛び方に自信が持てない。
半分以上距離を縮めて着地し、ガクンと膝が折れるが踏ん張ってみせた。ここでコケてしまったら、立ち上がることが出来なくなってしまいそうだったから必死に耐えた。
よろけながら足を前に出し走る体勢にした時、左手側から地響きをさせて猛烈なスピードでこちらに来る殺人彫刻が見えた。体力がある時なら余裕で扉まで走って行けるほど離れているが今は・・・・。
息切れからヒーヒーと喉が鳴り、精一杯息を吸っては吐く。蛇行しながら走って扉のノブへ手を伸ばした。横を見なくても自分まで迫っているのが分かる。
ここにきて不思議と頭が冴えていく。さっきまで酸欠で頭痛がしていたのがウソのよう。きっと手がノブに触れても扉をくぐる前に弾き飛ばされる。全てがゆっくりと動いて見える感覚の中、自分の手がノブに触れその冷たさが伝わって来る。
ゆったりと空気が動くのを感じ、振り向かなくても分かる。殺人彫刻がいる。
ああ、牽かれる。
緩やかに流れる時間の世界が唐突に現実の世界に戻った。何かが壊れる音と何がが地面を擦る音が重なり、酷い騒音を響かせた。左側から何かが飛んできて、バシバシと体にあたってきて頭をかばい思わず蹲る。
凄い音は長くは続かずシンと静まりかえって、埃の匂いが鼻を突くばかりになりそっと目をあけると左隣の家の前でキツネ立っている。足元に木材で作られた何かの残骸と、石でできた道具らだったらしき砕けた何か。
首を右へ巡らせると横倒しになった殺人彫刻とキツネの足元から散らばっている残骸と轍の跡が繋がっている。
助かった?
「危なかったー・・・・、アイツが通る位置に家具を投げたんた。うまく片輪が浮き上がって横転してくれた。さあ、立って。まだアイツらはいるから。」
座り込んでいることに気がついて立ち上がろうと足に力をいれるが、膝がガクガクして立てない。呼吸が苦しかったことも思い出して頭がまた痛くなってきた。キツネが私をおんぶしてくれて壊れたドアをくぐる。
今まで入っていった家と同じで家具があって人の気配がない。特に目立つ何かがあるわけじゃ無い。
「・・・・何も、ない・・・わよ。ここから帰れ、るの?」
息が切れてまともに喋れない。
おんぶしたまま迷うことなく隣の部屋へ進み、閉じたカーテンが正面に見えた。淡い黄色の新品のように綺麗なカーテンの合わせた部分に隙間があってそこから庭がみえ、木が一本植わっている。
ここに来て初めてみた植物。細くて今にも折れそうで、隙間からではよく見えないけど葉がついていないみたい。それでもここに来てから人工物ばかりだったから木から温かみを感じて目が離せなくなった。
おんぶから降ろされて、壁で体を支えてカーテンに近づく。まだ息はあがったままで苦しいし気を抜くと膝から崩れ落ちそうになるけど。だけど何故かとても見たくて壁伝いに歩いてカーテンを開けた。
眩しすぎて目が眩んだ。どこも薄暗いばかりでこんなに明るいのは中央の柱のところしか無いと思っていた。手をかざして影を作りそっと目を開けると人のざわめきまで聞こえてきた。
光に慣れて見えたのは地元の商店街。今立っている場所は八百屋の横にある隙間だった。カーテンを握ったまま驚きに体が固まってしまった
呆然とする私に買い物をしている人たちが気づいて顔色を変える。
「酷い怪我、親はどこ?すぐに病院へ!」
「嬢ちゃんどうした!?血だらけじゃないか」
私を見た人達が血相を変えて集まって来る。
血だらけ?言われて自分を見ると手足に切り傷が無数にあって血が出ている。殺人彫刻から逃げる間に怪我をしまくっていたらしい。あまり痛さを感じてなかったから血だらけになっているとは気づかなかった。
八百屋のおじさんも私に気付いて十歩くらいの距離を駆けて来る。おばさんも騒ぎに気づいて店の奥から出てきてこちらを見て驚いて固まっている。よく母にくっついて買い物に来ているから顔見知りなっていて、またにおまけをくれて大好きなおじさんとおばさん。
「大変!医者を、ああ違うわ、先にご両親に知らせに!あ、やっぱり医者・・・」
「コハハナ!?お前行方不明になったって、いままで何処にいたんだ?」
おじさんは私の傷の程度のみるのに頭を触ったり袖をめくって腕を見たりしながら問う。おばさんはちょっと混乱気味。
一気に騒がしくなったのに、他人事のように慌てる人たちを見ていたけどおじさんの言葉で思考がゆっくりと動き出す。
行方不明?・・・・・私、そうだわキツネも・・・・
キツネに声を掛けようと、掴んだままのカーテンを大きく開いた。そこに部屋は無く、野菜の入った箱が積まれているのが目の前にあった。部屋どころか空間が無い。握っていたのもカーテンでは無く、茶色い丈夫なただの布だった。おじさんはいつも野菜の入っている箱に布を被せて雨が降っても濡れないようにしているヤツだ。
「一体どこへ行ってたんだ?」
どこへってみんなと一緒に・・・・・
突然あまり感じなかった身体中の痛みがぶわりと押し寄せてきて涙が溢れ出す。
「う、うぅ、ふぇぇ・・・うわぁーーーーーーーーーー」
今で泣かなかったのに戻ってきて涙があふれた。知らない場所で怖かった、みんながいて楽しかった、はぐれて悲しくかった、そして─────クルハスが。
心に詰まっていたものが溢れ出して、泣いて泣いて疲れ果てて眠るまでずっと泣いた。たぶんその間に親が来て友達も来て医者が来て警察が来てた。だけどあんまり覚えていない。
──────────
気が付いたら病院で、酷い熱をだして数日寝込んでいたと母さんが泣きながら話してくれた。怪我のせいで熱が出たようだけど順調に回復している。その後、家族全員やってきて父方母方のおじいちゃん、おばあちゃんまで来てさらに親戚まできて病室が身内であふれた。
揃ってくるとは意外だった。来てくれるのは嬉しいけど。
「個室でよかったね。」
誰が言ったか分からないけど同意。皆も頷いていたのが可笑しかった。
「何か思い出したことあるかな?」
すっかり元気なのに様子をみるからと言ってまだ退院させてくれなくて、退屈していたら警察の人がきた。何日か前にも同じ事を聞かれたけど、傷だらけで商店街にいたより前の事を覚えていなかった。
首を横に振ると困ったような笑みを見せてそれ以上何も言わず帰って行った。
私は二週間も行方不明だったらしい。
学校から帰ってきて普段通りに過ごして寝た。で、いつの間にか昼間になってて商店街に立ってた。何が起こったのか私にも分からないわ。
今日も警察のおじさんが来て同じことを聞かれたけど同じ返事をして、帰り際にお見舞いだと言って雑誌を置いていった。「子供版!クイズを解いてプレゼントを貰おう」という、書き込み式のクイズ雑誌でおかげで楽しく暇つぶしができて一番うれしいお見舞いだったかもしれない。
あと、知らないおじさんとおばさんがお母さんと一緒に何度かやってきた。
「クルハスは一緒じゃなかったの?」
「この写真にコハハナと一緒に写っている子がクルハスだ。」
「・・・・知らないわ。一緒に遊んだこともないし学校で同じ教室になった事もないよ。どうして一緒に写っているのか分からないわ。」
うちの両親も幼馴染のクルハスよって言うけど、幼馴染なら忘れてしまうのって変でしょ。『覚えてない』んじゃなくて『知らない』。
行方不明だった二週間と、クルハスの記憶が全部抜け落ちていた。
思い出してと言われても、一緒に遊んだことは無いし学校で同じクラスになったことも無い知らない子の記憶なんて、はじめから無いとしか言いようがなかった。何度聞かれても知らないんだし。
三人とも辛そうな顔して私を見てるけど、無理。何にも出てこないわ。嘘で知ってるなんて言えないよ。視線を落として俯くと、諦めて帰って行った。でもまた来るんだろうな。
窓から気持ちい風が吹き込んで白いカーテンが揺れる。外を見ると夕焼けがキレイで雲にかかる太陽の光をぼんやりと見ていた。
私と同じように行方不明になったクルハスって子、早く見つかるといいな。




