ホアキン年代記 ー普通の人びとの物語ー 第二話 トマス様のささやかな挫折 。 架空歴史小説「ホアキン年代記」シリーズ 4
特に反響もなかった
「ホアキン年代記 ー神々の物語ー 」
「ホアキン年代記 ー英雄たちの物語ー 」
の作者自身による二次創作です。
「神々の物語」「英雄たちの物語」は、本来であれば原稿用紙1000から1500枚くらいは使って書くべき内容を、ふたつの物語を合わせて230枚程度にまとめ、クライマックスのみ書き連ねたつもりです。その分量でも、作者が考察してきた宗教的概念、哲学・思想、英雄像、さらには、英国の歴史家トインビーの名著「歴史の研究」のエッセンスも、折り込みました。
小説では、アーサー・C・クラークの「地球幼年期の終わり」、エドモンド・ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」にみられる概念が折り込まれているかと思います。あとは、仏教の三千大世界の世界観。プラトン哲学を反映している台詞もあるかと思います。
神々の物語、英雄たちの物語、普通の人びとの物語という流れは、ギリシャ神話の、黄金の時代、白銀の時代、青銅の時代、英雄時代、鉄の時代という時代区分、さらには、社会学の創始者と言われるオーギュスト・コントの神(神学)の時代、哲学(形而上学)の時代、産業(社会学)の時代という人類三段階発展説を下敷きにしています。
神々の物語の、本紀、列伝というタイトルは、司馬遷の史記にならっています。
超越的、天才的、英雄的人物だらけの群像劇でもあります。
リアルさは無視して、主要登場人物の行動と言動のかっこよさにこだわりました。
悪人はあえて書く気にはなりませんでした。
上記の枚数、230枚程度。通常の単行本の半分程度の分量ですので、ぜひお読みいただければと思います。
この小説、
「ホアキン年代記 ー普通の人びとの物語ー 」は、上記
「ホアキン年代記 ー神々の物語ー 」
「ホアキン年代記 ー英雄たちの物語ー 」
の作者自身による二次創作ですので(T-T)、その二作品を読んでから読んでいただければ、有り難いです。
「ホアキン年代記 ー神々の物語ー 」
「ホアキン年代記 ー英雄たちの物語ー 」
作者本人は、傑作と思っています。
まあ小説については、最も高く評価するのは作者自身という場合が多いのだろうと思います。
その気持ちがなければ書きません
(私自身の価値観が強く出てしまっている作品は、という意味ですが)。
ただ、自己評価はともあれ、客観的評価は、読んでいただいた方の評価に従わざるをえないのも当然のことです。
トマス教の教えによって治める国、ミマナ独立国。
この国は一体何のために存在しているのだろう。
三年前、この国の三代目教主となった時、トマスは、そう思った。
この国は、二十二年前に建国された。
初代教主。トマスと同じ名を持つ祖父のトマスによって。
その頃、トマス教の信徒は爆発的に増えていた。
その数年前から、帝国は天災が相次ぎ、世の中の景気は悪くなっていた。
三百年弱前に、草原地帯を除いた世界を、ホアキン帝国が統一して以来、歴史的にみて、五本の指に入るのではという程度に、帝国内には不穏な空気が流れた。
その時代背景の中、国教をはじめとした既存宗教を批判するトマス教。
そして、身分制度の廃止を唱える思想が、帝国内に広がり、その信奉者を増やした。
それに対し、帝国政府は、ミマナ地方を、トマス教の教えを元に治める独立国。
ハイツー地方を、身分制度の廃絶、平等思想を元に治める独立国とする、と決定した。
この帝国政府の決定については、トマス教も、平等思想一派も、いきなりそうきたか。というのが本音であった。
だが、この決定、自信がないので、お断りいたします。というわけにはいかない。
帝国政府の決定に謝意を述べ、独立国が発足した。
一方、帝国政府にとっては、してやったり、である。
この決定を最終的に承認したのは、先代の皇帝、フレデリック・キージンガーであった。
フレデリックは、帝国が世界を統一してから三百年弱。領土を割譲し別の国家の独立を余儀なくされた皇帝はいない。予はホアキン帝国史上、最も愚劣な皇帝と後世、呼ばれることになるであろう、との言葉を残した。
だが、この言葉の裏には、自らの懐の深さを誇る心情が込められていたことは言うまでもない。
世間もこの言葉に飛び付き、喧伝した。
帝国史上最も愚劣な皇帝、という言葉は、第五十一代皇帝、フレデリック・キージンガーの代名詞となった。
むろん、フレデリックが狙っていたとおり、賞賛の念を込めて。
その後、トマス教の教義の中で先鋭的であった部分、国教をはじめとした既成宗教の批判は、徐々に矛を治めていった。
景気はよくなり、人びとの生活は昔の豊かさを取り戻し、帝国の在り方に対する、先鋭的な批判は、人びとの共感を呼ばなくなったのである。
教義のその部分を取り下げてしまえば、トマス教は、単に、この世界の豊かさをそのまま受け入れ、心の中の道徳律にしたがって、この現実の世界を大切に生きていきましょう、という言わば、ごく当たり前の、生き方の指針を示しているに過ぎない。
この教義で、独立国を保っていく意味があるのか、当然、そういう思潮が生まれてきたが、何といっても、一応、名君と言われている、先の皇帝、フレデリックの、その代表的な業績である。
このままでええやんか、というのが帝国の意向であった。
そして、帝国民だろうが、ミマナ独立国民であろうが、そのことによって、暮らしの内容が変わるわけではない、
別にどうでもいい、両国民のほとんどが、そう思っていた。
さて、ではハイツー独立国はどうだろう、
何といっても、その主張は、貴族階級、聖職者階級、騎士階級、一般民、奴隷階級と分かれる、帝国のその身分制度の撤廃である。
この主張は、確かに大きな波紋を呼び、独立国発足前には、熱狂的な賛同者も生んだ。
ハイツー独立国、そこは身分のない世界。独立国発足時には、ミマナに数倍する国民が誕生した。
その思想に共鳴するごく一部の人物を除いて、貴族、聖職者、騎士階級で、ハイツー国民となる者は、ほぼいない。
ハイツー独立国は、一般民と奴隷階級の人たちの国。しかも、ハイツーでは、このふたつの階級についても、もう身分呼称による区別はない。
だが、奴隷階級については、その階級である人びとの意識は、その階級であることを誇っている人のほうが、むしろ多数なのであった。
それは、帝国に奴隷階級が誕生した歴史的由来に関係がある。
およそ八百年前に都市国家として誕生したホアキンは、その後約五百年かけて、草原を除く世界を統一したわけであるが、その過程において、原ホアキン民族に対して、特に大きな抵抗を示さず、ほぼ平和裡に、ホアキンに服属した民族、その庶民は一般民となった。
が、統一事業の中で、幾度かの激しい抵抗、激しい戦争の末、敗れて、ホアキンに服属した民族もある。
それらの民族は服属後、奴隷階級とされた。
即ち、奴隷階級とは、歴史的にみて、強大なホアキン帝国に対して、英雄的な戦いを挑み敗れた民族の子孫であることの証しなのである。
今、帝国において、一般民、奴隷階級は、経済的な得失はない。奴隷階級が差別される、ということもない、
奴隷階級という呼称の廃止は、歴史的に、帝国政府から何度も提唱されたが、当の奴隷階級の人びとがこれを肯じないのであった。
景気が戻り、人びとの暮らしが再び豊かになると、ミマナ同様、ハイツー独立国も、その存在意義に対して、疑義がもたれた。
身分制度の廃絶。その言葉に共鳴する人はたしかにいた。
貴族、聖職者、騎士階級には、それなりの特権もある。が、それに伴う義務、儀礼はあったので、一般民、奴隷階級の大多数の人は、己のその身分に自足していたのである。
ハイツー独立国が、今に至るもそのまま続いているのも、ミマナと同様の理由、先代皇帝の代表的な業績であるから、なのであった。
トマスが三代目教主になったとき、何かインパクトのある教義を新たに提唱し、ミマナの存在意義を明確にしよう、そんなことを思ったこともあった。
が、結局、何も思い付かなかった。
別に今のままでええやん。無理しても、ろくなことにはならんやろ。
三代目教主トマス。今は、そう思っていた。