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 さて。

 魔獣になって、クラウと出会ってから早くも一年が経った。「反術探しは無駄だからしない」と約束したにも関わらず徹夜して身体を壊したクラウを叱ったり、わたしの魔力を整える能力がこの国の魔術の考え方に影響を与えたり、ほかにもいろいろとありはしたものの、結果としてはわたしがクラウの家に住み着き、彼の手伝いをすることになったというだけの話だ。

 身体にも変化はない。あえて言うなら魔獣の身体にきちんと慣れ、魔術具を介さないで魔法を使えるようになったりしたくらいだろうか。橙色の翻訳石は気に入っているので、飾りとしてもらったままでいる。

 実は勇者一行として生きる前からこんな装飾品を持ったことはなかったので、初めての装身具なのだ。身を飾ることは楽しいのだと、一般に飾り甲斐のあるとされる若い女の身体を失ってから気付かされた。とはいえ、女の装身具は数多いので、飾る場所の少ないこの身体だからこそそう思えたのだろうと感じている。

 それから、妹とも連絡がとれた。恋人である商人とともに大陸を移動する生活をして、今では腹に子が居るという。これはクラウと、クラウの友人らによる尽力のおかげで知ることができた。わたしを呼び寄せたと同じ召喚術の一種によって連絡もさせてもらっている。

 勇者一行のことは、興味がないので知らない。きっとクラウは調べているけれど、わたしは世界地図に変動がないことだけわかっていれば充分だ。

 クラウはわたしにひどくよくしてくれた。呼び寄せた負い目があったからだろう、それはそれは居心地が悪かった。なので喧嘩もしたし、しばしば家出と野生化未遂も繰り返した。深く考えないわたしにつられ、彼も次第にわたしを「話せて魔法が使えるフェネックギツネ」と扱うことに落ち着いた。

 そもそもフェネックギツネの姿しか知らないのだから、いくら文字で「実は若い娘だ」と言われても実感するはずがない。今ではクラウの膝の上で眠るほどの愛玩動物ぶりだ。一応言っていくと、わたしが押しかかったのではなくクラウの希望である。仕事に疲れるとふわもふの高い体温が欲しくなるのだそうだ、こちらとしても慣れてみれば他人の体温はなかなか居心地が良い。

 

 丸まってうとうとしているところを掬い上げて膝に乗せられる、なんてこともある。今日のように。

 太陽の当たる日向から凹凸の激しい男の膝に移動しても、わたしの眠気に影響はない。ずりずりと身じろぎ、落ち着く位置でくあり欠伸をひとつ。背を撫でた手が耳の後ろに移動し、滑るように顎をくすぐる。何も考えずに大口を閉じると、ちょうど牙の降りる箇所に親指が位置していた。

 あ、と思うももう遅い。

 

「いてっ」


 偶然に牙を掠めた指先が、鉄の味を滲ませる。慌てて口を開け、首を引いた。

 

「すいません、大丈夫ですか」


 首をぐいんと真上に向ける。人体に流れる金属の味が舌に残っている。肉食獣の味覚でも不快感は拭い去れず、いやに熱を覚えながら飲み下した。眼前に掲げられたままの指にはほんのかすり傷しか見えなくて、とりあえず安心する。

 

「大したことないよ、これくらい」

「いえ、動物に噛まれたらすぐに洗って……」

「そんな気にするほどの怪我じゃ、フィナ?」


 息が詰まる。

 脳みそが底から振り回されてるみたいな目眩、遠心力に投げ飛ばされそうな意識を必死に捕まえていると、今度は辺りの光を全て拾ったような眩しさが襲う。目を閉じて、短い前脚で頭を抱える。クラウの声を遠く拾う耳が勝手に揺れて、止まる。大地の引力が両肩に圧し掛かり、数瞬、跡形もなく消え去った。

 目を開く。

 なんだか視界に違和感を感じて、瞬きをする。目眩はすっかり消えていた。首を傾げると、視界の端で黒い髪がさらり揺れる。クラウの髪も充分に黒いけれど、こんなふうに長くはない。無意識に手を伸ばすと、白い女の手があった。

 なんだこれ。

 理解が及ばないまま、体温の側に首を向ける。男の顔はいくらか下にあって、なるほど、先ほどの違和感は床が遠くなったからか、と思った。見開かれた翠玉に女の姿が映っている。自分の頬を触ると、見忘れかけた見慣れた顔も同じ動きを返した。褐色の唇が、細い空気の末にようやく一音を吐き出しかけたことではっとして、自らの足を床に下して飛びずさった。

 目線の高さが変わると部屋の間取りも違って見える。それでもこの家に唯一の全身鏡を見つけ、駆け寄った。頭が働かないまま、声帯が震わされる。

 

「も」

 

 生意気なつり目、高い位置で一括りにした黒髪。服装は薄汚れた旅装で、丁寧にかつて破けた手袋や袖までまるきり一年前のそれそのままだった。

 女にしては長身と言われ続けた視界の高さは、フェネックギツネと似つかない。柔らかな毛並みもないし、まずもって脚の数から違うのだ。呼気が鏡を曇らせるほど近寄って、平面の頬に触れながら呆然と呟く。

 

「もど、った……?」

 

 声につられるようにクラウが呆然と立ち上がり、鏡越しに向き合った。薄く開いていた唇が、なにかの音を紡ぎかける。振り返って、数瞬。

 

 ぴかっ

 

 再び眼も開けていられないほどの光が襲い、ぐらり激しい目眩が止んで、見えたのは砂の粒。床材のないこの国で、とっくに見慣れた地面の近さ。

 一瞬の出来事は夢のように、鏡の中には白いフェネックギツネと直立するクラウだけが残っていた。ただ、思わず触れた女の手跡だけが、失われた時間の証拠だった。




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