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02




 男はしばらくの間混乱して立ち呆けていた。そのうちに石板の陣の光が消え、周囲を取り巻いていた結界も収まり、わたしはぴょんと外に出て動物らしくおすわりをした。ヒトだと気づかれたからには、せっかくなのでこのあたりのことでも教えてもらいたいものだ。

 呪いで魔獣化した人間なんて研究材料にされてもおかしくないけれど、白黒させたままの目にそんな熱量はなさそう。真実信用できる相手かは知らないが、信用してみることに決めていた。わたしはわたしの目を信じている。

 逆に自分の目を疑っていそうな男をいつまでも待っているつもりはないので、「きゅう」とひと鳴き。ようやく正気を取り戻し、いぶかし気に眉が寄せられた。

 

「ひ、ヒトの、女性……?」

「きゅん」

「魔術でキツネに……?」

「きゅー」


 鳴き声でははいもいいえも伝わらないので、首の動きも加えて返事をする。ヒトの女性だが、魔術による獣化ではない。縦と横に一回ずつのその返事によって男の困惑はさらに深められたようだった。


「魔術以外でどうやって……ていうかヒトなんて喚び出せる魔術陣だったか……? て、あ!」

「きゅ?」

「まずは、謝罪しなければ。ほんとうに申し訳ない。突然召喚されて驚いたでしょう」

「きゅ」


 床に膝を付け、目線が合わせられる。確かに驚いたが、丁度よくもあった。あのまま一行から外れる機会もなく、呪われては解呪され魔王国へ挑みと繰り返していたくはなかった。外れますと言ってそうですかと離してもらえる程度の腕前ではない自負がある。

 攻撃と同時の失踪だったから、きっと向こうの将軍がわたしを殺したことになっている。魔王国と将軍には悪いが、一度死んだことになれば逃げだしやすい。気掛かりは妹を悲しませることだけだ。

 妹だって立ち直れる。信じているし、実際はわたしも彼女も生きている。会うべき時が来たなら、どれだけの距離があったって会えるはずだ。つい朝までの場所と今の距離を考えれば、一日で会いに行くことだってできそうなもの。世界は思うよりずっと広いが、わたしたちの足だって思うよりずっと遠くに進める。

 驚いただけで不利益はなかったのだから謝罪は必要ないけれど、一応頷いて返事。翠色がほっとしたように緩んだ。

 

「俺はクラウディオと言います。ええと、まず、移動しましょう」

「きゅ」

「あちらの机のほうに……抱えても構いませんか」

「きゅ」

「じゃあちょっと、申し訳ない、失礼します」


 差し出された手が一瞬ためらう様子を見せたので、こちらからすり寄る。我ながらふわふわの毛並みをしていることだろう、ふふん。

 先ほどより幾分か丁寧にわたしを抱え、現れたのと同じ机の上に戻る。彼、クラウディオさんは椅子に腰かけた。視線が合わせやすい高さだ。

 

「さすがに会話は難しいですよね、筆談するってわけにもいかないし。戻ったりは、できないんですよね……? ヒトに」

「きゅーん」


 戻れるのなら、ヒトだと気づかれた時点で戻っている。万が一の可能性も考えて変化みたいなことができないか魔力を動かしてみたが、空回るような気配に終わった。ヒトになれる魔獣もどこかに居ると聞くけれど、ほどんど神話に生きている。

 少しの間をおいて返した返事に、クラウディオさんは「だよなあ」と吐き出した。さっきの魔術陣は本来どれだけの精度を持つのか、信じ切れても居ない様子。呪いで獣になるくらい、町に一人は経験しているだろうに。


「さっき使った分析の魔術って、本当はヒトに使っちゃいけないんですけど、それについても申し訳ない。ただ何もわからないっていうのはやっぱり困るので、いくつか確認しても……?」

「きゅ」


 どうしても知られたくない秘密、といって思い当たることもない。首を縦に振り、じっと見上げる。独り言のときと比べてずいぶん腰が低くなったものだ。話しやすいようにしてくれ、と、伝えられればいいのに。

 合っていたら縦に、違えば横に首を振り、答えられなかったりわからなければ鳴き声を、と取り決めて質疑応答が始まる。

 

「名前はデルフィナ?」

こくり。

「生まれは、ユーシーアというところ?」

こくり。

「へえ、どこにあるんだ。地図を見たことは?」

こくり。

「じゃああとで持ってくるので、場所を教えてください」

こくり。

「さっき魔術じゃないって言ったけど、じゃあなんで……と、これは駄目か。ええと、呪い……も、わかんないし」

「きゅ?」

「これは答えられなかった?」

ふるふる。


 ただ、呪いだと知っていて理由を訊かれたことがふしぎだっただけで。

 そんなことも伝えられない状況がもどかしい。クラウディオさんも同じようで、むむむ、と口を尖らせた。初めましてに二択じゃ足りなすぎる。

 とはいえ他に方法もなく、次の質問。

 

「元に戻る方法はどう、じゃなくて、知ってますか?」


ふるふる。


「えっ」


 えっ、と言われましても。

 先ほどから繰り返すが、変質した呪いの解き方なんてわからない。

 

「じゃあそれは、誰かに姿を変えられたっていう……」

こくり。


 頷くと、クラウディオさんはしばし動きを止めた。もごもごと口の中で紡がれている言葉はいかにフェネックギツネの耳でも聞き取れない。表情は、困惑とか、恐れの色が見えている。

 ……恐れ?

 そんなものは、召喚陣から魔獣が現れたときか、遅くとも魔獣になった人間がいるというところで見せるべきだったのではないか。自分で戻れなくて、誰かに姿を変えられたと聞いてなぜ……と、首を傾げた。先ほどの石板に彼の目がちらちら向かう。

 

「きゅーぅ?」

「うわっ」

「きゅん?」


 フェネックギツネのつぶらな瞳が青年を射抜く。しばらく見つめあっていると、得も言われぬ緊張感が漂いだした。わたしはべつに緊張するような状態じゃない。

 一体彼はどうしたのか。

 沈黙。

 …………。

 あ。

 

「きゅーきゅっ! きゅーん!」


 ああちくしょう。わかったのに真実を伝えられない! とつぜんぱたぱた動き出したわたしにクラウディオさんが身を引いているのが見えるけど、構ってられなかった。

 地団太を踏もうと足に力を入れると爪が立ってしまったので、慌てて前脚を振る。机に傷がついてしまう。きゅーきゅー言いながら、一旦落ち着くためにその場でくるくる回ってみた。

 目の前をふさふさな尻尾がふらふら。ちょっと面白い。

 いつの間にか尻尾を追うことに気を取られ、「あの?」と声がかかるまで何をやってたか忘れてしまっていた。獣の遊びじゃないか恥ずかしい。

 しかしそのお陰かクラウディオさんの謎の緊張は解けたようで、「ふは」と息を吐いてわたしの頭に手を伸ばした。がしがし、慣れてない手つきは少し強くて目を閉じる。二人して一旦落ち着いて、そこで「あ」と低い声。

 

「きゅ」

「いや、今の今まで忘れてたんですけど」


 離れた手を追って、部屋の隅に寄せられた机を見る。部屋は全体的にすっきりしているけれど、それはいらないものを全部この机に乗せているからだろう、と思わせられる山ができていた。空のインク壺とか本とか紙とか折れた羽ペンとか、汚れた布や枯れた枝なんてものも見える。ひとつ崩れたら全て落ちてきそうな山に、クラウディオさんは怯むことなく果敢に手を伸ばした。

 そしてなんということか、乱雑な中からあっさり華奢なネックレスを取り出した。実はわたしから見えないところに召喚陣が敷いてあって、探さなくてもいいようになっていたりするんだろうか。慣れてるなんてレベルじゃない、ちょっと信じられない速度だ。

 信じられなくて見ていたのだが、ネックレスに興味があると思われたらしい。細い銀の鎖、橙の石ひとつが飾りについたそれが眼前に垂らされる。

 

「これ、翻訳石という魔術具なんです。出来がよくないのでなんとなくしか伝わらないけど」


 ほほう。

 分析の魔術陣でも思ったけれど、なんて発展しているんだこの国は。しかし通訳するならこっちもなにかしら言語を操っていなければならないのでは。

 足で触れるように置かれたため、ちょいとつつく。

 

「そのまま触ってれば、魔力を介して意思が伝わる……みたいな仕組みで」

「きゅい」


 ならばと踏みつけ、「もしもし」と思う。思うだけで伝わらないなら、延々「きゅきゅきゅきゅーい」などと言わなければならないのである。……というより、わたしがフェネック語を使えるようにならないといけないのだろうか。鳴き声でどうやって伝えたらいいんだろう。お手本なしに学ぶのはきつい、と思ったところで、喉元にぷかり自分のでない魔力が浮かんできた。

 もともとわたしは魔力を持っている。とはいえ、魔術のひとつもまともに使えなかったので、実際「これが魔力だ」と感じることは多くなかった。

 それがこの身体はどうだ。喉元の魔力が、わたしの魔力を吸った石から流れ出て橙色の球体を形作っていることさえわかる。球体がやけにすかすかでぐちゃぐちゃなことも。

 もう一度、もしもし、と考える。同時に石にほんの少しの魔力が吸われ、すかすかの隙間からこぼれながら球のうちをぐるり。最後に、残ったものが石の中でぎゅっと縮こまり放たれた。あっという間のことだ。

 クラウディオさんを見上げると、眉を寄せている。

 

「なにか言ってるな、とはわかるんです。でも雑音が多くて」


 使えないか、ため息に考える。伝えようという意志の問題かと、さっき気付いた伝えねばならないことを送ってみたが「また何か言いました?」と首を傾げられて終わる。

 あと気になるのは、喉元の球体。これがきっと魔術なんだろう。これをどうにかできないものか、と、自分の魔力を注いでみた。隙間を埋めるように、ゆっくりと。魔力の状態が感じられるお陰で、初めてといえ簡単にできてしまった。多少の粗はご愛敬だ。

 これでどうだろう。もう一度「もしもし」と送り込んだ。

 

「!」


『聞こえますか』

「え、聞こえ……なんでこんなはっきり、急に」


 よし。

 

『わたしは犯罪者じゃないですからね!』






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