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雨男と雨蛙

作者: 熊野 豪太郎

 雨男とあまがえる


 外に出ると、さめざめと雨が降りしきっていた。僕は大きな黒い傘を広げて歩き出す。

 雨は嫌いだ。うっとうしく傘をたたきつける音、じめじめとした雰囲気、はねて僕の足にかかる水しぶき。みんなみんな、大っ嫌いだ。

 今年で僕は高校生になった。でも、今日はどうしても行く気がしない。重い足をひきずってぱしゃぱしゃと足音を立てながら歩みを続ける。

 僕は雨男だ。

 なにか用事がある日には、どうやら必ず雨が降るようなのだ。

 小学校の時の遠足、中学校の時の体育祭、

そして昨日と今日の球技大会。どんな行事の日にもひとつの漏れもなく、雨が降った。おかげで学校での行事は、記憶にある限り一度も楽しめたことがない。そして友達と遊ぶ約束をした日や、家族で出かける用事がある日にも、必ず雨が降った。親に聞いたところ、僕が生まれた日も雨だったらしい。

 そして今日は球技大会の三日目。僕の出る種目はサッカーだが、この雨ではおそらく中止になるだろう。いつも通り、この雨はやまない。

 クラスのみんなはいったいどんな顔をするだろうか、スポーツ好きなクラスメイトは、きっとがっかりするだろうし、運動が苦手な人は、ほっとしているかもしれない。

 雨雲は、人のそういった感情たちを吸って

大きくなり、そして鬱屈とした感情を降らせているのではないだろうか。

 僕は、一つため息をつくと赤になった信号に目をやり、交差点で立ち止まった。そして携帯を開いて、今の時刻を確認する。八時二十五分。この交差点から学校まで、ギリギリ間に合うか間に合わないかくらいの時間だ。

僕はもうすぐ青になるであろう信号に目をやると、踵を返して歩き出した。

 雨脚は一層強くなった。お前が行くのはそっちではないだろうといっているように感じた。僕は雨の声を無視して歩き続ける。今から家に帰っても母さんに叱られるだけだろうし、行く当ても特にない。さてどこに行こうか。そう考えて前を見ると、クラスメイトがこっちに向かって歩いてきていた。とっさに下を向くが、どうやら気づかれていたらしい、彼はこちらに声をかけてくる。

 「よう、おはようさん。」

彼ははきはきと話しかけてきた。身長は高いが、ひょろひょろしていて、どこか頼りない印象の同級生だ。折りたたみ傘をさしているが、どこか窮屈そうに身をかがめている。

 「やあ、おはよう。」

 僕は彼を見上げるようにして挨拶を返す。

 「どうしたんだ?学校、あっちだろ。」

 痛いところをついてくる。僕は彼から少し目をそらすと、

 「いや、忘れ物を思い出して。」

 とつい嘘を言ってしまった。

 「そうか、お前の種目サッカーだっけ?まあ、この雨じゃ中止だろうけどな。俺バスケだから、応援来いよ。」

 彼はそう僕に笑いかけると、じゃ、後でな。

と言って歩いて行った。僕も再び学校とは逆方向に歩き始める。さっき携帯で見た時間をふいに思い出した。彼の去り際に、遅刻するぞ。と声をかければよかっただろうか。それとも、おどけた風に、走れ走れ!と言うべきだったかもしれない。そう思って振り向くが、同級生はすでに雨にかき消されたように見えなくなってしまっていた。

 どうせ―。

どうせ自分の声はこのざあざあという雨音に邪魔されて聞こえなかったに違いない。僕は自分にそう言い聞かせ、下を向いて歩き始めた。

ぱしゃぱしゃ、ざあざあ、ぽつぽつ、しとしと、ぱしゃぱしゃ、ざあざあ、ぽつぽつ、しとしと。

無言で歩く僕に雨は語りかけてくる。言葉はわからないが、きっとそうだと感じた。もしかしたら僕は、嫌いなはずの雨と話をしたいと思うほど、寂しかったのかもしれない。

 雨の音を聞きながら下を向いて歩いていると、一匹の蛙を見つけた。緑色の背中に目の付近を走る黒いライン、雨蛙のようだ。雨蛙はギャロッと鳴くと、元気にはねながら進む。

蛙にとってこのじめじめとした空気や、わずかに漂う雨の香りは好きに違いない。僕は嬉しそうに飛び回る蛙を知らず知らずのうちに追いかけていた。

 雨が好きな蛙と雨が嫌いな僕。このふたつの生き物による行進は、少し弱まった雨の中、続いていく。

 しとしと、ぱしゃぱしゃ、ぽつぽつ、ぴちゃぴちゃ、しとしと、ぱしゃぱしゃ、ぽつぽつ、ぴちゃぴちゃ。

 雨が降り、僕が歩き、蛙が歌いながら跳ね回る。やがて蛙は川の土手にたどりつくと、茂みの中に姿を隠してしまった。

僕は我に返ると、目の前の景色を見て驚く。

 雨が、止んでいる。

雨男だった僕が、球技大会の日に見た青空。

それはとても青くて、すがすがしいものだった。いつもはマンションや工場でとぎれとぎれにしか見えなかった空は、ここからだと僕の町と一緒によく見える。自分にとって、とても意味のある景色だった。

 雨蛙は、この景色を僕に見せに雨の中、待っていたのかもしれない。雨男だった僕に、空の青さを伝えるために現れたのかもしれない。そう感じた。

 人は誰でも自分の中に雨を飼っている。そして悲しいときやいやな気持ちになった時、雨雲は人の心の中に現れて、雨を降らすのではないだろうか、そしていつか苦しい出来事や辛い気持ちを、洗い流してくれるのではないだろうか。綺麗に洗われた心は、次第に青空へと変わっていくだろう。晴れた空を眺めながら、そう思った。

 「バスケの応援、間に合うかな。」

 僕はボソッとつぶやくと、黒い傘をたたんで走り出した。


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