守護者
一色先生に話を訊くことに決めたが、時間も遅かったので隼人と伊織の二人はそのまま寮へと帰宅した。そして次の日の昼休み、今度は智輝も伴い三人で一色先生の元へと訪れていた。
「おや、どうした?」
隼人達が保健室へと入ると、執務机に向かって何かを書いていていた一色先生が顔を上げて迎え入れる。
「一色先生にお話があるのですが、今お時間よろしでしょうか?」
「ああ、構わないよ。今は休んでる生徒は居ないし、ダンジョンに行ってる子達も、この時間ならほとんど帰って来ないからな」
一色先生は椅子から立ち上がると、部屋の隅に置いてあった四人掛けの机に近づく。
「まぁ、とりあえず好きなところに座るといい」
一色先生は散らかっていた机の上を簡単に片づけると、
「それともこっちで話すか?一応片づけたから話ぐらいなら出来るけど」
「あ、はい、では」
隼人達はその机の片側に椅子を三つ並べて座る。
「ほい、今日は茶菓子ならちょうどあったから食べるといい。茶は…職員室に行かないと用意出来ないから諦めてくれ、面倒くさいのでな」
誰かのお土産だろうか、一色先生は個別に包装されている一口サイズのパンケーキのようなものが入った箱を隼人達の目の前に置くと、自分はすっかり冷えきったコーヒーが入ったコップを執務机から持ってきて隼人達の向かい側に座った。
「で?どうした?昨日の今日だから羽山君とでも話をしたのかい?」
一色先生はコップからコーヒーを一口飲む。
「はい、それでお訊ねしたいのですが、あのネックレスにはどんな価値があるんでしょうか?」
「価値、ね。それを何で私に訊くかね?羽山君から何を言われたか知らないが、私はそんなこと知らないよ」
一色先生は呆れたような声でそう言うと、首を小さく左右に振る。
「…一色先生はあのネックレスの事は知ってるんですよね?」
「知ってはいるよ。だが価値と言われても、私はそういう目利きが出来ないからな」
一色先生は肩をすくめると、コップからコーヒーを一口飲む。
「本当ですか?何かこう、明良さんが作ったので何か特別な機能があるとか」
「ああ、まぁ彼が作った物ならそういうのはありそうだけど、残念ながら私は知らないな」
「そうですか……」
残念そうに呟いた隼人に、一色先生はばつが悪そうに頬をかくと、少し考えて隼人に話し掛けた。
「……ネックレスの価値とやらに関係しているかは分からないが、明良君はあのネックレスを“御守り”と言っていたな」
「御守り…ですか?というか、やはり一色先生は明良さんと面識があったんですね」
「まぁね。明良君とはそれなりに親しくさせてもらったよ。…しかし、本当におしい男を亡くしたよ」
どこか悔しげに呟かれた最後の言葉に、隼人は何か自分が知らない真実の響きを感じた。
「あの――」
それを問いかけようとした隼人の言葉を遮って、一色先生は話を続ける。
「御守りというのがどういう意味だったのかまでは私には分からない。ただ、もしその“御守り”とやらが何かしらの機能の話で、明良君が君にそのネックレスを渡したのならば、それは君を守る為の機能だったのかも知れないね。なにせ彼は一流の、並ぶ者のいないほどに圧倒的な実力を誇った魔法道具職人だった訳だし」
懐かしそうに語る一色先生の表情はとても穏やかで、明良と一色先生の関係が良好だった事が窺えた。
「……そうですか、ありがとうございます」
そんな一色先生の様子に、先ほど感じた疑問をぶつけるのがひどく無粋な気がした隼人は、静かに礼だけを述べると、智輝と伊織と共に保健室を後にした。
◆
「で、どうするの?」
保健室で一色先生に話を訊いた後、三人は裏庭に設けられた休憩所に腰を落ち着けていた。
「どうすると言われても、一色先生はあれ以上ネックレスについては知らなさそうだったし……」
伊織の問いかけに、隼人は困ったように首に手を置く。
「何か思い出したとかは?」
「いいや、全然」
隼人と伊織は、同時にため息を吐く。それぞれのため息の意味合いは違った気がするが…。
「ねぇ」
そんな二人に、先ほどからずっと蚊帳の外だった智輝が話し掛ける。
「ん?」
「なに?」
「それでさ、呼ばれたから一応付いてきたけど、結局さっきから何の話をしてるの?いや、ネックレスの話なのは分かるけどさ……」
「「………あ」」
智輝の疑問に、隼人と伊織は智輝に何の説明もしていないことを思い出すと、同時に声を上げるのだった。
◆
月と星の光だけが世界を照らす闇夜の中、人目を避けるように学園の片隅で蠢く二つの影があった。
「一の守護者が多少の動きをみせただけで、こちらは大した変化はありませんわね」
その影の片方、羽山恵はもう一つの影へと語りかける。
「多少の動き?」
「ちょっとしたいたずらのようなもので、別段報告するようなことではありませんわ」
「そう、こちらも大して動きは無いわね。相変わらず三の守護者が水面下で活発に動いてるぐらいかしら」
影は世間話でもするような気楽な調子で羽山恵に現状を報告する。
「三の守護者は相変わらずですか…三の守衛は?」
「…三の守衛は学園の監視をしているそうよ、先日の件があったからかしらね」
「ならばニの守護者も迂闊には手出し出来ないでしょうね。…二の守衛を使われたら三の守衛だけでは大変でしょうけれど」
「あの二の守護者が守衛程度を気にするとは思えないけど。まぁでも、二の守衛の方は今のところは無いでしょう、現在ニの守衛はこちらの対応に回ってますから。とはいえ、彼一人では少々役者が不足していますので、もう保てないでしょうけど」
「ニの守衛を退けたらどうするんですの?」
「ニの守護者に少しちょっかいを出しつつ様子見かしらね。ニの守護者の相手は三の守護者が相応しいでしょうから」
「そうですか」
「ええ。…それで、明良様のネックレスの方はどうなってるのかしら?」
「取り戻して封印してますわ」
「…そう。まぁ、あのネックレスの真価については不明な部分がまだありますが、分かっている性能から言えば、おそらくあれを明良様が彼に託したのは友としての御守りでしょうね。彼でなければならなかったとは思えません」
「ええ、あれは単純に、たまたま、運よく明良様と縁が持てただけの存在ですから」
羽山恵の力の入りように、影は嘆息して言葉を続ける。
「やけに刺々しいですね、まだ明良様の最期を気にしてるのですか?」
「それは勿論。寧ろ貴女が平然としていられることに違和感を覚えますが?例え自称でも貴女は明良様の妻でしょう?」
「…まだ殺されたとお思いで?」
「当たり前です。あの日も明良様と昼過ぎまで一緒に行動させていただいていたのです。それなのに、いきなりあんな風に病気で亡くなるはずがありませんわ」
「…暗殺より病死の方が現実的だと思いますが?明良様を暗殺など、それこそあり得ない話でしょう」
「分かっています。ですから不審に思うのですが……相変わらず貴女は何かご存知のようですけど、まだ教えてはくださらないので?」
羽山恵は、探るように少し声を低くする。
「さぁ、何の事でしょう?ま、なんにせよ、いずれ分かる日が来ると思いますよ…あまりオススメはしませんけど」
「はぁ、相変わらず変わり映えのしない答えですわね」
羽山恵は諦めたようなため息を吐くと、肩をすくめる。
「そのネックレスについては貴女に任せるとしまして、報告は以上ですか?」
「ええ、こちらからは特にお伝えするべき話はありませんでしたから」
「そうですか、ではまた」
「ええ、また」
そういうと、羽山恵は一瞬で姿を消した。
「…相変わらず、その指輪は便利なものですね」
それに影は小さく感想を漏らすと、こちらも一瞬で姿が見えなくなったのだった。
◆
「むむむむむ……」
一色先生から話を聞いた翌日の昼休み、裏庭の休憩所で隼人は唸っていた。
「まぁ今まで忘れていたんだから、直ぐには思い出さないと思うよ」
そんな隼人に、伊織は困ったような笑顔を向ける。
「それはそうかも知れないけどさ……」
「そういうものは意識してない時にでも、ふと思い出すものだよ」
智輝が励ますように隼人の背中を叩く。
「むー、何か思い出せそうなんだけどな……むむむむむ」
頭を抱えて唸る隼人。そんな隼人に、背後から聞き慣れない声が掛けられる。
「そんなに悩んでどうかされましたか」
隼人達は声がした方へと一斉に顔を向ける。
「貴女は確か、三空学園長と一緒に居た……」
「霧華 鏡花と申します。気軽に鏡花、とお呼びください」
そう言うと、黒のワンピースの上に白のエプロンを着けた、どこか家政婦を連想させる格好の、人形のように綺麗な妙齢の女性は、腰の下辺りの服の外側を摘まんでそれを軽く持ち上げると、片足を少しだけ下げてから優雅に一礼する。
それを受けて隼人達は慌てて椅子から立ち上がると、鏡花の方を向いて挨拶をした。
「あっ、僕は棗隼人です」
「オレは橘智輝です」
「わたしは妹尾伊織です」
そんな三人に鏡花は優しく微笑みかける。
「それで、先ほど何か悩んでいるようでしたが、どうかされましたか?」
鏡花は小さく首をかしげると、親しみを込めた口調で語りかけてくる。
「え?あ、いや、そんな大したことでは……」
反射的に腕を振って否定する隼人に、
「そうですか?何やら深刻そうな感じでしたから、何かお力になれれば、と思ったのですが…」
鏡花はどこか寂しげに呟いた。
「えっと、あの、いえ、本当に大したことではないので、お気持ちだけ有り難く頂いておきます」
鏡花の突然の出現に軽く取り乱している隼人は、ぺこぺこと頭を下げて申し出を固辞する。
「そうですか、無理強いは出来ませんものね。明良様のネックレスの件でお悩みなのかと思い声を掛けさせていただきましたが、早合点だったようで、申し訳ありません。それでは私はこれにて失礼致します」
鏡花は丁寧に頭を下げると、踵を返してしまう。
「ちょっと待ってください!」
隼人は鏡花の背中についつい大声を出して引き留めてしまう。
「どうかされましたか?」
鏡花は気にする様子もなく振り返ると、背筋の伸びた美しい姿勢で問いかけてきた。
「ええっと、明良さんのネックレスについて何か知っているんですか?」
緊張した様子で鏡花に確認する隼人に、鏡花は静かに頷いた。
「はい、おそらく棗さんが知りたいであろうことの大半についてはお答え出来るかと」
「では、教えて欲しいのですが!」
隼人が勢い込んで喋ろうとするのを、鏡花は片手を上げて制止する。
「その前に、せっかく机と椅子があるのですから座りませんか?少し長話になるでしょうから」
そう言って微笑みかける鏡花に、隼人はそこまで頭が回らなかったことに赤面すると、静かにさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。
「さて、では何からお答えしましょうか?」
片側に隼人と智輝が座り、隼人の向かいに鏡花が、その隣に伊織が座ると、鏡花が隼人に話しかけた。
「えっと……では、現在のネックレスの所在について知りたいのですが?」
「現在、隼人さま達がお探しのネックレスは、羽山さまの自室にて厳重に保管されています」
「え?じゃあ盗んでいないって羽山さんが嘘ついていたって事?」
鏡花の答えに、驚いたように伊織が質問する。
「いえ、厳密には羽山さまは嘘をついてはおりません」
「でも、ネックレスは羽山さんの自室にあるんですよね?」
「はい、そうです。ですか、羽山さまにとってはあのネックレスは明良様の所有物であり、棗さまの所有物ではないのです。そして、今回の件は羽山さまが棗さまから盗んだのではなく、亡くなられた明良様に代わって羽山さまが返してもらった、という話になっています。ですから、羽山さまにとっては盗んだ訳ではなく、返してもらった。という訳です」
「そんなの――」
屁理屈だ。と言おうとした伊織を制するように、鏡花が首を左右に振る。
「確かに、貴方方から観ればこんな話など屁理屈以外の何物でもないでしょう。ですが、あながち羽山さまの言い分も間違ってはいないのです」
「……どういう事でしょうか?」
緊張からか、隼人は硬い口調で続きを促す。
「実はあのネックレスは棗さまだけでなく、羽山さまの物とも言えるのです。ですから、理由は少し違いますが、盗んだ、という表現は相応しくはないでしょう」
「え?どういう……」
鏡花の発言に、隼人は驚いて小さくそう呟いた。
「明良様は元々、棗さまと羽山さま二人にネックレスを渡す予定でした。ですが、明良様がネックレスを二つ作るより前に、亡くなられてしまいました。あのネックレスは元々、羽山さまの持ち物だったのですが、棗さまのご都合により二つ目が出来る前に、そのネックレスを棗さまに渡す必要が出来たのです。しかし、棗さまにネックレスを渡した後、二つ目が完成される前に明良様は亡くなられてしまいましたので、結局羽山さまの手元には新しいネックレスが届かなかったらしいのです。ですから、あのネックレスは羽山さまの物でもあると言えなくもないのです」
「隼人の都合?」
「それについては私の口からお話する事ではありませんので、後ほど棗さまに御伺いしてください」
「……あのネックレスの価値とは?」
少し口元をもごもごと動かした隼人だったが、鏡花への質問を続けた。
「あのネックレスは治癒の力を秘めたネックレスです。ですから、あのネックレスをしている限り、ある程度の怪我以上からは勝手に治癒してくれるのです。…例えそれが致命の一撃だろうとも、所持者の魔力が尽きるまでは…」
「……死人も治せるって事ですか?」
伊織がおそるおそるというように鏡花に質問する。
「はい、それだけの魔力が所持者に残っていれば、の話ですけど」
鏡花がこくりと首肯すると、三人はネックレスのあまりの性能に、現実味の薄い驚愕を覚える。
「……それがあのネックレスの価値…」
「確かに凄いな、それは」
「…それは羽山さんが価値を知れ、なんて言う訳だよ」
三人は口々に感嘆の声を漏らす。
「しかし、それほどの回復は一度で所持者の魔力をほとんど使いきってしまうでしょうし、死んでしまえば魔力を失ってしまいますから、どちらにせよ、そんな状況では生き残るのは難しそうですが、…あのネックレスにはそれ以外の価値がある可能性も存在しているので、何とも言えませんね」
鏡花から放たれた言葉に、三人は一斉に鏡花へと視線を向ける。
「…まだ他にあるんですか?」
「おそらくは、としか答えられませんが、あのネックレスからは治癒をするという以外の物を感じるのです」
「それは?」
「まだ判明しておりません」
隼人の言葉に首を左右に振る鏡花。
「…他に何か訊きたい事はございますか?」
「あの、……鏡花さんは明良さんを良く知っているようですが、どういう関係だったんですか?」
隼人は僅かに逡巡する様子を見せるも、おそるおそるといった感じで鏡花にそう質問した。
「明良様は守護者で、私は守衛。ただそれだけです」
「守護者や守衛とは何の事ですか?」
隼人が疑問を口にすると、智輝と伊織も目で鏡花にどういう意味かと訴えかける。
「守護者はその名の通り守護する者、この世界を魔人の脅威から守護している方々です。守衛はその守護者の方々の補助であり、代替品です。昔は魔人を封印している祠を守る役目があったらしいのですが、今は専ら守護者の方々の護衛が役目です。守衛という名前は、昔、その祠を守っていた役目の名残だそうです」
「魔人?」
「魔なる人、もしくは魔なる神とも書きますが、遥か昔に世界を支配していた者の事だと聞き及んでおります。この辺りの歴史については我ら守衛よりも、守護者の方々の方が詳しいはずです」
隼人の独り言のような疑問に、鏡花がそう説明するも、三人は頭上に?を浮かばせる。
「急に理解出来るものではないでしょうから簡単に説明しますと、昔、世界を我らとは別の存在が支配していました。それを封印し、今なおその封印を守っておられるのが守護者と呼ばれる方々で、その守護者の護衛が守衛と呼ばれる者たちです。これで少しは理解出来そうでしょうか?」
三人の顔を一人ずつ確認する鏡花。
「まぁ、なんとなくは…」
隼人がそう言って頷くと、二人もぎこちなく頷きを返した。
「それならばよかったです。とにかく、私と明良様の関係はそういう事です。まぁ、私は明良様の護衛担当ではなかったのですけども。それで、他に訊きたいことはございますか?」
「えっと……、そういえば、羽山恵さんが黒い人はニの守護者だと言っていたのですが、本当ですか?」
その隼人の疑問に、鏡花は少しの間困ったように沈黙すると、諦めたようにひとつ息を吐いた。
「……そうですか、羽山さまが…。それについては事実ですが、あまり深く関わらない方が貴方方の為ですよ」
「何故でしょうか?」
「知れば戻れない、という簡単な話です」
さらりと告げる鏡花だったが、その声には『今ならまだ引き返せる』という意味の警告が含まれていた。
「…なるほど。しかし、僕達も相手の事を知っておいた方がいいと思うんですよ」
それでも三人は臆せずに、真剣な眼差しで鏡花を見詰める。
「……はぁ、まぁ今更感もありますものね。そうですね、前に兼護様…三空学園長が話をされましたが、封印の少女の話を覚えてますか?」
鏡花の問いに、こくりと頷く三人。
「その封印の少女を解き放ちたいのがニの守護者で、それを阻止しようとしてるのが三空学園長をはじめとした他の方々です。つまりは、先ほど棗さまが仰られた通り、二の守護者が黒き人の正体という事です」
「何故、二の守護者は少女の封印を解きたいのですか?」
「“神”などと宣ったようですが、おそらくは、魔人の封印を解いて戦う為だと予想されています。それか世界を壊す為、ですかね」
「魔人と戦うって、可能なんですか?それに世界を壊すって……」
「三空学園長が話をされたように、封印された少女は、魔力量が世界の許容量を越えてしまい、世界を壊してしまいかねないが為に、自らの力でご自身を封印されたのです。それを無計画に解き放てば、世界が少女の魔力量に耐えられずに崩壊する、ということになります。また逆に、少女の魔力量を制御出来るなら、これ以上の戦力はないでしょう。なにせ、膨大だったとはいえ、少女の魔力量が世界の許容量を越してしまいそうになったのは、この世界には封印されているとはいえ、それでもなお世界に影響を及ぼす魔人という規格外の存在が居たからです。もしもそれに対抗しようとするのならば、同じく規格外である少女をぶつける必要がある、ということですから」
「それは―――」
「まぁ、無謀ですね。我々にとっては同じ規格外とはいえ、少女の魔力量は魔人には到底及ばないらしいですから」
言い淀んだ隼人に、鏡花はまるで救いはないというかのように、力なく首を左右に振った。
「それじゃ、その二の守護者とやらが魔人と戦う為に少女の封印を解こうとしているなら、それは無駄な事ということですか?」
「まるっきり無駄という訳ではありませんよ。封印の少女は貴重な戦力になりますし、それに、彼女は古の守護者でもありますから」
隼人の問いに、真っ直ぐに隼人を見据えて答える鏡花。
「何故、魔人の封印を解こうとしているのでしょうか?それほどに強大な敵なら封印したままの方が安全だと思うのですが…」
「それが出来ればいいのですが、永い時間魔人を封印し続けた封印も力が弱くなり、もう魔人を長く封じてはいられないのです。明良様が御存命ならばこんな心配も不要だったのですが」
「明良さんが…って、それはどういう?」
「明良様は守護者のまとめ役にして、唯一魔人と接触出来た人物なのです。……明良様が御存命の頃は、守護者の方々も勝手をされずにまとまっていました。それに、明良様は魔人と約束をされたらしいのです」
「約束?」
「はい、明良様が御存命の限り、たとえ魔人の封印が解かれたとしても、世界に害をなさないと」
鏡花の言葉に身を乗り出す隼人。
「そんなふうに魔人と約束なんて出来るものなんですか?それに、力が弱ってるとはいえ、魔人は封印されてるんじゃ?」
「明良様は魔力を持ち合わせてない珍しい方でしたから、魔力を内外から遮断している封印の中にも、ただ一人だけ入る事が可能でした。そして、長い時間を掛けて明良様は魔人と友情を築いたらしく、それで約束されたらしいのです、友である明良様が居るうちは…と」
「それは話せば分かってもらえるということでは?」
隼人のその問いに、鏡花は懐かしむような、何かを諦めたような微笑を浮かべると、小さく首を左右に振った。
「無理ですね。明良様が仰ってました、『魔人が封印されていたから分かり合えた』と、もし魔人が封印されていなければ、瞬殺されて話し合いなど不可能だっただろうと」
「では、他に封印の内側に入れないというのであれば…」
「話せば分かるということはないでしょう。封印が解かれたら、直ぐに戦闘になるかと……それが戦闘などと呼べればいいのですが」
鏡花は憂うような表情をする。
「……………」
重苦しい沈黙が四人を包み込む。
「……他に訊きたい事はありますか?」
「……いえ、今のところは大丈夫です」
「そうですか、それでは私はこれで失礼致します」
そう言うと、椅子から立ち上がる鏡花。
「色々と貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました」
隼人は立ち上がると、鏡花に頭を下げる。智輝と伊織も立ち上がって隼人に続いて頭を下げた。
「いえ、これぐらいは大したことではありませんよ。……ネックレス、戻ってくるといいですね」
鏡花は三人に微笑みかけると、どこかへと歩いて行った。
「なんか不思議な人だったな」
隼人は鏡花の姿が見えなくなった方角を見詰めたままぽつりと呟いた。
「だね、学園長室で見た時は近寄りがたい感じだったけど、そんなこともなかったし」
その呟きに伊織も同意する。
「ま、何せよ、これでネックレスに大分近づけたんじゃないか?…他の何かにも近づいた気もするけど…」
椅子に腰を下ろした智輝は、気が抜けたように机に突っ伏す。
「そうだね、後は羽山恵さんに話すればなんとかなるかも!」
「でも、素直に返してくれるかな?そのネックレス、羽山さんの物でもあるんでしょう?」
「それは……」
伊織の問いに、隼人は返答に窮する。
「ま、まぁ話せば分かってくれるさ、きっと。…羽山恵さんから言った事だし?」
妙に甲高い声で話す隼人。
「……大丈夫かな」
そんな隼人の様子に、伊織は不安になってくる。
「なあ、隼人。そういえば鏡花さんが言っていた隼人の都合って何だったんだ?」
そんな二人の話を聞いていた智輝は、ふと思い出したように隼人に話しかける。
「え?…ああ、あれね。明良さんが僕にネックレスをくれた時だから、時期的にみて僕が棗姓を名乗りはじめた事かな」
「棗姓を名乗りはじめたって、前は何だったんだ?」
他意なくそう疑問を口にすると、智輝は首をかしげた。
「ちょっと、智輝君!」
そんな智輝に、伊織が言外に配慮しろ!と注意するかのように名前を呼ぶ。
「あっ…」
伊織の呼び掛けに、智輝は自分の不注意を悟ったが、
「いいよ、いいよ。積極的に話す事ではないけど、別に隠す事でも気遣われる事でもないから」
隼人は少し重くなった雰囲気を和ますように軽く笑いながらそう告げる。
「僕は以前、雲雀姓を名乗っていたんだよ」
「え、雲雀ってあの!?」
「本当に!?」
驚く智輝と伊織の姿を少し可笑しそうに眺めながら、隼人は話を続ける。
「うん、多分その雲雀だよ。歴史に名を残すような数々の傑物を輩出した名門・雲雀家。僕はこの通り魔力の保有量が少ないから、家では厄介者扱いをされていてね、それでもまだ家には居場所があったんだけど、僕に弟が生まれてからは状況が変わってしまった。それまでは長兄、次兄と後から生まれてくる子どもの魔力保有量が段々と下がって来てたから、僕が生まれた時も、どこかしょうがない、という雰囲気があったんだ。だけど僕に弟が生まれて、その弟が長兄に匹敵するほどの魔力量を有していたものだから状況が一変した。兄弟の中でも一際魔力の保有量が少なかった僕は、一転して責められ、蔑まれはじめた。それで僕は家にあった自分の居場所を無くしてしまったんだ。あまりの魔力量の違いに、他の兄弟と外見は似ているのに、母さんの浮気さえ疑われたほどだった。それで僕は家に居場所が無くなると、次に久遠魔法学園への入学が決められ、棗姓を名乗るようにも言われて雲雀家を追い出されたんだ。それから、久遠魔法学園に入学するまでの短い期間は、長い間雲雀家のお手伝いさんとして仕えている人の家でお世話になって今に至るんだけど、明良さんがネックレスをくれたのは、雲雀家を追い出されて直ぐなんだ。だから、鏡花さんが言っていた僕の都合とは、その事ではないかと思う」
隼人が話終わると、智輝と伊織は重苦しい雰囲気を醸し出していた。
「いや、そんなに暗くならなくても」
隼人はそんな二人に、明るい声で笑いかける。
「でも…、そんな身勝手な、隼人君には何の罪も無いのに」
「まぁ、雲雀家では弱さが罪みたいなものだからね」
憤る伊織に、隼人は変わらず冗談でも話すように笑いながら言葉を返す。
「名門、か。ごめんな、余計な事を訊いたようで」
珍しく神妙に話す智輝に、隼人は困ったように首に手を置くと、
「いやまぁ、本当に大丈夫だから。ね、二人とも。僕は別に気にしてないし、寧ろこうして久遠魔法学園に入れたおかげで沢山の人に出会えたし、それに、まだ入学してから半年も経ってないのに様々な出来事を体験出来た。僕にとってはどれも貴重な体験で、雲雀家には怒りや悲しみよりも、感謝したいくらいさ」
晴れ晴れとした表情で語る隼人をじっと見詰めながら、智輝と伊織は少し考えて、やれやれといったふうに僅かに微笑むのだった。