学園長と謎の影
伊織がはじまりのダンジョンを攻略したと認められた日から数日が経ったある日の昼休み。
隼人達三人は、次の攻略を目指すダンジョンを碑文の廻廊と決めると、どう攻略するかについてを教室で話し合っていた。
「棗隼人、橘智輝、妹尾伊織の三名は居るか?」
教室の入り口から薬学の黒尾先生の声が聞こえてくる。
黒尾先生は年中ジャージ姿の担任の松野先生ほどではないが、大体は黒や紺の地味な色をした、伸縮性のある動きやすそうな服を着ている先生で、薬学の授業中や実験室に居る時だけはその上に白衣を羽織っているような先生だった。
三人は反射的に名前が呼ばれた方へと顔を向ける。
「お、居たな。入るぞ」
顔を向けた動きで三人の存在に気づいた黒尾先生は教室の中へと入ると、隼人の机を囲んで話し合っていた三人の近くまで歩いてくる。
「どうしたんですか?」
机の横で立ち止まった黒尾先生に智輝が首をかしげて問いかける。
「うん、『今日の放課後に学園長室に来るように』という学園長の伝言を伝えに来た」
それだけ言うと、黒尾先生はしっかり伝えたと言わんばかりに大きく頷いて教室を出ていこうとする。
「ちょっと待ってください黒尾先生、それは僕達三人一緒に学園長室へ来いって事ですか?」
隼人は慌てて黒尾先生を止めるように片手を上げると、そう訊ねた。
「ああ、学園長が三人に話を訊きたいらしいぞ」
黒尾先生は隼人の呼び止めに振り返ると、元の位置へと戻る。
「呼ばれているのは僕達三人だけですか?」
「私は君たち三人を呼ぶように頼まれただけだ」
「話って何の話です?」
「さぁ?そこまでは聞いていない。放課後に学園長室に行けば分かるだろうさ」
「そうですか、ありがとうございます」
軽く頭を下げる隼人。
「他には何もないな?それじゃあ、ちゃんと伝えたからな」
それだけ言うと、今度こそさっさと教室を出ていく黒尾先生。
「わざわざ学園長がオレ達に話ってなんだろう?」
黒尾先生が出ていった扉を眺めながら、智輝は不思議そうに呟く。
「まぁ、呼ばれているのが僕達三人ならいくつか候補は有るけども……わざわざ学園長から呼び出されるような話に心当たりは一つしかないかな」
首を擦りながら答える隼人に、
「その心当たりって?」
伊織が可愛らしく小首をかしげる。
「それは勿論、黒い人についてだよ。僕達三人に共通する話題で、学園長がわざわざ僕達三人を呼び出してまで訊きたい話なんて他にはないだろうからね」
小さく肩をすくめると、ため息でも吐きそうな声で答える隼人。
「ああ、それもそうか」
こくこくと納得の相槌を打つ智輝。
「でも、なんで今更?」
首を先程とは反対側にかしげる伊織。
「それは分からないけど、今まで色々調べてたりで忙しかったとかじゃない?」
「それか今頃になって思い出したとか」
隼人の推論に冗談ぽくそう被せてきた智輝の声は少し笑っていた。
「ふ~ん。でも黒い人と直接話をした隼人君と智輝君なら分かるけど、なんでわたしまで呼ばれるんだろ」
「パーティーだからじゃない?」
伊織の疑問に軽い調子で答える智輝。
「そうかな?」
「まぁ、放課後になれば分かるさ」
智輝の言葉に首を捻る伊織に、気軽にそう声をかける隼人だった。
◆
午後の授業が終わり、松野先生からの連絡事項の通達が終わった後、つまりは放課後。隼人達三人は学園長室の前へと来ていた。
「「「………」」」
学園長室の扉の前で緊張で固まる三人。目の前の木で出来ているはずの扉が、圧倒的な質量を誇る巨大な鉄の塊の様な威圧感を出している……ような気さえしてくる。そんななか智輝と伊織は、目線で隼人に早く来意を告げるように促してくる。
隼人は二人のその視線を受けて何かを言おうと口を開きかけたが、直ぐに思い直して口を閉じると、ぎこちない動きで学園長室の扉を叩いた。
「鍵は掛かってませんので、どうぞお入りください」
すぐに扉の越しにそう男性の声が返ってくると、「失礼します」と、緊張で僅かに上擦る声をあげて隼人はゆっくりと学園長室の扉を開けた。
学園長室は広々としていて、天井も高く、隼人達が立っている出入口の他に、何処に繋がっているかは分からないが、左奥と右奥に一ヶ所ずつ別の扉があった。
部屋の扉と窓以外の場所には、天井ギリギリまでの高さがある本棚が設置されていて、それが部屋を圧迫しているからか、それなりに広いはずの室内を少し狭く感じさせていた。
その本棚にはぱっと見た感じだけでも難しそうな本が隙間なく納められていて、隼人は自分の場違い感に更に緊張する。
部屋の中央に置いてある応接用の高そうな机にソファーのセットと、それから少し離れた場所には、執務机と値の張りそうな高い背もたれの椅子があり、その椅子には艶やかな黒髪に、端正な顔立ちをしたスーツ姿の、初老を過ぎているはずだが、壮年と表現するにもまだ少し年若い外見の男性が腰掛けていた。
「やぁ、いらっしゃい。すみませんね、忙しいところをわざわざ呼び出してしまって」
その男性、学園長の三空兼護は、言葉通りすまなそうにそう言うと、親しみを込めた笑顔を隼人達に向けて歓迎した。それを合図に、三空学園長の傍らに控えていた人形のように綺麗な顔立ちをした、黒のワンピースの上に白のエプロンを着けた家政婦のような格好の妙齢の女性が、隼人達に向かって浅くお辞儀をする。
「いえ、それは、構いませんが、僕達の、話を、聞きたいと、伺いましたが、何の、お話で、しょうか?」
隼人は硬い口調で、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「そう緊張しなくてもいいですよ、もっと楽にして。そうですね、自己紹介でもしましょうか?……あ、必要ないですか、そうですか……では、話と言うのはですね、君達が先日はじまりのダンジョンで遭遇したという黒い、人のような姿形をしたものについてなのですが」
隼人達の緊張を解すためか、優しい口調で語りかける三空学園長。
「まず……そうですね、隼人君と智輝君はその黒い、人のようなものと会話をしたんですよね?差し支えなければですが、その会話の内容をお話願えませんか?」
三空学園長の言葉に「は、はいっ!」と、声を裏返しながら応じた隼人に、三空学園長はつい困ったような笑いを漏らしてしまう。だが、直ぐに誤魔化すように咳払いをすると、
「いや、すいません。しかし、本当にそんなに緊張しなくてもいいんだよ。呼び出してしまったが、今回はこちらから話をしてもらえないかと、頼んでいる訳だからね」
隼人達三人の緊張っぷりに、ついには三空学園長の言葉も砕けてくる。
「は、はい、すいません」
未だに緊張は完全には解けないが、それでも三空学園長の様子に幾分かは緊張が解れた隼人は、今度は声が裏返ったりはしなかった。
「いや、こちらこそすまないね。まぁ今はそれよりも、黒い、人のような形をしたものとの会話について話を訊いてもいいかな?」
三空学園長の問いかけに、隼人は一度大きく頷くと、はじまりのダンジョンで黒い人と遭遇した時の事を話始めた。
◆
「『神の解放』、ですか……」
隼人が訥々と話した内容を聞いた三空学園長は、ぽつりとそう呟きを零した。
「何かご存知なのですか?」
三空学園長のその呟きに、隼人は先程とは別種の緊張を覚える。
「そうだね……、まぁもう君達も一応は関係者になる訳だし、話しておいた方がいいかも知れないな」
三空学園長は自分に言い聞かせるようにそう呟くと、小さく頷いた。
「少し話が長くなってしまうけどいいかな?」
三空学園長の問いかけに、緊張しながらもしっかりと頷きを返す三人。
「それじゃえーっと、どこから話そうかな……そうだな、今からかなり昔の話、この学園が出来る前の話だ。とある村に一人の少女が居た、その少女はとても美しかったらしい。
その少女は規格外の膨大な量の魔力をその身に宿していて、あまりの量に自分でも制御しきれないほどだった。それでも、少女がまだ幼い頃は何とかなってはいたが、その魔力は少女の成長と共に日に日に増していった。
少女が君たちぐらいの年の頃の話だ、ある日少女は世界にひびが入る音を聞いたらしい。少女のあまりにも多すぎる魔力に、とうとう世界の方が耐えられなくなった音らしく、それから徐々に世界は壊れ始めた。
自分の魔力を制御出来ない少女は、そんな世界を救うためにひとつの決断を下した。それは自らの力で自らの力を抑えるという方法で、少女は自らの力で自らを別次元へと封印した。その封印を守ってほしいと少女から頼まれた、当時少女の恋人だった少年が、封印が施された地に建物を建てた。その建物が今の久遠魔法学園で、少女の恋人の少年が、この学園の創始者、つまりは私の先祖なのだよ。この学園はその少女の封印を守るために存在していて、君たちが遭遇した人の形をした黒いものが言った“神”とは、おそらくは、その少女の事を指すのだろうと思われる」
そこまで言うと、三空学園長の傍らに控えていた女性が、執務机の上に置かれていた、すっかり冷めてしまった紅茶が入ったティーカップを下げると、新しく紅茶を淹れたティーカップを三空学園長の目の前に置く。
「ありがとう、鏡花君」
三空学園長は女性に向けてにこりと微笑んで礼を言うと、ティーカップを手に取って香りを楽しんでから紅茶を口に含んで、長話をして渇いた喉を潤した。
「その少女は学園のどこに封印されているんですか?」
隼人の問いに、三空学園長は静かに首を左右に振る。
「すまないね、それは答えられない」
「……そうですか」
三空学園長の回答に隼人は残念そうにするも、そういう話なら不用意に答えられない事も理解出来た。
「ああ、そうじゃないんだ。答えられないというのは別に君たちを信用してないとか、どこに誰の耳があるか分からない、とかではなくてだね、私もその封印の場所を正確には知らないのだよ」
「?どういうことですか?」
隼人の様子に、慌てたようにそう付け加えた三空学園長の言葉に、隼人は眉をひそめる。
「封印の場所の正確な位置は代々の学園長にも伝えられていないんだ。正確な場所を知っていたのは初代学園長ぐらいじゃないだろうか……」
言って肩をすくめる三空学園長の表情がどこか寂しそうな色を帯びるも、それも一瞬の事で、直ぐに真面目な顔に戻る。しかしその顔もまた、どこかばつの悪そうな顔に見えたのは、隼人の見間違いだったのかも知れない。
「つまりだ、その封印の場所はこちらでも分かってないし、おそらくその黒い人とやらもまだ分かっていないのだろうさ」
「それではどうすれば?封印の場所を探すのですか?」
「それはこちらでやっているので、君たちは気にせず授業に専念しなさい」
隼人の疑問に、三空学園長は諭すような口調で答える。
「……調査結果は教えてもらえるのですか?」
その三空学園長の答えに、今までずっと沈黙を守っていた伊織が口を開いた。
「……そうですね、封印は学園の機密事項ですので、必要と判断したらお教えしますよ」
口調は優しかったが、そこにはしっかりとした拒絶の意思があった。少なくとも今の段階では、隼人達に調査結果を教えるつもりはないらしいことは、三人にしっかり伝わった。だから、伊織の「そうですか」という力の抜けたような返答も、しょうがないことだった。
その後、三空学園長にお茶に誘われた隼人達だったが、それを丁重に断り、学園長室を後にしたのだった。
◆
パタリと静かに閉じられた扉を見詰めながら、三空学園長は傍に立つ女性に、明日の天気でも訊ねるような口調で問いかける。
「鏡花君には彼らはどう見えた?」
「どう、ですか。そうですね、魔力量だけで見れば伊織という少女は中々の量を保有してるかと。智輝という少年も、少女よりは少し落ちますが、悪くはないかと……」
そこまで言って口を噤む鏡花。
「隼人君は?」
ちらりと、鏡花の方へと視線を向ける三空学園長。その目にはどこか試すような輝きがあった。
鏡花はやれやれとでも言うように小さく息を吐くと、
「……魔法使いを魔力量だけで語るつもりはありませんが、兼護様もご存知の通り、彼の魔力量は少々普通の人よりは少ないかと存じます」
三空学園長にちらりとも目線を向ける事もなく、まっすぐ前に視線を向けたままそう答えた。
「まぁ、そうだね。一族の話に聞く封印された少女じゃあるまいし、普通の魔法使いの魔力量の多寡など、そこまで重要ではないと思うし。それに、あれでもはじまりのダンジョンを二度攻略してるしね」
「はじまりのダンジョンはダンジョンでの戦い方やダンジョン内での立ち回り方などを学ぶために造られた場所です。彼の技術や経験が如何程なのかは存じ上げませんが、はじまりのダンジョン程度なら、彼ぐらいの魔力でも時間を掛ければ一人でも攻略可能かと」
「相変わらず、厳しいねぇ」
「客観的な意見です」
三空学園長の冷やかすような合いの手に、にべもなくそう告げる鏡花。その反応に、「ははっ、そうかい」と、どこか諦めたような口調で笑う三空学園長。
「で、君から見て彼らは信用出来ると思うかい?」
「あの短時間でそこまで内面を理解するのは難しいかと。ただ、素直な心根の持ち主だとは思いました」
ずっと前を見たままの鏡花に、三空学園長はそっと息を吐き出す。
「そうだね、表情とか分かりやすかったもんね。あれが演技だったら大したものだよ。……ま、だからこそ教えられない事もあるんだけどね」
「知れば狙われますか……」
急に真面目な声になった三空学園長を、目だけを動かして一瞬だけ視界に入れる鏡花。
「まぁ、そうなるだろうね。既に狙われている可能性もあるけど、封印の場所を知ってるのと知らないのでは大分違うだろうからね」
「黒き人、というと……」
「ああ、話に聞くほどに高度な幻影魔法を使うやつなど、私の知る限りそうは居ないからな、相手には心当たりがあるさ。ただ―――」
「厄介な相手、ですか」
「ああ。……何で先祖の因縁を子孫が引き継がなきゃならんのかね」
そこまで言うと、はぁーと、盛大にため息を吐く三空学園長。
「親の行いは子のものではありませんが、それは第三者から見て、ですから」
起伏の乏しい淡々とした口調で語る鏡花に、
「……興味ない?」
おそるおそる訊ねてみる三空学園長。
「そうですね、正直に言えば兼護様の一族の因縁などに、微塵も興味はありません」
無表情なうえに視線は前を向いたまま、更にはなげやりな感じを隠そうともしなくなった鏡花に、自分で訊いておきながらも、少し頭が痛くなる三空学園長であった。
◆
三空学園長に呼ばれた翌日の昼休み。隼人・智輝・伊織の三人は再度集まって碑文の廻廊の攻略方法を話し合っていた。
「はじまりのダンジョン以外は地図の配布がないからな、まずはそこからかなー」
んーと、難しそうな顔で思案する智輝。
「ああ、それなら全体の八割ぐらいまでだけど、地図は一応あるよ」
隼人は机の中から一枚の紙を取り出すと、机の上に広げる。
「あれ?なんで地図があるの?しかもなんか手書きっぽいけど」
隼人が机の上に広げた地図を見て、伊織は少しだけ目を丸くする。
「完全じゃないけど、調べればほとんどのダンジョンの地図は手に入るよ。まぁ、難易度が高いダンジョンは入り口付近のしか手に入らなかったりするんだけどね」
肩をすくめる隼人に、智輝が確認のような質問をする。
「攻略した人に訊いたのか?」
「いや、地図も含めて、ダンジョン内の詳細については、ほとんどパーティーメンバー以外には他言厳禁だろ、だからそれは無理だよ」
小さく首を左右に振る隼人。
久遠魔法学園の教育の特徴のひとつに、ダンジョン探索が出来る魔法使いを育てる。というものがあり、その為にダンジョンに関する規則は結構細かいところまで決まり事が存在する。その決まりを遵守出来てるかの監視も、ダンジョン関連以外の他の規則に比べると、結構厳しかったりする。
「じゃあ?」
「簡単な話さ、学校の図書館で調べて、それを自力で転写しただけだよ。何故かあまり知られてないけど、図書館にはほとんどのダンジョンの地図や特色とかがある程度だけど、書いてある資料がちゃんと置いてあるんだよ。……例によって攻略の難しいダンジョンほど情報は少ないけども。でも逆を言えば、簡単なダンジョンほど情報は多いって事なんだよね」
隼人の説明に、二人は「へぇー」と驚きの声をあげながら何度か大きく頷いた。
「事前準備は大切だからね。しかし残りの約二割、碑文の廻廊の後半の後半、肝心な部分については書かれてなかったけどね」
フーッと、息を吐き出した隼人は、地図の入り口に人差し指を置く。
「碑文の廻廊のここが入り口で、はじまりのダンジョンと同じで最初は一本道だけど、こっからが分かれ道―――」
地図の上に置いた人差し指を動かしながら説明する隼人。
「どっちに行くの?」
隼人の指が左回りと右回りの分かれ道に差し掛かったところで、地図に視線を落としたまま伊織がそう問いかけた。
「そこは相談して決めようかと思ってるけど、僕はこっちの左回りの道がいいかと思うんだけど」
「なんで?右回りの道は難しいの?」
隼人の顔へと視線を向けた智輝が問いかける。
「いや、そうじゃなくて、道を辿ってみてくれれば分かるけど、この地図、右回りの道の方が先に途切れてるんだよ、だから左回りの方がいいかな?と思ってね。多分どちらも難易度はそう変わらないと思うよ」
指で地図の道をなぞりながら語る隼人。
「ああ、なるほど。それで、碑文の廻廊に出るモンスターってどんなの?」
「はじまりのダンジョンみたいな人型だけじゃなくて、幽霊と言えばいいのかな、浮いてたり、透けてたりと、色々なタイプが出るみたいだよ」
隼人の言葉に、より細かく言えば“幽霊”という単語にピクリと僅かに反応する智輝。その僅かな反応を見逃さなかった伊織が、いたずらっ子のような笑みを浮かべる。
「ん~?智輝君は幽霊苦手なのかな~?」
「そ、そんなことはないよ」
智輝はいつも通りに返そうとするも、咄嗟に舌が回らず、少しつっかえてしまう。それに加え、目線が微妙に横に逸れていた。
「ほほう、そうか、そうか、なるほどねぇ~」
伊織は大仰に頷くと、生暖かい微笑みを浮かべる。
「………………」
そんな生暖かい微笑みを浮かべる伊織に見詰められて、居心地悪そうに視線を泳がせる智輝。
「……まぁ幽霊と言っても、ダンジョン内に出るわけだからモンスターなんだけどね。つまりは倒せるということだから、本物というわけでは……多分ないよ」
そんな二人の様子にひとつため息を吐くと、隼人はそう言葉を差し挟む。
「そこは断言して欲しかったな……」
吐き出すように、切実な響きのある声で小さく呟く智輝。
「ふ、ふ、ふ、語るに落ちるとはこういうことよ」
その智輝の言葉を聞いて、妙に芝居がかった口調で喋る伊織。
「な、なにが?」
そんな伊織に、智輝は若干引きつった笑顔で首をかしげた。
「やっぱり幽霊が怖いんだね~」
可愛らしく智輝に笑いかける伊織に、「そ、そんなことは……」と、返す智輝。隼人はそんな二人のやりとりを眺めながら、(智輝も変に格好つけずに幽霊が怖いって認めればいいのに……)と、心の中で呆れるも、今日のダンジョン攻略会議はここまでだなーと諦めると、しょうがないなといった風に、微笑まし気にため息を溢すのだった。
◆
智輝と伊織とのダンジョン攻略会議が二人のじゃれあいで終わった後、隼人は学校が終わって寮に戻ると、いつも通りに食堂で食事を摂り、食事が終わるとお風呂に入り、お風呂から出た後に宿題や授業の予習・復習を済ませてから、寝間着に着替えて、さて寝ようかとベッドに入ろうとした時だった。
既に消灯時間が過ぎていて、満月とはいえ、月と星の明かりだけが頼りのうす暗い世界、隼人はふと窓の外へと目を向けた。本当に意図したものではなく、なんとなくだったのだが、隼人が視線を向けた先、学園の校庭に人影らしきものが立っているのが目に映る。
隼人は思わず近くに置いてあった時計で現在の時刻を確認すると、ちょうど日付が変わろうとしている時間だった。
(こんな時間に誰だろう?)
隼人がもう一度校庭の方へと視線を向けた時、そこに居た人影はどこかへと歩き出していた。
(……見間違いではないか)
確かに目線の先には誰かが居るのだが、目を凝らして見ても、暗いうえに距離があるので、それが誰なのか、男か女かさえ分からなかった。その歩いていたその人影がふと立ち止まると、そのまま身体ごとこちらに振り返る。ただそれだけの事のはずなのに、隼人はその人影がこちらをじっと見詰めているような感覚に襲われて息を呑む。
(こちらを見てる?いや、暗いから気づいてないと思うけど……ただ単に寮側に視線を向けただけか?)
寮を越えた先に何かあるのかと、ついつい後ろを振り向いてしまう隼人。しかし、当たり前だがそこには自分に宛がわれた部屋があるだけで、寮の先を確認するには廊下に出て、窓から外を確認する必要があった。
隼人が諦めて再度校庭へと視線を戻すと、そこに居た人影はもう居なくなっていた。
(一体なんだったんだろうか)
結局、人影が見えた以外には何も分からなかった隼人は、校庭に視線を向けたまま、考えるように首を掻くのだった。
◆
翌朝、寮でも食堂でも学校でも、昨夜の人影について語る者はなく、隼人が実はあれは単なる夢だったんじゃないかと思えてきた頃、教室に居た智輝と伊織に昨夜の人影について話してみた。
「オレは、そんな人影見なかったな」
頭を掻きながら答える智輝に、それはそうだろうな、と、隼人は思う。智輝は一見チャラチャラしてて不規則な生活をしてそうな感じがするのだが、その実、消灯時間よりも早く寝て、朝日と共に起きるような早寝早起きの健康児なのだった。だから隼人も、智輝が昨夜人影を目撃してるとは期待していなかった。
「ん~、わたしも見てないし、噂話も聞いてないな」
しかし、伊織のその反応にはやっぱり夢だったのかな?と、思えてくる。伊織は普段真面目に授業を受け、休み時間は真剣な顔で本を読んでいるので、少し近寄りがたい感じがするのだが、それでいて実は結構友達が居るようで、気づけば人の輪の中心に居るような子だった。だから、自然と噂話とかも耳に入ってくるようで、隼人としても少し期待していたのだったが。
「その人影は校庭で何をしてたの?それが分かれば校庭を調べてみれば何か分かるかもしれないけど」
伊織の言葉に隼人は、昨夜実際に見たはずの人影の様子を思い出す。
「う~ん、確か、最初校庭の中央付近に立ってたんだよ。その後に校舎の方へと歩き出して、そのまま少し歩くと、今度は校舎と平行するように、男子寮とは反対側へと歩き出して、そして突然止まったかと思うとこっちを振り返って、僕が少し意識を他に向けた後に視線を戻したら、もう居なくなってたんだ。だから何をしてたかは分からないな」
昨夜の様子を振り返ってみても、人影は結局何がしたかったのかは分からず、やっぱり自分の思い違いかもと、隼人が心の中で結論を出そうとした時、
「その人影は何も持ってなかったの?」
伊織のその問いに、隼人はもう一度人影の様子を思い出す。
「………そういえば、何か持ってたような気がする……遠くてそれが何かまでは分からないけど、何か棒状のものだったかな、それと先端に何か付いてたような……」
隼人は腕を組んで難しそうな顔をしながら、昨夜の様子をより鮮明に思い出そうとする。
「棒状で先端に何か付いてるって……ハンマーとかシャベルみたいな感じのやつ?」
人差し指を立てると、それを前後に揺らす智輝。
「多分そんな感じ」
「その人影が移動した時にはその手に持っていた物はどうしてた?」
伊織は隼人から校庭へと視線を移す。
「えっと、立ってた時と変わらず、手に持ったまま下げてたけど?」
「引き摺ってた?」
「それは分からない。ただ、遠目だけど、先端が地面についてるようには見えたかな」
「じゃあ、今日はまだ誰も校庭使ってないようだし、今なら校庭調べれば何か分かるかもね」
「…でも、もうすぐ授業が始まるよ?」
隼人は教室の時計へと視線を向けてそう告げる。
「むー、そうか。どこも校庭を使う授業が無ければいいけど……。こっから見た感じだと何かを引き摺った跡は確認出来ないね」
校庭の中央付近へと目を凝らす伊織につられ、隼人と智輝も一緒に校庭を凝視する。
「いつもの校庭とあんまり変わんない気がするねー」
智輝の言葉に小さく頷く隼人。
「やっぱり見間違いか、夢だったのかな?」
「それは分かんないけど、もし本当に人影が居たのなら、気にはなるよね」
三人は首を捻って考えるも、直ぐにチャイムと共に先生が入ってきて、答えが出る前に自分達の席へと戻ったのだった。
◆
幸運にもその日の午前中はどこの学年も校庭を使う授業はなかったようで、昼休みになったと同時に、隼人達三人は誰かが校庭を使う前にと、弁当片手に校庭へと出てきていた。
「その人影が居たのってこの辺り?」
校庭の中央付近で伊織が隼人に問いかける。
「うん、多分ここだと思う」
昨夜は満月だったとはいえ、夜空の明かりだけが頼りだっただけに、自信なさげに答える隼人。
「うーむ、足跡はいっぱいあるけど、校庭だから別に不自然じゃないし、この中からお目当ての足跡をどうやって探すかだけど……」
辺りを見回しながら頬に手を当てて思案する伊織。
「細い線ならいくつかあるけど、遠くからでも見えるようなものを引き摺った跡は別にないな」
智輝はしゃがんで地面を注意深く観察していた。
「んー…………ん?」
俯いて地面へと視線を落としながらゆっくり歩いていた隼人は、何かそれなりに大きな物を動かしたような痕跡を発見した。しかしその痕跡は、大股で一歩分も進まないうちに消えていた。
「この隣の足跡は新しい……のかな?」
その何かそれなりに大きな物を動かした跡の隣には、比較的小さな、おそらく女性の足跡が残っていた。その足跡は他の足跡の上に出来ていて、ここの場所では新しい足跡のようだったが、詳細を知りたくても、そういう知識のない隼人には、それがどれくらい前に出来た足跡なのかまでは分からなかった。
「後を追うか、来た道を調べるか」
足跡は男子寮の方向から校舎側へと続いていて、来た道と進んだ先、どちらから調べようかと隼人は少しの間逡巡するも、とりあえず進行方向から調べ始める。
その足跡は何かそれなりに大きな物を動かした跡が消えても、規則正しく校舎の方へと続いていたが、途中で方向を変えた後、少しして小さな円を残して消えていた。
「ああ、ここで男子寮の方へと振り返ったのか」
その小さな円から少しだけ離れた場所には、反転した左足の足跡が残っていた。それを見て、隼人はこの足跡は昨夜の人影の足跡だと確信するが、不思議なことに、どれだけ注意深く周りを見ても、その足跡はそこから進むでも戻るでもなく、まるでそのまま足跡の主が消えてしまったかのように、そこで途切れていた。
「空でも飛んだのかな?」
隼人は反射的に空を見上げるも、そこにはなんの痕跡もなかった。
「そもそも僕が意識を逸らしたのはほんの数秒だし、空を飛んだならさすがに気づくよな。だとしたら忽然と消えたことになるけど」
隼人は困ったように首の後ろに手を置くと、男子寮の自分の部屋の方へと視線を向ける。
「消えた……ね、転移の魔法は存在したはずだけど、あれはかなり疲れるらしいし、それに凄く短い距離しか移動出来なかったはずだけど」
隼人は校庭を見回すと、自分の考えを否定するように頭を左右に振る。
「ここから男子寮までの距離があれば、例え連続で転移魔法を使えたとしても、数秒程度じゃさすがに魔法の残滓ぐらいは確認出来るだろうし」
隼人は一度大きく息を吸うと、そのまま勢いよく吐き出す。そうして気分を切り換えると、智輝と伊織に声を掛けた。
二人ともすぐに集まって消えた足跡について一緒に考えるも、結局答えは見つからず、ひとまず保留として、今度は足跡が来た道を戻って調べてみることにした。
「ここから突然始まってるね」
最初の足跡を見て、伊織が困惑したように呟く。
「終点があれだからね、最初はまぁ、足跡を消しながら移動するなり、空から降り立つなりしてても驚きはしないけど」
隼人が人影を目撃したのは途中から消えるまでで、おそらく最初から目撃した訳ではない以上、最初がどういう状態から始まったのかまでは、色々な予測が可能だった。
「突然現れて、突然消える……か、不思議な事もあるもんだ」
智輝は足跡の始点から終点までを目線でなぞるように眺める。
「ん~、結局校庭を調べてみてもよく分からないどころか謎が増えてしまったワケだけど、ひとつだけ確かなのは、隼人君の夢でも勘違いでもなく、確かに夜中に誰かがここに居た、ってことかな」
ん~と、唇を尖らせて唸る伊織に頷く隼人。確かに、無事にあの人影が隼人の夢でも勘違いでもなかったということが証明された訳だが、じゃああの人影はなんだったのか?までの答えには三人は到達出来なかった。残念ではあったが、これ以上の調査もしようがないということで、三人は調査を一旦諦めて校庭の隅の日陰へと移動すると、持参した弁当で昼食を摂ることにした。
◆
「なんか最近よく分からない事が次々起こるね」
弁当箱から玉子焼きを摘み上げた伊織が、思い出したように呟く。
「そうだね、黒い人に封印ときて謎の人影と」
弁当箱と一緒に持ってきていたお茶を啜ると、ほぅと一息吐く智輝。
「実は全部地続きの出来事だったりして?」
澄まし顔で首をかしげる伊織だったが、その目は隠しきれない好奇心で爛々(らんらん)と輝いていた。
「黒い人と封印は関係あるかも知れないけど、人影はどうなんだろうねー」
そんな伊織の微笑ましい姿に密かに笑いを零すも、隼人は素っ気なく答える。
「まぁ、今の段階で考えたって無駄だよ、きっと」
いつまにか弁当箱を空にしていた智輝が、流れる雲を眺めながら、お茶を片手に静かにそう言葉を紡いだ。
「情報が少なすぎるもんね」
「じゃあこれからどうするの?」
隼人の言葉に、そう問いかける伊織。
「とりあえずは碑文の廻廊の攻略に集中しようよ」
「だな、隼人の言う通りだわ」
こくこくと頷く智輝。
「碑文の廻廊か、幽霊が出る場所だね」
ちらりと智輝の方を流し見る伊織に、智輝は口を固く結んで目を逸らす。しかし伊織も、前回のじゃれあいで学んだのか、本気でからかうつもりはないらしく、脱線することもなくすぐに本題に戻る。
「碑文の廻廊の道とモンスターについては分かったけど、主の方はどんな感じなの?」
「主については詳しくは分からないけど、碑文の廻廊に出る他のモンスターと系統は近いらしいよ」
「なるほど、じゃ碑文の廻廊に行って一度モンスターと戦ってみた方がいいかな?」
「そうだね、明日一度碑文の廻廊に潜ってみようか」
静かに伊織と隼人の話し合いを傍観していた智輝の方へと、確認のために顔を向ける隼人。
「い、いいんじゃない?」
そんな隼人に緊張した笑顔を浮かべてながら、壊れたように何度も細かく頷く智輝。
「……うん、じゃ後で申請出しとくから、許可が下りたら明日は碑文の廻廊に行こうね。時間については追って報せるよ」
そんな智輝の様子に、めんど……そっとしておこうと思い、あえて触れないことにした隼人は、そう言ってその場を締めたのだった。
◆
昼休みが終わる前に早速明日の碑文の廻廊への探索許可願いを申請した隼人は、その日の放課後には松野先生から許可が下りたことが伝えられた。許可が下りた時間が午後からだということを隼人は智輝と伊織に伝えると、三人で話し合って碑文の廻廊の外で昼御飯を食べて、そのまま碑文の廻廊を探索しようということに決まった。
そんなこんなで隼人は食堂に来るのがいつもより遅くなってしまったが、いつもの時間より人が少なく、これはこれで快適だった。
「…………」
隼人は食事を開始してしばらくして気づく、離れた席に羽山恵が座っていることに。羽山恵は少し俯いた姿勢でいつも通り静かに食事をしており、その表情は垂れた前髪が邪魔をして確認は出来なかったが、何故だか隼人には、その羽山恵がこちらをじっと窺っているような気がしていた。
(気のせいだよな、気のせい……)
心の中でそう何度も唱えても、緊張で味が分からなくなる隼人。しかし、直ぐに羽山恵は食事を終えて食堂を出ていった。それを確認した隼人は大きく息を吐き出すと、一気に脱力する。
(変に緊張したけどなんだったんだろう?まるで昨夜の人影に見られたような気がした時みたいだったけど……)
隼人は背筋を伸ばすと、気を取り直して食事を再開した。
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「……………」
腰まである長い黒髪を靡かせて、廊下を独り歩く長身の少女。
時間的にみんなはお風呂か部屋で寛いでいるのだろう、誰も居ない廊下にこつこつと硬い廊下の床を叩く自分の足音だけが鳴り響いていた。
「………まさかこの学園で彼に会えるとは思っていませんでしたわ」
彼と初めて顔を合わせた時に、同じ学園に入学していたことを知った。しかし、その時はまだ話に聞いていた彼だとは気づかなかった。
「聞いていた苗字と違っていたからかしら」
“雲雀”隼人――それがあの方が私に教えてくれた彼の名前。しかし彼は自分のことを“棗”隼人と名乗った、だから最初は雲雀隼人と棗隼人が同一人物だとは思わなかった。
「だけどあのネックレスは間違いなく……」
そこまで言うと少女は、隼人がいつも服で隠すように首に架けているネックレスを思い浮かべて、嬉しそうに口元を弓なりに歪めると、フフフと静かに笑った。