適者生存
「智輝、開けてくれ!」
その言葉に、すっかり場の雰囲気にも慣れ、壁に背を預けて舟を漕ぎはじめていた智輝は驚いて顔を上げた。
人間、慣れと暇が合わさると、どことなく不気味なこんな場所でもちゃんと寝むたくなるようであった。
「隼人か!無事だったか?」
「ああ!伊織さんも無事だ!」
智輝は先ほどの声が眠気からくる幻聴の類ではなく、本物の隼人のものであることを確認すると、鋼鉄の乙女の上蓋を動かす。
「やっと戻ってこれた!」
隼人は疲れたように鋼鉄の乙女の中から出てくると、その場でおもいっきり伸びをした。
「中はどうなってたの?」
どこか元気がないような伊織の様子を気にしながらも、智輝は隼人にそう声を掛ける。
「中に隠し扉があってね、鋼鉄の乙女を閉めるとそれが開いて水浸しの部屋に入れるようになるんだけど―――」
「水浸しの部屋?」
「浅いけど、一面に水が張ってる広い部屋に続いていたんだ。あと真っ暗だった。それでね、無駄に広いその部屋には、何か変なモンスターが居たんだよ」
「変なって、どんな?」
「見た目は人型何だけど、動きが凄く俊敏で、奇声をずっと発していたんだ。それと、戦闘になるまではずっと同じ行動をとってた」
「ふーん、それは何だか怖いね。それで?戦ったんでしょ、強かった?」
「結構強かったよ。……まぁ、僕じゃなくて伊織さんが戦ったんだけどさ」
「そうなんだ」
智輝はチラリと伊織の方へと視線を向ける。
理由は分からないが、伊織は何か落ち込んでいるようであった。
「それで、そのモンスターを倒したらこの箱が出てきたんだよ」
そう言うと、隼人は腰のポーチから側面に浅い溝のようなものが複数彫られている小さな黒い箱を取り出した。
「……なにこれ?何か不思議な感じはするけど、ただの硬い箱?」
智輝は隼人から箱を受け取ると、様々な角度から観察したり、指で弾いたりして確かめる。
しかし、何か変わったものは発見出来ず、智輝は箱を隼人に返した。
「それが何なのかは分からないけど、とりあえず変わり種のモンスターからの戦利品だし、もしかしたら主の部屋の鍵になるんじゃないかな?と思うんだけど……」
「まぁ、中にこの箱以外には無かったなら試してみるしかないんじゃない?こんな時の為に門の前にマーカーを設置してるんだから、それですぐに門のところまで行ける訳だし」
「うん、それで今から三人で門の方へと移動しようと思ってたんだ」
隼人は腰のポーチからマーカーの片割れを取り出す。
「伊織さんも行くよ?……大丈夫?」
伊織は隼人と智輝が心配げな視線を自分に向けていることに気がつくと、二人に心配ないとでも言うように笑いかけると、近くに寄ていく。
「ゴメン、ゴメン!さ、行こうか?」
その伊織の笑顔に、二人はどこかホッとしたように表情を僅かに緩めた。
そうして、隼人の近くに集まった智輝と伊織は隼人の肩に手を置いた。
「それじゃ、行くよ!」
隼人はそれをしっかりと確認すると、マーカーを起動させた。
◆
視界が一瞬歪むと、周りを暗闇が包み込む。
その変化にも隼人達は慣れた様子で魔法光を出現させると、その光に照らされて、目の前に大きな門が浮かび上がった。
「それで、これをどうすればいいのか……」
隼人は腰のポーチから箱を取り出す。
「どこかに嵌め込む場所があるとか?」
「それか、近づければ勝手に発動するタイプかも知れないね」
伊織のその言葉に、隼人は手のひらに乗せた箱を、門目掛けて差し出すように掲げた。
「………何も起きないね」
「もうちょっと近づいてみたら?もしかしたら接触型かも知れないし」
伊織の提案に隼人は頷くと、門に向けて歩みを進める。
「反応無いな……やっぱり接触型ってやつなのかな?」
隼人は指先が触れるぐらいまで門に近づくと、そのまま箱を掴んで門に触れさせた。すると。
「!?」
門に触れた箱の溝が突然光出すと同時に、門にも箱と似たような光の線が現れて、門が重々しい音とともにゆっくりと向こう側に開き出した。
「おおっ!正解だったみたい!そして、この箱が鍵で正しかったのか」
隼人は箱を門から離して目の前に持ってくる。
箱が離れても、門は止まらず開き続けていた。
暫くして門が開ききるも、隼人達はそれを確認だけすると、日を改めて主に挑むことにして、今回は門を潜らずに帰還した。
帰還すると時間も結構経っていたようで、空の色も大分変わってきていた。
隼人達は待機していた先生に報告を済ませると、そのまま学園に戻ったのだった。
◆
下へ下へと降りていく造りの遺跡を、可児維は足早に進んでいく。
「ここはすり鉢状に造られているのか……?」
可児維は下に降りるほどに徐々に狭まっていく壁に目を向ける。
「一番下には何が眠っているのやら………それとも埋まっているのか?」
遺跡の内部は砂の海である外に比べればかなり砂が少ないとはいえ全く無いわけではなく、それは可児維が地下へと進めば進むほどに足元の砂の量が増えているような気がしてきた故の懸念であった。
「………何もないな」
先へ先へと進みながらも周囲に目を配っていた可児維は、入り口付近では見掛けた文明の痕跡らしきものが先ほどから全く見当たらないことを不審に思い眉根を寄せた。
「先客でも居たか?……そうなると、可能性としては……」
可児維は一人の青年の顔を思い浮かべるが、全くないということとは別だろうと思いなおす。
「まぁ、とりあえず下に降りてみれば分かるかも知れないな」
やけに砂を踏み締める音が響くなか、可児維は更に下へと降りていくのだった。
◆
翌日、隼人達は鮮血の聖堂にある、主の部屋へと続く巨大な門の前に再び来ていた。
「また閉まってる」
隼人達が戻ってくると、前日に開けたはずの門の扉は再度固く閉ざされていた。
隼人は前日と同じ様に腰のポーチから箱を取り出すと、箱を門に触れさせる。すると、同じように門が開いた。
ゆっくりと門が開いていくの確認すると、三人は一度顔を見合わせてから門を潜った。
門の先も相変わらず暗かった。
隼人達が魔法光を先に飛ばすと、そこは石の地面が続くだけのだだっ広い空間があった。
「……何もないね、主の姿も見当たらないし」
そう言うと、隼人は再度辺りを魔力視で見渡す。
「ッ!?」
隼人は突然横から何かが接近してきたのを眼で捉えると、咄嗟に構えていた短剣でそれを受けた。
ガキンという金属音が鳴り響くと、それはすぐに後方に跳んで距離を取る。
「何事!?」
突然の出来事に、智輝も伊織も驚きの声を出した。
隼人は驚きながらも、前方の何かから目線を外さずに警戒しながらそれの周りに魔法光を飛ばすと、それの全容が見えてくる。
それは全身が影のように真っ黒で、中心となる部分から左右に一本ずつ長い棒のようなものがくっつき、下には更に長いものが二本、上には大きなものが載っていた。
それは一瞬人のような貌に見えはしたが、よく見ると各部位の貌は人のそれとは異なっているようだった。
まず人の頭部に当たる部分には球状ではなく前後に長いものが鎮座しており、それは動物や鳥類を思わせるような貌であった。
腕には肘辺りから刀剣のような貌のものが生えており、足は膝から下辺りから前後にジグザグと折れ曲がっており、それはまるで足の速い動物の足のようにも見えた。
「あれがここの主かな?」
伊織はその異形を注意深く凝視する。
その全身が真っ黒なモンスターは、一足跳びに隼人との距離を詰めると同時に、その勢いを乗せて刀剣のような腕を勢いよく降り下ろしてくる。
そのあまりの速さに隼人は認識が遅れるが、先ほどと同様、勝手に身体がそれに反応してモンスターの攻撃を短剣で受け止める。
ガキンという金属音が再度鳴り響くが、今度はモンスターは退かずに、隼人を攻撃した方とは逆の腕を使って隼人の胴体を横薙ぎに振り抜いた。
「くっ!!」
初撃より速度の劣るその攻撃には気づけた隼人は急いで展開していた防御魔法を強化することでそれをなんとか防ぐが、その攻撃を受けた衝撃で横に飛ばされてしまう。
吹っ飛んだ隼人に追撃をしようとするモンスターだったが、隼人が飛ばされた直後に飛来した氷の矢にそれを封じられる。
「奇襲としてはまぁまぁなタイミングだったと思うんだけど、無傷ね……」
氷の矢を放った伊織は、その氷の矢を全て撃ち落としたモンスターに僅かに感心した声を出す。
その攻撃を受けたモンスターは顔の向きを隼人から伊織の方へと変える。
「わたしは隼人君ほど近接戦闘は得意じゃないんだけどな!!」
モンスターの顔が自分に向いたことの意味を理解した伊織は、直ぐさま自身を守る為に自分の周囲に展開しているただでさえ強固な魔法の障壁を更に強化する。
それと同時に前方上部から強い衝撃を感じると、目の前にモンスターの姿が現れる。
「く、速くて重くて鋭いとか厄介な敵ね!」
パキパキとモンスターの攻撃を受けた魔法障壁に大きなヒビが入るも、それを伊織は急いで修復する。
しかし直ぐに魔法障壁に小さなヒビが走るが、伊織はそれをすぐさま修復することで魔法障壁が破られるのを防ぐ。
「……もう!きりがないわね!」
ヒビが入ってはそれを修復するという作業を短時間に幾度も行うと、伊織は苛立ち混じりの声を発する。
それに賛同した訳ではないだろうが、モンスターは腕を一度退くと、両腕を使って伊織目掛けて多方向から素早い攻撃を繰り出す。
「これはきつ―――ッ」
一ヶ所だけではなく多方面の修復に意識を向けながら、伊織は耐えるように歯を噛み締めた。
ガキ!バキ!という堅い壁を叩く音が鳴り響くなか、智輝は風を纏わした足で素早く静かにモンスターの背後を取ると、風の刃を纏わせた腕をモンスター目掛けて降り下ろす。
「ガハッ!」
直後に智輝はわき腹に強い衝撃を感じると、そのまま隼人同様に横に飛ばされる。
「なんで……手応えはあったはず……」
智輝は飛ばされながらも、先ほどの一瞬の交差を思い出す。
智輝がモンスター目掛けて風の刃を降り下ろした直後、それに気づいたモンスターは身体を左に捻ってそれを回避すると同様に、左腕を智輝の横っ腹に叩き込んでいたのだった。
しかし、完全に回避に成功した訳ではないようで、モンスターの左肩には智輝の風の刃が確かに届いていた。
その智輝の活躍で、モンスターの攻撃回数や威力が先ほどより下がり、伊織に多少の余裕が生まれる。
更に先ほどモンスターが智輝を攻撃したことにより招じた一瞬の空白を、伊織は見逃したりはしなかった。
(もう少し余裕が欲しいところだけど……)
モンスターの攻撃を防ぎ続けながら次の一手の準備を秘密りに進める伊織だったが、未だにそれを完成させる決定打に欠けていた。
(それでももう少し時間を掛ければいけるかな……?)
伊織は眼前のモンスターを睨み付けながらも、何か弱点はないかとモンスターの姿を観察する。
「角!?」
すると突然、モンスターの頭部の前面から角らしき鋭い突起物が一本出現する。
モンスターは両腕を伊織の障壁に突き刺して頭を反らすと、その角を伊織目掛けて勢いよく降り下ろした。
「ちょっ!それは本当にまずい!」
伊織は角がぶつかる辺りの障壁を急いで厚くするが、モンスターはその鋭い角で魔法障壁の一点に威力を集中させることでその守りを突き破り、僅かではあるが角の先端が障壁の内部に達した。
「くっ……さすがにこれはまずいな……」
伊織は下唇を噛むと、どうするべきかと頭を回転させる。
その間にもモンスターは角を更に突き入れようと力を込めてくる。
角の周りの障壁がパキパキと音を立ててひび割れてくると、伊織の修復も間に合わなくなってくる。
「このままじゃ……」
それに伊織は焦るように呟くと、さっと視線を巡らせて周囲の状況を確認する。
伊織の視界内では隼人と智輝の様子は確認出来なかった。もしかしたらあのまま強制帰還させられた可能性もあった。
(隼人君と智輝君は大丈夫かしら?……入り口は確か開いたままだったはずだけど、それは最後の手段として……)
主の部屋とそこまでのダンジョンとを隔てる門を、部屋に鎮座している主は何故か潜ることが出来ないようで、それを利用して今の状態から主の部屋を出るということは、緊急離脱を意味していた。
障壁に更にひびが入ると、伊織は覚悟を決めて足に力を入れる。
割れる寸前に退くのではなく、モンスターに突撃する為に。
(退いたところで活路はなさそうだしね。それに、不完全とはいえ攻撃手段もない訳ではないし)
モンスターの角が更に障壁の内側に入りこみ、伊織が突撃体勢に入った瞬間、突然モンスターの動きが止まり、角が少しだけ引いた。
「ん?」
突然の事態に伊織は訝しげにモンスターを見詰めると、モンスターの側面に刃のようなものが突き刺さっているのを視認する。
「あれは……」
伊織はその刃の出所へと顔を向けるが、闇が遮り確認は出来なかった。
しかし、伊織にはその魅力されそうなまでに青白い輝きを持つ刃には覚えがあった。
それに、刃が伸びている先は先ほど隼人が主に飛ばされた方角でもある。
「今のうちに!」
モンスターがわき腹に深々と刺さった刃に気を取られている内に、伊織は聖なる魔力を取り込みそれを一気に練り上げると、それを手のひらの上に圧縮する。
「近接は苦手だけど、近寄られた時の対処は色々と考えてるのよ!」
伊織はモンスターとの僅かな距離を詰めて懐に入ると、障壁の一部を解いてモンスターの胴体へと手のひらの魔力を叩きつける。
その攻撃をまともに受けたモンスターは、わき腹に刺さっていた刃と障壁に突き刺していた角を強制的に引っこ抜かれながら後方へと吹っ飛ばされる。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
大量の魔力を取り込み、それを一気に練り上げて使用した伊織は疲労し、呼吸を荒げながらも急いで魔法光にモンスターを追尾させる。
そして遠くへと飛ばされたモンスターに魔法光が追いつくと、モンスターは胴体に大きな穴を開けながらも、片腕を伊織の方へと持ち上げて戦意を示していた。
しかし、まるでガラスが割れて崩れていくように、その穴を中心に入ったビビからポロポロとその漆黒の身体が剥落しては消えていっていた。
「相変わらず、聖なる魔法とやらでやられたモンスターは崩壊していくのね……」
自分の攻撃で起きた出来事ではあったが、伊織はどこか観察者のようにそう感想を漏らした。
「とりあえずあれは倒せたかな?あれがここの主ならいいんだけど……。それと、隼人君と智輝君は大丈夫かしら?」
伊織はモンスターから目を離さないようにしながらも、隼人と智輝が飛ばされた方向へと魔法光を飛ばす。
そして、離れた場所まで移動した魔法光が二人を優しく照らし出すと、隼人と智輝の二人は今にも立ち上がろうと四肢に力を入れているところではあったが、それはゆっくりしていながらもどこか危なっかしく、二人が受けたダメージを物語っていた。
そしてやっとの思いで二人は立ち上がると、伊織の元へと覚束ない足取りながらも歩み寄ってくる。
そうこうしているうちにモンスターの全身へとヒビが入っていき、持ち上げていた腕は根元から折れてガラス細工のように砕け散ると、そのまま虚しく消えていったのだった。
◆
「二人とも大丈夫?」
伊織の元までたどり着いた二人に伊織は心配そうに声を掛けると、簡単にではあるが、大きな怪我がないかを確認する。
「あのモンスターは?」
「倒したよ。あとは本があるかどうかの確認だけだけど……まだ気は抜けないね」
先ほどのモンスターが主でなかった場合他に主が居ることになり、満身創痍な三人にとって現状は危うい状況ということであり、三人は一度気を引き締め直しつつも、念のためにいつでも帰還出来るように帰還魔法を準備しておく。
三人は準備が整うと、先ほどのモンスターが消えた辺りまで慎重に近づいていく。
モンスターを照らしていた魔法光の明かりに近づくと、その明かりに照らされている一冊の本が目に入った。
「確認するね……」
三人の中では一番余力のある伊織が本を拾って調べると、その本は確かに鮮血の聖堂攻略の証となる本で間違いはなかった。
「よかった~、これで帰還出来るよ!」
伊織が頷くと、智輝は盛大に息を吐き出して脱力すると、その場に座りこんだ。
「これで鮮血の聖堂も攻略完了だね!」
隼人は全身の力を抜くと、にこやかに笑ってそう言葉にする。
「それじゃ、早いとこ帰還しようか!」
伊織はそう言うと、帰還魔法を発動させる。
そんな伊織に続いて、隼人と智輝も帰還魔法を発動させるのだった。
◆
「確かに、棗隼人・橘智輝・妹尾伊織三名の鮮血の聖堂の攻略を確認しました」
帰還後、先生に攻略の証の本を提出して鮮血の聖堂の攻略が認められると、三人は満身創痍ながらも晴れやかな気持ちで学園へと戻ったのだった。
◆
「……埋まってるな」
遺跡を探索していた可児維は遺跡の一番下まで到達するも、そこには長い年月掛けて上から流れ落ちてきたのだろう大量の砂が占拠していた。
その光景に、可児維は少し面倒くさそうに息を吐くと、砂を掘り返していく。
「相変わらず砂というのは面倒だな」
可児維は掘り返した砂が戻らないように周囲に魔法障壁を張りながら掘り進んでいく。
その光景は、見えない石で周囲を囲いながら井戸を掘り進んでいるようにも見えた。
可児維が砂を掘り進めて暫く経つと、砂に埋まった石板の一部が姿を表す。
「これがここに遺された記録か?」
可児維はその石板を壊してしまわないように慎重に掘り起こすと、その石板に掛かれていた記号のような原始的な文字を指でなぞる。
幸いにも、その石板の文字は可児維が解読可能な文字であった。
「何々……ふむ、ふむ……侵略者に適応ね…………なるほど、この世界での人間の歴史のはじまりがこの石板の記載通りだとしたら、魔神とやらが魔力の塊なのも納得だし、少し不憫にも思えてくるな……」
可児維はその自分の身長ほどもある石板を抱えると、砂の上へと戻っていく。
「他には何かあるのかな?」
可児維は石板を近くの石の上に置くと、再度砂のなかへと入っていく。
先ほど石板を見つけた場所よりも更に下へと掘り進めると、再度石板らしきものを堀り当てる。
その全容が明らかになると、それは先ほどの石板よりも大きく、下には台座として厚く大きな石がついていた。
「………これは石碑か?……どこかにこれが誰の墓か書いているはずだが……」
可児維は石に刻み込まれた文字を指でなぞりながら、興味深げに目を動かす。
「先ほどの石板に書かれていた歴史と関係しているのか………というよりは続きになるのか?」
可児維は熱中して更に石碑の文章を読み進める。
「………続きではなく補完か?………違うな、こちらがメインで先程の石板の方が補完の関係のようだな………」
それからどれぐらいの時間が経ったか、長いこと石碑の文字を読み続けた可児維は、ついに長大な文字列を読み終わると、難しい顔で思案をはじめる。
「…………恭助の言いたいことが少し分かった気がするが……それならば何故彼は我々に協力しない?」
可児維は不信げに顔を歪めると、石碑とともに砂の上へと脱出したのだった。
◆
星が瞬く夜空を眺めていた男はそれを中断すると、背後に近づいてきた人物の方へと顔を向ける。
「答えは見つかりましたか?」
「ああ、恐らく」
その人物の返答に、男は嬉しそうに口角を持ち上げた。
「さすがは可児維さんだ!仕事が早いですね。早くてももう少しは掛かると思ってましたよ」
その男、恭助は可児維に親しみのありそうな声で話し掛ける。
「戯れ言を……君はそんなに甘い計算をするような男ではなかろう?」
そんな恭助を、可児維はつまらなさそうに見詰める。
「はは、そんなことはありませんよ。ですが……まぁ今はそんなことはどうでもいい話でしたね」
「ああ、そうだな」
「では、答え合わせといきましょうか!」
恭助は小さく両腕を左右に開くと、挑発的な笑みを可児維に向ける。
「………我々人間は侵略者だった」
「それで?」
「かつてこの世界には純然たる魔力しかなく、他の物質さえ存在しなかった。しかし、長い月日が経つと、この世界に意思を持つ魔力が現れる。それが神殿に封じられている魔神の祖先、というよりは同族だろう」
「そうですね、彼らは我々人間のように子孫を遺す訳ではないですからね」
「そんな意思を持つ魔力が増えたこの世界に、新たな資源を求めて侵略者が月の向こう側から現れた。それが我々人間の祖先だが、最初の侵攻は失敗に終わった」
「僅かに空いていた穴を拡張して、異世界同士を繋ぐゲートにしたのが我々人間で、結果として月が生まれたのですがね。そしてそんなことをしておきながら、当時の人間は拡げた穴から勢いよく流れてきたこの世界の濃度の高い魔力に触れた瞬間にその大半が死んでしまったという、間抜けな結果に終わったみたいですけどね」
「しかし人類は諦めなかった。魔力の流入をなんとか止めることに成功した生存者たちは、月を通じて作為的に引き込んだ魔力を一部の人間を使い、長い年月を掛けて微かな量の魔力を浴びさせ続けた結果、人は魔力を体内に取り入れるという進化……いや、適応をしてしまった」
「ま、完全ではありませんでしたが」
「そんな適応した人間を増やすことにも成功した人間側は、再度の侵攻を開始した」
「こちらも失敗でしたがね。そもそも少しだけ魔力に適応しただけの人間では、この世界に足を踏み入れることすら許されませんでしたからね」
「それでも人間は諦めずにあがき続け、ついに魔法という禁断の力を手にいれた」
「それが悲劇のはじまりでしたがね」
「人間は再度、今度は魔法を用いての侵攻を開始した」
「それは成功したみたいですね。三度目の正直というやつでしょうか?魔法での物質の構築に成功したのが大きかったみたいですが」
「この侵攻で殆どの意思ある魔力は駆逐されてしまった……」
「酷い話があったものです」
「しかし、ほどなくして人間は気づいてしまった、意思ある魔力が無ければ自分たちが生存出来ないことに」
「狩った相手が命綱という、実に滑稽な話です」
「意思ある魔力が去った世界には純然たる魔力が残ったが、それ単体では人間には毒でしかなかった。意思ある魔力の魔力が混ざった魔力こそ、人間が扱える魔力だったからだ」
「元々適応した魔力が混じり物だったようですからね」
「意思ある魔力を滅ぼした結果、侵攻してきた人間は全滅の危機に瀕した。しかし、そこで一つの希望に出会った。それが魔神だった」
「ようは狩り逃した獲物、もしくは生き残りですね」
「生存していた人々はその魔神を必死になって捕獲して閉じこめてしまった。それが現在の神殿とその封印だ」
「そこで更に誤算が生じてしまった」
「魔神は人間の数々の所業に怒り、憎み、そして呪った。すると、魔力の質が変わってしまった」
「それでも純粋な魔力ほどの猛威にはならなかったようですけど」
「それでも変化はあった。人間はその魔神の恨みの籠った魔力を使い続けた結果、数百年以上の長命を誇っていた人間の寿命は、百年に満たないほどの短命になった。それはかなり緩やかになってはいるが、未だに我々の身体を蝕んでいる。他にはダンジョンが顕著な変化だろうか、あれは魔神の魔力に呼応した物質の起こす現象の一つだからな」
「まぁ、それも事実ではありますが……俺には三の守護者の学園は恐ろしくて近づきたくありませんね」
「ん?」
「いや、続けてください」
「……続けるも何も、他に何か語るべきことがあるのか?」
「………そうですね、短期間でその辺りまで調べられたのなら十分でしょう」
恭助はうん、うんと数回頷くと、神殿がある方角へと顔を向ける。
「もう少しで、魔神の封印を解く準備が出来るみたいですよ」
「………それで、結局君は我に何が言いたいのだ?」
「分かりませんか?」
「ああ、全く分からんな」
「そうですか………人間は適応し、先へと進めますが、それでいながら間違いも必ず犯す。俺はそう考えているのですよ」
「?すまんが、君の言っている意味がよく分からんのだが……」
「魔神の後継は既に誕生していた。そして、それはこれからも誕生し続けることでしょう。これはもう今更どうすることも出来ません。更にはもうじき門が開く頃合いだ。既に手札は揃っているというのに、それに気づく様子もなく、愚かにもまだ力を求めている……俺が言いたいのはただそれだけの話ですよ!」
「…………」
理解の色は滲んでいるが、それでも釈然としない瞳で見詰める可児維に、恭助はしょうがないとばかりに肩をすくめると、踵を返して歩きだす。
「ま、あとは勝手にどうぞ。これ以上俺は何もするつもりはありませんから」
その去り行く背中に可児維は嘆息するも、呼び止めることはしなかった。
◆
背中越しに感じていた可児維の気配が無くなると、恭助は夜空を見上げる。
そこには煌々と輝く欠けた月が浮かんでいた。
恭助は夜空に向けて一つ息を吐き出すと、正面へと顔の向きを戻した。
「時間はもうあまり残っていないようですが……間に合えばいいですけどね」
恭助のその独り言は誰かの耳に届くことはなく、夜風に流れては虚しく消えていくだけであった。