鮮血の聖堂3
一面砂だらけの砂漠のど真ん中で、青いスーツに傍らには小さな荷物入れという、およそ砂漠を旅するには似つかわしくない格好をしている可児維は、砂に埋もれたとある遺跡の入り口を掘り返していた。
そして、人一人が通るには十分な穴が空くと、辺りを警戒しながらも、普段通りの足取りで中へと入っていった。
遺跡の入り口こそ砂に埋まってはいたが、入り口の砂を取り除いて遺跡の中に入ってみると、そこには広々とした空間が広がっていた。
「そろそろ当たりを引きたいものだがな……」
その空間を見渡した可児維は、ため息混じりにそう呟く。
恭助の話から、人間の起源まで遡って調べている可児維は、ここ数日ずっと大量の本を調べ、怪しい場所を突き止めては現地に赴いて調べてを繰り返していた。
可児維はそこで、この砂漠の遺跡で十何ヵ所目だったかと独り考えるも、辟易したように頭を振ってその考えを頭の外へと追い出す。
「人間のはじまりか……」
今まで調べた中にもそういう話はあったし、世間一般から地方、守護者間の伝聞まで知識として持ってはいたが、恭助の物言いでは、そのどれもが間違っているらしかった。
可児維は砂漠の遺跡の中を調べつつも奥へと進むも、途中で目にする物にはあまり目新しさは感じられなかった。
「ここの文明はこの辺りに現存する民族の起源と大して変わらないのか?」
その事実からの推測に、可児維は残念そうな声を出した。
それでも未発見の遺跡である以上、何かしらの発見があることを切に願って、可児維は更に奥へと歩みを進めるのだった。
◆
光の届かない地下深くに存在するダンジョン、鮮血の聖堂内を探索していた隼人達は、目の前の大きな門を困惑したように見上げていた。
「これって、主の部屋への門だよね?」
「だと思うんだけど……」
伊織の確認するような問い掛けに、隼人は困ったように言葉を濁した。
「……閉じてるね、もしくは鍵が掛かってるとか?」
隼人達の視線の先の門は、今までの枠だけが存在していて扉などは無かったり、あっても簡単に開いたりしていた主の部屋への門と違い、扉が固く閉ざされていて、先ほどから隼人達がどうにか開かないかと注意深く観察したり、とにかく押してみたりするも、石で出来ているような質感の扉はびくともせず、なにをやっても開く気配が感じられなかった。
「さて、どうしたものか……」
「せっかく門までたどり着いたのにね」
「……割りとここまでが短かったのは、こういうことだったってことなんだろうな……」
そう言うと、隼人は疲れたようにため息を吐いた。
「謎解きなのか、鍵探しなのかすら分からないね……」
「鍵穴は無さそうだけど?」
「鍵穴が無くても鍵は掛けられるからね」
「そうなんだ!」
「……………」
智輝の言葉に、突っ込むべきか否かを考えた伊織は、放っておくことにした。
「………とりあえず、来た道を戻ってみて、何かないか探してみようか」
隼人の元気の無い声でのその提案に、智輝と伊織は「そうだね」と、疲れたような声で賛同を示した。
隼人達は、一応マーカーを門付近に設置すると、辺りを念入りに探りながら、来た道を戻りはじめた。
◆
「どう?何か見えた?」
魔力視を併用しながら辺りを見回す伊織の言葉に、同じように魔力視で周囲を確認していた隼人は、困ったように答える。
「ここまでは全然何も見当たらないね。先はあの毒の魔力が邪魔で見えづらいし……」
「そうか……うーん、戻るのも面倒だな……、鍵でも何でもいいからそこらにないかな……」
伊織は面倒くさそうに頭を掻くと、再度周囲へと視線を巡らせる。
そうして調べていると、少し離れた場所の壁にほんの僅かではあるが、魔力の反応があることに気がつく。
「あれは……」
そのまま伊織は、その魔力反応がある壁に移動すると、そっとその魔力に触れてみる。
すると、伊織が触れた部分が盛り上がり、壁の一部がドアノブのように生えてくる。
「扉?」
伊織は訝しげな顔をするも、その掴んでくださいと言わんばかりに突出した壁の一部を掴むと、思いっきり壁を押してみる。
「……………」
しかし、いくら押せどもびくともしない壁に、伊織は考えるように少し硬直すると、そのまま壁を引いてみた。
「……開いた」
すんなり開いた壁に、伊織は若干の呆気なさを感じるも、先ほどまで頑張って壁を押していた自分を思い出して恥ずかしさから顔を赤く染める。
「と、とりあえず中に入ってみようか!」
恥ずかしさをごまかす為に、僅かに上擦った、態とらしい元気な声を出すと、伊織はその隠し部屋に足を踏み入れる。
「ッ!!」
伊織が隠し部屋に足を踏み入れた瞬間、全身の毛が総毛立つような緊張感と、今すぐにでも吐き出してしまいそうになるほどの気持ち悪さに包まれる。
「何なのこの部屋、あの場所よりも人の念が濃い……」
口元を押さえる伊織を見て、部屋の外に集まっていた隼人と智輝は心配して近づこうとするも、部屋へと一歩足を踏み入れた瞬間、伊織が気分悪そうにしている理由を理解する。
「なんだ、この感じ―――……」
「何か気持ち悪くなってきた……」
そんな二人に、伊織は手振りで急いで部屋の外へと出るように促す。
それに頷いた隼人と智輝は、ふらふらとした足取りで部屋を出ていき、伊織もその後に続いて部屋を出た。
「……あの部屋、何?」
暫くして体調が戻ってきた智輝が、忌避するように目を細めて隠し部屋の中を窺う。
「分からない、魔力的にはこことさほど変わらないはずなんだけど……」
隼人は力なく首を横に振った。
「何かまでは分からないけれど、沢山の人の怨みつらみが集まってるのだけは分かるよ……」
伊織は隠し部屋を見ながらそう呟くと、二人の顔に視線を動かす。
「それで、どうする?もしかしたら、主の部屋への鍵か何かがこの部屋にある可能性もあるけど……」
隼人と智輝は考えるように沈黙する。
「……とりあえず、魔法光を幾つか中に入れてみる?」
そこでやっとそのことに思い至った隼人の提案に、智輝と伊織は同意すると、隠し部屋の中へと複数の魔法光を移動させる。
「………これは―――」
魔法の淡い光が照らし出した部屋の中の様子を見た三人は言葉を失うと同時に、先ほど感じた気持ち悪さの正体を理解する。
「……見た限り、ここは拷問部屋だったみたいだね」
三人の視線の先では、人を苦しめ痛めつける為に造られた、針などの鋭いものが生えたり、わざわざ取りつけられているモノや、拘束する為のバンドのようなものが取りつけられているモノなどが広めの部屋にいくつも置かれており、更にそれらには使用されていた形跡も見られ、端から見ているだけでも三人は気分が悪くなりそうになり、反射的に視線を逸らしそうになる。
「……何かありそう?」
それでも我慢して三人は部屋の中をも渡していると、智輝が確認するようにそう訊いてくる。
「う~ん、今のところ何も、魔力視でも全然だね。隼人君の方はどう?」
「……あれの中に何かあるような気がするんだけど……」
隼人が指し示した方向には、鈍色に輝く、女性らしき人を模した意匠の、棺のようなモノが壁に固定されて置かれていた。
「あれは……鋼鉄の乙女、だっけ?あの中にね」
昔、本で見た記憶があった伊織は、その器具の名前を呟くと、それの中を確認しようと目を細めて凝視する。
「………確かに、僅かだけど魔力の流れが部屋中に漂う魔力とは質が違う気がするね」
「……中に入って確認してみようか」
伊織もその違いを確認出来ると、隼人は一度深呼吸をすると、神妙な面持ちで二人にそう提案した。
「そうだね、何かあるみたいだし……」
「ま、他に手掛かりはないからね」
二人はその提案に不承不承と言った感じでため息混じりに賛同した。
それを確認すると、隼人は意を決して隠し部屋へと再度足を踏み入れる。
「……やっぱりこの空気はキツいな」
隼人は不快げに顔を歪めるも、しっかりとした足取りで鋼鉄の乙女へと近づいていく。
「さっさと確認して戻ろう!」
後に続く智輝と伊織も顔を歪めながらも、隼人の後についていく。
そして、三人は鋼鉄の乙女へと到着すると、開かないかと調べはじめる。
「…………ここに繋ぎめみたいな溝があるな」
その結果、隼人は鋼鉄の乙女の側面に微かに線のようなものがあるのを発見すると、そこから開かないかと両手の指を溝に引っ掛けると、そのまま左右に開けるように力を込める。
そうして隼人が力を入れると、重々しい音とともに鋼鉄の乙女が側面からゆっくりと開きはじめる。
「そういうタイプなのね」
その様子に、伊織はどこか感心したように小さく頷いた。
そして、人が余裕で入れるぐらいまで開くと、魔法光が中の様子を照らし出した。
「うわ、針だらけ……」
動いた側の内側にびっしりと生えている太い針の山に、智輝は思わず引いたような声を漏らした。
「……な、中の様子は」
鋼鉄の乙女を開いた本人である隼人は、所々に黒い染みのある目の前のその光景に驚愕するも、それをごまかすように態とらしく声を出した。
隼人が鋼鉄の乙女の中を魔力視で注視するも、確かに部屋に漂う魔力とは別の魔力の気配を感じはしたが、それの正体までは確認出来なかった。
それは伊織も同じだったらしく、二人揃って不思議そうに首を傾げた。
「う~ん、確かに何かはあるみたいなんだけど……」
もう一度中の様子を確認した伊織は、暫く呻くような声を出して考えるも、答えの見つからない状況に、一度鋼鉄の乙女を閉めてみることにした。
ガチャンという重々しい音が室内に鳴り響くと、開いていた鋼鉄の乙女がまた閉じられた。
「ん?」
その音を聞いた伊織は僅かに違和感を覚えると、もう一度鋼鉄の乙女を開閉させる。
「……やっぱり、若干音がずれてる気がする」
それから更に数度開閉を繰り返した伊織は、その違和感の正体をそう結論づける。
「音がずれてるって?」
その伊織の答えに、伊織の行動を見守っていた隼人は、同じく隣でその様子を窺っていた智輝にその答えの意味を訊ねた。
だが、隼人に問い掛けられた智輝にも意味が分からず、「さぁ?」と首を傾げただけだった。
その疑問には、二人を振り返った伊織が自ら口にする。
「開閉時の音と、実際に鋼鉄の乙女が開閉した時とがホントに僅かだけどずれてるんだよ!」
興奮したような口調での伊織の説明に、いまいち理解出来ていない隼人と智輝は、「はぁ」と気のない返事をする。
「だから!」
その二人の様子に苛立つような声をあげた伊織は、再度説明をはじめた。
「鋼鉄の乙女の開閉と、その時の音がずれてるんだよ!多分これは、鋼鉄の乙女の中で別の扉が開閉してるんだよ!」
その伊織の説明で、やっと伊織が言わんとしていたことが理解出来た隼人と智輝は、「なるほど」と、驚いたように声を漏らす。
「それじゃ、もう一度鋼鉄の乙女を開けて、中に別の扉があるか確認してみようか!」
微かながらも道が見えてきたことで、元気が回復してきた隼人は、鋼鉄の乙女に近づいて再度上蓋を動かしたが。
「………う~ん、中には特に扉のようなものは無いみたいだよ?」
魔法光を鋼鉄の乙女の中に飛ばし、魔力視も併用して再度観察した隼人は、残念そうに首を横に振る。
「中に入って確認してみよう!」
そう言うと、伊織は驚く隼人達をよそに、鋼鉄の乙女の中へと入っていく。
伊織は辺りを観察したり、内側を所々触って調べたり、軽く叩いたりしたが、扉らしきものや、その痕跡を発見することは出来なかった。
「…………」
伊織は鋼鉄の乙女の内側を眺めながら思案すると、隠し扉の捜索を諦め気味の隼人達に振り返って口を開いた。
「ちょっと閉めてみて!」
最初、隼人と智輝は伊織のその言葉の意味が理解出来ずに呆けた表情を浮かべたが、次第に意味を理解していくと、その表情は驚きから怪訝な表情へと変わっていった。
「閉まると音がするってことは、閉めれば扉が現れるかもしれないからさ!」
二人のその気持ちも理解出来た伊織は、二人にそう力の籠った説明をするも、隼人と智輝は危ないからと頭を横に振る。
「大丈夫だと思うけど……う~ん……じゃあ、このトゲトゲ壊してみる?」
伊織は上蓋の内側に生えている針を指差す。
「こういうの壊してもいいのかな……」
伊織のその言葉に、隼人は微妙な顔をした。
「他の道を探すとか……」
通常、ダンジョンの攻略ルートというのは複数存在している為、智輝がそう提案するも、伊織は首を横に振ってそれを却下する。
「ダンジョン内のは壊しても大丈夫なはずだよ、じゃないと戦闘なんて出来たもんじゃないでしょ!まぁ、やたらめったら壊したら怒られるだろうけどさ」
そう言うと、伊織はさっさと鋼鉄の乙女の内側に付いていた針を破壊していく。
「さ、これでいいでしょ。それじゃあ閉めてみて!それとも、隼人君か智輝君のどっちかも一緒に入る?」
二人が止める間も無く針を破壊し終えた伊織は、二人にそう問い掛けて首を傾げた。
「「……………」」
それに隼人と智輝は顔を見合わせる。
「隼人が一緒に入ってみれば?中で何があるか分からないし、探査能力の高いお前が適任だと思うからさ!」
そこまで言うと、智輝は隼人の背中を押して鋼鉄の乙女の中へと隼人を押し入れると、隼人が何かを言う前に鋼鉄の乙女の上蓋を急いで閉じてしまう。
すると、伊織の予想通り、鋼鉄の乙女の上蓋が閉まりきる寸前に上蓋とは反対側の壁が開き、隠し扉が出現する。
隼人はそれに驚きながらも、魔法光の明かりを頼りに、伊織とともに現れた隠し扉の中へと入って行った。
「うわ~水浸しだ!もしも針がそのままだったら、背中からこれに落ちてたのかな?」
隠し扉の先は、一面を三センチほどの水が満たしていた。
「それにしても、ここはカビと鉄っぽい臭いが強いな……」
隼人は部屋中を満たしている鼻に衝く独特の異臭に、不快気に眉間にシワを寄せる。
「そうだね、この嫌な気分にさせられる臭いの正体は―――」
予想はしていたとはいえ、隠し扉の出現からの隠し部屋の発見に内心驚いていた伊織は、隼人のその言葉を聞くまでその臭いに気づいていなかったが、その異臭に気づいて不快感から顔を歪めると、その異臭について言葉を口にしたが、その途中で隼人が伊織の顔の前に手を翳して中断させる。
「何か居るみたいだよ……」
声のトーンを落としての隼人の警告に、伊織はそのまま口を閉ざして警戒する。
静寂が二人を包むと、右前方の大分離れた場所からバシャ、バシャと、水音を立てて移動する音とともに、「ウォェッ、ウォェッ」というえづくような声が聞こえてくる。
「足元に気をつけて移動しよう」
小さな声でそう告げると、隼人は声がしている方とは反対側に、出来るだけ音を立てないようにしながら移動をはじめた。
それと同時に、魔法光の明かりを弱めると、水面すれすれを浮遊させる。
伊織も隼人を倣って静かに移動するように心掛ける。その間も、遠くからはずっとえづくような声が鳴り響いていた。
隼人と伊織が暫く進むと、岩肌のような質感の壁にぶつかる。
「行き止まりかな?」
隼人は魔法光を壁に近づけて確認する。
それは岩肌のような手触りなのに、よく見ると岩ではなく何かの人工物で造られた、どこか不思議な感じのする壁であった。
隼人は行き止まりなのを確認すると、魔法光を飛ばして辺りを調べる。
「左側もすぐに行き止まりか……」
現在地は今居る空間の隅っこなのだろう、正面だけでなく左手にも壁を確認した隼人は、そのまま右へと進路を変えて、壁伝いに移動をはじめる。
「ここは何の為の空間なんだろうね?」
伊織は声を潜めながらも隼人に問い掛ける。
「さぁ、それは分からないけど、何か居るってことは、それの為の空間なんじゃない?」
伊織と同様に隼人も声を潜めてそう返すと、遠くから聞こえてくる声の方向に顔を向けた。
「なんとなくだけど、あれは嫌な感じがするし……」
隼人のその意見に伊織も同意する。
声の主が居るとおぼしき場所の魔力が歪んでいるのが眼に映っていた。
「出来れば避けて通りたいところだけど、ここで何をすればいいかがまだ分からないからな……」
そう言うと、隼人は困ったように嘆息する。
「主の部屋の鍵となるものがどこかにあると思うんだけどな……」
伊織は辺りを魔力視で調べながら進む。
「鍵ねぇ、探すのは苦労しそうだな」
空間を覆う暗闇と歪な魔力に、隼人は鼻から息を吐くと、精度を上げるために探索範囲を狭めて辺りの捜索を開始した。
それからどれぐらいが経過しただろうか、そう長くはなかったと思うが、調べながらも反対側の行き止まりまで到着した隼人と伊織は、空間の中央を目指すか、それともおもいきって声がする方へと進むかを話し合ったが、声の主は中央付近とおぼしき場所からは離れているとはいえ、結局はどちらにせよ近くに寄ることになるという結論に至り、二人はまずは広さを把握する為にもそのまま壁伝いに右へと、声が聞こえる方へと進むことに決めたのだった。
◆
隼人と伊織が鋼鉄の乙女内から続く隠し部屋を散策中、部屋に一人残った智輝は暇を持てあましていたしていた。
「帰ってこないな……」
鋼鉄の乙女を眺めながら智輝はどうしたものかと思案する。
正直、こんな薄気味悪い場所で待つのは嫌ではあるのだが、だからといって鋼鉄の乙女から離れる訳にもいかずに困っていた。
「二人とも居なかったってことは、伊織ちゃんの言ってた通り中に隠し扉があったんだろうけど……場所がよく分からないし、これは一人じゃ閉められないみたいだし、どうしたものかね~」
智輝はじっと鋼鉄の乙女を見詰めて思案する。
「いっそのこと、これを壊してみれば……」
そこまで考えて智輝は慌てて頭を振る。
「その結果、二人が閉じ込められたら困るしな……あーあ、早く帰ってこないかな!」
智輝は不安のせいか、はたまた寂しさからか、誰に言うでもなしに大きな声でそう言うのだった。
◆
「近づいてきたね」
えづくような声が大きくなってくると、隼人は緊張した声を出す。
「見つからないように慎重にね」
伊織も緊張した声を出すと、水音を立てないように足元に細心の注意をはらう。
「ウォェッ!ウォェッ!」
その正体不明の何かは少し離れた場所でえづくような声を出すと、暫くしてからバシャバシャと音を立てて短く移動する。
「ウォェッ!ウォェッ!」
そうして暫くしてからまた鳴くと、また少し間を置いてから短く移動を開始する。
正体不明の何かは、ずっとそれを繰り返しながら同じところをぐるぐると回っているようだった。
「あれは何をしてるんだろう?」
姿は確認出来ていないが、音だけでその行動を把握した伊織は、その理解不能な行動に興味を抱く。
「近づかないように静かに移動してね」
そんな伊織を注意するように、隼人はそう声を掛ける。
「分かってる、分かってるって」
伊織はそれを警戒とは別に気にしながらも、頭を切り替えて隼人の後に続いて静かに横を通り抜ける。
「それにしても、魔法光の明かりには反応しないのかな?」
微かな明かりではあるが、光を放つ魔法光に伊織は目を向ける。
「さぁ?ただ単に気づいてないだけかも知れないし」
先を行く隼人は、そっと少し離れた場所の闇に目を向ける。
そこでは変わらず同じ行動を繰り返している何かが、えづくように鳴いていた。
「ん~……もしかして、ずっと暗闇に住んでるから目は退化してるとか?」
「それなら音か振動辺りに敏感になってそうだから余計に慎重に進まないといけなそうだね」
「なるほど、それはそれで困るね……」
伊織の閃きに隼人が冷静にそう返すと、伊織は困ったように黙り込んだ。
「とりあえず、もう少し離れるまではそうしてた方が賢明かも知れないね」
伊織のその様子に、隼人は一言そう言うと、口を閉ざして静かに先へと進む。
それから暫く黙ったままゆっくり進むと、とうとう行き止まりにぶつかった。
「次は残りの反対側に行くよ」
そう言って隼人は右へと移動を開始する。
そうして隼人と伊織が静かに進んでいると、とうとう四つ目の角に到着する。
「……何もなかったな」
「一旦入り口に戻ってから中央を目指そうよ」
残念そうにする隼人に、伊織はそう提案して先を促す。
「そうだね、まだ端を回っただけだもんね」
気を取り直して隼人と伊織は入り口を目指して前に進む。
「あれ?」
その途中、静かに進む隼人と伊織は、先ほどまで聞こえていたえづくような鳴き声と、バシャバシャという移動音の周期が変わったことに気づく。
「嫌な予感がする―――」
隼人がそう呟くと、バシャバシャという音とともに、えづくような鳴き声が急速に二人に近づいてくるのが耳朶を打つ。
「ヤバッ!」
「逃げるよ!」
その音に二人は慌てて移動速度をあげるも、正体不明の何かは正確に二人の方向へと向かってくる。
「何でバレたのかな?!」
「分からないけど、もしかしたらあの辺りにセンサーか何かがあったのかも!」
二人は急ぎながらも、後ろから近づいてくる何かを警戒する。
「それにしても速いな!」
必死に移動するも、水位は低いとはいえ、水が足にまとわりついてきて思うように速度が出ない隼人と伊織をよそに、正体不明の何かは物凄い勢いで距離を詰めてくる。
「このままだと間に合いそうにないね!」
入り口までのおおよその距離を頭に思い浮かべた伊織は、余裕のあまりない声を出した。
「ギャァァアア!!」
先ほどまでえづくような声を出していた何かが突然、鳥が威嚇する時のような、もしくは警戒する時のような声を出しはじめる。
「なに!?」
その変化に驚いた伊織が足を止めて振り返えると、ちょうど闇から現れたそれが襲い掛かってきた瞬間であった。
「ッ!!」
伊織はそれに驚くも、身体が自然と動いて待機させていた防御魔法を発動させる。
「ギャァァアア!!」
防御魔法に攻撃が弾かれたそれは、そのまま闇の中へと姿を消した。
しかし、伊織はそれを明るくした魔法光を急いで複数飛ばすことによって捕捉しようと努める。
「あれが……」
その明かりが映し出したこの部屋の主であろうその姿は、ボサボサの髪のようなものを腰の辺りまで伸ばした、ガリガリの人間のようにみえた。
「人……というより、人だったものと言うべきか、人型のモンスターと呼ぶべきか……」
その姿を確認した伊織は、どう言葉で表すべきかと難しげに言葉を濁す。
その、人の姿に似た敵の指先には、本来人にはついていないであろう鋭い鉤爪が生えていた。
「ただの長い爪って訳でもなかったようだけどね」
先ほどの接触時を思い出した伊織は、その鋭くも硬い鉤爪を警戒する。
「戦うしかなさそうだね!」
短剣を構えたまま、少し横へとずれる隼人。
「ギャァァアア!!」
モンスターは叫ぶと、その脚力を使って一気に距離を詰めると、再度伊織目掛けて襲い掛かってくる。
「やっぱり速い!」
前方に防御魔法を展開しつつも、上からモンスター目掛けて氷の矢を大量に降らせる。
「ギャァァアア!!」
しかし、モンスターはその速度で以てその矢の雨を無傷で通り抜けると、勢いそのままに伊織へと鉤爪をつきだした。
「くっ!予想以上に威力が高い!!」
ミシリミシリと魔法障壁が嫌な音を立てて軋む中、伊織は退かずに間近でモンスターとにらみ合いながら、次の魔法を発動させる。
「こんな所でやられる訳にはいかないんですよ!ですから、訓練の成果とやらをあなたで試してみましょうか!」
伊織は手元に聖なる魔力で構築した槍を創りだすとそれを構える。
そして、それをそのまま魔法障壁ごとモンスター目掛けてつきだした。
槍は魔法障壁を綺麗に貫くと、その先で手をつきだしていたモンスターへと突き刺さる。
「ギガァッ!」
すると、モンスターは槍が突き刺さった箇所からまるでパズルのピースが崩れ落ちるかのようにポロポロと崩れていく。
「ガァ、ガ……ガ、ギ、ク……」
モンスターはそれでも動こうともがくが、身体はピクリとも動かせないようで、呻きながらもそのまま瓦解して消えていった。
それを呆然と見届けた伊織は、手元の槍へと視線を落とす。
「……これが聖なる魔法の力……?」
浄化というよりも侵食に近いモンスターの最期に、伊織は恐怖に似た感覚に襲われ、ぶるりと身を震わせる。
そこで伊織は視線を槍から隼人へと移す。
隼人は回り込もうとしていたのか、短剣を持って少し離れた場所に立っていたが、先ほどのモンスターの最期を見届けたからだろうか、呆然としてモンスターが立っていた場所を見詰めていた。
伊織は槍を消すと、それにより見えるようになった、先ほどまでモンスターの立っていた足元の水面へと目を向ける。
「箱?」
そこには小さな箱が浮いていた。
伊織は一瞬躊躇しながらも、その箱を慎重な手つきで拾うと、魔法光を近くに寄せてから観察する。
「不思議な紋様……」
その箱の側面に引かれたいくつもの線を伊織が魅力されたように見いっていると、やっと我に返ったのだろう、横から隼人が声を掛けてくる。
「それは?」
「………」
しかし伊織は、まるで神経のように箱の側面に張り巡らされている線を観察し続けるだけで、隼人の問い掛けに何の反応も寄越さない。
「おーい!伊織さん?」
隼人は近づくと、大きな声を出しながらそんな伊織の肩を揺らした。
「ッ!!……隼人君?どうしたの?」
それで気がついた伊織は、隣で訝しげな目を向けている隼人に顔を向けると不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?って……」
伊織の反応に呆れたように返した隼人は、再度箱について訊ねた。
それに伊織は、モンスターが消えた場所で拾ったと答えたが、隼人が「さっきはどうしたのか」と問うと、伊織は質問の意味がわからないとばかりに首を傾げた。
それに隼人は眉根を寄せると、先ほどの伊織の様子を説明した。
「まさか、そんな……」
伊織は隼人の説明にショックを受けるも、まだ半信半疑というように箱に目を向ける。
「………ッ!」
すると、先ほどまでどこか神秘的に見えていた箱の線が、今は邪悪なもののように感じて伊織は思わずその箱を慌てて離してしまう。
「……大丈夫?」
先ほどから挙動が可笑しい伊織に、隼人は心配そうに声を掛けるが、伊織はそれに「大丈夫」とだけ返すだけだった。
隼人はそれでも心配そうな顔をするが、それ以上何も言わずに、伊織が落とした箱を拾い上げる。
「う~ん……ただの黒い箱?この線は何か意味があるのかな?」
隼人は拾い上げたその箱を観察するも、特に可笑しな所は見つけられないようであった。
その隼人の反応に、伊織は驚いたような顔を向ける。
「この箱が主の部屋への鍵なのかな?……とりあえず、智輝のところに戻ろうか?」
隼人は無造作にその箱を腰のポーチにしまうと、入り口の方へと歩き出す。
隼人のその様子に、伊織は先ほど感じた箱の気配と隼人の話を頭に思い浮かべて、戸惑うように首をひねるも、大人しく先を歩く隼人の後に続くのだった。