表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/32

異形の使者

 霧のダンジョンは、その名が示す通り霧に包まれたダンジョンである。そして、霧の他にはたまに木があることを除けば、泥濘が広がるだけの寂しいダンジョンだった。

「せめて見晴らしがよかったらな……」

 智輝が足に泥をまとわりつかせながらの鈍い足取りでダンジョンを進むと、周囲を見渡して残念そうに鼻から息を出した。

「見晴らしがよかったらよかったでやる気無くしそうだけどね」

 そんな智輝に伊織は重い足取りのまま、気だるそうに答えた。

 空は茜色に染まろうかというとき、今日のダンジョン探索はいつも以上に戦闘が多くて、智輝も伊織もくたくたになっていた。

 その戦闘の多さたるや、まるでわざわざモンスターが潜む場所にこちらからおもむいているようであった。

「隼人君は元気そうだね」

 伊織が驚いたような声で先頭を歩く隼人に話し掛ける。

「まぁ何とかね。でも正直キツいよ、そろそろ帰還しようか」

 隼人は伊織に疲れたような顔を向けるが、隼人は全ての戦闘に前衛として参加していたはずだったが、それにしては普段よりも元気そうで、伊織は内心驚愕しつつも首を傾げた。

「そうだね。それじゃどこか手頃な場所を探してマーカーを設置しようか」

 伊織の言葉に隼人と智輝は頷くと、三人は疲労を感じさせる鈍重な動きで辺りを探した。

 暫くしてマーカーの設置場所を決めると、三人は疲れた声で帰還魔法を唱えたのだった。



 今日の探索は隼人にとっては普段よりも好調だった。とはいえ、全体としては戦闘が多く、パーティーとしての探索の進捗率は普段通りよりもやや大人しめだったが。

 それでも隼人は重い足取りながらも、嬉しそうに自室に戻ると、荷物を床に置いて手近な椅子に腰掛けた。

「ふぅ、さすがに疲れた」

 背もたれに身体を預けるように座った隼人は、天井を仰ぎ見ながら満足そうな息を吐いた。

「やっぱりこの短剣はスゴいな!」

 腰に差していた短剣を鞘ごと引き抜くと、それを天井を見上げる自分の眼前に持ってくる。

「それにしても、今日はモンスターとの遭遇率が高かったな……」

 隼人は今日の探索を振り返って、いつもよりもモンスターとの戦闘が多かったなと感想を抱くと、それに反していつもよりも疲れなかったことに驚きの目を短剣に向ける。その原因はおそらくこの短剣だろうから。

「結果的にはモンスターとの戦闘はいい練習になったけど、何で疲労がいつもより少なかったんだろう?小夜さんが言っていた身体能力の向上ってやつなのかな?それにしては刃には触れなかったけどな……」

 う~んと唸って考える隼人だが、結局、この短剣はまだまだよく分からないということで落ち着いたのだった。



「……………」

 日が暮れてすっかり暗くなった頃、学園にある霧のダンジョンから少し離れた場所で、可児維は静かに今日一日のネックレスの所持者の少年の観察結果を分析する。

「少し見ない間に随分成長したものだが……しかし、あれは何だ?」

 可児維は脳内で今日観察した映像を再生する。

 少年の動きは多少の成長が見られたが、それは想定の範囲内、一般的な成長速度の範囲内だったのだが、魔力量……いや、短剣の性能が、その使い方が異様に進歩していた。

「つい先日までは丈夫なだけのただの短剣だったはずだが……」

 まず切れ味が以前よりも数段向上していた。それも若干興味深くはあるが、しかしこれはそれほど驚くことではない。

 次に身体能力の弱体化だ。あの短剣に斬られたモンスターは例外なく動きが鈍くなっていた。もしかしたら何かしらのダメージも与えていたのかも知れないが、彼らが戦っていたモンスターがそれほど強くはなかった為に、そこまでは確認しきれなかった。

 他には、僅かだが魔力の向上。おそらく向上量は少量だけだろうと思う。これは魔力の変化は確認しづらい為に、確証も確信も無いが、そんな風に感じられたということだ。もしこれが事実で、例え少量だとしても魔力が向上するのなら、それだけであの短剣は計り知れない価値があることになる。

 そして問題は―――。

「あの短剣、魔力を吸ってなかったか?」

 魔力の変化は判りづらいのだが、それでも可児維にはあの短剣でモンスターを斬りつければ斬りつけるほどに、そこから短剣自身がモンスターの魔力を吸いとっていたように見えたのだった。

「もう一つの問題は、あの短剣に意思らしきものが感じられた気がしたことか……」

 気づけば可児維は口角を吊り上げて、好戦的な笑みを浮かべていた。

「あれほどの未知、というのは久しぶりだな」

 あまりに興味深い結果に、可児維は目的を忘れてしまいそうになるが、一度首を左右に振ると、いつものどこか他人を見下しているような無表情に戻る。

「さて、新たな観察の結果、面白いことになっていたが、あの短剣もろとも彼をどうやって招待するべきかな」

 可児維は暗闇の中、独りで愉しそうに思案する。出来ることならあの短剣を手にいれたいものだと笑みを浮かべながら。



 翌日の探索は、前日とは打って変わってモンスターと一度も遭遇せずに平和なものだった。

 そのまま昼を迎えた隼人達は、一度帰還して昼食を摂ると、再度霧のダンジョンへと戻ってきていた。

「よし、マーカー回収っと。さて、今日は何故だかモンスターと遭遇しないようだし、昨日の分までどんどん進もう!」

 前日にフラフラになるまで疲れていた隼人だったが、前回で懲りたのか、今回はしっかりと休息を取って疲労を回復させたようで、元気いっぱいに午後の歩みを開始させていた。

「隼人君、元気だね~」

 そんな隼人に伊織は、呆れたような感心するような声で話し掛ける。

「まぁね。伊織さんに教えてもらった疲労回復の為のストレッチのおかげかもね」

 にししといたずらっ子のように笑う隼人に、伊織は「それは良かった」と肩をすくめた。

「それにしても、静かだね~。隼人、今どのぐらい進んでるんだ?」

 智輝の問い掛けに、隼人は肩越しに視線だけを送ると、

「今は地図上だと六割強ぐらいかな。推定全長からなら五割弱ぐらいだと思うけど」

 隼人の返答に、智輝は微妙な顔をする。

「まだ半分ぐらいなのか……早く泥濘とはおさらばしたいものだね~」

 そんな智輝の言葉に、僅かに意外そうな響きのあるからかい声が、横から発せられた。

「おや、泥遊びをあんなに推してた人の言葉とは思えないにゃ~」

 愉しそうにニヤリとした顔をする伊織に、智輝は少しだけ言葉を詰まらせる。

「う、それは……さすがに飽きたというか、泥濘に疲れてきたからさ。それに遊びと探索じゃ、また違うしさ」

「ふーん。ま、そういうことにしておくとしようか。泥濘に嫌気が差してきてるのは智輝君だけじゃないしね」

 そう言うと、伊織はため息を吐いた。

「……防護服も暑いしさ」

 伊織の最後の呟きに、智輝は困ったように小さく笑った。

「!!?」

 そんな二人のやりとりを背中越しに聞いていた隼人は、ぞわぞわと足下から這い上がってくるような嫌な気配に、思わず後方に勢いよく飛び退く。

「!!」

「どうしたの?隼人君!」

 突然目の前まで飛び退いてきた隼人に、智輝と伊織は驚いて足を止める。

「いや、何か物凄く嫌な気配を感じてさ……」

 僅かに呼吸が乱れながらも、隼人は先ほどまで自分が居た場所の少し先の泥濘を、警戒色の強い鋭い視線で睨みつける。

 智輝と伊織が隼人につられて同じ場所に目を向けたのは、ちょうど変化が訪れた時だった。

 ぼこぼこと今までのモンスターが出現する時のような小さな気泡が次々と浮かび上がると、次第にその気泡は大きくなっていき、遂には子どもの頭ほどの大きさの気泡が浮かび上がった時、それは現れた。

 最初、突然現れたそれは、泥濘の中から石碑のような小さな塔が現れたのかと思った。

 直径二十センチメートルほどの球状の物体が上に乗った、高さニメートルほどの円柱は、突如泥濘の中から現れると、上に乗った球状の物体の頭頂部から泥が滝のように流れ出ているのか、常に泥を纏った状態で屹立した。

「何だ、あれは……」

 隼人はそれが泥濘から勢いよく現れると、離れていても感じるその禍々しい気配に、無意識の内に喉を鳴らす。

「泥濘から出てきたってことはモンスター……なのかな?」

 智輝は不安から揺れそうになる声を抑えながらも、そう口にする。

「………さぁね。でももしあれがモンスターだとしたら、今まで戦ったモンスターとは異質な存在だねー」

 普段の口調で答える伊織だったが、その目は油断無くしっかりとその存在を捉えていた。

 屹立して十数秒ほど経った頃、隼人達が先制攻撃をするべきかと悩んでいると、それは動きを見せはじめる。

 ぽこぽことそれの両わきから気泡が上がると、そのまま両わきから丸太のように太い何かが突き出した。

 その何かは突然突き出たかと思うと、ぱらぱらと紐がほどけるように、幾筋もの線となって、その丸太のような輪郭が瓦解していくと、だらりと、幾筋ものそれは、円柱の両わきから垂れ下がる。

「あれじゃあまるで―――」

 ―――触手のようだ。と隼人は言葉にしようとして、それを呑み込む。

 屹立している物体の両わきに垂れ下がっていたものが、そのままうねうねと、一本一本にまるで意思が在るように動き出したのだから。

「気をつけて!」

 自分は何を当たり前の事を言っているのだろうと、言ったあとに隼人は場違いながらも一人小さく笑うと、敵から伸びてきた数本の泥で出来た触手を、横にずれて回避する。

 回避直後も気を抜かずに直ぐさま短剣を構えると、隼人が回避したことによって地面に激突したはずの触手が、地面に衝突する寸前に突然直角に曲がり、そのまま隼人に襲いかかってくる。

「クッ!」

 全てを回避することも迎撃することも難しいと判断した隼人は、短剣で自分の腕を浅く斬りつける。

「ッ!!」

 刃が腕の表面を掠めると、その瞬間に隼人は身体の奥底から力が込み上げてくるのを感じるのと同時に、迫り来る触手の動きが遅くなったように感じる。

「これなら!」

 隼人は瞬間的に迎撃ではなく突撃を選ぶと、地面を勢いよく蹴る。すると、まるで固い地面のようにしっかりとした感触が返ってくる。

 自分でも驚くような速さで触手との距離を縮めると、短剣の刃長を伸ばして触手に斬りかかった。

「…………」

 あまりに容易に触手を全て切り落とせた隼人は、円柱の元に引いていく触手を呆然と眺める。

「炎の槍よ!」

 そんな隼人の横を、真っ赤に燃えた槍が、空気を熱しながら円柱の物体目掛けて飛んでいく。

 しかしその槍は、隼人を襲った触手とは逆の側の触手が動くと、弾かれるようにして防がれる。

 その炎の槍を弾いた触手は、炎の槍の後に続いていた不可視の刃によって切り落とされる。

 三割ほどの触手の半ばから先を失った円柱の物体は、まるで太い腕のように触手を一度統合すると、最初の頃よりは小さくなったそれを再度ほどいていく。だが、その一本一本は前回よりも太く、そしてその分本数は減っていた。

「次はあれで攻撃かな?」

 新たな魔法の詠唱を終えた伊織は、触手を観察しながら呟いた。

「同じ攻撃パターンだったら対処のしようはあるんだけどね」

 触手に気を配りながらも、何故だか円柱の上に乗った球状の物体が気になり、目が離せなくなった隼人は、声だけで伊織に答える。

 三人が身構えていると、うねうねと動いていた触手が突然力無く垂れ下がり、触手の先端が泥濘に沈む。

「攻撃前に戻ったのか?」

 触手が垂れ下がっている様子が、触手が出現したばかりの時と重なった智輝が呟いた。

「……う~ん、それはどうだろう」

 智輝の呟きに、伊織は円柱の物体に向けている目を細めた。

「…………!!!」

 動かない円柱や触手に、どうするべきかと考えていると、不意にぞわりと、円柱が現れる直前に感じたのに似た、足下から這い上がるような嫌な感覚に、隼人は思わず「二人とも離れて!」と叫びながらその場から跳ぶように移動した。

 そんな隼人の叫びに、「は?」「え?」と、二人は困惑した顔を浮かべるも、隼人に倣ってその場から離れる。

 三人が移動すると、先ほどまで三人が立っていた地面から、十数本もの槍のように先端が鋭く尖った触手が突き出てくる。

 突然地面にそんな触手の死の花が咲いた光景に、三人は背筋が寒くなるのを感じた。

「あっぶねぇ」

「いくら泥濘の下だからって、別に短時間でここまで掘れるほど軟らかい訳ではないはずなんだけどね」

 驚愕する智輝と、顔を引き攣らせた伊織は、それぞれに警戒を強めると同時に、智輝は風の刃を出して触手を切り刻み、伊織は氷結を用いて触手の動きを封じていた。

「さすが……」

 隼人が何か行動に移る前に、二人の活躍で触手の数がみるみる内に減っていき、隼人はただただ感嘆の吐息を吐き出すばかりだった。

「よし、とりあえず地面から出てきた触手は片づいたけど……」

 瞬く間に地面から突き出た触手を殲滅した二人は、その触手の本体の方へと顔を向ける。

「……次は何をしてるのかしらね」

 伊織のどこかうんざりしたような声の先には、伊織の氷結魔法により動かない触手を途中から自切した円柱の物体は、残った触手を地面から引き抜くと、それを円柱の物体に巻きつけていく。

「……………」

 その様子を観察していた隼人は、急に鼓動が速くなっていくのを感じて胸元を片手で押さえる。

「何が起こってるんだ?いきなりあの球状の部分から禍々しい魔力が滲み出て……」

 隼人の視線の先には、円柱の上に鎮座して泥を溢れさせている球状の物体があった。

 その球状の物体が、触手が円柱に巻きつきだしてから妖気とでも邪気とでも呼べばいいのか、禍々しい力を滲み出しはじめて、隼人は喘ぐように言葉を紡ぐ。

 その禍々しさを感じたのか、智輝と伊織も雰囲気が変わり、張りつめた空気が漂いだす。

「さて、どうしたものか……」

 伊織は魔法を待機状態から発動寸前に切り替えると、手を出してもいいものか、攻撃するならば球状の物体と円柱の物体のどちらを狙うべきかなどを考えてしまい手を止めた。

 そうしたほんの僅かな時間、魔法の発動が遅れると、円柱ではなく球状の方に変化が表れた。

「「「ッ!!!」」」

 円柱の様子を窺っていた隼人達三人は、まるで悲鳴を呑み込むかのように、一斉に息を呑んだ。

「……あれは眼、か?」

 球状の頭頂部から溢れる泥に僅かな隙間出来、髪の分け目のようなその隙間から、泥に隠れていた球状の中、眼のようなものが姿を表していた。

 その眼は、ほの暗い泥に出来た僅かな隙間からでも分かるほどに鮮やかな赤色をしていたが、その鮮やか過ぎる赤はまるで作り物のようであった。しかし、眼を見てしまった者の心臓を鷲掴みにするような禍々しさに満ちたその瞳の前では、そんなことは些末な疑問だった。

「あれは、何なんだ?……オレ達は何を相手にしてるんだ?」

 その禍々しさに、智輝は戸惑いを口にするが、隼人も伊織も、それに対する答えを持ち合わせてはいなかった。それどころか、隼人も伊織もそれを誰かに問いただしたいぐらいであった。

 やがて円柱の部分に巻きついていた触手が動きを止めると、円柱の両わき、触手の付け根の辺りから新たに何が現れる。

「触手……というよりは腕、か?」

 円柱に巻きついている触手よりも細い棒状のそれは、遠目にみると確かに腕のそれに似ていた。

「あれに脚が付いたらまるで人だね」

 皮肉げな伊織の呟きに反応した訳では無いだろうが、円柱の底の部分、地面に接している部分がガタガタと揺れると、その場所から円柱よりも幅のある袋のようなものが現れて円柱を下から持ち上げる。

 そして、その袋の底の部分からは十数本もの太い触手が現れて、更に円柱を上へと持ち上げる。

「……あれが脚ってか?」

 うねうねと触手がうごめくと、円柱は移動を開始する。

「……遅いね」

 その鈍亀の如く鈍い歩みに、隼人は少し期待外れのような、呆れたような感想を抱く。

「速いと今でさえ気持ち悪いのに、更に気持ち悪くなるけどね。それに速いと対処に困るし」

 隼人の感想に、伊織は肩をすくめると、発動寸前で止めていた数本の魔法の槍を、今やまるで身体のような円柱部分や頭部に当たる球状の物体、それによく分からない腕や脚代わりの触手の各部位目掛けて射ち放った。

 魔法の槍は、敵の各部位に正確に当たったのだが、ダメージはあるようだが、致命傷を与えたという感じはしなかった。

「弱点とか無いのかな」

 伊織は次に魔法の矢を無数に用意する。

「とりあえず数で圧してみようかな」

 その言葉と同時に、魔法の矢が次々と敵へと向かって射出される。

「ふーむ」

 上から下へと順番に、次々と魔法の矢が敵に当たる様子を、その反応を伊織はつぶさに観察すると、

「次は裏かな……」

 その言葉と共に魔法の矢の軌道が直線から、迫る円柱の敵を迂回するような曲線へと変わると、そのまま円柱の敵の後方に、上から下へと次々と魔法の矢が突き刺さる。

「なるほどね」

 伊織はひとつ頷くと、パチリと指を鳴らした。

 それを合図に、刺さった矢が火・水・雷・風・土と、様々な属性へと変化する。

「ふーむ……円柱下部側面に雷が一番効いていたかな」

 その結果に、伊織は雷の槍を出現させると、それを一番効果がありそうな円柱下部側面へと突き刺す。

 雷の槍が刺さった円柱の敵は、そのまま動きを止めた。

「……やったのか?」

 動きを止めたままの円柱の敵に、智輝が伊織へと顔を向けて、確認のように問い掛けた。

「…………」

 伊織は黙ったまま動きを止めた円柱の敵を観察し続けると、

「……まだ続くみたいだよ」

 静かにそう告げた。

「え?」

 智輝が敵へと顔を戻すと、そこには腕や脚と共に円柱が消えていく敵の姿があったが、

「ツ!」

 残された球状の物体だけが浮遊し、更に泥の分け目が出来ると、もう一つ鮮やかな赤色の瞳が泥の合間から覗いていた。

「さて、これから何をするのか……」

 隼人は短剣を構えたまま、鋭い視線を球状の物体へと向ける。

 球状の物体は辺りを確認するように回転したり、ふらふらと浮遊したかと思うと、突然どぷんと、まるで水の中に落ちたような音とともに泥濘の中へと落ちていった。

「………えっと」

 そのまま暫く経っても、球状の物体が泥濘の中に落ちたきり何も起こらないことに、智輝が困惑の声をあげた。

「あれで終わりってことなのかな?」

 警戒しながらの伊織のその呟きに、答えは返って来なかったが、暫くすると球状の物体が沈んだ付近の泥濘に、ぽこりぽこりと小さな気泡が浮かんできたのが答えのようであった。

「……今度は何だろうか」

 その変化に気づいた隼人は、若干疲労の混じった声で呟いた。

 その呟きで智輝と伊織も異変に気づくと、戦闘態勢のまま成り行きを見守る。

 次第に泥濘に浮かぶ気泡の数が増え、範囲が広がり、次の気泡の浮かぶ間隔が短くなったかと思うと、ピタリと気泡が浮かぶのが止まる。

「……………」

 隼人達三人が固唾を呑んで見守る中、静寂を取り戻した泥濘の中から突然、巨大な門が出現する。

「……主の部屋への入り口……ではないよね~」

 主の部屋の入り口に匹敵する巨大な門の出現に、三人は警戒して数歩後ろに下がった。

「この禍々しさは、さっきの球体のやつが関係してるのかな……」

 飾り気の無い簡素な造りの主の部屋の入り口とは違い、現れた巨大な門に扉は無く、空間を区切る枠のみの門なのだが、その枠には苦悶の表情を浮かべ、枠の外に出ようと上半身を乗り出し、助けを求めて手を突き出した人が枠中に埋め尽くすように存在し、その全ての人の下半身には、逃さぬとばかりに骸骨が抱きついていた。

 それを門の上部中央に腰掛けた一人の少年が、無表情で見下ろしていた。

「う、何か気持ち悪い」

 その本物を埋め込んだような出来に、伊織は口元を手で覆う。

「あそこに入らないといけないのかな」

 そのおどろおどろしい門もだが、その門が区切る空間が黒く染まり、奥が見えないというのも一層不気味さが増していた。

「入ってみる?」

 隼人の提案に、二人は一瞬表情が固まる。

「ええっと……やっぱりそうなるよね」

 入りたくないという気持ちが容易に理解出来るような声の智輝に、隼人と伊織は諦めたような表情で首を縦に振った。


 門の前まで来ると、そのおどろおどろしい威容は、ただそこに門があるだけで心臓の鼓動が速くなってくる。心臓の弱いものなら止まっていたかも知れない。

 そして黒い空間の奥からは、より禍々しい気配が中から漏れ出てくるのが感じられた。

「さ、……入るよ」

 三人は喉を鳴らすと、意を決して門の中へと足を踏み入れた。



 そこは暗闇の支配する空間だった。

 隼人は辺りを見回すも、入る時には近くに居たはずの智輝と伊織の姿は無く、手を伸ばして捜してみるも、空を切るばかりで誰も見つけることは出来なかった。

「……智輝?伊織さん?居ないの?」

 声を抑えて呼び掛けるも、誰からも返事は無かった。

「う~ん、状況が分からないからあまり大声は出したくないけど……」

 隼人は逡巡するも、意を決して大声で二人に呼び掛けた。

「……………返事は無し。ということは、別々の場所に飛ばされたのかな?」

 隼人は周囲の気配や音に気を配るも、二人以外のものが現れることも無かった。

「………進んでみるかな」

 じっとしていても埒が明かないと判断した隼人は、慎重な足取りで前へと進む。

「地面は泥濘ではないんだな。それにしても、真っ暗というのは中々怖いものだな」

 ジリジリと片手と片足を伸ばしながら、少しずつ前に進む隼人は、これからどうなるのかと、段々と不安になってくる。

「二人とも大丈夫かな」

 先ほどから魔法を使うも上手くいかず、光球の魔法は、まるで小指の先のようなごく小さな光の粒にしかならなかった。

「魔法はろくに使えない、か」

 そんな不可思議な現象に、隼人は眉を寄せる。

「……魔力遮断の結界か?」

 そんな結界が存在することを話だけは知っていた隼人は、そう予想すると、

「結界、ね。結界……か」

 チラリと、暗闇で見えないが、自分の腰の辺りに目線を落とすと、確認するようにそっと短剣に触れた。

 そうして短剣の存在を確かめると、それがまるで御守りのように感じられ、少し心に余裕が出来る。

「確か結界を破る為に必要とか小夜さんは言ってたけど……久遠魔法学園にある封印ってここのことなのかな?もしもそうだとしたら封印の少女が居るはずだけど……」

 そこで隼人は「あれ?」と足を止める。

「…………小夜さんが言ってたのって結局、結界は久遠魔法学園内にあるってことだけだったような……」

 パチクリと瞬きをすると、隼人は首に手を置いて考える。

「ん?」

 そこで隼人は少し離れたところに、魔力を有する物体があるのを感知した。

「魔力……智輝や伊織さんのとは違うようだけど……敵じゃないといいな」

 隼人は慎重な足取りで時間を掛けて近づくと、動く気配の無いそれが物だと判断した隼人は、暗闇の中ゆっくりとそれに手を伸ばした。

「……鍵?」

 手の長さほどの硬質な手触りのそれの形を手探りでなぞると、円の一部から細い円柱が伸びていて、その円柱の先端部分の側面に、二本の長さの違う四角い板のようなものが突き出しているそれはまさに、典型的な鍵のようであった。

 隼人は台座に置かれていたのではなく、何もない空間に浮遊していたその鍵を手に取ると、それを手にしたまま暫しの間持っていくべきかどうかを思案する。

「鍵ってことは、どこかにこの鍵に対応する鍵穴があるはずだけど……」

 隼人は悩んだ挙げ句、鍵を持っていくことに決める。

「何があるか分からないからな」

 誰に聞かせるでもなくそう言い訳をした隼人は、再度慎重な足取りで移動を開始する。

 暗闇の中、どれだけの時間この空間に滞在しているのかも、どれだけ進んだのかも分からないなか、隼人は相変わらず慎重に進んでいると、突如目の前に入ってきた時と同じ門が現れる。

「お帰りはこちらですってか」

 光っている訳でも無いのに、暗闇の中でも何故だかその姿が確認出来る門を見上げて、隼人はどこか皮肉げに、そして呆れたように呟いた。

 そこで、ここの門を開いたのは鍵を取らせる為だったのかと思い至った隼人は、鍵を置いていこうかとも考えたが、それをすると門が消えてしまいそうだと判断すると、大人しく鍵を持っていくことにした。

 そこでふと、智輝と伊織も同じなのだろうかと思うも、

「とりあえず、戻って合流出来れば分かるかな?」

 そう言葉にすると、一度ゆっくりと深呼吸して門を潜るのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ