はじまりのダンジョン
剥き出しの岩肌に等間隔に設置されている松明の灯りが、洞窟内を照らしている。
「この松明の火って魔法の火なのかな?」
智輝が松明を見上げながら不思議そうに呟く。
「確か不死鳥の火って名前の魔法の火が使われているとかなんとか。まぁそうじゃないと、先生方辺りが定期的に交換してるって事になるからね」
「へー、そうなんだ。交換するにもさすがにダンジョン内は広いから大変だもんな」
「そうだねー」
納得したように頷く智輝の言葉に、気のない返事をする隼人。
「そろそろ分岐点だよ、道を間違えないようにね」
「もう分岐点に着いたの!モンスターに一度も遭わなかったな…珍しい」
隼人の言葉に驚きの声を返す智輝。いつもなら少なくともモンスターの二、三匹には遭遇するのに、今日はまだモンスターの影さえ見てないのだから驚くのも無理はなかった。
「そうだね、なにもなければいいんだけどー」
軽い感じで返す隼人だが、言葉とは裏腹に表情は警戒度を増していた。
それから二人は広間へと続く道を足音を抑えながら進む。
「こっちもモンスター少なくない?」
ダンジョン内を見回した智輝が首をかしげる。
「そうだね……」
隼人の頬に一筋の汗が伝う。どこかでこの先に進んではいけないと警鐘を鳴らしているような、そんな感覚に襲われる。
(ここははじまりのダンジョンだ、そこまで強いモンスターはいないはずだけど…)
はじまりのダンジョンは学園生が最初に攻略するダンジョンだけあり、学園側がしっかりと管理していて、モンスターもそれに合わせた強さのものしかいなかった。
隼人と智輝はモンスターに見つかることなく広間へと到着する。
「ここ本当に広間か?」
正式には狂宴の間だが、広間と通称で呼ぶ者の方が多い円形状の空間には、真っ赤な絨毯が敷かれていた。広間の中央には広々とした空間が用意され、周りにはその空間を作るように家具や調度品が壁際近くに設置されていた。それと、天井の一部が崩れたのだろうか、所々に大きな岩が転がっていた。
その空間をモンスター逹が徘徊している様子を確認した智輝は、いつもと違ってモンスターの数が極端に少ないことに困惑したように眉根を寄せる。
「確かに広間にしてはモンスターが少なすぎるね……いつもの向こう側の狭い通路の方がまだモンスターが徘徊している気がする」
隼人は視線を広間中に巡らせると、警戒するように声を潜めた。
「ま、モンスターが少ないならその方が楽だからいいけどね」
「………僕逹の前って何組が先行してたっけ?」
空気を変えるように軽い口調で発した智輝の言葉を無視して、隼人は智輝にそう問いかける。
「え?えっと、確か……五組だったかな」
思い出すように指を折り数えながら答える智輝。
「その内どれだけが戻ったか分かる?」
「さぁ?普通に逆走するなりしてくれれば分かるけどさ、違う道行ってたり、帰還魔法使われてたらさすがに分からないよ。とりあえず、隼人も知ってる通りまだ一組にも遭遇してないけどさ」
智輝はどうしようもないと肩をすくめる。
「だよな……これが先行組の影響ならいいんだけど……。この先で先行組が強制帰還させられてるのだけは勘弁してもらいたいね」
隼人はため息混じりにそう呟く。
学園の生徒は保険として、ダンジョン内で一定のダメージを受けると強制的にダンジョンの外へと帰還させられる魔法がかけられていた。つまりは、もし先行した生徒逹が強制帰還の魔法が発動して強制帰還させられているのならば、この先にはそれほどの強敵が待ち構えている可能性があるということになる。
(まぁまだそうと決まった訳ではないし、自主的に帰還した可能性だってあるからな。ここのダンジョンの主は他に比べればそこまで強くないとはいえ、新入生だと簡単にはいかない相手だし)
隼人は自らにそう言い聞かせると、二人は静かに広間の奥へと進む。
「なんとか広間までは突破出来たな」
智輝は振り返ると、先程通過したばかりの広間へと視線を向ける。
「この先がはじまりのダンジョンの本番だけどね」
「それを言うなって、少しは達成感に浸らせてくれよ~」
これみよがしに肩を落としてみせると、そう冗談ぽく抗議する智輝。
「ああ、それはごめん。今の状況にちょっと余裕がなかったわ」
「今の状況ってモンスターが少ない事?」
「うん。さすがにこんな状況は初めてだし、はじまりのダンジョンについては少し調べたけど、こんな状況は記録になかったしさ」
「ふ~ん。まぁ心配なのは分かるけどさ、考えたって分からない事なら考えるだけ無駄だよ。どうせ進むしかないんだし、行けばそれも分かるさ」
掌を上にして両手を開くと、なにを悩んでんだかとでも言いたげな口調で肩をすくめる智輝。
「無駄……ではないと思うけど、智輝の言う事も一理あるね。じゃ、とりあえず先へ進もうか」
隼人は呆れたような笑いを浮かべるも、不思議と先程よりは軽い足取りでダンジョンの奥へと歩みを進める。
「こっちにもモンスター居ないね」
キョロキョロと辺りを見回していた智輝は、そう感想を漏らす。
「元々、広間を抜けた先からダンジョンの主の部屋まではほとんどモンスターはいないらしいよ」
先頭を歩く隼人は、ちらりと後方にいる智輝へと視線を向けてそう答える。
「そうなんだ、じゃここはこれでいいのか」
はー、と口を開けたまま周囲を観察する智輝。
「ダンジョンの主の部屋に到着しましたよー」
そんな緊張感のない智輝を注意するかのように、静かな隼人の声が投げ掛けられる。
「おお、この先か……」
巨人でも出入りするのかというぐらいに大きな門を見上げながら智輝は驚きの声を出す。
「それじゃ行くよ、準備はいい?」
隼人の問いに真面目な顔で頷き返す智輝。
二人はダンジョンの主の部屋へと慎重な足取りで入っていく。
「ん?」
ダンジョンの主の部屋へと入った隼人は、部屋の様子に警戒を一気に強める。
「どうし……ってなんだありゃ、黒い人?ここのダンジョンの主ってあんな姿だっけ?」
部屋の中の物はひとつひとつが異様に大きいが、かまどや鍋、流し台など、普通の台所のような造りになっていた。そんな部屋の奥に、豚の頭をした大きな人のようなモノが倒れていて、その脇には全身真っ黒の、まるで影がそのまま人の貌をとったようなモノが立っていた。
「ここのダンジョンの主はあの黒い人の隣で倒れている豚の方ですよ。しかし、あの黒い人は一体……先行した学園の生徒でもないようですし……」
隼人は黒い人から視線を外さずに、抑えた声で智輝に語りかける。
「なるほど、……どうする?」
僅かに首をかしげる智輝。その問いに隼人が答える前に、黒い人が二人を見てにたりと笑った。無論、その黒い人には口も目も鼻も無いのだがら気のせいなのだろうが、なんとなくそんな感じがしたのだ。
「智輝、いつでも帰還出来るようにはしとこう」
隼人は背筋に嫌な汗をかきながらも、智輝にそっとそう告げる。
『君達は他のと違って運が良い』
二人の耳にどこからかそんな声が聞こえてくる。
『私の用はもう済んだ。私はこれで帰らせてもらうよ』
「お前は何者だ?」
黒い人が話していると理解した隼人は、色々と訊きたい事はあったが、とりあえず警戒した声でそう訊ねる。
『私は【神を解放する者】だ』
「神を解放する?」
訝しげに顔をしかめる隼人。
『フフ、いずれ君にも理解出来る日が来るさ。それではな、まだ神を知らぬ者逹よ』
そう言うと、黒い人は溶けるように消えてなくなった。
「………なんだったんだ?」
黒い人がいた空間を眺めながら智輝がぽつりと呟いた。
「さぁ?」
智輝のその呟きに、隼人はそう答える事しか出来なかった。
◆
あの後、隼人逹はダンジョンの主の下へと恐る恐る近づくと、ダンジョンの主は萎れるように消え、ダンジョンの主が倒れていた場所には、表紙に『はじまりのダンジョン』とだけ書かれた一冊の本が落ちていた。
それははじまりのダンジョンを攻略した証の本で、これでいいものかと思いはしたが、一応持って帰ることにしたのだった。
帰還した二人は、外で待っていた先生に本を提出して、同時に黒い人の事を報告した。
先生は少し考えると、「経緯はどうあれ、本を持ち帰ったのは事実だから」と、はじまりのダンジョンを攻略したことにしてくれた。
こうして、二人は次のダンジョンへと進めるようになったのだった。
◆
「………」
昼休み、隼人は教室の自分の席で朝に食堂で貰った弁当を食べながら、黒い人が言っていた事を考える。
(あの声が言ってた神って……解放という事はどこかに捕まっているのか?)
そこまで考えて、あの黒い人に感じた嫌な感じを思い出してしまい、ぶるりと身震いしてしまう。
「どうしたの?」
そんな隼人の様子に、心配そうな声が掛けられる。
「妹尾さん!もう動いて大丈夫なの?」
声がした方へと顔を向けた隼人は、その人物を見て驚き、逆に心配そうに声を掛けた。
「うん、もう大丈夫だよ。そんなに重症って訳じゃなかったから」
隼人と智輝が黒い人と遭遇した日、二人より先行していた五組の内に妹尾 伊織が居た。隼人逹は帰還した翌日に知ったことなのだが、先行した五組は隼人逹が遭遇したあの黒い人にやられて強制帰還させられていた。命に別状はなかったようだが、ほとんどが大怪我をしていたらしい。
「それよりもどうしたの?気分でも悪いの?」
妹尾は机に手をついて少し屈むと、心配そうに隼人の顔を覗き込んでくる。
「い、いや、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけ」
いきなり妹尾の顔が近づき、軽く取り乱す隼人。
「考え事?」
妹尾は可愛らしく小首をかしげる。
「……うん、先日の事を少しね」
妹尾の怪我の事があって、一瞬素直に言うべきか悩んだ隼人だったが、少し言葉を濁しながらも素直にそう答えた。
「先日って…わたしが怪我したあれ?何か気になる事でもあったの?」
しかし、妹尾はたいして気にした様子もなくそう言葉を返す。
「うん、先生方には報告したんだけどさ、僕達あの黒い人と少しだけ話をしてね、その時に気になることを言っていたから、その意味を考えてた」
「あれと話したの!それで、なんて言ってたの?」
別段口止めなどはされていないので、あれに遭遇した関係者という事で、隼人は黒い人との会話を妹尾に話した。
「神か、またきな臭いというか、うさんくさい話になってきたね」
そう言うと妹尾は、はぁとため息を吐いた。
「その神が何を指すのかについて考えてたんだけど……」
そこで言葉を切ると、隼人は困ったように首に手を置く。
「神か、神ねぇ……神と称されるぐらいだから強大な力を持ってる人って事なのかな?」
「どうだろう、その神が人を指すのか、物を指すのか、はたまた魔法とか概念とかそういう分かりにくいモノを指すのかさえ分からないし」
お手上げとでも言うかのように両手を小さく上げる隼人。
「分からない事だらけだねぇ」
「智輝辺りにでも言わせれば、そんな分からない事考えるだけ無駄とか言いそうだけど。でも、なんとなくだけど、先生方はもう少し詳しい事情を知ってそうな感じがしたな」
うーんと、唸る隼人に、
「まぁそんなことよりさ、棗君に折り入ってお願いがあるんだけど……」
先程と変わらないようでいて、そう切り出した妹尾が少し緊張しているのを声の感じから察した隼人は、僅かに背筋を伸ばす。
「えっと、迷惑じゃなかったらだけど、棗君逹のパーティーにわたしを参加させてくれない?勿論、わたしがはじまりのダンジョンを攻略してからでいいからさ」
途中から早口でそうまくし立てる妹尾に若干気圧されながらも、隼人は「勿論いいよ」と首を縦に振る。
隼人は智輝とパーティーを組んだ時の会話を思い出して、智輝には事後報告でいいだろうと判断した。
「ホント!ありがとう」
感極まって隼人に抱きつく妹尾に、隼人は顔を赤くして驚く。
「ま、まぁ折角だし、はじまりのダンジョンの攻略も手伝ってもいいけど」
隼人はぎこちなくそう話す。結局、ダンジョンの主を倒さずにはじまりのダンジョンを攻略してしまったので、正直隼人もちょっと落ち着かなかったのだ。
「いいの!?ありがとう!棗君って優しいんだね」
にこりと笑顔になる妹尾。その可愛らしい笑顔にドキリとした隼人は、『単純だな~』と、冷静な部分が寄越した呆れたようなツッコミの声を聞いた気がした。
「そんなことは……。こほん。と、とにかく、これからよろしく」
隼人はそんな心の声をごまかすように咳払いをひとつすると、恥ずかしそうに手を差し出す。その手を妹尾は両手でしっかり握ると、「こちらこそよろしく」と笑顔でブンブンと上下に振った。
「あっ、そういえば、どうして急にパーティーに入りたいと?妹尾さんの実力なら一人でも結構行けると思うけど」
手を離して一息つくと、隼人はやっとその事に思い至る。
「わたしも最初は一人でも良いかな?と思ってたんだけどさ、先日の黒い人とのことがあって、なんか急に独りでダンジョンを攻略するのが怖くなってね、誰かとパーティー組みたいなと思ったんだ」
「それでどうして僕達?もっと強い人と組んだ方が安心じゃない?」
「それはあるけどさ、なんて言うか、棗君達は黒い人と遭遇して無事に帰ってきたじゃない?それが理由かも知れないな。後は棗君と橘君の二人が楽しそうだったからかな。う~ん、でもやっぱり一番の理由は勘かも」
「勘?」
「うん、棗君達と一緒に居たら楽しくなりそうなそんな予感がしたんだ」
そう言うと、妹尾はにししと照れたように笑う。
「そっか、なるほどね。改めてこれからよろしく。僕の事は隼人でいいよ」
彼女らしい言い分に何故だか妙に納得した隼人は、親しみを込めて妹尾に微笑みかける。
「うん、分かった。隼人君もわたしのことは伊織って呼んでよ♪」
嬉しそうな顔をする伊織に、隼人は気恥ずかしさから僅かに目を逸らすと、少し言いづらそうに「分かったよ、伊織さん」と返した。そして「あっ」と、わざとらしく手を叩くと、
「それじゃ早速だけど、明日にははじまりのダンジョンに行けるけど、どうやって進もうか?」
隼人は机の中にしまっていたはじまりのダンジョンの地図を取り出して机の上に広げると、伊織と二人で打ち合わせを始める。
話し合いの結果、道順は隼人と智輝の二人の時とさして変わらない道を辿ることに決まったのだった。
◆
次の日、早速隼人達三人ははじまりのダンジョンの攻略を開始した。
智輝には昨日の内に伊織がパーティーに加入した事は話していた。智輝は可愛い女の子が加入したととても喜んでいて、その喜びようは、隼人が軽く引くぐらいだった。
岩肌が剥き出しの洞窟内は薄暗く、道なりの壁に設置された松明の灯りが頼りだった。
それでも、三人とも慣れたもので、そんな薄暗い場所でも転ぶ事なくさくさくと進んでいく。
「む?モンスターかな」
先頭を歩いた隼人が、こちらに近づいて来る気配に反応して足を止める。智輝と伊織も隼人に続いて足を止めると、戦闘体勢をとる。
「グルルルッ」
隼人逹の少し先、ちょうど曲がっている通路から、人の身体に、人の頭ではなく犬の頭が乗ったモンスターが、大きめの棍棒を引きずるように右手に持ちながら、ゆっくりと姿を現した。
「犬頭か、こいつずっと吠えててうるさいんだよな」
智輝はこちらに歩いてくる犬頭のモンスターを見て、辟易したような顔でため息を吐く。
「じゃ、吠えられる前に倒しちゃおう♪集いて凍り、刺し貫け――『氷槍!』」
伊織が呪文を唱えると、棍棒を振り上げて急に走り出した犬頭のモンスターの背後に、一本の氷で出来た槍が顕れる。
「グァァ――」
隼人に狙いをつけた犬頭のモンスターが、吠えながら突撃しようとしたその時、それを許さないと言わんばかりのタイミングで、背後から氷の槍に胸の辺りを刺し貫かれる。
氷の槍によって吠える事を強制的に中断させられた犬頭のモンスターはそのまま前へと倒れると、萎れるようにして消えていった。
「伊織さんスゴいね!モンスターの背後からとか僕じゃ無理だよ」
伊織の魔法を素直に称賛する隼人に、
「そ、そんな、あれはモンスターが隼人君を攻撃しようとして近づいてたうえに、こちらからは背中が見える位置だったから出来たってだけで、全然大したことないよ」
誉められ慣れていないのか、伊織は恥ずかしそうに顔の前で両手を振る。
「いやー、オレも背中見える位置に居たけどさ、伊織ちゃんと同じ事しろと言われても無理だよ。うん」
腕を組んで感心したように何度も頷く智輝。
「な、智輝君まで!二人してわたしを持ち上げすぎだよ、もう。ほら、早く先に進もう!」
拗ねたようにそっぽを向く伊織だったが、薄暗い洞窟内でも分かるぐらいに耳まで真っ赤に染まっていて、照れているのがまる分かりだった。
「プッ、そうだね、早く先に進もうか」
そんな伊織の様子についつい噴き出してしまう隼人。智輝も微笑ましげに見詰めていた。
「うう~~」
そんな二人の様子を背中越しに感じて、唇を尖らせながら短く唸る伊織だった。
◆
「モォォォォ」
人の身体に、牛の頭が乗ったモンスターの断末魔がダンジョン内に響く。隼人に短剣で首を斬られて絶命した牛頭のモンスターも、他のモンスター同様萎れるようにして地面に消えていった。
「そろそろ分岐点に到着しそうだね」
隼人は二人を振り返ってそう告げる。
「そうだね、今回はモンスターが普通にいるから時間掛かったね」
「まぁこれぐらいなら早い方でしょう」
前回を思い出しての智輝の感想に、伊織は肩をすくめてそう答えた。
「さて、分かってるとは思うけど、ここから先は静かに進むからね」
分岐点に到着すると、隼人は振り返り、人差し指を口許に当てて二人にそう忠告する。
「分かってるよ」
「ええ」
智輝と伊織は同時に頷き返す。
三人は広間へと続く道を静かに進む。こちらの道はもうひとつの道より広く出来ていて、そこら中に岩が在り、モンスターから隠れながら進むにはうってつけの道だった。
「モンスター多いな~」
広間へと続く道を進む途中、岩影に隠れていると、智輝がぽつりとそう呟く。
「まぁ、これが本来の数なんだけどね」
隣に居てその呟きが聞こえた隼人が、小さな声でそう返した。
「加えてわたし逹が先頭だからね」
智輝の呟きは聞こえなかっただろうが、隼人の台詞でなんとなく会話の内容を理解した伊織が、横からそう付け加える。
「あ~、そういえばオレ逹先頭か、通りで」
望んだ回答が得られたようで、コクコクと何度も頭を縦に揺らす智輝。
「おしゃべりはそれぐらいで、そろそろ先に進むよ」
岩影からモンスター逹の様子を窺っていた隼人が、そう言って意識を切り替えさせる。
隼人の言葉に智輝と伊織も表情を引き締める。
「今だっ」
隼人は小さくそう言うと、体勢を低くしたまま素早く次の岩影へと移動する。智輝と伊織も警戒しながらもその後に続いた。
岩影から岩影へと少しずつ移動しながら、一行は戦闘らしい戦闘もなく広間へとたどり着く事が出来た。
広間には中央に設けられた空間を中心に、多数のモンスターが徘徊していた。
「ここで見つかると面倒くさいことになるな」
その数に緊張した声を出す智輝の顔は、口許が僅かに引きつっていた。
「大回りだけど物陰に隠れながら壁際に沿って前に進むよ、足元には気をつけて」
せう言って隼人は近くに置いてあった食器棚の影に隠れる。二人もそれぞれ手近にあった家具や調度品の影に隠れた。
「………」
隼人は慎重に物陰から広間全体の様子を窺う。
モンスター逹は少し離れた所に立っていて、それを観察すると、どうやらモンスター同士で意志疎通が出来るようで、なにやら楽しげに何かを話をしていているように見えた。
隼人はこちらを見ているモンスターが居ない事を確認すると、身を低くして音を出さないように慎重な足取りで、それでいて出来るだけ素早く次の家具の影へと移動した。二人もそれに倣って移動する。
そうやって広間の中程を過ぎた頃だろうか、広間の様子を窺っていた隼人は、広間の入口付近でこそこそと動く複数の影を視認した。
「どうやら後続の人が到着したようだね」
隼人のその言葉に、智輝と伊織は隼人の視線の先へと目を向ける。
「あれは……高坂さんのパーティーだね」
その姿を確認した伊織が発した言葉に、
「この距離から顔が判るの!スゴイ視力だな~。それにしても、オレ逹に簡単にバレるって、もっと巧く隠れないと危ないだろうに」
智輝は伊織の視力に驚くと、高坂のパーティーの隠密の拙さに苦言を呈した。
「まぁ、そういう所も学ぶ為のはじまりのダンジョンなんだけどね。というか、智輝も人の事言えないよ、割りとちょくちょくモンスターにバレそうになっててひやひやするから」
隼人の言葉にゆっくり目を逸らす智輝。もし今が隠れている最中じゃなかったら、ごまかすために口笛でも吹いていそうだった。
そんな二人の様子に、伊織は声を殺してクスクスと笑っていた。
◆
「後少しだけど……」
広間の出口にかなり近づき、隼人はちらりと後方に目をやる。
しっかりと隼人の後をついてきている智輝と伊織の更に後方、やっと広間の中程までもう少しという所まで来ていた高坂のパーティーと、その更に後方から来ている他のパーティーを心配そうな目で見る隼人。
「気持ちは分かるけど、まぁバレても大丈夫だと思うよ。いざとなったら帰還すればいいんだし」
隼人の顔を見て考えを察した智輝は、そう諭して先へ進むことを促す。
「そうだね、多分もうすぐバレるけど大丈夫だよね」
「へ?」
隼人は不穏な事を呟いて納得すると、さっさと先へと進む。相変わらず見事な隠密行動だった。
間抜けな声を出した智輝は、隼人の後についていきながら先程の不穏な発言の真意を問うた。
「簡単な話だよ、さっきからモンスターの一匹が高坂さん?のパーティーを見てるからね、多分あれバレてるか疑ってる状態だね。後は、入口付近の新しいパーティーはそもそもあんまり隠れる気無い感じだしさ」
智輝の問いに隼人は呆れたようにそう答えた。
それを受けて智輝と伊織は改めて後方へと視線を向けると、隼人の言葉通り、高坂のパーティーが隠れている場所にほど近い場所に陣取っているモンスターが、高坂のパーティーが隠れている辺りをじっと見ていた。次に入口の方へと目線を向ければ、そこにはただ身を低くして障害物から障害物へと移動しているだけのパーティーが目に入った。因みに、既にほぼバレて騒ぎになる直前のようだった。
「ホントだ」
隼人の背中へと目線を戻した伊織は、その観察眼に感心したようにそう呟いた。
「まぁ、入口のパーティーが先にバレるだろうから、後は高坂さんのパーティーがその騒ぎを巧く利用出来るかどうかだけど」
そう小声で話ながらも、隼人逹は広間の出口へと無事に到達した。
「さて、次はダンジョンの主との戦いだね」
広間からダンジョンの主の部屋へと続く廊下を曲がると、広間の様子が見えなくなったが、直ぐに隼人逹の耳にワーキャーと騒ぐ声が広間から聞こえてきた。
「あ、バレたね」
その騒ぎ声に、伊織はぽつりとそんな感想を漏らした。
◆
「相変わらずでっかい門だなー」
智輝の暢気な声が廊下に静かに響く。智輝が見上げるその先には、ダンジョンの主の部屋への入口があった。
先程ダンジョンの主の部屋の前まで到着した隼人は、一度深呼吸をして心を落ち着かせる。伊織もそれに倣って一緒に深呼吸していた。
「それじゃ、行こうか!」
伊織は気合いを入れると、しっかりとした足取りでダンジョンの主の部屋へと入っていく。隼人逹もその後に続いた。
◆
「グフゥゥ」
部屋へ入ると、部屋の奥の方に、血塗れのエプロンを身に着けた、見上げるほどに大きな豚頭のモンスターが、その体格に合った大きな鉈のようなものを持って立っていた。幸い、隼人達が入ってきたことにはまだ気づいてはいないようだった。
「あれがここのダンジョンの主か、順当に行ってればあんなのと戦ってたのね……っていうか、あれでかすぎて分かりにくいけど手に持ってるのって包丁か?」
ダンジョンの主を観察していた智輝は、ダンジョンの主が手にしている物を目にすると、首を捻ってう~んと唸りながら考えだす。そんな智輝に伊織が話しかける。
「多分包丁で合ってると思うよ、何故かここは台所のようだしね。まぁ、あの包丁で何を切っていたのかは少し気になるけどさ」
そんな二人のやり取りを横目に、隼人は視線を部屋全体へと巡らすと、改めて部屋の様子を確認する。前回は色々あって、そこまで細かく確認するほどの余裕はなかった。
ダンジョンの主の部屋は、伊織の言う通り台所なのだろう、かまどや流し台に鍋や包丁など、サイズこそ大きいが、普通に台所にあるような物が色々と置いてあった。そんな台所を見渡して隼人は、壁や床に飛び散った血の跡がやけに目につく部屋だとの印象を抱いた。床には血溜まりのようなものもあり、今だって獣臭さに負けないほどの血生臭さが鼻に衝いていた。他には、暗くてはっきりとは分からないが、部屋の隅に吊るしてある複数の何かが目に映った。
「……モンスターってモンスターを食べるのかな?」
「え?」
何気なくぽつりと呟かれた隼人の言葉に、近くに居た伊織がギョッとして隼人を見る。
「いや、なんでもないよ」
そんな伊織に、隼人はとぼけるようにふるふると首を振った。
「それで、いつ攻撃を仕掛けるの?どうやらあの豚さんこちらに気づいたようだけど。まぁ、あんまり目が良くないのか、目を細めてじっとこちらを観察してる感じだけど」
智輝はダンジョンの主を警戒しながら二人にそう語りかける。
「そうだねー、何か居るけど何かは分からないって感じだね。このまま動かなかったら家具か何かと勘違いしてくれるかも」
伊織はそんな冗談を言うと、フフと、小さく微笑む。
「ふむ、それはそれで危険な気がするけど、とりあえず狙うなら目や喉の急所か、手足の腱辺りだね。ここのダンジョンの主は目はあまり良くないし、耳はもっと悪いらしいし、鼻はいいらしいけど、ここの部屋は色んな臭いが混ざりすぎてて臭いがはっきりしないから、それも心配いらないみたいだし。だけど、あの包丁はどうにかしときたいね」
隼人は声を潜めて二人にそう話しかける。
「じゃあ足を狙おう!うん、そうしよう!」
智輝はコクコクと頷く。
「それでは二人は足を狙って、わたしは武器をどうにかするから」
伊織は隼人と智輝に指示を出す。ここでの戦闘の主役は伊織なのだ。
「了解、僕は右足を狙うよ」
「それじゃ、オレは左足で」
腰に差していた短剣を引き抜く隼人と、走る体勢をとる智輝。
「僕はダンジョンの主から見て右足だからな、こちらから見てじゃないから、間違えないように」
「ああ」
ちらりと視線を交わす隼人と智輝。
「それじゃ始めよう」
伊織の言葉を合図に、それぞれ行動を開始した。
「鋭く纏え――『風刃!』」
智輝は走り出してぽつりとそう唱えると、右手に不可視の風の刃を纏う。
隼人は、手にした短剣に炎の刃を纏わせると、本来の刃の長さの倍ぐらいの長さの刃が出現する。
「我に仇成す刃は悉く砕け散れ――『氷砕!』」
伊織が呪文を唱えると、ダンジョンの主が持っていた武器が直ぐに凍りつき、そのまま砕け散った。
「よし!いくらダンジョンの主でも、はじまりのダンジョンの敵ぐらいにならこの魔法も通用するようだね」
その結果に、伊織は小さく拳を握る。
「はぁっ」
隼人は素早くダンジョンの主の右足へと近づくと、右足の付け根辺りまで跳躍して、足の腱を狙って振り上げた炎の刃を降り下ろす。
「グオォォォォッッッッ!!!」
ダンジョンの主は雄叫びをあげるも、倒れるまでにはいかなかった。それでも、右足から力が抜けたのが見てとれた。
智輝はダンジョンの主の左足目掛けて右手を無造作に振る。すると、右手に纏った風の刃から、複数の風の刃が飛んでいき、ダンジョンの主の左足を切りつけていく。
「グウゥゥ」
ダンジョンの主は短く呻くと、左手を智輝へと振り下ろす。
「うわっと」
ダンジョンの主の左手は智輝には届かなかったが、その左手が通ったことにより生まれた風に、智輝は軽く飛ばされそうになる。
「おや、そんなに左足に体重を預けていいんですか?」
隼人の短剣に纏う炎の刃が細く薄くなり、刃長が更に倍の長さになる。隼人はその炎の刃をダンジョンの主の右足目掛けて斬り上げた。
「グガァァァァァァ」
右足の膝から下が切り落とされて、ダンジョンの主は悲鳴のような唸り声をあげる。
「集いて凍り、射ち放つ――『氷塊砲!』」
隼人がダンジョンの主の右足を切り落としたのを見て、伊織は瞬時に氷の塊を作り出すと、それをダンジョンの主の右肩目掛けて射出した。
「ググゥゥ」
氷の塊がダンジョンの主の右肩に命中すると、ダンジョンの主は僅かに左傾き、バランスをとろうと右足に力を入れるも、膝から下が無い右足では踏ん張る事も出来ずに、バランスを崩して前方へ倒れそうになるが、咄嗟に左手を後方へ突き出して持ちこたえると、前のめりになるが転倒まではしなかった。
「ここで、突風の発生ですよ」
前方に傾いたおかしな格好のダンジョンの主へと智輝が一瞬、左側から強風を吹かせる。その風を受けて、ダンジョンの主はついにバランスを崩して転倒してしまう。
「右腕は頂きますね」
隼人は素早く倒れたダンジョンの主の右肩へ刃が届く距離まで近づくと、そのまま右肩目掛けてその長大な炎の刃を降り下ろした。
「ガアァァァァッッッ」
地面ごと右腕を斬った隼人は、そのまま智輝の方へと視線を向けた。
「今度こそ!」
智輝は左肩へと一気に間合いを詰めると、その勢いのまま右手に纏った風の刃を振り上げて、ダンジョンの主の左腕を左肩から斬り落とした。
「風よ、我に翼を与え給え――『天の羽衣!』」
二人が腕を切り落とすべく動き出した時、伊織は上空へと浮かび上がっていた。
「これで決める」
右足を切り落とされ、両手も失ったダンジョンの主は、うつ伏せに倒れたまま「グウゥゥオオオオッッッ!!!」と、威嚇するように雄叫びをあげる。
突然のその雄叫びに、一瞬顔をしかめた伊織だったが、
「集い固まる氷の槍よ、敵の急所を刺し貫け――『氷柱落とし!』」
手元に氷の槍を三本出現させると、ダンジョンの主の頭と喉と胸をその氷の槍で刺し貫いた。
「ガァ―――」
伊織のその攻撃で頭と喉、そして胸を刺し貫かれたダンジョンの主は、一瞬全身に力が入り、その力が抜けると、そのまま萎れるように消えていった。
「やったー!ダンジョンの主を倒したよ!」
地面に降りた伊織は、満面の笑顔で手をあげる。
「初めての連携にしては上手くいったね。はい、これ、はじまりのダンジョンを攻略した証の本。これで伊織さんもはじまりのダンジョン攻略だね、おめでとう」
そう言うと、隼人は勝利を喜ぶ伊織に一冊の本を差し出す。
「あ!ありがとう、これで次のダンジョンに行けるね♪」
伊織は隼人から本を受け取ると、嬉しそうに微笑みかけた。
「それじゃ戻ろっか」
智輝が伸びをしながらそう提案すると、二人は同時に頷く。
そのまま三人は帰還魔法を発動させると、無事にダンジョンの外へと帰還したのだった。