短剣と少女
夢を見た。
……おそらくは夢なのだろうが、妙に現実感が有り、自分の意識もはっきりとしたものであった。
隼人は自分の身体を確かめるように視線を落とすと、続いて周囲へと意識を向ける。
雲ひとつ無い、何処までも澄んだ青空が広がり、見渡す限りにまだ青い緑の色をしたモノが、そよ風に誘われるままに、さわさわと音を立てて揺れていた。
そのまだ青い緑色をしたそれの正体は、隼人の膝ぐらいまでの高さまで伸びた草。どうやら隼人は草原の真ん中に一人で立っているようであった。
隼人は最初、現状を理解できずに混乱したのだが、割りとあっさりとここが夢の中だと理解すると、現在は途方に暮れたように草原を眺めていた。
「おやおや、これまた随分と寂しそうですね」
そんな隼人の背中に、聞き慣れない女性の声が掛けられる。
隼人はその声に驚いて振り向くと、そこには薄いピンク色のワンピースを着た赤髪の女性が、どこか楽しげな微笑みを浮かべて立っていた。それも隼人からほんの数歩離れただけの距離に。
「貴女は……」
その突然現れた女性に、隼人はついつい眉を寄せてしまう。先ほど周囲を見回した時には、目の前の女性は勿論のこと、人どころか草と青空が広がるだけだったはずなのだから。
「ふふふふ」
そんな隼人の反応を楽しむように、女性は微かな笑い声を漏らす。
周りは隼人の膝ほどの高さがある草だ、もしかしたら隠れて来たのかも知れない。隼人はそう考えはしたが、即座にその考えを否定する。
風が吹いていたとはいえ、草が擦れる音がするだろうし、何より人が草をかき分けて移動すれば、この程度の高さの草では意外と分かりやすいものなのだから。
それに、それらを克服出来たとしても、流石にこの距離までの何者かの接近を、自分が気づかないはずがないだろうという自負もあったのだから。
ならば実際問題何故目の前に女性が立っているのかだが、やはり突然現れたとしか考えられなかった。
そこで隼人ははたと思い出す、ここが夢の中だと言うことを。ならば何が起きても不思議ではないのだろう。
それともうひとつ、隼人が困惑する理由があった。それは、目の前の女性とは初対面のはずなのに、どこか懐かしく思えたからだ。
そんな困惑を察したのだろうか、女性は楽しげにその場でクルリと一回転すると、膝下まであるスカートの裾を軽く摘まんで、態とらしく一礼してみせる。
「はじめまして………ではなく、お久しぶりですね」
顔を上げた女性は、いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
「お久しぶり……?」
隼人は首を傾げる。確かに懐かしく思えるのだが、目の前の女性についていくら記憶の中を探しても、心当たりが無いのだから。
そんな隼人の態度に女性はクスクスと可笑しそうに笑うと、またその場で一回転する。すると、先ほどまで赤色だった女性の髪色が、回り終える頃には赤色から藍色へと変化していた。
「これでも思い出せませんか?赤髪の私の方で最近出会っていたので、思い出せるかと思ったのですがね」
女性は少しだけ残念そうに肩をすくめた。
「まぁ、流石にこちらなら思い出せると思いますが……」
窺うような女性の視線に、隼人は困ったように目を泳がせる。
「なるほど、判りませんか」
若干の落胆の籠った言葉の中に、しょうがないという響きも混ざっているようだった。
「まぁ、出会ったと言っても隼人ちゃ……コホン……君が小さい頃でしたからね、記憶に無くてもしょうがないと思いますよ」
「小さい頃……」
う~んと、隼人が唸りながらも必死で記憶を漁っていると、
「……とりあえず、互いに自己紹介でもしてみましょうか」
女性は優しげに微笑むと、そう提案してきた。
「私は小夜と呼ばれています。どうぞよろしくお願いいたします」
小夜は胸に右手を置くと、そのまま深々と頭を下げた。
(呼ばれている?)
小夜の自己紹介に首を傾げたくなるが、それよりも、まるで臣下のような恭しい丁寧な礼に、隼人は慌てて頭を下げる。
「あっ、僕は棗隼人です!よろしくお願いします」
小夜は頭を上げると、そんな隼人をどこか嬉しそうに見詰める。
「えっと……それで、小夜さんは何者なんでしょうか?ここは多分、僕の夢の中だと思うんですが」
隼人の疑問に、小夜はひとつ頷くと、
「私のことは小夜と呼び捨てで構いませんよ。それでですね、ここは確かに隼人君の夢の中でもありますが、それよりも、頭の中と言いますか、精神的な空間と言いますか……夢の中でいいですね」
途中で説明が面倒くさくなった小夜は、笑顔で誤魔化した。
「そして私の正体ですが、それは隼人君が使っている短剣です」
「……はい?」
隼人は聞き間違いではないかと耳に手を当てることで、上手く聞き取れなかったことを小夜に伝える。
「はい、私はあなたが使用されてる短剣です」
しかし、もう一度の小夜の答えも同じだった。つまりはあの、いつもダンジョンを探索する際に使っている短剣だと……。
隼人はどう反応すればいいのかを考える。
小夜の表情を見るに、冗談や嘘ではないのだろうことは理解出来るのだが……。
(いくら夢の中だって、これはあまりに突拍子が無さすぎる)
隼人は困惑しながらも、ずっと黙っている訳にもいかず、とりあえず気になったことを質問してみる。
「どうして急に小夜さんは僕に会いに来たんですか?」
さん付けに若干不満そうな顔をした小夜だったが、隼人は気にしないことにする。
「それはやっと会えるようになったからですよ」
「会えるようになった?」
「はい。隼人君が私、短剣に気を……あなた方は魔力と呼ぶのでしたね。その魔力を注入されたことで私と隼人君に回路と言いますか、繋がりが出来た訳です。ですから、やっと会話出来るようになりましたので、せっかくだからと、こうして会いに来たわけです」
「あれがきっかけ……」
隼人は軽い衝撃を受ける。
明良から貰ったものだから何か特別な力を持っていてもおかしくないとは思っていたが、これほどとは思いもしなかったからだ。それでも衝撃が軽くで済んだのは、やはり明良からの貰い物だからという理由が大きいのだろう。それだけでこの理解の範疇を越えたことも素直に納得出来るのだから。
「さて、せっかく久しぶりにこうやって話が出来るようになったのですから、思い出話もいいですけど、何かこの先に必要なことでも話した方がいいですね」
そこで小夜は頬に手を添えると、可愛らしく考えはじめる。
まだ少女と呼べるような見た目である小夜には、その仕草がとてもよく似合っていた。
「そういえば、隼人君は先達の封印というものをご存知ですか?」
「先達の封印?」
隼人は困ったように首を傾げる。先達の封印など聞いたことがなく、それどころか封印など、三空学園長の話に出てきた少女の封印ぐらいしか心当たりがなかった。
「確か、隼人君が通っている久遠魔法学園にある封印なんですけれど?」
「え?!」
小夜の説明通りなら、先達の封印とやらはおそらく三空学園長の話の少女の封印なのだろう。それ以外には隼人に心当たりは無いので、それ以外なら分からないのだが。
「その反応はご存知のようですね。その先達の封印には明良様が結界を施されていまして、その結界を破るには私が必要なんですよ」
その小夜の言葉に、隼人は嫌な予感を覚える。
「え、それじゃ……」
「はい、確実に巻き込まれるでしょうね。それに、私を使えるようになるには手順を踏まなければいけませんから」
小夜は先ほどから張り付けたように変わらない柔和な笑顔を浮かべているが、今の隼人にはその笑顔が邪悪なものに思えてきていた。
「手順というのは?僕はそんなものをこなした覚えは……」
隼人は近くに居るはずなのにどこか遠くに居るような気がしてきた小夜に、おそるおそる問い掛ける。
先ほどから世界が段々と暗くなってきているような気もしていた。
「手順は手順ですよ。一から説明すると面倒なので凄く簡略的ですが、まずは権利者から正式に譲渡される。次に私との回路を作る。そして私と契約する。ですね。隼人君は既に全てが済んでいます。覚えが無いのはまだ幼かったからかも知れませんね。……ああ、ですが例外が一つだけありまして、手順など踏まずとも創造主のみはいつでも私を使うことが可能です」
「契約?創造主は……明良さんですよね?」
「はい、私の創造主は明良様です。契約についてはそれほどお気になさらずとも、大した内容ではありませんよ。分かりやすく言えば、力を貸すから魔力を寄越せということです。まぁ今はそんなことよりも、今後のことをお考えになった方がよろしいのでは?つまりは現状隼人君以外には私は使えないということですから。そして短剣は結界を解くのに必要なので……」
小夜の言葉に、隼人は我知らず喉がなる。
つまりはあの黒い人こと二の守護者に狙われるということだ。明良が亡くなっている今、自分しか短剣を使えないので命までは奪われないだろうけれども……。
そこまで考えて恐怖が足元から這い上ってくるような感覚に襲われた隼人に、妙に明るい声が掛けられる。まるで今までの真剣な話が全て冗談であったかのような明るい声が。
「ま、そもそも結界の解き方が知られているとは限りませんがね」
隼人が小夜に顔を向けると、小夜はてへりと舌でも出しそうな顔をしていた。
しかしそれも僅かな間だけで、小夜は直ぐに真面目な顔になる。
「とはいえ、楽観視ばかりもしてられないので、隼人君にはもう少し力をつけてもらわないと困るのですがね」
小夜のその言葉に隼人は口を固く結ぶ。こんなことになる前から、誰よりもそのことを理解していたのだから。
「……そう悔しがらずとも、その為に私がいるのですから」
肩をすくめる小夜に、隼人は目を向ける。
「それはどういう?」
窺うような隼人の視線を受けた小夜は、薄い笑みを浮かべた。
「そのままの意味ですよ。例えば、隼人君は私に魔力を供給するのを、ただの切れ味の向上程度にしか考えてないようですけれど、それは少し早計というものですよ」
「他に効果が?」
「はい。私はね、弱者が強者に勝つために創られた存在なのですよ。その真価は陰湿なまでに相手の力を奪うことにあります」
「力を……奪う……?」
「はい。先ほどの話だと、私に魔力を供給することで僅かでも相手に傷を負わせると、そこから毒を注入して相手を動けなくしたり、力を奪ったりするのですよ。切れ味の向上など、それの副次的な効果に過ぎません。ま、隼人君はまだ切れ味向上止まりのようですけど」
小夜の視線に、隼人は少し居心地が悪そうに僅かに身を捩る。
「まぁ、毒を扱えるようになるには、使う毒の選別を自分でするか、こうして私と話をして任せるかが必要なんですけどね」
小夜はどこか苦笑めいた微笑を浮かべた。
「任せる?」
「ええ、隼人君はただ私に魔力を供給して相手を斬りつけるだけで、こちらが毒を選別して相手に注入します。ただし、相手に有効な毒の分析には時間が掛かる場合もありますし、そもそも毒が効かない相手も存在することも理解しておいてほしいのですけどね」
小夜は両手を軽く広げると、肩をすくめてみせる。
「僕は毒には詳しくないので、それは願ってもない話なんですけど……それだけで強者に勝てるんですかね?相手にかすり傷でも負わせるのが難しい場合もありますし……」
自信無さげな隼人に、小夜はそっと息を吐いた。
「大丈夫ですよ、まだまだ他にもありますから。例えばそうですね……知ってますか?毒は薬にもなることを」
「それは聞いたことはありますけど」
「それはよかった。つまりは、私の毒は相手から力を奪うだけでなく、使用者、つまりは隼人君の傷の簡単な治療から身体能力の向上まで色々と出来るという訳です。まぁ、隼人君が望むのなら味方にも同様の効果を与えることも可能なのですがね。他には魔力の吸収もありますが、これは強力なだけに扱いが難しい能力ではありますが」
一瞬、隼人の様子を窺うように小夜は目を僅かに細める。
「これは基本的に使用者の熟練度に依存しますので、私から言えることは練習しろの一言だけですね。後は……魔力吸収よりも難しいのでとりあえずは魔力吸収を習得してからですね。これだけでもかなり強力なので、是非とも習得して頂きたいものですね」
小夜の言葉に苦い表情をする隼人。理解はしているのだが、一度発動してみた感じだと凄く難しかったのだ。その時は短剣の纏う魔力だけでなく、自分の魔力まで吸収されてしまって慌てて魔力供給を絶ったのだから。あのまま続けていれば朝っぱらから魔力切れを起こすところだった。
「……ん?」
そこでふと小さな疑問を覚えた隼人は、小夜に問い掛ける。
「そういえば、吸収した魔力は何処に消えているんですか?」
一度失敗した時には、短剣に吸収された魔力は戻らずに、そのまま何処かへと消えてしまっていた。
「あれは私の魔力として取り込んでいます。使用者が望むのであれば、全ては難しくとも幾らかならば分け与えることも可能ですよ、使用者にでも味方にでも」
「そうなんだ……でも、さっきから言っている望むのならってどうやって伝えれば?」
「特別なことは何も。ただ念じれば私には伝わりますので。つまりはこの人を治療したいとか、魔力が欲しいとか、そう考えればこちらで対応しますということです」
「そうなんだ。そんなことが可能なんですね」
「はい。私と隼人君には回路が出来てますので。特に魔力を供給している時には接続の強度も強くなるので、それぐらいは可能になります」
頷く小夜に隼人は驚愕する。小夜の言葉通りならば、自分は今までと何も変わらずにただ短剣を振るっているだけでいいということなのだから。
「ああ、そういえば」
隼人がそんな衝撃を受けていると、小夜が思い出したような声をあげた。
「他人を治療したり魔力を譲渡したりする時には、その相手に短剣を突き刺す……まではしなくても、軽く斬るなり、先端を僅かに突き刺すなりして、短剣で対象を傷つけなければいけませんので悪しからず。特に治療の際にはその治したい部位に短剣の刃を当てなければ効果は薄いです。隼人君自身への魔力の譲渡時には不要ですが、治療の際には自分の傷口にも短剣の刃を当ててくださいね」
先ほどとなんら変わらないさらっとした口調で告げられた話に、隼人は目を白黒させる。
「え、傷つけなければって、短剣を当てるだけではダメなんですか?」
「効果は多少下がりますが、魔力譲渡時ならばそれでも構いません。ですが、治療目的の場合は傷口に刃を当ててもらわなければ効果は薄くなってしまいます。魔力の譲渡や吸収というのは短剣全体でも行えますが、毒や薬というのは短剣の刃の部分から分泌されるように出来ていますので、刃を当てるというのが重要なのです」
小夜はそこで一度隼人の様子を確認すると、
「……まぁ、何も相手をおもいっきり傷つけろと言っている訳ではありませんよ。ただ先端を含めた刃の部分を、薄皮一枚めり込む程度に当ててくださればそれだけでいいというだけの話です」
「……んー、理解は出来たけど、優しく刃を当てることが出来るかな」
小夜のその説明を受けて、隼人は困ったようにため息を吐いた。
「それと……これは教えておいた方がいいでしょう。私は普段は短剣ですが、刃の長さを変えることが可能ですので、奇襲する時などにご活用ください。やり方は、いつもより少しだけ多目に魔力を供給してくだされば、後はこちらでやりますので。こちらも望めば、という但し書きが付きますけれども」
「どれぐらいまで長さが変わるんですか?」
「それは隼人君の供給する魔力次第ですね。刃と言っても魔力の刃ですから。ただし、ただ魔力を纏わせただけの刃以上の切れ味は保証しますよ」
「そうなんですか」
隼人は噛み締めるように数度頷いた。
「明良さんは本当にスゴい魔法道具職人だったんですね」
「そうですよ?」
しみじみと話す隼人に、小夜は何を分かりきったことをと、不思議そうな顔をした。
「さて、そろそろ時間も少なくなってきましたね」
空を見上げた小夜は残念そうに呟いた。
隼人もそれにつられて空を見上げるが、そこには何も変わらず延々と続く澄んだ青空が広がっていた。
「他に何か伝えるべきことはありましたかね?」
空を見上げたまま小夜は考えるように黙り込む。
暫くして小夜は確かめるように顔を隼人の方へと向けると、視線を隼人の上から下へと滑るように動かす。途中、隼人の胸元辺りで視線が止まったが、それも一瞬のことだった。
「……まぁ、大丈夫でしょう」
「?」
独り言のように小さく言葉を発した小夜は、そのまま隼人に微笑みかけた。
「それではそろそろ時間のようですね。また会える時を楽しみにしてますよ」
小夜が「それでは」と隼人に手を振ると、隼人の身体が薄くなっていく。
「え?え?……えっと、それじゃまた!」
そこで隼人の身体は風に流されるように消えていった。
「……いきましたか。それにしても大きくなりましたね。人とはこうも成長するものなのですね」
小夜は風が吹き抜けていった方向に目を向けると、感慨深けにそう呟いた。
「しかし、あのネックレス……私を隼人君に託されてから、明良様の身にいったい何が……」
小夜はまるで嫌な予感の正体を見定めようとするように、深刻な表情で地平の彼方を睨みつけた。
◆
ピピピピピピという軽快な音で目を覚ました隼人は、音の出所を手探りで探し出すと、それを止めた。
「ん、ん……夢……か?」
上体を起こした隼人は、まだ眠気の残った虚ろな目で部屋を見渡すと、そこで大きな欠伸をする。
それで僅かに眠気の飛んだ隼人は、まだ寝ぼけてる頭を無理やり動かして思考を巡らせる。
「あれはおそらく夢であり現実……いや、事実、かな?」
あのどこまでも続く草原のことも、どこか懐かしい女性のことも、その全てが夢でありなりながらも確かに存在していた。だからだろうか、いつもの夢の時とは違って、話の内容を殆ど覚えているのは。
「………えっと」
隼人は緩慢な動きでベッドから降りると、ダンジョン探索の為に部屋の隅に準備してあった小物入れを持ち上げた。そしてその中から一本の短剣を取り出す。
「これが……ね」
吸い込まれるような艶のある藍色をしたその短剣を観察するように、右に左に手首を動かして角度を変えていると、先ほどまでの夢を思い出して、まだ信じられないとばかりの声が出た。
「この短剣があの女性になるとは、普通思わないよな~」
隼人は柄を握ると、そのまま鞘を引き払う。
鞘の中からは、美しい白銀の輝きを放つ刃が姿を現した。
「魔力を少し多めに流して―――」
隼人が短剣へと僅かに魔力を注入すると、短剣が仄かな光を帯びる。
そこから隼人が更に魔力を注ぐと、白銀の刃が少しだけ長さを増した。
「おお!刃が伸びた!でもこれ、本物の刃が伸びたようにしか見えないけど、伸びた先端は一応魔力の刃なんだよなー」
感心したように隼人は刃を見詰めると、そこで魔力を注ぐのを止めてしまう。すると、数拍ほど遅れて、伸びた刃は縮んで元の短剣の長さへと戻る。
「……やはり事実か」
その様子を目の当たりにした隼人は、別に疑っていた訳では無いのだが、それでも今朝の夢が実際に対話していたものだと改めて実感した。
「ということは、残りの話も事実かな」
今日もダンジョン探索を控えている為にあまり魔力を無駄には出来ないだけに、迂闊に他の性能について確かめることが出来ない自分の魔力の少なさにため息を吐きつつも、少しだけこれからのダンジョン探索で短剣を使うことが楽しみになってきた隼人なのであった。
◆
闇、どこまでも漆黒一色に塗られたその空間に一人の男が居た。
「短剣か」
手元に一枚の紙を持ったその男は、ニの守護者こと可児維善次であった。
可児維は可憐からの情報を受けて記憶の中の探り、そして一人のとあるネックレスの所有者の少年を思い出す。
「……そういえば彼は短剣を使っていたな……明良君の話していた短剣とやらはあれのことか?」
可児維はトントンと人差し指で自分の胸元を一定のリズムで叩くと、思考の海に沈んでいく。
暫くの間そうしていると、突如人差し指の動きを止めた。
「結局、ネックレスの時同様に、あれも彼だから使えるという仮定で動いた方がいいのかな」
記憶の中の少年は、あまり短剣を上手く使えていなかったが、可児維はそれでも慎重に行動するべきと結論づける。
「さて、そうなると彼をどうやってあそこまで招待するか、だが……ふむ、無理やりに連れていくのは容易だが、それでは意味がないかも知れないからな」
可児維は暗闇を見詰めながら思考を巡らせる。
自分以外の人物を連れていくのだ、失敗は極力避けなければならない。
「素直に招待すれば来てくれないものかね、それかあちらから自主的に来てくれれば助かるのだが……」
そこで可児維は肩をすくめると、小さく鼻を鳴らす。
「そうなれば苦労はすまい」
可児維は手元の紙を丁寧に折り畳むと、それを胸元にある内ポケットにしまう。
「まぁ、最悪頭の中を弄るというのもあるが、確実に効果があるとは限らない時点で、これはさすがに悪手だな」
ひとつ息を吐くと、可児維は腰を下ろしていた箱から立ち上がる。
「とりあえず少し様子を見るとするか、何か変化があるかも知れないからな」
そう言うと可児維の姿がぼやけだし、無形の存在へと変わっていくと、そのままどこかへと移動を開始した。
◆
時間という概念の存在しない無の世界、そこにたゆたう少女は全てを停止して何も感じず、何も想わないはずだったのだが……。
(どうして私に意識が在るのでしょうか……)
少女が内のみとはいえ、意識が戻ったのは少し前のこと、その時には何か温かい、安心出来るものに包まれるような感触を感じ、僅かだが意識が戻った少女は、直ぐ安らかに再度の眠りについたのを少女は覚えていた。
それからどれぐらい経ったのかを少女は知らないが、それほど経っていないように思われた。また少女の意識が目覚めると、今度は何かが変わった感じと、これから少女を取り巻く環境を変化させる予感を覚えて、少女は独り恐怖した。
(まだ温かい何かに包まれていますのに……)
少女は内なる意識の中で、恐怖に見つからないようにと己の身体を丸めて縮こまると、自らの両の手で己を抱きしめた。
それでも拭えぬ恐怖の中で、少女は再度眠ろうと固く目を閉じるが、中々眠りにつくことが出来ずにいた。
それでも懸命に目を閉じると、温かい何かを身近に感じ、再度の眠りに落ちていった。
自分の直ぐ傍に終焉が近づいてきていることを知りながらも、それが訪れないことを切に願って……。