嘘つきの森4
翌日、いつも通りの時間に嘘つきの森の外に来た隼人達を河野先生は「おはようございます。ちゃんと着ましたね」と、微笑みで出迎えて許可証を隼人に差し出した。
隼人がそれを受け取ると、確かに渡したと軽く頷いてダンジョンの入り口に目を向ける。
「では、探索をはじめてください」
河野先生のその言葉に隼人達は「はい」と返事をすると、ダンジョンの中へと入っていった。
◆
外からは分からなかったが、その日の嘘つきの森はいつもと違っていた。
今までは薄く靄が立ち込めるだけの森だったのだが、今では靄ではなく、一~二メートル程先までしか見えないほどの濃い霧に覆われていた。
「な、なんだ!?真っ白じゃないか!」
隼人達が嘘つきの森に入ると、開口一番智輝が驚きの声を上げた。
「外から見た感じではいつも通りだったのにな、何が起きてるんだろう?雨が降ったとか?」
隼人は驚きながらも、周囲を肉眼だけではなく魔力の気配も探って状況の把握と警戒に努める。
「とりあえず、隼人君も智輝君も離れないように一ヶ所に固まっておこうよ、こんなに視界が悪いと直ぐにはぐれてしまうからさ」
伊織の言葉に二人は頷くと、警戒も兼ねて三人ははぐれないように背中あわせで一ヶ所に固まる。
「入り口は真っ白だけどさ、向こうはどうなんだろう?ここと同じで視界が悪いのかな?」
隼人は手にしたマーカーを不安そうに見詰めた。
「それは行かないことには分からないね」
そんな隼人を安心させるように、伊織はどこか冗談めかして肩をすくめた。
「…そうだよね……よし!じゃあ起動するよ、二人ともちゃんと掴まっててね」
隼人は一度マーカーを持たない手で拳を握って気合いを入れると、智輝と伊織が肩に手を置いたのをしっかりと確認してからマーカーを起動させた。
◆
「真っ白だなー」
マーカーを設置した場所に移動するも、霧の濃さは入り口と大差なかった。
「方角ってあっちであってるよね?」
隼人は困ったように前を指差す。
「えっと……そうみたいだね」
伊織は近くの木を確認して答える。マーカーは設置する際に転送後の人の向きを決めておくことは出来るのだが、一般的にマーカーを設置した際にマーカーだけに頼るのではなく、念のために進行方向を近くの壁などに記しておく場合が多く、隼人達もそれに倣って近くの木に進行方向を記していた。
「よし、進行方向が分かったなら大丈夫……だと思う」
自信なさげな隼人と、辺りを子どものようにキョロキョロと興味深げに見回している智輝に、伊織はこう提案した。
「ねぇ、今日の探索は止めにして明日にしない?霧が濃くて視界が悪いから危ないし、それに何だかイヤな予感がするんだよね」
隼人と智輝は伊織の提案を「う~ん」と唸りながら腕を組んで考える。
「……オレはこのまま探索してみたいな」
そう語る智輝の瞳には「だって面白そうだろ?」という未知の冒険を期待するような輝きが見てとれた。
隼人は両方の意見を理解したうえで伊織の言葉に従うべきだと思ったが、そこで不意に昨夜の出来事が脳裏によぎってしまう。忙しい中探索許可の申請書類の作成から早朝から探索出来るようにと配慮までしてもらっての速やかな受理、その全てに力を貸してくれて、今なお監督役としてダンジョンの外で待機してくれている河野先生に、ここで帰還しては申し訳なく思ってしまったのだ。まだ探索をはじめて大した時間が経過してないこともその考えの手助けをした。だから、伊織の言が正しく、このまま探索を続行することは危険なことであることは承知していたが、それでも多少の探索はしないといけないという妙な使命感を抱いてしまった隼人は、伊織の提案ではなく、智輝の言葉を採用してしまった。
「そうだな、進行方向も分かってるし、少しだけでもいいから進もうか」
隼人の言葉に「行こう、行こう」と乗り気な智輝が付いていき、頭痛を堪えるように頭に手を置いた伊織は、勝手に帰る訳にも離れる訳にもいかないかとばかりに仕方無く二人の後に続いた。
◆
それから三人は暫くの間固まって慎重に歩いていく。周囲は霧で真っ白で、いつもの森以上に不気味な雰囲気が漂い、見えないということが更なる恐怖を三人に抱かせた。
「何か冒険!って感じだね」
そんな中でも智輝は楽しそうに話すが、それもどこか無理をしているように見えた。
「見えないってのはこんなに神経使うんだね」
早くも隼人に疲労の色がみえはじめる。
「まぁそれもあるけど……なんというか、森に漂ってる魔力の質が昨日までと微妙に違う気がするんだよね、それも原因な気がする」
伊織は目を細めると、辺りを確認するように目を動かす。
「魔力の質?オレにはよく分からないけど……」
智輝は左右を確認するように辺りを見回すも、伊織の言葉が理解出来ずに首を傾げた。
「智輝君はあまり魔力の細かいとこうまで察知するのが苦手だからね……でも、隼人君なら分かるんじゃない?」
「まぁ一応はね。だけど、原因とかまでは分からないからね」
「それはまぁ分かればいいな、程度にしといて、隼人君も疲れてるようだし、危ないから少し進んだら帰ろうね」
不安そうな伊織に、隼人は少しだけ考える仕草をする。
「それはその時次第だけど、すぐに帰還出来るように準備だけはしておこう」
頷いた隼人の答えを聞いて、ひとまずホッと安堵の息を吐く伊織だった。
◆
静寂が支配する空間、それは本来の嘘つきの森の姿ではあったが、今日はそれに濃い霧が立ち込めて、視界がほとんど利かなくなっていた。
そんな霧の中をドシン、ドシンと地面を揺らす音が静寂の中に重々しく鳴り響いている。その音の正体は一体のゴーレムで、現在目標に向けて移動している最中だった。
「侵入者ハ、排除スル」
この森を守護しているゴーレムにとっては、どれだけの濃霧だろうと迷うことなどあるはずも無く、探知した侵入者を捕捉するべく、侵入者の現在地を確認しながら歩み続ける。
「……侵入者、ドコダ?」
しかし、ゴーレムは侵入者を見失ってしまう。いや、正確には侵入者の捕捉は続いているのだ。その捕捉場所は現在ゴーレムが立っている付近……なのだが、どこを見渡しても侵入者の影も形も見当たらない。
「……侵入者、出テコイ」
ゴーレムに感情というものは存在しないが、それでも苛立たしげに右足を地面に何度も叩きつける。結果は近くの木が揺れて葉擦れの音が鳴っただけであったが。
「……ドコダ?ココノハズダ」
ゴーレムは再度周囲を見渡す。木の上から木の裏まで、隠れてそうな場所は一通り。ゴーレムの目は魔力を感知する、故に濃霧など意に介さず視ることが可能なのであった。それでもゴーレムは侵入者を見つけることが出来なかった。確かに探知した魔力はまだこの場所に残っているのだが、それでも見つけられない侵入者に、ゴーレムは諦めたように元の場所に戻っていく。
魔力は探知したままなので、侵入者が移動した場合にはゴーレムにも察知出来るし、何よりまだ移動した場合は、侵入者がまだ存在している証拠でもあった。
「…………」
ゴーレムが去った方向を静かに見詰めていた男は、ゴーレムの気配が遠のいたのを確認して小さく息を吐く。
そんな男の隣で、男を見ながらニタニタと馬鹿にするような笑顔を向けていた女は、男の様子からゴーレムが十分離れたことを理解すると、実に愉しそうに口を開いた。
「プクク、広志さんゴーレムに見つかってやんの!そんなんだからいつまで経ってもひろしなんですよ!」
「何だよ、いつまで経ってもひろしって、意味分からないぞ?とりあえず全国のひろしさんに謝っとけ!」
心底嫌そうな顔を女に向けた広志は、それだけ言って正面に顔を戻す。
「はいはい、全国のひろしさんスイマセーン。これでいいですか?それよりも、ですよ。話を逸らしたいのは分かりますが、広志さんがゴーレムなんぞに存在を察知された失態はどうするおつもりですかー?」
女のふざけたような口調での問いかけに、広志は小さく舌打ちする。
「明、そんな事よりもさっさと先へと進むぞ!」
明の問いかけには答えず、広志はさっさと先へと進む。明の相手をしていたら散々嫌味を聞かされながら馬鹿にされるだけなのは経験上よく知っていた。だから、こと明に関しては相手にしないのが一番の手である……のだが、
「そんなに急がなくてもまだ大丈夫なのは広志さんも知ってるじゃないですかー。それに、もし急がなければならないのなら、それは広志さんのせいで無駄に時間を浪費したからじゃないですかー」
広志に並走しながら、広志に向けた顔には相変わらずのニタニタといういやらしい笑いを顔に貼り付けながら明は嫌味を言い続ける。
「……………」
「ほら、ゴーレムから隠れるのに結構時間必要でしたしー?」
無視を続ける広志だったが、明はそんなことなどお構い無しに喋り続ける。
そんな明の様子に、
(今日はやけに長く突っ掛かってくるな、無視も効果が無くなってきたか?)
と、物凄く面倒くさくなってきた広志。もちろん表情には一切出してないが。
「へいへい、広志サーン聞いてますかー?」
明は無視を続ける広志を気にすることなく、馬鹿にしたような口調で喋りかけ続ける。
もはやこれは一種の拷問なのではないかと考えながらも、広志は努めて明の存在を意識から追い出す。
そんなことをしている間に、二人は目的の場所に到着した。
「ここのはずだよな……まだ来てないのか?」
キョロキョロと辺りを窺う広志に、明はプククと可笑しそうに小さく笑いを漏らす。
「まだ早いからですよー。どこかの誰かさんがまだ間に合うのに急ぎましたからね。それに、そんな分かりやすく魔力出してたらゴーレムにでもまた探知されますよ?」
「………」
広志は黙って魔力の制御に努める。魔力を内側だけで循環させる事で、外側に漏らさないようにしているのである。これは魔力制御の基本ではあるが、この魔力の循環を完璧にこなして、外側に一切魔力を漏らさなくするまでに至るのはかなりの高等技術で、並の魔法使いではまず出来ない芸当である。それを出来ている二人はそれだけで技術力の高い魔法使いの証であり、特になんなくその魔力制御をやってのけてしまう明の技術は、恐るべきものだった。
「さ、準備は出来ましたから、後はバレないように大人しく隠れてましょうねー」
その子どもに言い聞かせるような口調に、広志は内心イラッとしながらも、大人しくそれに従って身を隠す。
明はまだ年若く、黙って笑っていたらとても明るい感じの美人で、体型も出ているところは出ていて、引っ込んでいるところは引っ込んでいるという誰もが羨むような理想的な体型なうえに、魔法使いとしても物凄く優秀なのだが、その性格というか人を馬鹿にしたようなしゃべり方と、その時に浮かべる嘲笑のような悪い笑顔で全てを台無しにしている、所謂残念美人というやつであった。
広志は隠れながら、娘とほぼ同年代の明を横目で見ると、気づかれないようにそっと息を吐く。正直イラッとさせられることは多々あるが、明の将来が少々心配になってくる。余計なお世話ではあるが、明とほぼ同年代の娘の居る広志にとっては、明は自分の娘みたいなものなのだった。
「何か言いたそうですね?」
そんな広志の視線に気づいた明は、ジト目で広志のことを見詰める。
「いや、何でもない」
広志は慌てて、しかし平常通りの態度を気にかけながらそう返すと、前を向く。
「そうですか」
身を隠しているからだろう、変に突っ掛かってくることは無く、明は広志同様に前を向いて息を殺す。
もうすぐ目標が来る時間だった。
◆
「ねぇ、大丈夫?」
伊織は隼人の隣にしゃがむと、心配そうに顔を覗き込む。
嘘つきの森を探索中、急に顔色が悪くなった隼人は、木に寄り掛かるようにして座って休憩していた。
途中で帰還しようかと伊織が隼人に提案したのだが、少し休憩してから決めると隼人は首を左右に振って断った。
隼人が休憩中、智輝は近くで辺りを警戒していた。
「隼人の様子はどう?」
二人に背を向けたままの智輝の問いかけに、伊織は隼人の顔を覗き込んだまま「全然良くなってないね」と答える。
「そうか……うーん、やっぱり帰還するべきだよな、こんな深い霧の中にしちゃ進んだと思うしさ」
「そうだけど……」
そこで言い淀んだ伊織は、何か言いたげに隼人を見詰める。
パーティーというものは多数決で物事を決めることが多いが、中には特定の人物による裁量で物事を決めるパーティーや、逆に全員一致で物事を決めるパーティーもある。前者は大人数で、後者は少人数である場合が多い。
学園では最大五人という少人数の制約は在るが、複数のパーティーが合同でダンジョンに挑むことも有り、大人数でのダンジョン攻略も経験出来るのである。
隼人達は三人という少人数であることもあって物事を決める時は全会一致を基本としている。ただ、ダンジョン攻略中での急ぎの方針などの場合は、リーダーのような位置づけである隼人が決めている。
しかし今回の場合は速断が必要な場面ではない為に、後は休んでいる本人である隼人の意思次第だった。無論、伊織は緊急時には自分が隼人に帰還魔法を掛けて強制帰還させるつもりではあるが。
そんな伊織の問いかけるような視線を受けて、隼人は残念そうに腰のポーチからマーカーを取り出すと、それを伊織に差し出した。
「ごめんだけど、これをどこかに設置してくれない?それが終わったら帰還するからさ」
力無く笑う隼人からマーカーを受け取った伊織は、それを迷い無く近くの木の陰に設置する。隼人を休ませている間にマーカーを設置する場所を決めていたのである。
「さ、マーカーを設置したから帰還しようか」
伊織の言葉に僅かに頷いた隼人は帰還魔法を詠唱する。それに一瞬遅れて智輝と伊織も詠唱を開始した。
◆
「ちゃんと来ましたね」
明は霧で見えないはずの距離からでもなんなくその人物を捕捉する。
「油断は禁物だよ」
広志の言葉に明は対象を捕捉したまま「何を当たり前のことを」とでも言いたげな冷めた目を返したが、何も言わずに短刀を抜き放つ。
広志と明が請け負った依頼はとある人物に攻撃を仕掛ける事。その目的は二つ。一つ目は、そろそろやり過ぎだというちょっとした警告の為。二つ目は、自分たちの参戦の表明……というよりも、自分たちの存在の主張だった。
「面倒な相手だな」
明は小さく愚痴を零す。依頼は対象の殺害でも戦闘では無いとはいえ、まともにやりあえば、二人で挑んだとしてよくて勝率四割といったところだろう格上が相手だ、愚痴も零れるというものだ。
「さっさと仕掛けてさっさと退くよ」
広志は全長五センチほどの柄などの持ち手が存在しない楕円形で外周が全て刃になっているものを懐から二本の指で挟んで取り出すと、それを対象目掛けて投げつける。
「さ、退くよ」
その刃は対象をすり抜けただけだったが、二人の用はそれで達せられた。広志は明に短く言葉を投げると、その場を離れようとする。
「……だから貴方は詰めが甘いんですよ」
明はため息とともに振り返ると、そのままの勢いを利用して、手にした短刀で背後の空間を斬りつける。
「ほぅ」
その短刀が通った空間から、感心したような男の低い声が聞こえてくる。
「さすがは世界殿の手の者ということか?優秀な手駒がいるようで」
その声と同時に何もない空間が歪むと、青いスーツに身を包んだ精強そうな一人の男が姿を現す。
「可児維 善次!いつの間に!」
その男を目にした広志は、目を見開いて驚愕に僅かな畏怖の混ざった声を出す。
「さっき貴方が短刀を投げた瞬間にはもう私達の背後に移動してましたよ」
忌々しそうに広志にそう告げる明の瞳は可児維を捉え続けながらも、警戒だけで敵意の色は無かった。
「ほぅ、やはり優秀ということか……我の手駒に欲しいぐらいだ」
満足げに頷いた可児維は、興味深そうに明を見詰める。
「生憎と、私が忠誠を誓うのはただ一人だけなのでね」
不敵に笑う明に、可児維は再度満足げに頷いた。
「そうか、本当に世界殿は良き手駒を持っておられるようで羨ましいな。まぁとにかく、彼女の伝言はしかと受け取ったが、自重するかどうかは他人ではなく我自身が決めることだ」
「……訂正しときたいところはありますが、ま、今はそれはいいでしょう。私達は彼女のその意思を伝えるのが役目であり、それを可児維様がどう受け取るかは関知するところではありませんので」
明はどこか皮肉げな顔をすると「では、私達はこれで」と断って悠々と可児維から離れていく。
可児維もそんな二人にちょっかいをだすことはしないで、その背中を静かに見送った。
「さて、せっかく彼をもてなす為に色々と用意したのだが、霧だけで彼は満足してさっさと帰ってしまったし、せっかく警告を受けたことだ、今回はその警告を受け入れて我も大人しく戻るとするか」
世界の警告など大して気にしてない可児維だったが、興味深い人間と出会えたことで満足したのか、そのままどこかへと姿を消してしまう。それと同時に、嘘つきの森に満ちていた濃霧も晴れていった。
◆
ダンジョンの外に戻ってきた隼人は、不思議と体調が急激に回復していき、伊織が河野先生に帰還を報告し終えた頃にはすっかり元気になっていた。
智輝と伊織がそんな隼人を不思議そうに眺めていると、河野先生が近づいてきて隼人の様子を確認する。
「まだ昼ですが、このまま学園に帰りますか?それとも時間までもう一度ダンジョンを探索しますか?」
河野先生が話終わると、智輝と伊織は隼人へと顔を向ける。隼人が大丈夫そうならもう一度ダンジョンを探索したいという意思の表れだった。
「もう少し休憩したら、もう一度ダンジョンを探索します」
そう隼人が言い切ると、河野先生は頷いて三人から離れていく。
隼人達三人は昼ということで、各自持参した弁当で一度昼食を摂ると、再度ダンジョンに入っていく。
「……あれ?」
三人がダンジョンに入ると、少し前まで嘘つきの森を埋め尽くしていた濃霧は消え去り、薄い靄が漂うだけのいつもの嘘つきの森に戻っていた。
その突然の光景の変化に首を傾げる三人だったが、とりあえずマーカーを起動させて場所を移動した。
「こっちもいつも通りだね」
マーカーを設置した場所、つまりは少し前に隼人の気分が優れなくなり休んだ場所まで隼人達は戻ってきたのだが、こちらも入り口同様にすっかり霧は晴れて、木々の間をうっすらと靄が漂うだけの空間に戻っていた。
「結局、あの霧はなんだったんだろう?……自然現象という感じではなかった気がするけど……」
伊織はふむ、と息を吐くと、ついつい思考の海へと沈んでいってしまう。
「霧も気になるけどさ、時間も無いし、今は先へ進もうよ」
そんな伊織の思考を断ち切るよるに隼人は声を出すと、前方を指差す。
「そうだね、せっかくまたダンジョンに入ったんだしね」
伊織が頷くと、隼人が先頭を歩き、それに智輝が、最後に伊織が続いた。
それから三人はひたすらに歩き続けた。隼人の索敵のおかげで戦闘を極力避けて進むことができたので進行速度はとても速く、探索出来る時間は多くはなかったが、今まで大分進んでいたことで、目的地までの道のりはそう残ってなかったようで、探索可能時間内に嘘つきの森の最奥に辿り着くことが出来た。
「ここが嘘つきの森の主の部屋の入り口か……相変わらず大きな扉だな」
隼人は目の前の目立った装飾の無い巨大な扉を見上げながら呟く。
隼人達は今回はじめて気がついたのだが、主の部屋への扉は内側と外側の境を遮る扉ではなく、どこか別の場所へと移動する転移の門であるようだった。
今までは扉が壁に埋まるようにして設置されていたのでそのことには気づかなかったが、嘘つきの森の主の部屋への扉は、森の中に聳え立つ巨大な石板のように屹立するだけで、後ろにはまだ少し森が広がっていた。
「なんとか今日中に辿り着けたね。時間的にもちょうどいいし、マーカーを置いたら戻ろうか」
「そうだね」
伊織の言葉に隼人は頷くとキョロキョロとマーカーを設置する場所を探して辺りを見渡す。
「やっぱりでかいなー」
そんな中でも智輝は相変わらず扉を見上げていた。
「智輝君は主の部屋への扉が好きだよね」
伊織はそんな智輝が気になって話し掛けると、智輝は瞳を煌めかせて伊織の方を向く。
「巨大な構造物ってなんだかワクワクするからね!」
「ワクワク……?」
伊織は智輝のその勢いに圧されて軽く引くも、智輝は気にした様子もなく話続ける。
「夢だよ、夢!ロマンとか言うのかな?ただ巨大ってだけでなんだかワクワクしてこない?こうウォーみたいな感じでさ」
「は、はぁ」
「だからね―――」
ますますヒートアップしていく智輝に、どうしたものかと思案しはじめた伊織には、隼人の「マーカー設置したから帰還しようか」という声が神の救いのようにも思えた。
「―――あっ、もう終わったの?」
智輝は話を止めて隼人の方へと顔を向ける。隼人が頷くと、残念そうに「そっか」と呟くと伊織の方へと顔を戻し、
「話の途中だったけどしょうがない、戻ろうか」
「そうだね」
伊織は内心ホッとしながらも、それを表にはださずに頷いた。
三人は帰還すると、河野先生に帰還報告を済ませて学園へと戻る。
その道中、伊織はもう二度と智輝にああいう話題は振らないようにしようと心に決めるのだった。
◆
翌日、隼人達三人は嘘つきの森の主の部屋の扉前に来ていた。
「いよいよだねー」
「マーカーどうしよう」
緊張しながらも静かに気合いを入れる伊織をよそに、隼人はマーカーを手に首を傾げる。
「その辺に置いとけば?」
主に勝てなかった場合に備えて、扉の前にマーカーを設置したままにしておく生徒は多く、軽く見渡すだけでも幾つか目に入る。このマーカーは後日、嘘つきの森の管理に来た人が回収するらしいが、ダンジョン全体での数が多い為にそのまま破棄され、生徒の手元に戻ってくることはあまり無い。ただ、マーカーに名前などの識別が出来る印をつけてから事前に申請しておけば回収後に通知が来て、そこで期間内に取りにいけば戻ってくるという制度もあるにはあるが、マーカー自体が消耗品に近い扱いなので、面倒くさがってこの制度を使う生徒はあまりいなかった。
「申請してないんだよな……はぁ」
隼人はマーカーと設置場所を交互に見た後に、諦めてため息を吐くと、大人しくマーカーを設置する。
「じゃ、行こうか!」
それを確認すると、智輝は扉を開く。
扉は巨大なのだが、相変わらず力を込めなくても簡単に開いた。そういう魔法が掛けられているのだろう。
智輝が開いた扉を三人は潜ると、そこは今までの嘘つきの森以上に木の密度が高く、そのせいで更に薄暗くてじめじめとした場所だった。
「なんか湿気がまとわりついてくるようで気持ち悪いところだね」
その環境に、伊織は不快そうに顔を歪めると、湿気を拭き取るかのように腕を擦る。
「どんな主が出てくるのかな?」
そんな伊織とは対照的に、智輝は期待するように目を輝かせる。その様子は、まるでこの不快な環境に気づいていないようでもあった。
「服が湿気吸って気持ちが悪いけど、ここも嘘つきの森の一部なのかな?」
隼人は辺りを見渡すが、薄暗くてあまり遠くまでは見えなかった。
「ん?」
辺りを見渡していた隼人は、奥で何かが動いたような気がしてそこを凝視する。
「あれ、何?キノコ?」
そこには成人男性の胴体よりも太い身体に、その身体に不釣り合いなほどに小さくて短い手足が左右と下部から生えていて、上部の人間で言うところの頭部に当たる部分には、巨大な笠を被ったようなとても特徴的なシルエットの、子どもほどの身長しか無い物体があった。その物体はまさしくキノコに申し訳程度に手足が生えただけと形容する以外には、上手く説明出来ないシルエットだった。
そのキノコは視認可能なギリギリの部分からこちらへとゆっくりと移動してくる。その姿が見えてくるにつれ、そのキノコのようなものは周囲に靄のようなものを纏っていることに気がつく。
「あれが嘘つきの森の靄の正体なのかな?」
それを見た智輝が首を傾げる。
「多分ね……そして、どうやらあれが幻覚の正体だったみたいだね」
微妙な顔になる伊織。なんと言うか、あの靄っぽいものは多分胞子とでも言えばいい代物なのだろう。そして、もしもあれが推察通りに靄の正体だったとしたら……。
毒などの有害なものを除去するような魔法はダンジョンに入る時には常に発動していたとはいえ、今まであれを吸っていたのかと思うと、伊織は「知らなければよかった」という言葉が脳裏に自然と浮かんでいた。
「じゃあ、ここでも幻覚を打ち消し続けないといけないのか!?」
智輝は嫌そうな声を出す。正直主との戦いでそんな余計な魔力は使いたくなかった。
「……そうなるね」
ため息でも吐きそうな伊織の言葉に、智輝は伊織も自分と同意見なのだと理解する。
漂いはじめた靄に、渋々智輝が幻覚を打ち消す魔法を展開しようとした時、何故だか近くまで漂ってきた靄が一瞬の内に消えてしまう。
「???」
三人は揃って不思議そうな顔をする。
今までも幻覚を打ち消しては来たが、それは魔法の効果が相殺されるだけの魔法で、靄ごと消滅させるような強力な魔法ではなかったはずだが……。
そんな風に考えていると、ふと伊織は視界の端にうっすらと光るものを見た気がして、そちらに顔を向ける。
「あれ?智輝君のポケット何か光ってない?」
その言葉に智輝は自分のポケットを見て不審そうに眉根を寄せると、おそるおそるポケットに手を突っ込んでその光の正体を摘まみ上げる。
「……バッジ?何で光ってるの?」
それはいつぞや小屋で見つけたバッジだった。
今回探索に出る時に、なんとなく智輝がポケットに入れてきたものだったが、今の今まですっかり存在を忘れていた。
「ん~~タイミング的には、あの靄を消したのがそのバッジってことになるんだろうけども……」
伊織も智輝同様に、困惑した表情を浮かべる。
「そんなことより、あのキノコどうしよう?あれが主なのかな?」
短足故か、移動速度が非常に遅いキノコを見据えながら、隼人が二人に問いかける。
「とりあえず攻撃してみる?」
伊織は門を潜る前から待機させていた魔法を発動させようとする。
「う~ん、多分敵意あるっぽいからね、攻撃してみようか」
隼人の言葉に頷いた伊織は、待機させていた三つの魔法から火球の魔法を選び発動させる。
直径二メートルはあろうかという大きめの火球を現出させた伊織は、それをキノコのモンスター目掛けて撃ち放ち、それと同時に自分達を取り囲むように防壁を張る。
滑り落ちるように斜め上からぶつかっていった火球は、キノコのモンスターに直撃すると、そのまま地面に広がるようにして周囲を炎の波で嘗め尽くす。
隼人達は伊織が張った防壁のおかげでその炎に焼かれることは無かった。
「直撃はしたけど……どうだろう?」
周囲から焼け焦げた臭いがしてくるなか、伊織はキノコのモンスターがいた場所を凝視する。
「………無傷……ということは無いようだけど」
キノコのモンスターは周囲が焼け焦げている中、地中から飛び出るように姿を現すが、その特徴的な形の頭部は殆んどが失われていて、どこかシャンプーハットでも被ってるような姿になっていた。
「う~ん、あれ本当に主なのかな?弱い気がするんだけど……」
智輝が落胆したような声で呟く。その意見には二人も同意だった。一撃で大分削れたのもだが、それよりも、さすがに足が遅すぎる。今も頭部の一部しか残って無いからかフラフラとした足取りで近づいてくるも、速度は赤ちゃん並の速さだった。
「嘘つきの森のメインは森そのものということなのかな?」
伊織は先ほどと同じ魔法をもう一度発動させながら肩をすくめる。
「それか主は別にいるか、だけど……」
伊織の火球を今度は正面から受けて、後方に飛ばされながら焼けるキノコのモンスターは、そのまま仰向けに倒れて炭になる。
「……どうやらあれが主みたいだよ」
伊織の頭痛を堪えているような言葉に、隼人と智輝は伊織の視線の先、崩れるように消えたキノコのモンスターが倒れていた場所に視線を向けると、そこには一冊の本が落ちていた。
「……まぁ、楽ならそれに越したことはないよ」
隼人は本の元へと歩いていく、智輝もそれに続く。伊織は疲れたようにため息を吐くと、二人に遅れて歩き出す。
「これで嘘つきの森の攻略は完了っと」
隼人は本を手に取ると、表紙を確認する。そこにはちゃんと『嘘つきの森』と書かれていた。
「よし、じゃあ戻るか」
隼人は二人に顔を向けると、そう声を掛ける。
「そうだねー」
智輝は物足りなさそうに返事する。
「うん、じゃ……って、危ない!」
伊織は頷いた時に、隼人の持つ攻略の証の本が勝手に開いたところを目撃する。その開いた本の縁には歯のようなものが見えた。
「ん?」
隼人は突然の伊織の叫びに訳が分からず顔を顰める。
「本!」
伊織に僅かに遅れて異変に気づいた智輝は、隼人の方へと駆け寄りながらそう叫ぶ。
隼人はその智輝の叫びで本の方へと顔を向けると、ちょうど本が飛び掛かってきたところだった。
「ッ!!」
突然の出来事に隼人は目を見開いて硬直してしまう。そこに、飛び上がった本を狙って横合いから小さめの氷の槍が飛んでくる。その氷の槍に撃ち落とされた本は少し離れたところに落ちると、まるで急激に風化したかのように崩れて消えていった。
「本が消えたってことは……」
「あれもモンスターだった、ということでしょうね」
隼人の元に駆けつけた智輝と伊織は、消えた本の方を一瞥すると、直ぐに警戒体制をとる。
「ありがとう伊織さん」
硬直が解けた隼人は伊織に頭を下げると、二人に倣って警戒体制をとる。本が偽物だったということは、本物の主がまだどこかに隠れているということになるからだ。
「隼人君、何かが隠れている気配が分かる?」
伊織は三人の中で一番探査能力の高い隼人に問い掛ける。隼人に見つけられないなら、隼人に探査能力で劣る智輝や伊織では発見は難しいことだろう。
「ちょっと待ってね……………う~ん、本当に僅かだけど、僕の前方に何かがいる気配がするかな」
隼人は前方を睨み付けるような険しい表情で見詰める。智輝と伊織はそちらに意識を向けながらも、引き続き周囲を警戒する。
それから暫く静寂が場を支配すると、
「隼人が気配を感じた場所にちょっと攻撃してみよう」
焦れた智輝が隼人の前方、隼人がずっと見詰めている場所へと、火で出来た矢を何本も射ち掛ける。
結果はあまり芳しくはなかったが、その火の矢の灯りで薄ぼんやりと見えた場所には、確かに何かが潜んでいるのが確認出来た。
「あらら、外れた?」
「うん、もうちょい右だったね。だけど、おかげであそこに何かがいるのは確認出来たよ」
隼人は捕捉した相手に意識を集中させる。幸いにもと言えばいいのか、相手は動く気が無いらしく、じっとこちらを窺っていた。
「相手は植物系のモンスター、ならばここはやはり火かな?」
隼人は先ほどの光景を思い出す。智輝の火の矢が近くに当たった時に、前方の闇に潜む相手は一瞬、腕らしき部分を動かしたことを。
発見出来たのはその時に動いたからなので、それは間違いない。ならば、未だに動かない相手が何故その時だけ動いたのか、だが、それは火を恐れたからではないのか?もちろんこれは推論だ。だが、この場では可能性があるならば試すべきではないのだろうかと隼人は考えた。
「狙いは外さない」
隼人は火系統魔法の発動の準備をはじめる。
三人の中では一番魔法の威力は低いだろうが、それでも狙いの正確さは、対象を正確に捉えている分自分が一番高いだろうと隼人は判断しての行動だった。それに、一発だけなら魔力の密度を上げることで智輝や伊織にも引けをとらない攻撃となるだろう。連発は無理だが、当たりさえすれば例え倒せなくても、二人が後はどうにかしてくれるだろう。
隼人は炎の槍を生成する。長さは無いが、その代わりどこまでも鋭く、そして濃密な炎の槍を。
「喰らえ!」
隼人が渾身の力でその炎の槍をモンスター目掛けて射放つと、まばたきするほどの一瞬でモンスターへと突き刺さる。
「ギャァ゛ァァァァ」
まるで甲高い女の悲鳴のような、もしくは怪鳥の鳴き声のような気味の悪い声とともにモンスターは燃え上がる。
一瞬で燃え上がった為によく分からなかったが、まるで水差しのような形の身体をした食虫植物のようなモンスターだった。
「今度こそこれで終わり……かな?」
焼け落ちてそのまま消えていくモンスターの跡には、先ほどと同様に一冊の本が落ちていた。
隼人達は警戒しながら本へと近寄ると、慎重な手つきでそれを拾い上げる。
「表紙は……確認。中身は……」
表紙の『嘘つきの森』という名前を指でなぞると、隼人はおそるおそる本を開く。そこには先ほどのように本の縁に歯など付いてなく、ページもいたって普通の見慣れた紙で出来ていた。
「はぁ、今度こそ本物の本のようだ」
それを確認した隼人はホッと安堵の息を吐き出す。そこには結構な割合で疲労の色が混ざっていた。
「これで帰れるね」
智輝も同様に疲労と安堵の混ざった声を出す。
「ほら、気持ちは分かるけれども、帰還するまで気を抜かない」
そんな緩んだ二人を伊織が注意すると「はい」と、二人は揃って背筋を伸ばす。
そんな二人に伊織は小さく笑うと、「じゃ、戻ろうか」と二人を促して帰還魔法を詠唱する。
隼人と智輝も遅れて帰還魔法を詠唱すると、三人はダンジョンの外へと帰還するのであった。
◆
隼人達が帰還すると、早朝から主の部屋に入ったはずが、ダンジョンの外はすっかり日が傾いていた。
三人はそんなに時間が経っていたのかと驚きながらも帰還報告と、攻略の証の本を提出して、嘘つきの森の攻略が完了したことを報告した。
それが終わると、隼人達三人で最後だったらしく、監督役の先生と今回ダンジョンの探索が一緒になった三組のパーティーとで、一緒に学園へと帰るのであった。