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水中の波紋

「ああ、さすがに疲れた」

 嘘つきの森の探索を終えて寮へと戻ってきた隼人は、そのままベッドに倒れこみそうなのを抑えて、探索で汚れた身体を洗うべく風呂場へと向かった。

 まだ早い時間ということもあり、浴場にはほとんど人の姿はなく、大きな浴槽に貸し切り気分で浸かることが出来た。

 風呂から上がると部屋に戻って教科書を開く。お腹は空いてなかったので、教科書で軽く勉強し終えると、そのままベッドで横になる。疲労もあってその日は早々に眠りについた。



 夢を見た。幼い自分と明良さん、その隣には明良さんと同い年ぐらいだろうか、赤い髪の見知らぬ女性が立っていて、その三人は光が当たっているかのように鮮明なのに、三人の周囲は奥が見えない空洞のように人を不安にさせる暗さが広がっていた。

(夢……だろうね)

 そんな光景を離れたところから見ている自分という、夢だとしてもなんとも不思議な状況であった。

(……?)

 三人は、というより明良さんと幼い自分が何かしらの会話をしているのだが、声は一切聞こえてこない。

 しばらくすると、明良さんが幼い自分に短剣を渡して何かを言っている……のだが、やはり何を言っているのかまでは分からなかった。

(あの短剣の使い方……)

 僕は必死に近づこうとしてみるが、何をしても三人との距離が縮まることはなかった。

 そうこうしている内に明良さんと女性は幼い自分と別れて歩き出す。そうすると、離れた幼い自分は当たっていた光が消えたかのように背景と同化して見えなくなってしまう。

 明良さんと女性はそのまま暗い世界を歩き続けながらも、何事かの会話をしていた。すると、不意に女性の声が断片的に耳に届いてくる。

『あの短剣――意味を――まだ子ども――危険――』

 内容は分からなかったが、雰囲気的におそらくは僕に短剣を渡したことを反対しているのだろう。

(……ふぁ、なんだか眠く……)

 二人の会話を聞こうと集中していると、夢のなかだというのに急に強烈な睡魔に襲われて、僕はそのまま眠ってしまう。



「………ふぁ」

 外から漏れる光に目を覚ますと、時計を確認する。昨夜は早く寝たからか、目覚ましが鳴るよりも早く起きていた。

「………なにか夢を見ていた気がするけど……」

 ゆっくり半身を起こすと、眠い目を擦りながら夢の内容を思い出そうとするが、僅かに思い出しては直ぐに忘れてしまい、結局は何も思い出すことは出来なかった。



 その日も隼人達は嘘つきの森を探索していた。長いダンジョンや攻略の難しいダンジョンでは、連日の探索など珍しくもなかったが、隼人達のようなダンジョン探索の経験が少ない学生にとっては、体調の管理も含めて疲労のコントロールは難しいものであった。

「はぁ、はぁ、はぁ」

 探索をはじめてそれほど経っていないというのに、その日の智輝は早々に疲労がみえはじめていた。それは隼人も同じで、元気そうなのは伊織ぐらいであった。

「二人共大丈夫?キツそうなら今日はもう戻ろうか?」

 そんな隼人と智輝の様子に、伊織は心配して声を掛ける。

「大丈夫、大丈夫。今まで通りとはいかないけど、まだまだ先に進むだけの元気はあるから大丈夫だよ」

 平時の覇気を感じない声で答える智輝に、伊織は更に心配顔になる。

「とりあえずもう少し進んだら帰還か休憩しよう。マーカーは整備交換の為に新しいのを持ってきたから、なんなら明日は探索を休んでもいいし」

 安心させる為だろう、伊織に笑いかける隼人だったが、その顔はどこか青白く、根深い疲労を感じさせた。

「分かった。じゃあ、あと少しだけね」

 意地なのかなんなのかは分からないが、そんな二人に伊織は一瞬怒るような厳しい表情をするも、まだ歩くぐらいなら問題なさそうではあったので、とりあえず二人を立ててそう妥協した。

 そのあと三人はしばらく先へと進んだが、疲れていても隼人の索敵能力は変わらず鋭いようで、モンスターとの戦闘だけはなんとか避けられていた。

「そろそろ帰還しようか?」

 時刻は昼頃だろうか、普段の隼人達なら朝からダンジョンに入り、夕刻頃まで探索をするのだが、朝から疲労がみえていた隼人と智輝を伴っての探索としては、昼まで探索したのは十分過ぎるほどの成果だと判断した伊織は、二人に提案という形で強制する。

 隼人と智輝は「まだいける」と抗議の声を上げようとしたが、笑顔のはずの伊織に、謎の恐怖感を覚えた二人は揃って口をつぐむ。

「異論は無いようだから、面倒なモノが来る前にさっさと帰還しようか」

 こうして、二学期四日目の嘘つきの森の探索は終了したのと同時に、明日の探索の休止が決定したのだった。



 人の過去というものは生きている限り、起きてようが寝てようが自動で生成され続けるもので、そしてよほどしっかりとした記録を録らない限り酷く曖昧で儚いものだった。

 それを知ってか知らずか、くすんだ赤い髪を少年のように短くした女性は、何度となく昔のことを思い出す。まるで忘れぬように、色褪せぬようにと願うように。

「………」

 荒野の中にぽつんと立つ廃屋で、女性は懐から簡素な鞘に収まった一本の短剣を取り出すと、作りを確かめるように縁に沿って指先を滑らす。

 鞘は飾り気の無い簡素な作りながらも、人を魅力する光沢を放つ朱色をしていた。そして、その鞘に納まる短剣の柄は、女性の髪色と同じ赤色ではあるが、こちらは少々女性の髪よりは明るい赤色をしていた。その柄は女性が持ちやすいようにだろうか、僅かな曲線を描いていた。

 女性は柄を掴むと、少しだけ力を込めて鞘から引き抜く。すると、僅かに覗かせた刀身の輝きに、見慣れているはずの女性はついつい目を奪われてしまう。

 そのままもう少し力を込めて鞘を引き払うと、神秘的な輝きを放つ刀身が露出する。その輝きに女性はしばらくうっとりとした目を向けると、短剣を鞘に収めてしまう。

「おや、もういいのですか?私はもう少し拝見したかったのですが」

 横から掛けられた若い男性の声に、女性は白けた目を向ける。

「貴方はご自分の立場というものを理解しているのですか?」

 女性の問いかけに、手を後ろ手に縛られ、身体も縄で縛られたうえに椅子に座った状態で椅子ごと縛られている男性は「ええ、もちろん。捕虜ですよね♪」とのんきな声でにこやかに答える。

 その男性の態度に、女性は呆れて小さく息を吐き出す。

「ならばさっさと質問に答えてくれませんか?」

「それは出来ません。貴女もそれは理解されてるでしょう?」

「そうですか。……そういえば先ほどもっとこの短剣が見たいと仰ってましたね……」

 そう言うと女性は先ほどの短剣を持ち上げると、逆手で柄を握る。

「ならばその身体で存分に堪能されますか?」

 剣呑な笑みを浮かべる女性に、しかし男性は余裕のある笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。

「いくら貴女でも、私をぞんざいには扱えないでしょう?ならばそんな脅しなど無意味ですよ?」

 涼しい顔でうそぶく男性に、女性は艶然と笑いかけると、一瞬で鞘から短剣を引き抜き、それを男性の左足の太ももに突き立てる。

「ガアアアァッッ!!!」

 男性は突然の激痛に顎を跳ね上げると、肺にあった空気を苦しげに口から出した。その後、男性は顔を上に向けたまま奥歯を噛み締めると、鼻息を荒げて痛みに耐える。目は動揺して揺らいでいた。

「これでご自分の立場が理解出来たでしょうか?」

 女性は短剣を男性の太ももから引き抜くと、短剣に着いた汚れを丁寧に拭き取りながら男性に微笑みかける。

「こ、こんなこと――」

 男性は歯を食い縛ったまま苦しげに言葉を発しようとするが、

「……残念ですね、まだ理解が出来ないとわ」

 女性は落胆しているように話しかけながら、男性の反対側の太ももに短剣を突き立てた。

「グググウゥッッ?!!!」

 女性はそのまま男性の耳元に顔を近づけると、ともすれば官能的な響きさえ感じさせる冷淡な声でもう一度同じ台詞を囁いた。

「これでご自分の立場が理解出来たでしょうか?」

 その問いかけに、男性はガクガクと頭を揺らして頷いた。

「それはよかったです。まさか自分が代替品でしかないという事実を忘れて、替えの効かない貴重な存在であると錯覚しているのではないかと心配していたところでしたから」

 女性は冷笑を浮かべたまま男性から離れると、短剣を引き抜き、再度短剣に着いた汚れを拭き取る。

「さて、ようやくご自分の立場というものを理解されたところで、貴方の知っていることをお教え願えますね?」

 女性が短剣の輝きを確かめながら訊ねると、男性は恐怖に淀んだ瞳を向けながらも首を横に振った。

「それは……出来ないと、貴女も知っている、では、ないですか」

 怯えながらも抵抗する男性に、女性は微笑を貼り付けた顔で近づくと、無言で首筋に短剣を当てる。

「そ、そんなことされても、私は決して……」

 それでも拒絶する男性に、女性は静かに口を開く。

「そうですか。さすがは腐っても守衛というところですか……では、そうですね……」

 女性が男性の首筋に当てていた短剣を少し動かすと、男性の口から呻き声が漏れる。

「………」

 それでも喋ろうとしない男性に、女性は諦めたようにため息を吐いた。

「そうですか、残念です。貴方は理解力は無いようですけど、守衛として口の堅さは優秀だったようで。これ以上訊ねても意味がないでしょうね」

 女性はあっさりと納得すると、首筋に当たっていた短剣を少し離した。男性はそれを疑問に思いながらも、短剣が首筋から離れた事に安堵の息を吐く。

「では、もう私を解放してくれませんか?」

 男性の言葉に女性は「ええ、そうですね」と諦めて短剣を退くと、男性に話かける。

「それでは、さよならです」

 その言葉と行動に、男性は「はい、それでは」と気を緩めた。

 女性はそのまま男性の背後に回ると、迷いなく男性の首に刃を突き立てた。

「ガッ……?ゴフッ」

 そのまま短剣を横にずらして男性の首を切り落とした女性は、それを一瞥すると、自分の身体の汚れに面倒くさそうな顔を向ける。

「……廃屋なのでそこまで掃除しなくていいのは助かりますね。しかし、やはりこれは本当に理解力が無かったようで」

 女性は用意していた予備の服に着替えると、置いてあった水瓶みずがめの水を使って、軽く髪と顔の汚れを洗い流すと、男性をそのままに廃屋を後にする。女性にとって男性から訊きたいことなどはじめから無かったのである。つまり男性ははじめから暇潰しの相手程度の価値しか無かったのであった。

「……まぁ、訊きたいことが全く無かった訳ではないのですけど」

 女性は廃屋の外に広がる荒野を歩きながら、自分と違い、鮮やかな赤い髪を持った主の顔を思い浮かべる。必要無いから男性は好きにしていいと言われていたが、殺してしまってよかったのだろうかと今更になって思うも、それも一瞬のことで、すぐにまぁいいかと開き直って女性は廃屋へと振り返る。

「ここまで離れれば大丈夫かな?」

 女性は少し考える素振りをみせた後、火の塊を複数出現させると、それを廃屋目掛けて放った。

 火の塊が廃屋へと当たり中へと入っていくと、暫くして廃屋は盛大に吹き飛んだ。

「やはりこういう派手なものというのは、いつ見てもいいものですね」

 女性は愉快そうに呟くと、踵を返してその場を後にした。



 鮮やかな赤い髪を肩に掛かるぐらいの長さに伸ばしている女性は、その報告を受けて思わずため息をこぼしてしまう。

「殺してしまったのですか……これは面倒なことに………は、あまりならないでしょうが、少しは労力を割かなければならないでしょうね」

 鮮やかな赤い髪の女性は、目の前でこうべを垂れるくすんだ赤い髪の従者を眺める。

「報告ご苦労様、下がっていいわよ。朱音あかねも他にやることがあるでしょう?」

「では可憐様、失礼します」

 朱音は可憐に礼儀正しく頭を下げると、物音を立てずに部屋を出ていく。

(優秀ではあるのだけれど……)

 朱音が部屋を出ていき、可憐は独りになった部屋で、自分の守衛について思考する。

(人の趣味趣向に口出しするつもりはないのだけれど、さすがに破壊と殺戮さつりくが趣味というのは考えものよね……)

 可憐はどうしたものかと、勢いよく息を吐きだした。

(まぁでも、むやみやたらに破壊と殺戮をする訳ではなく、その辺りの節度はあるにはあるのよね。今回の件だって、たいして問題にならないと理解しているからこその行動でしょうし……)

 そこまで考えて可憐は頭痛を堪えるように頭を押さえる。

(……まぁいいわ、忠誠心と節度はあるのだから、今は放っておきましょう)

 可憐は一度目を瞑って気持ちを切り換えると、目の前の仕事に戻るのだった。



 嘘つきの森から早々に帰還した翌日、隼人達は探索を休みにして、大人しく授業を受けていた。

 前日の嘘つきの森からの帰還後にちゃんと休息を取ったのだろう、その日の隼人と智輝は、前日に比べると、幾分顔色が良かった。それでもまだ万全というほどではないようだった。

「………」

 それでも探索したいと言い張る隼人と智輝に反対して、一日探索を休みにした伊織は、目の前で小さくなる二人に疲れたように息を吐く。

「それで、もう一度言ってもらえますか?」

 伊織は努めて優しい調子でそう訊ねるが、呆れた響きが混ざってしまうのは致し方ないことだった。

 伊織の前で床に正座する隼人と智輝は目を見合わせると、どちらが答えるか無言の戦いを繰り広げる。だが、結局は隼人が伊織の様子を窺うように口を開く。

「あの、ですね。……特訓をしたいなぁ~と、思いまして……」

 特訓というのは、久遠魔法学園にある魔法を練習したり、モンスターなどとの仮想戦闘を行うことが出来る施設を利用することを言った。

 利用の仕方にもよるが、そんな施設の性質上、特訓は結構な疲労を伴うのだった。

「それは今から?」

 努めて優しく言う伊織だったが、笑顔に凄みが混ざってしまうのはしょうがないことだった。

「は、はい。出来れば今から……」

 どんどん声が小さくなる隼人。姿も縮んできているような気さえしてくる。

「今日は休息が目的だったはずですけど、お忘れで?」

 努めて優しく話そうと心掛ける伊織だったが、そこに苛立ちが見え隠れしだすのも必然と言えた。

「い、いえ!覚えてます!ですが、……休むと不安で……」

 緊張して答える隼人の最後の言葉は、とても弱々しかった。

「不安、ね。しかし特訓をするにも、しっかり休んで疲れをちゃんと取ってからじゃないと、怪我するでしょう?だから、今日はとにかく疲労回復に専念しなさい」

 努めて優しい口調を心掛けていた伊織だったが、心配からまるで母親のように諭すような口調になっていた。

「……はい」

 その気持ちが伝わったからか、隼人も智輝も素直に伊織の言葉に頷いた。

「とりあえず今日は大人しく座学でも受けて、身体を動かすのは明日からにしようね」

 伊織は隼人と智輝に笑い掛けると、二人にそれぞれ手をさしのべる。

 二人は伊織の手を掴むも、ほぼ自力で立ち上がった。

「ありがとう。今日は大人しく休養することにするよ」

 殊勝な隼人の言葉に、智輝も同意の頷きを寄越す。

 そんな二人の態度に若干の不安を感じながらも、仲間として信用することにした伊織だった。



 翌日、三人は特訓……ではなく、嘘つきの森へと来ていた。

 地図の端、入り口の反対側まであと少しというところまで来ている三人は、このままいけばあと二、三回の探索で主の部屋へと到着するだろうと予測していた。

「ゴーレムは倒したけど、もう出ないのかな?」

 森の中を歩きながら智輝は首を傾げる。

「さぁ?出れば戦うだけだよ」

 肩越しに智輝へと振り向いた伊織は、一度戦ったからだろうか、事も無げにそう答える。

「まぁ、そうなんだけどさ。あれ結構強かったよ?」

 囮も兼ねて目の前で戦った智輝は、その伊織の発言に同意しながらも、ついつい肩をすくめてしまう。

「ゴーレムらしき敵はまだ感知してないけどねぇ。また出るならそろそろ感知出来そうなものだけど」

 隼人は前方を警戒しながら背後での話に加わる。

「それなら戦うのは一回きりなのかな……?」

 ホッとしたような、残念なような話振りの智輝に、伊織は小さく笑ってしまう。

「まぁ、ゴーレムだけが敵じゃないよ」

 まだこの森には木や他の植物に化けたモンスターがそこら中で息を殺して待ち伏せている。それらはゴーレムほど強くはないし、単体ならそれほど苦戦はしないのだが、擬態による奇襲や集団戦などもあり、油断は出来なかった。

「あとは主もいるもんね。ゴーレムと同程度の強さってどんな感じなんだろう?ゴーレムは弱点衝いたからどうにかなったけどさ……」

 難しい顔になる智輝。そんな智輝に、隼人は懐かしそうに笑うと、

「考えても無駄なら考えるだけ無意味なんだろう?主については情報が無さすぎてよく分からないよ」

 隼人の言葉に少し目を丸くした智輝は、次の瞬間には吹き出していた。

 ひとしきり笑った智輝は、指で目尻の涙を拭うと、

「そんなに経ってないはずなのになんか懐かしいな、それ」

 智輝の言葉に、隼人も小さく笑う。そんな二人に伊織は少し疎外感を覚えながらも、僅かに首を傾げるだけに留める。無理に会話に入るのは野暮な気がしたから。



 隼人達が朝に探索をはじめて昼が過ぎ、もうすぐ夕方になろうとしていた。さすがにもうすぐ探索許可時間が過ぎるので、探索を中断して帰還する。戦闘は数回こなしたが、最後までゴーレムは出現しなかった。

「……………」

 先生に報告を済ませ、学園への帰路についている途中、隼人はふと今日の探索での戦闘について考える。

(やっぱり刃が通らなかった………)

 ついつい戦闘時にいつも短剣を握っている右手に視線を向けてしまう。

(何かあるはずだ、僕が戦えるようになる方法が……でないと……)

 隼人は悔しげに右手で拳を握る。

「………」

 そんな隼人の背中を、後ろを歩く伊織は何かを考えるように見詰めていた。



 隼人達が寮へと戻り、いつも通りに過ごして眠った頃、学園の闇に潜んでいたそれに話し掛ける者がいた。

 その者は黒のワンピースのうえに白のエプロンを身につけた、家政婦のような格好をした、人形のように美しい妙齢の女性だった。

「三の守護者のとこの守衛だったかな?」

 明確な形を持たない黒い靄のような存在のそれは、それでも無いはずの目で女性を確認して、無いはずの口で言葉を紡いだ。

「二の守護者たる可児維様に御記憶頂いてたとは、光栄ですね」

 鏡花は丁寧な口調とは裏腹に、身体から殺気に似た威圧感を漂わせる。

「それで?そんな二の守衛たる君が私に何の用かな?」

 可児維はそんな鏡花の様子など気にすることもなく問いかける。

「ここは兼護様より守護するように私に任された地、久遠魔法学園です。不審者を排除するのも私の役目でございますので、申し訳ありませんが、当学園よりの退出をお願い申し上げます」

「断る。やっと面白くなってきたところだ、このまま観察を続けさせてもらうよ」

 鏡花の言葉に、可児維は興味無さげに答える。

「……そうですか。では、力ずくでも排除させて頂くことになりますが?」

 鏡花はどこからか取り出した小振りの剣を両手に一本ずつ逆手に持つと、それを身体を守るように構える。

「止めておくといい。三の守衛は聡いと聞く、この言葉の意味、君なら理解出来るだろ?」

 可児維は靄のように無形とはいえ、何も構えていないのが鏡花には理解出来た。それどころか鏡花に敵意さえも抱いていなかった。

 そんな可児維に、鏡花は呼吸が乱れそうになるのを意識して抑える。分かるのだ……いや、分かっていたのだ、自分では目の前の守護者には勝てないことなど。それでも、こうも圧倒的な差を突きつけられると、鏡花でも心が折れそうになる。鏡花自身、客観的に見て自分は強い方だと知っている、それこそ一般的な基準で言えば最強に近いほどに。しかし、

(現実はどうでしょう、私の力など目の前のこの守護者にとっては無視出来る程度でしかない……)

 鏡花は折れそうになる心を必死で奮い起たせる。逃げ道など作っていては、こうして対峙するなど出来はしない。そもそも、ここで簡単に潰れる程度の覚悟では、この相手に声は掛けられなかった。

「私は学園の守護を兼護様より託されたのです、命が惜しくてそれを放棄したとあっては、私は生きているだけで全てを失うでしょう」

 鏡花は構えを崩さないまま、可児維に敵意の籠った鋭い視線を向ける。

「フッ、生き残ることは大事だぞ?君はそのまま回れ右して三空に報告すればそれでいい。それが君に任された仕事だろうよ。間違えても決して死ぬことでは無いだろうさ」

 可児維は鏡花の視線を意に介さず、聞き分けの無い子どもに言い聞かせるように話し掛ける。

「そんなこと……」

 鏡花は構えを解くことなく可児維を睨み付ける。

「それでも挑むというなら止めはしないが、結果はつまらんものだぞ?私にとっても、君にとっても……」

 可児維は相変わらず鏡花を視界に捉えることなく、まるで独り言でも言うようにそう告げる。

「勝手なことを仰る。ですが、私はここで退くわけにはいかないのですよッ!」

 鏡花は地を蹴ると、一瞬で右手の剣の持ち方を逆手から順手に変えると、靄のように漂う可児維目掛けて右上から左下へと袈裟懸けに振り下ろす。そのまま左手を横薙に振るうも、可児維の姿を捉えることは出来ず、靄を少し散らしただけだった。

「その程度の攻撃など効かないよ。私とまともに戦いたいなら、もう少し知恵を絞ったらどうだい?」

「クッ」

 相変わらず興味無さげに話す可児維に、鏡花は悔しげに奥歯を噛み締める。

「……だけど、まだ手はあります」

 鏡花は右手の剣を可児維である靄目掛けて突きつける。

「………ほぅ。この感じ、覚えがあるぞ」

 鏡花が突きつけた剣を中心に、靄が一ヶ所に集まりだす。まるで綿あめのように剣の周りに靄がまとわりつくと、そのまま剣が靄を吸い込むように周囲の靄が薄くなっていく。

「ハハッ、よもやこんな場所で姿を現さねばならぬことになろうとはな」

 剣が吸い込みきるより早く靄が消えると、目の前に全身青いスーツに身を包み、まるで歴戦の勇士のような迫力のある顔にどこか陰を帯びた、長身の金髪の男性が現れる。

「さて、次はどうするね?」

 可児維は姿を現してなお、余裕のある声で鏡花に問い掛けると、挑発するように首を傾げた。

「どうするもこうするも有りませんよ、私のやるべきことに変わりは有りません」

 鏡花は可児維に斬りかかる。剣が可児維の身体を抵抗なく切り裂くと、可児維の身体が揺らぎはじめる。

「姿を現したからと、ずいぶん単調な攻撃をする」

 石を投げた水面のように揺らぐ可児維は、温度を感じられない目を鏡花に向ける。

 鏡花は目を細めると、またしても剣に吸い込まれるように可児維の姿が歪みはじめる。が、

「それは先ほど見た。それが我に効くのは不意を衝いた最初の一回だけだ。不意討ちして成果を得られなかった時点で、君は逃げるべきだったのだよ。……それとも」

 そこで揺らぐ可児維の姿がかき消えると、鏡花の背後から声が聞こえてくる。

「他に我を倒す手があるのかな?」

 鏡花はその声に慌てて前方に逃げながら振り返ると、そこには変わらず温度の無い目で鏡花を見詰める可児維の姿があった。

 鏡花は距離を取って構えるも、再び攻めることはしなかった。

「ふむ、策が尽きたのかな?それとも、我が攻めるのを待っているのかな?」

 可児維は特に警戒する様子もなく、普通に道を歩くように無造作に鏡花との距離を詰めてくる。そんな可児維の足元から突然土の槍が飛び出してくるも、可児維を貫くことは出来ず、ただ可児維の足元が僅かに盛り上がっただけに終わった。

「……この程度か。よくその程度の実力で我に挑もうと考えられたものだ。聡いという評価は少々過大なようだな」

 可児維はスッと鏡花へと手を突き出すと、鏡花を包み込むように靄が発生する。

「クッ、でしたら」

 鏡花はすぐさま剣の力を発動させるが、ゾッとするほど近くで男性のため息が聞こえたかと思うと、鏡花は糸が切れたようにその場に倒れる。

(身体が……動かない……)

 鏡花は状況が把握出来ないまま、それでも直ぐに立ち上がろうと全身に力を込めるが、ピクリとも動かなかった。

(……クッ、意識がぼやけて……)

 そのままだんだんと意識が遠のいていく中、鏡花の視界に離れていく足が目に入る。

(何をされたかも理解出来ないとは……)

 その足の主と自分との実力差に、鏡花は自分の仕える主の身を案ずる。

(兼護様、どうか御無理をなさらぬように。同じ守護者とはいえ、やはりこの方とでは少々分が悪―――)

 そこで鏡花の意識はぷつりと途切れた。


 可児維は意識を失った鏡花に止めを刺すことなくその場を後にする。可児維にとって鏡花は道端の蟻のようなものだった。知らずに踏み潰してしまうことはあっても、積極的に踏み潰しにいくほどの興味も無ければ、そもそもあちらから分かりやすくアピールしてこない限り気にも留まらない存在だった。

 可児維はそのまま闇に溶け込むと、目標の観察を続行する。既に鏡花の存在は、可児維の頭の中から消え失せていた。


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