追憶
満月まであと数日というよく晴れた明るい夜、久遠魔法学園から遠く離れた森のなかに、大人が十人で手をつないで大きく輪を作っても届かないほどに太い幹をもつ大木があり、その大木の枝は大人三人を束ねるよりも太く、そんな大木の枝に、淡い青色のドレスに身を包み、肩より少し長い白銀の髪を風に遊ばせている、切れ長の目の一人の美しい女性が腰掛けていた。その女性の風で揺れる白銀の髪は月明かりを反射して神秘的な光りを放ち、切れ長の目は憂いを帯びて少し垂れ下がり、もしも近くに居たらついつい視界に納めてしまうような色気を漂わせていた。
その女性は、僅かに欠けている月を見上げて優しげに微笑むと、手元に目線を落とす。女性の手元には、球状の透明な物体が微かに浮遊していた。
女性は水晶のようなその透明な球状の物体を覗き込むと、そこに映る映像に、つまらなさそうに鼻を鳴らす。
「無意味とまでは言いませんが、ご苦労なことで。まぁ、今のままなら古の守護者殿がお目覚めになるまでは傍観者に徹しますがね」
女性が手元からもう一度月へと視線を戻すと、
「理納様、準備が整いました」
突然背後に膝をついて頭を垂れた男性が現れ、恭しく女性に話し掛けた。
「そうですか…。ご苦労様、下がってていいわよ」
「はっ」
女性は月を見上げたままそう声を掛けると、男性は短い返答とともに、現れた時同様、突然姿を消した。
「……ふぅ。明良、あなたがみていた夢はあまりにも遠いわ。あなたが遺した品を使っても、ワタシでは魔人まではまだ届きそうにないようだから」
女性は夜空を照らす月へと手を伸ばす。無理だと分かっていても、今ならなんとなく手が届くのではないかと、そんな気がして。
「やはり遠い、ワタシなんかじゃ触れる事も許されないのね」
女性はフッと、少し自嘲気味に笑うと、力なく手を下ろす。
「あなたならあれに触れることも……いえ、手に入れることさえも出来るのかしらね。ワタシは今でも水面に写った月に触れることしか出来ないというのに……」
女性は悔しそうに息を吐き出すと、遠い遠い昔へと思いを馳せる。今では記憶の中でしか逢うことが叶わなくなった人に逢うために――。
◆
ワタシと明良がはじめて会ったのは一歳ぐらいの頃らしく、ワタシと明良の親が仲がよかったのが縁だったらしい。ワタシの親と明良の親は同じ守護者同士というのもあるのだろうが、妙に馬があったらしく、守護者の中でも特に親しかった。
そんな訳で、はじめて出会ったワタシ達であったが、勿論ワタシにはその時の記憶など無く、両親に聞いた話では、ワタシは何故かずっと泣いていたらしい。
その後も何度か会っているらしいのだが、ワタシの記憶の中に残っている最も古い明良との出会いは、三歳の頃だったか、明良の母親が明良を連れて我が家に遊びに来た時だ。覚えているとはいえ、詳細まで記憶に残っている訳では無く、覚えているのは明良と遊んだことだけだった。
「ねぇ、明良君」
積み木で遊んでいる途中、ワタシは明良に話しかける。どうしても気になっていたことがあったからだ。
「なに?」
明良は積み木からワタシに視線を移すが、その瞳はワタシを見ているのにワタシではなくどこか遠くを見ているような、全てを見透かされているような澄んだ瞳をしていた。
「なんで明良君は魔力が無いの?」
明良と接した者ならば必ず思うであろう当然の疑問ではあったが、明良という人物を知った今にして思えば、なんて馬鹿らしい質問だったのだろうと恥ずかしくなってくる。
「うーん、上手く答えるのが難しい質問だけど、生まれつき魔力が無かったとしか言えないかな」
そんなワタシの馬鹿な質問に、明良は少し困ったように小さく唸ると、申し訳なさそうにそう答えた。
「なんで生まれつき魔力が無いの?」
「うーん、そう生まれたから、かな。僕にも詳しくは分からないよ」
明良は困って首に手を置くと、曖昧に微笑んだ。
「そうなんだ」
ワタシは納得いかないという顔をするも、それ以上はしつこく聞くことはしなかった。
積み木の続きに戻ったワタシに、明良はホッとしたような顔をすると、自分も積み木で遊びはじめた。
他にも庭で追いかけっこや、二人しか居ないのにかくれんぼをしたりもした。
楽しかったのは覚えているが、それから先もずっと明良に魔力が無いのが気になっていた。
五歳になってワタシは少し調子に乗っていたのだろう、ワタシは明良に魔力が無い事を馬鹿にしてからかってしまった……。ワタシは今でも当時の自分が赦せないが、明良は困ったようなどこか優しげな微笑みを浮かべるだけで、そんなワタシの言葉を受け止めていた。
六歳になったワタシは、世界家の守護者に相応しいかどうかの試験の為にあるダンジョンに挑むことになった。
山の中腹に少しだけ口を開いたそのダンジョンの入り口は、大人が四つん這いにならなければ入れないような小さな入り口だった。何も知らない者が見れば動物の巣とでも思ったかも知れない。
ワタシは六歳になると、世界家の掟に従い、ダンジョンのどこかに現れるらしい宝玉のひとつを取ってくる為に、そのダンジョンに挑む事になった。
入り口は小さかったが、子どものワタシには苦もなく入ることが出来た。
「うう、こわいよぉ」
はじめて入るダンジョンは、岩を掘って造ったような洞窟で、光は入り口からの光だけしかなく、入り口付近だけは薄暗かったが、奥は真っ暗で何も見えなかった。
「光よー!」
とりあえずワタシは明かりとなる光を魔法で呼び出すと、ふわふわとワタシの前を浮遊する魔法光を頼りに歩き出す。
「うう、暗くて先が見えないよ……」
ワタシは不安で今にも泣き出しそうになる気持ちを抑えると、少しずつ前へと歩みを進める。
「ダンジョン自体はそんなに長くないらしいけど……暗くて分かんないよ」
暗くて視界がほとんど効かない中、ワタシは痛いのを我慢しながらも、剥き出しのせいでボコボコしている岩壁に片手をつくと、耳を澄ましながら壁づたいに慎重に前に進む。
「モンスターが出なければ少しは楽出来るんだけどな……」
こんな真っ暗な場所での戦闘を考えてワタシは嫌気がさしてくる。ワタシは魔法光を少しだけ先行させて歩くが、暗闇は人の想像を悪い方にかき立てるらしく、ワタシの周りでモンスターが虎視眈々とワタシの命を狙っているような気がして、必要以上に周囲に気を配った。
「さすがに疲れた、今どこまで進んだんだろうな……」
ダンジョンの地図などという便利な道具は渡されておらず、ワタシはどこまで進んだのかも、どの方向を目指せばよいのかも分からずに途方に暮れそうになる。
ダンジョンに入ってどれぐらいの時間が経ったのだろうか、数回の小規模な戦闘があり、体感的には丸一日探索している気分ではあるが、実際はそれほど経ってはいないだろう。
「うう、またか……こわいよぉ」
目の前の魔法光の淡い光が照らす狭い範囲の外に広がる完全なる闇の中、獣の唸り声のような音が洞窟のどこかからか反響して聞こえてくる。ワタシはビクビクしながらも、壁を背に戦闘態勢をとる。ここまで来るまだに数回戦った経験から、この唸り声の主がダンジョンのモンスターによるものだとは知っていたから。
「ど、どこから~」
ワタシは小さく震えながらも周囲を警戒する。オオカミにも似た四足歩行のこのモンスターはとても強く、同時に相手出来るのは三、四体が限界だった。
「うー、モンスターは要らないから、宝玉どこぉ~」
泣きそうな声で弱音を吐きながらも、魔法光を更に出現させて少し遠くに飛ばす。その魔法光のひとつが、前足に体重を掛けて今にも飛び掛かりそうな体勢をしているモンスターを照らし出した。
「てぇぇい!」
ワタシは心の中で詠唱すると、恐怖を振り払うように声をあげながら炎の矢を複数出してモンスターを攻撃する。
「グルゥウウ…キャイン」
その炎の矢が命中すると、唸っていたモンスターは短く悲鳴をあげて絶命する。
「つ、次は!」
まだ鳴りやまない唸り声に、ワタシは気を抜かずに警戒を続ける。
「グルァアッ」
暗闇から一体のモンスターが飛び出してくる。
ワタシは咄嗟に先ほどの攻撃の際に残しておいた炎の矢でモンスターを射抜くと、飛んできた勢いが残っていたモンスターが、ワタシの横へと滑っていく。
「あと何匹なのぉ~」
グルルル、という唸り声が未だに止まない眼前の闇を泣きそうな目で睨みながら、ワタシは情けない声を出す。
「さっさとどっかいかないと、さっきのモンスターと同じ目にあうんだから」
ワタシは再度炎の矢を様々な角度で出現させると、周囲を警戒する。
「グルルルルルル」
さっきみたいにモンスターが飛び掛かってくる気配はなかったが、かといってどこかに逃げることもなく、睨み合いが続いていた。
睨み合いはモンスターではなくワタシの精神を徐々に削っていき、精神的な余裕が無くなってきたワタシは炎の矢が維持できなくなり、一本また一本と炎の矢が消えていってしまう。
「……………ッ」
焦ったワタシは、暗闇に向けて残った炎の矢を無茶苦茶に射放つ。「キャイン」という声が聞こえ、なんとかモンスターに当たりはしたようだったが、暗闇から聞こえてくる唸り声は無くなるどころか逆に増えているようだった。
「ど、どうしよう」
「グルルルルルル」
魔力的にはまだ戦えたが、精神的にはもう限界を迎えようとしていたワタシは、暗闇から聞こえてくる唸り声が少しずつ近づいてきている感覚に、はじめて死というものを身近に感じた。
「い、いや。助けて……誰か、助けて……!」
消え入りそうな声で助けを求めるワタシは、死の恐怖でもう立っていることも出来ず、とうとう泣き崩れてしまった。
「グルアアァァァッ」
そんなワタシに目掛けて三匹のモンスターが正面から飛び掛かってくる。ワタシはそれを茫然とただ見ていることしか出来なくて―――。
「キャイン」
死が目の前に迫ってくるのをただただ怯える瞳で茫然と眺めていたワタシの目の前で、その死神達は真横へと一緒に吹っ飛んでいった。
「え……?」
ワタシは訳がわからずに間の抜けた声を出す。
「キャイン」
そんなワタシをよそに、暗闇にモンスターの悲鳴があちらこちらから聞こえてくる。
「え?え?なに?なにが起きてるの?」
腰が抜けて立てないワタシは、恐怖に困惑が混ざった瞳を周囲の暗闇に向ける。
「大丈夫だった?」
モンスターの唸り声と悲鳴が暗闇から聞こえなくなると、心配そうな声が掛けられる。
「へ?……人……?」
久しぶりに聞いた気がする人の声に恐怖はほとんどなかったが、その聞き覚えはあるが来るはずのない人物の声に、逆にワタシは混乱してくる。
「僕だよ、明良だよ」
その優しい声とともに暗闇から魔法光の元へと姿を現したのは、やはり見知った顔だった。
「明良……君?なんで明良君が?モンスターの変装?」
混乱しているワタシに、明良はクスリと可笑しそうに安堵の笑い声を漏らす。
「大丈夫、正真正銘僕は理納ちゃんの友達の明良だよ」
ワタシの少し前で立ち止まった明良は、安心させるようににこやかな笑顔でそう話し掛ける。
「なんで明良君がここに?」
少しずつ状況を理解出来てきたワタシは、そのあり得ないその状況に、現実味のない声でそう問いかける。
「理納ちゃんを助けに来たのさ。間に合ってよかったよ」
明良はホッと小さく安堵の息を吐く。
「ここに明良君が居るはずは……そもそもどうやってここに……?」
「場所は重哉さんから聞いたんだ、理納ちゃんが試練の洞窟に挑むって。でも、連絡に不備があったようでね、本来理納ちゃんが試練の洞窟に挑むのは、今から二ヶ月先の話なんだよ」
明良は地面にへたりこんでいるワタシに向けて、手を差し出す。
「そう、重哉から……ありがとう。でも、ワタシは貴方を馬鹿にして……、それに二ヶ月先ってことは……」
困惑しながらも差し出された手を掴んで立ち上がると、明良が話した内容に、ワタシは唇を固く結ぶ。
現在探索している試練の洞窟と呼ばれているダンジョンは、別名・試金石のダンジョンとも呼ばれ、強さが十段階あり、月が替わる毎に一から十へ、十から一へとモンスターの強さが段々変動する珍しい性質のダンジョンであった。そして、現在は十から一へと、つまりは月を重ねる毎にダンジョンの攻略が段々簡単になっていくということで、二ヶ月先がワタシの適正と判断されたというのは、今のダンジョンを攻略するには実力が足りないと言われているということだった。
「気にはしてないさ、よく言われるからね。それよりも、とりあえず一旦外に出ようか、モンスターがまた出てきちゃうからさ」
明良は流すように軽く笑うと、ワタシの手を引いて出口まで先導する。
(ここでも単体相手なら戦えたけど、複数体は難しかった……。だけど明良君は……魔力が無いはずなのに……)
自分と明良との力の差を感じて、自然と握る手に力がこもる。
「ん?」
明良は心配そうに肩越しにワタシの様子を確認するも、何事もなく後を付いてくるワタシを見てまた前を向く。
(何体居たかは分からないけど、さっきは複数のモンスターを全て一気に明良君が倒した。少なくともワタシと明良君はここのダンジョンで二ヶ月分の差があるということ……。そして、ワタシは無知にもそんな相手を馬鹿にしていた……)
ワタシは先ほどまでの疲労からか、もしくは現実を知ってしまったからか、精神的に疲弊して、今にも心が折れそうになっていた。
「大丈夫だよ」
そんなワタシに、ふいに前方から気遣うような優しい声が掛けられる。
「え?」
ワタシはその突然の声に顔を上げる。
「大丈夫、理納ちゃんは強いよ。これからもっと成長して、いずれは誰よりも強くなるよ。それに、僕に魔力が無いのは事実だからね」
前を向いたまま告げられた言葉に、ワタシは息を呑む。
「……明良君は心が読めるの?」
ワタシの言葉に明良は「ハハッ」と小さく笑うと、
「そんな凄いことは出来ないよ。ただ、理納ちゃんの雰囲気からそんな気がしただけだよ。当たってたようでよかったよ、はずれてたら恥ずかしいからね」
ふふふ、と笑う明良の背中を見詰めながら、ワタシは「遠いな」と感じてしまう。
「さ、そろそろ出口だよ。重哉さんも到着してる頃だから……外で待ってるかな?」
明良に手を引かれて、まるで天窓のように明かりが射し込む出口を潜ると、そこには明良の言葉通りに老執事の重哉が立っていた。
「ご無事で何よりです理納様。明良様も理納様を無事に連れ戻してくださりありがとうございます」
重哉は二人に向けて深々と頭を下げる。
「それで、明良君から試験は二ヶ月先だって聞いたんだけど?」
「はい、明良様の仰る通りでございます。全てはこちらの不手際によるもの、誠に申し訳ございません」
ワタシの言葉に重哉が恐縮したように頭を下げると、
「そう、なら戻るわよ」
今回の件で色々と現実というのを思い知ったワタシは、そう素っ気なく答えて登ってきた山道を戻っていく。明良と重哉もその後に続いて下山した。
◆
「あまり使いたくはないのだけれど、この感情は懐かしい、と表現すればいいのかしらね」
女性は月を見上げながら呟く。懐かしい、という言葉に、明良が存在していた世界が過去の出来事だと改めて認識してしまい、女性は口にしてすぐに渋い顔をする。
「守護者になった後だったわね、明良の夢を聞いたのは」
地面へと視線を移した女性は、過去を幻視して優しげに微笑む。
◆
ワタシと明良が守護者になった次の年だったか、ワタシが守衛と一緒に馬で神殿を訪れた帰り、神殿の周囲に広がる草原に明良が一人で立っていたのは。
「こんなところで何している?」
ワタシが馬で近づいて馬上から声を掛けると、明良は草原の先を眺めたまま返事をした。
「ちょっと考え事をね。理納は神殿の様子でも見に来たのかい?」
「まぁ、そんなところだね」
ワタシは少し離れて追従していた守衛に先に帰るようにと手振りで促すと、明良の近くで下馬する。
「で、こんなところで明良は何を考えてたのかな?」
ワタシは明良の隣に並ぶと、明良の視線の先に目を向ける。ワタシの方が少し身長が低かったから、同じ景色とまではいかなかったが。
「魔人と共存出来ないかなーってさ」
ワタシはその言葉に首を傾げる。
「共存?またなんでそんなことを」
「争うよりはいいでしょう」
「それはそうかも知れないけどさ、魔人にしてみれば我々は領地を奪ったあげく封印までした訳だし、そう簡単に許してくれるとも思えないけど」
ワタシは肩をすくめると、横目で明良の表情を窺う。
「まぁそれもそうだけどさ、でも多分大丈夫だよ」
明良は上手くいくと確信しているように朗らかに笑った。
「……ふむ、そういえば明良は魔人に会ってるんだっけ。上手くいってるの?」
「上手くいってるよ。魔人とも仲良くなれたしね。共存は出来そうな気がしてるよ」
明良は魔人が封印されている神殿の方へと顔を向けると、優しく微笑む。
「そうなんだ。でも、未だに人と人でも争いが絶えないからね」
「まぁね。だけど、全ての人間が、争いばかりしている訳じゃないでしょ」
ワタシは「そうだけど……」と頬をかく。
「ま、とにかく、僕は魔人と共存したいと思ってるのさ」
「……ふーん、なるほどね。でも、なんでいきなりそんなことを?」
ワタシの問いに明良は少し考える素振りをみせる。
「いきなりって訳ではないけど、そうだな……自分でもよくわからないけどさ、多分僕が“井角の長子”だからかも知れないね」
「どういうこと…?」
訝しげに明良を見詰めるワタシに、明良は可笑しそうに小さく笑うと、
「元々、守護者は魔人を封印した五人を始祖としてるだろう?」
守衛でも知ってるような事だった、ワタシは話の続きを促す為にコクリと頷く。明良はそれを確認すると、話を続ける。
「だけどね、始祖たるその五人の中に井角なんて名前の者は居ないんだよ。それも知ってるだろう?」
確認するように再度明良はワタシに視線を向ける。
「元々、井角家ではなく五和家があったけど、跡取りが居なくなって可児家に吸収されたって話でしょう?それで可児から可児維へと改名したらしいし。井角家は六花家とかと同じで予備として存在した家で、五和家の代わりに守護者を担う事になったって話なら一応は知ってるけどさ」
ワタシの説明に、明良は満足げに頷くと、
「でね、その予備とはいえ突然守護者になった井角家だけど、起源を辿れば井角家は他の守護者達とは違うんだよ」
「それはどういう……」
ワタシは思わず眉根を寄せる。そんな話は初耳だった。
「井角家はね、血筋的には他の守護者たち人よりも、魔人のそれに近いんだよ」
「は?」
「とはいえ、魔人に近いのは井角家の長子だけで、他は人と同じなんだけどね。だから井角家は守護者は長子が継いで、家は次子が継ぐんだ。そして長子以外には守護者の事は知らされない」
そう話を聞かされても、突然の事でワタシの頭の中は理解が追いつかずに混乱していた。
「だから魔人とも共存したいと考えたのかも知れない」
「えっと……なんで長子だけが魔人に近いの?普通は一族みんなとかじゃないの?」
ワタシは情報を整理するために視線をさ迷わせると、やっとそれだけ質問する。
「ああ、それはね、人との混血が進んだ結果、人とは違うこの血が長子に全部引き継がれるようになったんだ」
「?」
明良の説明に、ワタシは理解出来ずに首を傾げる。
「うーむ、なんて言えばいいのだろうか……イメージ的には、人とは違う部分全部が長子の中に逃げていく。といった感じかな……?」
腕を組んで考え込む明良に、ワタシは自分なりの解釈を答える。
「ま、まぁなんとなくなら分かったかも……つまりは子を為した親も人に戻るってこと?」
「まぁ、そんな感じかな。正確には血が薄くなって人に近づくだけで、人に戻る訳ではないけどね」
「なるほど。……でも男性だったらどうなるの?」
「ん?」
明良は意味が分からないとばかりに眉根を寄せる。
「ほら、女性ならお腹の中に赤ちゃんが居るけどさ、男性が魔人の血を受け継いだらどうなるのかな?と思って……」
少し恥ずかしそうに付け加えられた説明に、明良は理解の色を示す。
「ああ、なるほど。その場合は簡単だよ、最初で託されるだけだから」
「最初で?」
「つまり、最初だけは一回で妊娠させられるという事。これは女性でも同じで、一度目で妊娠するらしいよ。そして、子どもは必ず産まれてくる。例え未熟児だろうと、母親が死のうとも必ず……産まれさえすれば後はどうとでもなるから、血が薄くなった魔人ってのは生き延びる為にしぶといってことだね」
「そ、そうなんだ」
講義をするように淡々と語る明良に対して、ワタシはうっすらと頬を赤く染めていた。
「といっても、封印されてなお、ここからでも感じるほどの魔力の所持者の魔人と近いとは思えないけどね」
明良は自分の掌に視線を落とすと、そう呟く。いつも通りの口調のはずなのに、何故だかワタシにはどこか自嘲しているようにも聞こえた。
「ま、おかげで魔人に会えた訳だけど」
明良は直ぐに冗談ぽく肩をすくめてそう語る。
「………」
そんな明良をワタシはただ黙って見詰める。色々と衝撃的ではあったが、幸いそれで明良を見る目が変わるという事はなかった。ただ、そんな明良の力になりたいとは思っていた。昔は遠すぎて手が届かなかった背中に、今なら触れられそうな気がしたから。
「……ねぇ、その共存ってのワタシにも手伝わせてよ」
だから、ワタシはそんな事を口走っていた。そんなワタシの言葉に、明良は僅かに意外そうな顔をみせる。ワタシはそんな明良の反応に一瞬ムッとしたが、明良がすぐににこりと、いつもの優しい笑顔をみせたことで、そんな感情は霧散した。
「ありがとう。だけど今はまだどうするかを考えてる段階だから特に手伝ってほしい事はないかな。今は三空さんのところで封印されている先達をどう安全に解放するかを考えてるところだからさ」
明良は礼を言うと、申し訳なさそうにワタシに話し掛ける。
「なんでそっちについて?」
「魔人の封印を解くにも、まずは魔力をどうにかしないといけないからね。その為にまずは規模が小さい方からと思って。それに、せっかく共存を目指すなら守護者の先達たる彼女も一緒がいいでしょう」
草原の先へと視線を向けた明良の横顔は、何故だか寂しそうにみえた。
「なるほど、目処はたってるの?」
「一応ね。後は作って試すだけさ。それが上手くいけば彼女の封印を解いてみようと思ってる」
遠くを見詰めたまま語る明良の話は大雑把で、詳細までは分からなかったけど、相変わらずの才の持ち主だが、これで何か必要な時には声をかけてくれるだろうことは、付き合いの長いワタシには理解出来た。
「それじゃワタシは行くよ。共存、楽しみだね」
ワタシは出来ればいい、何てつまらない言葉は使わなかった。明良がやると言った以上出来ると信じていたから。だけど、まさか夢半ばで倒れる事になろうとは、この時のワタシは夢にも思っていなかった。
◆
「きっと自分の死もまた、計画の内ではあったんでしょうけど……」
冷たい夜風が女性の白銀の髪を後ろへと流していく。
「病死と聞きましたが、あれは少々不自然過ぎましたね」
女性は目を細めて僅かに欠けた月を見上げる。
「この真実は彼女が、可憐さんが知っている感じでしたが……まぁいいでしょう」
女性は月を見上げたままそっと息を吐き出すと、
「もうすぐ満月ですね。明良は満月が好きでしたね……確か異世界でしたか、人と神が混在する地、けして交わらない隔絶された世界……とか、明良は何を知っていたのでしょうかね?」
女性は一度首をかしげると、視線を地面に向ける。そして、数十メートルはあろう高さを、机から降りるかのような気軽さで飛び降りる。
「よっ、と」
女性はふわりと、数十メートルから飛び降りたとは思えないほど静かに着地すると、辺りを軽く見回した。
「……さて、明良を殺した犯人であろう彼は今は置いておくとして、夢に賛同した者として、明良の夢を現実にする為の準備に移りますかね。あちらはまぁ、まだ傍観者を決め込んでいても大丈夫でしょう。そして、知らなかったとはいえ、世界を滅ぼしかねない選択をした彼の処遇は更にその後でいいでしょう。さて、そろそろ偽装もやめて動ごきだすとしますか。……これから忙しくなってきますね」
女性は一瞬不敵に笑うと、森の闇の中へと消えるように歩いていった。