嘘つきの森
ツンとした薬品の臭いが漂い、清潔感を表す白が大部分を占めるその部屋で、鏡花は優しげな微笑みを湛えながら声を発する。
「可児維様はどちらにいらっしゃいますか?」
ある日の午前中、まだ生徒たちが授業を受けている時間、その部屋、保健室の主である養護教諭の一色先生は、そう問いかけてきた鏡花を一瞥だけすると、先ほどから続けている書類仕事に戻ってしまう。
「何故貴女に可児維様の事を話さなければならないので?」
書類に目を通しながら、一色先生は他人事のように返事をする。
「何故、とはまた異な事を。私が一色様に可児維様の所在を訊く理由など御存知のはずですが」
鏡花はそんな一色先生に向けて可愛らしく小首をかしげてみせる。
「さぁ。一介の養護教諭でしかない私に、学園長の御側役様のお考えなど皆目見当もつきませんね」
書類から目を離すことなく返されたその白々しい台詞に、鏡花は芝居がかった動作で掌を頬に添えると、困ったようにため息を吐いた。
「ならば拓馬さんに訊くしかないのですかね」
「お好きにどうぞ。拓馬の居場所など知らないので、用があるならそちらで捜してくださいね」
珈琲のはいったコップを机に置くと、一色先生は空いた手を払うように力なく動かす。
どうでもいいように返された一色先生の言葉に、「そうですか、分かりました」と鏡花は頭を下げると、保健室を出ていこうと扉に手をかける。
「ああ、そうでした」
そこで鏡花は、はたと思い出したように振り返ると、執務机に向かって書類仕事をしている一色先生に世間話でもするように声をかけた。
「先日、訪夜さんが可憐様に捕まったそうですよ」
その、鏡花から何気ないように放たれた言葉に、一色先生は動かしていた手を止めると、ゆっくりと顔を上げて鏡花を見る。
「ほぅ、それは君にしては面白い冗談だ」
目を細める一色先生は微笑んでいるようでもあったが、その纏う雰囲気が僅かに鋭いものに変わる。
「冗談ではありませんよ、紛れもない真実です」
しかし鏡花は、そんなことなど意に介さず優雅に微笑みかける。
そんな鏡花の態度を一色先生は一笑する。
「フッ、ならば何故私に可児維様の所在など訊く?」
「情報は複数から収集した方がいい場合もあるのですよ?」
「私が本当の事を話すとでも?」
「さぁ。ただ……、まぁいいでしょう、楽しい時間は過ごせましたよ」
鏡花は意味有り気な笑みを浮かべると、一色先生に一礼して保健室を後にする。
「一体何を探りに来たのやら……相変わらず油断ならん女だことで。ま、茶菓子を手土産に世間話でもしに来たのなら相手してやったんだがね……なんてな」
鏡花が出ていった扉に語りかけた一色先生は誰かを思い出したように遠い目をすると、優しげな笑みを浮かべた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに書類仕事に戻った。
◆
一学期も残すところあと僅かとなったある日、おもむろに隼人は智輝と伊織にこう提案した。
「嘘つきの森を一度探索してみないか?」
その提案に即座に首を左右に振る伊織とは対照的に、智輝は「いいね」とその話に乗ってくる。
「まずは座学からでしょう?それに、途中で休みが入るからあまりオススメはしないよ」
伊織が諭すような口調で隼人に話し掛けるも、
「一度は敵の強さを知るのは、今後の計画の為にも必要な事だよ」
隼人は伊織にもっともらしくそう力説する。そんな隼人に少し気圧されながらも伊織は口を開く。
「それはそうかも知れないけどさ、座学を受けるのも卒業には必要だよ?」
「それは分かってるけど、それでもやっぱり一度嘘つきの森を探索したいんだ!」
そんな何故か無駄に暑苦しい隼人に伊織はため息を吐くと、
「……分かった、とりあえず一回だけね」
渋々と言った感じで伊織は隼人の提案に了承するのであった。
◆
「相変わらず行動が早いことで」
翌日、隼人達三人は監督役の先生とともに、嘘つきの森の前に来ていた。あの後、直ぐに許可を取った隼人のその行動力に、伊織は半ば呆れたように息を吐く。
「それじゃ、しゅっぱーつ!」
そんな伊織を気にすることなく隼人が元気よく掛け声をあげると、それを合図に隼人達は嘘つきの森へと入っていった。
嘘つきの森は、鬱蒼と生い茂る木々がどこまでも広がり、うっすらと白い靄が立ち込めている空間だった。それに地面は少し湿り気を帯び、立ち入る人がそう多くは無いからだろうか、入口から森の中へと進んで行くと、だんだんと地面が軟らかくなり、足場はそこまでよくは無かった。
森の中に入り改めて辺りを見渡せば、森の木々は等間隔でも同じように配置されてる訳でもないだろうに、どこを向いても同じような光景にしか見えず、迷い易そうであった。
「……森だね」
嘘つきの森の中へと入った智輝は、辺りを見回して残念そうに呟いた。
「そりゃ、嘘つきの森だからね」
「何を期待してたの?」
肩をすくめる隼人と、不思議そうな視線を向ける伊織。
「いや、嘘つきの森だから森と見せ掛けて実は……みたいなさ」
「ああ、なるほど」
智輝の言葉に伊織は合点がいったとばかりに頷く。
「そういえばさ、急な話で何も聞いてないけど、嘘つきの森ってどんなところ?」
伊織は隼人の方へと顔を向けると、首を傾げて問いかける。
「嘘つきの森はそこそこ広い森だよ。ただし、ほぼ森全体に幻覚を見せる魔法が掛かっていて、道に迷わせたり、同士討ちさせたりと、色々と侵入者を惑わすらしい」
「だから嘘つきの森なのね……」
隼人の説明に、伊織は面倒くさそうに呟く。
「その幻覚はどうすればいいんだ?」
「対処法としては、離れ離れにならないようにパーティー同士を紐で結ぶとかの効果は薄いけど簡単なものから、幻覚魔法を解きながら進む大変だけど確実なものまで色々あるね。僕達は局所的に幻覚魔法を解きながら進もうと思ってる。これなら時間は掛かるけど魔力の消耗が減らせるし、離れ過ぎなければ安全に先へと進めるからさ」
「誰が幻覚魔法の解除を?」
「智輝と伊織さんが交互に担当してほしい。……僕だと数分で魔力が尽きるからさ……」
そこでどこか遠い口調になる隼人。
「……まぁそれは分かったとして、嘘つきの森に出るモンスターは?あと地図は?」
「地図は持ってきてるよ、例によって不完全だけど。モンスターは森だけに自然系が多いみたいだけど、基本は木のモンスターみたいだね。だから、そこらの木にも注意した方がいいよ」
隼人は腰の小物入れから掌に納まるほどの大きさの紙を取り出すと、それに僅かに魔力を注ぐ。すると、掌に納まるほどの大きさしかなかった紙が、隼人が肩幅に手を広げたぐらいの大きさにまで大きくなる。
「はい、これが地図。今回も全体の八割ぐらいかな」
そう告げると隼人は地図を片手に、もう片方の手で地図をなぞりながら簡単に説明をはじめる。
「正直、今回は道らしい道がほとんど無いけど、所々に目印代わりの看板が立ってるから、それを参考に進んでいくしかないみたい」
「はぁー、なるほど。これは大変そうだね」
「そもそも、モンスターや先客が簡単に弄れそうなその看板も信じていいものかどうか……」
隼人が告げた決まった道が無いという事態に、二人は揃って難しそうな顔をする。
「とりあえず慎重に進もうか。道は無いけど、一応入り口から主の部屋までは真っ直ぐらしいし」
「地図上では、でしょ?実際は――」
伊織は目の前の木を指差すと、
「木が邪魔で真っ直ぐは進めないし、周りが似たような風景過ぎて自分たちが真っ直ぐに進んでるかどうかも分からなくなりそう」
地図を元の大きさに戻してから小物入れにしまう隼人に、伊織は目の前の木から周りの風景を掌で示して嘆息する。
「……ここの木って伐り倒しちゃ駄目なの?」
伊織の言葉を聞いて、智輝は首を傾げる。
「伐り倒せるならいいと思うよ。一応言っておくと、ここの木は全部が魔法の木だから、一本伐るのも一苦労だし、伐っても成長が物凄く早いらしいから、一度帰還してから翌日来たら伐採した木が全部元通り。なんて話も読んだ本に書いてあったし。それに、木の中には擬態したモンスターも紛れてるから、近寄る時には気をつけないといけないし」
「えー、何それメンドウクサイ」
隼人の説明に、智輝は心底面倒くさそうな顔をする。
「とにかく、ここの攻略は凄い時間掛かると思った方がいいよ」
「はぁ、分かったよ」
智輝の情けない声を合図に、三人は嘘つきの森へと足を踏み出した。
◆
「侵入者、有リ」
隼人達が嘘つきの森に入って来たことで、森の奥深くで木に寄り掛かるような格好で座り、まるで巨岩のような見た目で眠りについていた、わざわざ石を積み上げることで人の形を模したモンスター、通称ゴーレムと呼ばれることもあるそれは目を醒ますと、その石で出来た重そうな身体に似合わず、人間のように淀みの無い流れるような動きで立ち上がる。
「侵入者、排除スル」
ドス、ドスと重い足音を響かせて、しかし音に反して足取りは軽やかにゴーレムは嘘つきの森の入り口へと向かって歩きだした。
◆
「うわっと!こっちまで届くのかよ!」
智輝は驚きながらも後方へと飛び退くと、モンスターが降り下ろした枝を回避する。
現在隼人達は、嘘つきの森の木に擬態していたモンスターと交戦していた。
「ハァッ!」
隼人はモンスターの隙を衝いて伸びきって地面に衝突した枝の側面を短剣で斬りつける。
「チッ、この辺りからもうキツいのか……」
隼人の攻撃はモンスターに直撃するも、外皮に多少傷をつけただけであまりダメージを与えている感じはしなかった。
「炎の球よ、我が眼前の敵を焼き尽くせ――『火球弾!』」
伊織の魔法により出現した球状の炎の塊が衝突すると、木を模したモンスターは一瞬で焼き尽くされて炭になり、そのまま砕けて消えてしまった。
「ふぅ、本当に木なのかモンスターなのか分からないな」
伊織は小さく息を吐くと、額の汗を袖で拭う。
「お疲れー、さすが伊織ちゃんだね」
後方で幻覚を解除していた智輝が、笑いながら近づいてくる。
「智輝君が幻覚を解いていてくれたおかげだよ。わたしが解除する番になったら、智輝君が頑張るんだよ?」
「分かってるって。その時こそオレの見せ場でしょ!」
得意気に自分の胸を叩く智輝に、伊織は頼もしそうに、ではなく可笑しそうに微笑む。
「お疲れ、大丈夫そうだったら先に進もうか?」
隼人は二人に近づくと、少し元気なく声をかける。
「うん、そうだね」
「さて、次は……どっち?」
頷く伊織と、周囲を見回して首をかしげる智輝。
「こっちだよ、とりあえず行けるところまで行こうか」
先導するように歩く隼人の後に二人は付いていく。
「智輝君、まだ交代しなくて大丈夫?」
「魔法を発動してそんなに経ってないし、戦闘も大して参戦してないからまだ大丈夫だよ」
「ならいいけど、交代してほしい時には言ってね」
隼人は後方から聞こえてくる会話に、悔しそうに僅かに奥歯を噛みしめる。そこで、はたとそんな自分の行動に気づいて密かに苦笑する。
(いつからだっけ、魔力の少なさが悔しく思うようになったのは)
少し前までの自分なら、魔力の少なさに多少は悔しさを覚えても、ここまで悔しい思いはしなかっただろう。
(仲間……か)
役に立てずに苛立つ自分の姿に隼人は嘆息すると、このままで良いのかと自問する。
(明良さんもこんなふうに考えた事があるんだろうか?)
隼人は自分の魔力量以下、いや、魔力そのものが存在しなかった幼顔の青年の事を思い出す。青年は魔力を持たない代わりに、皮肉なのか魔法道具を作る才能が有った。そして、青年はその魔法道具を活用して数多の強敵と渡り合っていたという。今の隼人でもそれの難しさが理解出来た。ただ魔法道具を使えば勝てるという訳ではなく、それを効果的に使える知恵と、魔法を使う相手と渡り合う為の身体能力などなど、対等以上に戦うにはあらゆるものが必要だった。なにせ魔法道具は作れても、それを魔力を持たない青年は自分で使う事が出来なかったのだから。
(強かった、明良さんはとても強かった。よく『魔力量の多寡で強さが決まる訳ではない』そう言って笑ってたっけ)
その笑顔の裏にはどれだけの苦労と努力があったのだろうか。
(僕も頑張らないとな。『魔力量が足りないなら他で補えばいい』ですよね、明良さん)
先頭を歩く隼人は、人知れずにそう決意を再確認するのだった。
◆
「あれが、ネックレスの所持者か……」
鬱蒼としている森の中、それは立ち込める靄に紛れつつ、ただでさえ薄暗い森の更に暗い場所で隼人達を観察していた。
「なるほど、確かにあのネックレスには不釣り合いな魔力量だ……しかし」
それは森の陰から陰へと靄を伝って移動しながらも、隼人達と一定の距離を保ちつつ、遠目に観察を続ける。
「魔力量など目安にはなるが、あてにはならないからな。それは昔、彼が身をもって証明した事だ。ならば、あの者の資質がネックレスには必要……ということだろうか」
それは森の闇で静かに考える。おそらくそれの目的にはあのネックレスが必要な気がするから。
「使い方が分からねば、手元にあろうと無意味だからな……暫く様子をみるとしようか」
そう結論付けると、靄に紛れられるほどに形が無く、当然顔も存在し無いはずのそれは、しかしどこか研究者のような冷たい眼差しを隼人達に向けていた。
◆
「ん?……何か来る?」
幻覚に視界不良と、索敵が難しい森の中で、隼人は普段以上に鋭敏に、それでいて広範囲に索敵規模を拡げていた。
技術の研鑽によって魔力消費量は抑えられているとはいえ、その影響もあって想定以上に魔力を消耗している隼人だったが、それに気がつく前に、遠くから来る何かにピクリと僅かに反応すると、隼人はそのまま足を止めてしまう。
「どうしたの?」
隼人の後ろに続いていた伊織が、そんな隼人の様子に訝しげに問いかける。
「何かが遠くから来る。……それも今まで戦ってきたのよりも多分強いのが」
「何匹?」
「確認出来るのは一体だけど、この森、魔力が漂い過ぎてて精度上げてもまだ索敵の感度があまり良くないから、弱いのが他にいても気づけないかも」
「つまり、今確認出来てるのはそんな中でも索敵に引っ掛かるぐらいには強いと……」
「そういうこと」
考える伊織に、隼人は頷いて後方の二人に振り向く。そこには、すっかり消耗してしまった智輝と伊織の姿が在り、そこでやっと自分も大分魔力が少なくなっている事に気がついた隼人は、二人にこう提案した。
「今こちらに来ているのは多分モンスターだと思う。それも今まで以上に強いモンスターだ。だけど、僕達三人は結構魔力を消耗してるから、ここは一旦撤退しない?ここらにマーカーを設置しとくからさ」
隼人のその提案に、伊織と智輝は互いの状態を確認し合うと、隼人の提案に了承した。
◆
「侵入者、消エタ」
隼人達がマーカーを設置して一度帰還すると、隼人達に向けて移動していたゴーレムは、その気配が消えた事で一度立ち止まり、キョロキョロと捜すように周囲へと意識を向ける。
「……元ノ場所、戻ル」
標的を見失ったゴーレムは進む向きを変えると、最初に眠っていた場所を目指して歩きだした。
◆
「ふぅ、疲れた」
嘘つきの森の外へと帰還した隼人達はホッと一息吐くと、外で待機していた監督役の先生に帰還を報告する。
「確認しました。それでは時間もまだありますし、ゆっくり戻りましょうか」
報告を受けた先生は三人を目視で確認すると、疲れている三人を気遣ってゆっくりとした足取りで学園へと歩きはじめる。隼人達はもうひと踏ん張りと疲れた身体に気合いを入れると、先生の後に続いて歩きだすのだった。
◆
「僅かですが魔力を確認出来ましたね」
隼人達が学園への帰路へと着くのを見届けると、鏡花は嘘つきの森へと目線を移す。
「ふぅ。目的は未だ不明ですが、やはり彼らを狙っていましたか」
鏡花は辺りを探って反応が消えたのを改めて確認すると、どうしたものかと思案する。
「兼護様には報告するとしましても……、可憐様にはどうするべきか…。報せなくても可児維様の動きは掴んでいるのでしょうが、それでも現在は協力関係にある訳ですから、しっかりと報せるべきでしょうが……。しかし、可児維様とは目的が違うとはいえ、あの方もまた彼女の封印を解こうとされているようですし……。これは兼護様に判断を委ねた方がいいでしょうね」
鏡花は小さく息を吐くと、地面を強く蹴る。その動きは素早く、しかし静かに学園へと移動を開始した。
◆
「さて、今回の探索を踏まえての嘘つきの森攻略についてだけど……」
嘘つきの森探索後、一度学園に戻った隼人達はその後寮へと帰ると、着替えを済ませていつも通りに食堂へと集まっていた。
「それもだけど、座学もちゃんと受けないとダメだからね」
隼人の言葉を遮ると、一応という感じで釘を刺す伊織。
「それは分かってるけど、マーカー設置したし……」
「大丈夫。一日二日じゃマーカーの寿命は尽きないし、誰も探索しないと言ってる訳じゃないからね。ただ、座学を受けることを忘れないように。って言ってるだけだし」
「そ、それなら大丈夫だよ、もちろん」
「なら、よろしい。じゃ、作戦会議をはじめようか」
隼人の返答に伊織は満足げに頷くと、机に広げた小さめの地図へと視線を落とす。
「今日辿り着いたのはどこか分かる?」
「この辺りのはずだよ」
隼人は入り口から地図の四分の一程度進んだ場所に小さな円を描く。
「まだこんだけしか進んでないんだ」
その入り口からの近さに、智輝は驚いた声を出す。
「まぁ、今までからすれば“まだ”だけど、あの魔力の消耗の激しいダンジョンでは結構進んでると思うよ?」
「そうだね、隼人君の言う通りだと思うよ。さすがに幻覚解きながらはキツいって」
「まぁ、そうだね。それにしても、最後に近づいてきていたモンスターって何だっただろう?」
「あれは……、学園に着いてから少しだけ時間があったから軽く調べたけど、多分ゴーレムと呼ばれているモンスターじゃないかな?」
「いつの間に!」
自信なさげに答える隼人。しかしゴーレムのことよりも、もうそれだけ調べが済んでいることに驚きの声をあげる伊織。
「気になったからね。僅かだったけど自由時間があったから、学園に帰ってきてすぐに調べてみた」
「ゴーレムね、名前が付いてるモンスターって事は、やっぱり……強いの?」
躊躇いがちに隼人に問いかける智輝。
モンスターは通常、個別に名前などは付けられていないのだが、強いモンスターや有名なモンスター、つまりは目立つモンスターには識別の為に通称ではあるが、名前が付けられていた。
「嘘つきの森の中では主の次に強いらしいけど……モノによっては主と同等、あるいはそれ以上って書いてたりもするね。ま、主との戦いの前哨戦みたいなものかな」
「つまりは、そのゴーレムに勝てなきゃ主にも勝てないと……」
「そういうことになるね」
頷く隼人に、伊織はうーんと首を傾げて何かを考えると、戸惑いがちに口を開いた。
「……それってさ、ゴーレムと主の連戦になるんじゃない?」
「え?」
「だって、苦労してゴーレム倒しても、一度帰還してから戻ったらゴーレム復活してない?今日の感じからして、こちらに攻めてくるタイプのようだし。どこに復活するか分からないけど、連戦回避するなら主の部屋の前にマーカー置いてから帰還後、戻って来たら速攻主の部屋に入る必要があるって事でしょう?」
伊織のその説明に、隼人と智輝は面倒くさそうな顔で沈黙する。
「……確かに今日戦った感じだと、普通のモンスターはそこまで強くないから霧のダンジョンと同じくらいの難易度かも知れないけどさ、幻覚と森のセットにゴーレムも加味すると、よく分からないけど霧のダンジョンの方が簡単だった気がしてくるね。いやー、何事も順序って大事だわ」
うん、うんと、噛みしめるように何度も頷く伊織に、通常のモンスターにも歯が立たなかった隼人は、「あとで調べよう」と思いつつも、半ば諦めたようにため息を吐くのだった。
◆
「はぁ、なるほど。それで、あれは何で隼人君達の後をつけてるのかね?こちらへの警告か、嫌がらせか、はたまた趣味か、それが問題だな……」
全ての壁に本棚が設置され、そこに難しそうな分厚い本が隙間なく並べられているせいで圧迫感があり、狭く感じる学園長室で、鏡花の報告を受けた三空学園長はそう言ってふむ、と真剣に考え込むような素振りをみせる。
「また適当な……」
そんな三空学園長の言動に呆れた声を出した鏡花は、そっと息を吐き出した。
「ま、難しく考えても、今は情報が足りないからね。可憐ちゃんも情報小出しにしてくるし。一応鏡花は可憐ちゃんのお姉さん何だからさ、どうにかならないの?そこんところ」
三空学園長は、期待とからかいの混ざった視線を鏡花に向ける。ちなみに、8:2でからかいの方が強かった。
「……はぁ。私が可憐様の姉だったのは昔の事です。今は守護者と守衛の関係ですので、私が可憐様に意見したところで大して意味を為さないかと」
「それはやってみないと分からないじゃないか。鏡花はそう思っていても、あっちは違うかも知れないしさ」
三空学園長は真面目さを取り繕って鏡花に話すも、からかう気があるのを隠しきれていなかった。
「何を今更仰いますか。今から一年以上前のあの日、明良様が御逝去されてからは彼女が、可憐様こそが五の守護者であり、たかだか守衛の私との姉妹の縁など、とうに切ったはずではありませんか。それは兼護様も御存知のはずですが?」
抑揚の乏しい口調で語る鏡花は、学園長室の執務机とセットの背もたれの高い椅子に座る三空学園長を、心底軽蔑するような恐ろしいまでに冷たい視線で見下ろした。
「や、やだな、冗談だよ。だからね、恐いからその視線やめて?何かに目覚めちゃうかも知れないから!」
「……兼護様、この世には口にしていい冗談と口にしてはいけない冗談が存在するのですよ?」
三空学園長は焦るように視線をさ迷わせると、コホンと咳払いをして強引に本題に戻す。
「ま、まぁ、とりあえず可憐ちゃんには報告しておくよ、これで向こうからも新しい情報が引き出せるだろうからね」
「……そうですね」
相づちを打ちながら鏡花から身体ごと顔を逸らした三空学園長に、傍らから棒読みのようにも聞こえる無感情な声で同意が返ってくる。
「いや、しかしあれだね。可児維君の動きも気になるけど、訪夜君を捕まえただけで、それからの動きがない可憐ちゃんサイドも気になるね。真由子ちゃんの方も動きがみられないし、不気味だねー」
鏡花が普段より冷たいままであることに焦りつつもしみじみと語る三空学園長に、鏡花は相変わらずの感情が感じられない淡々とした口調で三空学園長に質問する。
「……四人の守護者の方々の動きは分かりましたが、四の守護者たる世界様の動きはどうなっているのでしょうか?」
「世界君か、……彼女はこの件については我関せずで大人しいものだよ。仲裁も介入もしないで傍観する腹積もりらしい」
三空学園長は少し呆れたように、それでいて納得しているような口調で答える。
「……傍観ですか、世界様らしくない気もしますが?」
三空学園長と違い、鏡花は世界の動向に違和感を覚えて眉根を寄せる。
「いや、傍観が今の彼女らしいよ。何せ、明良君を失ってからの彼女は酷いものだからね……」
そう言うと、三空学園長は僅かに哀れむように口を固く結ぶ。
「そう、なんですか。明良様が御逝去されてから世界様にお会いする機会がなかったもので存じ上げませんでした」
「ま、明良君とは守護者の中で彼女が一番付き合い長かったからね、しょうがないといえばしょうがないさ」
「そうなんですか?同世代の守護者だとしか存じ上げませんでした」
鏡花は先ほどまでのいざこざなど忘れて、興味深そうに三空学園長の方を向く。三空学園長も同じなようで、鏡花の変化など気にすることもなく、懐かしむように微笑む。
「彼女と明良君はね、守護者になる前からの付き合いなのだよ。まぁ、可憐ちゃんとも守護者になる前からの付き合いだけど、世界君の方が出会いは少しばかり早かったみたいだね」
「なるほど、それは珍しいですね」
「そうだね、普通は守護者と守護者の出会いよりも、守護者と守衛の出会いの方が早いからね。世界君の方も、守衛との出会いよりも明良君との出会いの方が早かったみたいらしいしね。そこはさすがに同世代というところかな」
ふふっとつい優しい笑みを浮かべる三空学園長に鏡花は不思議そうに首をかしげると、思ったことをそのまま口にする。
「何故、そんな珍しいことになったのでしょうか?同じ場所でお生まれになったのですか?」
鏡花のその問いかけに、三空学園長はゆっくりと首を左右に振って答えた。
「いや、そういうことではないよ。明良君と世界君はちゃんと別々の場所で生まれたよ」
「では?」
「そうだね、私自身が現場に居た訳ではないから聞いた話になるのだけど、明良君と世界君の親、つまりは二人の先代守護者同士の仲が良くてね、同じ時期に生まれた子どもということで、話の種のひとつとして引き合わせたそうなんだよ。それが明良君と世界君の出会いって訳だ」
三空学園長の話を真剣に聞いていた鏡花は、「なるほど」と、大きく頷くと、話を聞かせてもらった礼を言って頭を下げた。
「大した話じゃないさ、これぐらいなら他の守護者連中でも知っている。ま、詳しい話になれば本人に訊かなきゃ分からないがね」
三空学園長は肩をすくめる。
「……そう言われると、詳しい話とやらが気になってきますね」
「知りたければ世界君に訊くことだね」
三空学園長は小さく笑うと、椅子から立ち上がり、学園長室から出ていく。
「さて、とりあえず現状の確認からはじめようかね」
そんな三空学園長の後に続いて鏡花も静かに学園長室を後にするのだった。