平凡な日常
冒険というものには夢があると思う。
化け物どもが我が物顔で闊歩する未開の地を己の力ひとつで突き進み、隠されたお宝を見つけだして手に入れる。
未開の地、化け物達と渡り合う力、更にはお宝と、どれか一つだけでも胸がときめくのには十分なのに、それを全部こなした時の達成感は半端じゃなく凄いだろう事は容易に想像出来る。
それだけでも夢のようなのに、おまけに名声まで付いてくるとあっては、夢を見るなと言う方が無理というものだ。
………そう思っていた時期が僕にもありました。
「早かったか~、流石にまだ早かったか~」
ダンジョンと呼ばれる迷宮を、チャリチャリというネックレスの金属製の鎖が擦れる音を微かに響かせながら、白髪混じりの黒髪の少年は全速力で駆け抜ける。
少年の名前は棗 隼人と言った。その少年の後方からは魔物の群れが追いかけてきている。
現状を簡単に説明すれば、少年は調子に乗りすぎたのである。
「もう少しだけ、もう少しだけ」と、心の中で呪文のように唱えながら進み、ダンジョン中盤に差し掛かった時、遭遇した魔物の数を見て少年は速攻で逃げだした。それはもう文字通り死に物狂いで必死にというやつである。
元々少年はたいして実力がある訳ではなく、自分の分というものをそこそこ理解している人間だったのだが、ここが初心者向けのダンジョンで、通称はじまりのダンジョンと呼ばれるほどに簡単なダンジョンであるが故に、らしくもなく見栄を張ったのである。早く次に進みたいという気持ちもあったのかもしれない。結果は、魔物に追い掛け回されるという非常に残念なものになってしまったが。
「まだ追いかけて来るな~」
後方をチラリと確認した隼人は、追われているとは思えないほどに能天気な声をだす。
このダンジョンの出口まではまだ後少しあるが、外に出さえすれば監督役の教師が待ち構えていて、逃げてきた隼人を助けてくれる事だろう。ここは魔法学園の敷地内にあるダンジョンで、隼人はその学園の生徒なのだから。そして、今は授業でのダンジョン探索中なのであるからして。
「やっぱり一人じゃ無理だよな~」
自分の弱さを再確認した隼人は、全力で逃げながら今後について考える。
この初心者向けのダンジョンは、はじまりのダンジョンと呼ばれるだけに、この久遠魔法学園で生徒が最初に探索する最も簡単な、言ってしまえばダンジョン探索に慣れる為のダンジョンで、練習用というのもおこがましいくらいに簡単な、新入生向けの難易度:入門程度のダンジョンなのだが、新入生の隼人にはまだ知識と経験が足りないというよりも、単純に実力不足で、独りでは攻略に手間取りそうなのだった。
そんな独りじゃ難しい!という生徒の為に、学園なので五人という上限はあるが、パーティーシステムという制度がこの学園には存在している。つまりは、独りで無理なら数で補おう!という考えである。もしくは強い者に寄生しよう!とも言う。まぁ、強者は大抵一人か同じ強者と組んでいるから、隼人のような弱者という名の足手まといとわざわざ組む物好きは希少なのだが、それでも、隼人のようなあまり強くない生徒にとっては、複数でダンジョンを攻略しても合格を貰えるという制度はとても有り難かった。ただし、パーティーを組む相手は同学年限定で、進行状況はパーティーでもっとも進んでない者に合わせる必要はあったが。
「とりあえず智輝辺りかなー、アイツもまだ独りだろうし」
隼人は友人の顔を思い浮かべると、小さく頷く。
「その前に、このしつこいモンスター達をどうにかしないとな」
最初よりは随分減りはしたが、それでも隼人単体ではまだ捌ききれない数に、余計な事をしないように、考えないようにしながらひたすらに走り続けるのだった。
◆
「はい、棗隼人君の探索終了。ダンジョン踏破状況は自分で確認しておくように。何度も言うが、結果をちゃんと確認する事は大事だからな」
隼人がダンジョンから出てくると、外で待っていた年中ジャージ姿らしい担任の松野先生が、しっかりとした口調でそう告げる。
隼人を追っていた魔物は、出入口付近に近づくとどこかへと逃げていった。どうやら魔物がダンジョンから出ていかないように、出入口には何かしらの仕掛けが施されているようであった。
「お疲れー」
隼人が探索を終えた生徒の待機場所へと移動すると、そこには先に探索を終えていた、同じクラスで友達の橘 智輝が胡座をかき、体重を支えるように後ろに片手をついた、なんともだらけた体勢で座っていた。
「おや、智輝は探索終えるの早かったんだね」
少し意外そうにそう言うと、隼人は智輝の隣に腰を下ろす。
「まぁね、さくさく進んでさっさと帰ってきたからな」
ハハッと軽く笑う智輝。そんな智輝に隼人は魔物から逃げてる最中に考えていた事を提案してみる。
「なぁ智輝、僕とパーティー組まない?」
「んー、いいよ」
たいして考える間もなく承諾する智輝。彼も彼で思うところが有ったのだろう。
「でも、オレ達二人でもはじまりのダンジョンくらいはクリア出来るだろうけどさ、その先を考えるとせめてあと二人は欲しいよな…出来れば女子!願わくば可愛い子!能力は二の次三の次だ!オレ達からしてたいして強くないからな!」
片手で拳を握り力説する智輝。一瞬バックに炎が見えた気がした。
「いや、僕達が弱いからこそ実力者をだね……まぁいいや。しかし可愛い女子ねぇ、じゃ妹尾さんなんてどう?結構可愛いと思うし、まだ誰ともパーティー組んでなかったはずだよ」
「妹尾さんか~、確かに可愛いけどさ、なんか近寄りがたいっていうか性格きつそうじゃない?本読んでる時の顔とかなんか怖いもん、真面目っていうかなんといというかさ……。それに、彼女結構優秀だったから独りだった覚えがあるんだけど……」
「そうかな?真面目だけどきついってことはなかったよ、話せば結構親しみやすい人だったし。大方、変なこと言って怒らせたんじゃないの?まぁそれよりもだ、なるほどね、パーティー不要組か。強い人には協力して欲しいから、候補の一人ということにはしておくけど」
腕を組んでうんうんと頭を動かす隼人。
「変なことって、単にそう見えるってだけさ。オレ、別に妹尾さんと話したことないし」
智輝は少しムッとして隼人にそう抗議する。
「他は……どうしようかな?」
そんな智輝の抗議など耳に入らないのか、地面に視線を落としてパーティーに勧誘する候補を考える隼人。
「…………さすがに時期的にパーティー組む人は大抵パーティー組んでるから、誰か誘うより空きのあるパーティーに合流した方が話は早いかもね」
もう慣れているのか、諦めて隼人に自分の考えを話すと、智輝は力なく首を横に振った。
「僕達のパーティーと合流ねぇ。いくら単体じゃ無理だから協力プレイ!の人達でも、僕達の大したことない戦力と合流してくれるかな……?」
「まぁ、現状キツいけど新しい戦力が確保出来てないパーティーとか」
「この世には焼け石に水という言葉があってだな……」
「それでもないよりはマシだろ、数は力だぞ!」
そこまで言って二人は力なくため息を吐いた。
「とりあえず、このダンジョンまでは早目に攻略しておかないか?」
「だな。じゃないと好き勝手に他のダンジョン攻略出来ないもんな」
はじまりのダンジョンだけは授業中でしか挑めず、はじまりのダンジョンを攻略しないと他のダンジョンに挑む事は許されていなかった。因みに、他のダンジョンに挑む時には、一応は学園なので事前に先生に申請して許可を貰う必要があった。
「じゃ、とりあえずパーティー勧誘は置いといて、次の授業で攻略が終わるように計画を立てようか」
隼人の提案に頷く智輝。
「そうだな、隼人は今どこまで進んだ?」
「それは――」
智輝の質問に隼人が答えようとした時、
「はい、集まれー。皆無事に帰還したからそろそろ授業終わるぞー」
松野先生の声が聞こえてきて隼人の言葉を遮る。隼人達は一ヶ所に集まり、松野先生から授業の締めの言葉を聞いて、そのまま解散となった。
「次なんだっけ?」
隣を歩く智輝が隼人にそう声を掛けてくる。
「魔法学の基礎だね。今日は理論とか属性とかそういう内容だったはず」
「うへー、寝そうだオレ」
「寝たら河野先生に怒られるぞ」
「あー、あの人怖いよな」
智輝は自分が怒られている場面でも想像したのか、少し元気なくそう呟く。
「怒られて泣く生徒もわりといるからねー」
「あれは怖いもん。まだモンスターと戦ってた方がいいわ」
「……僕は何も言っていない。河野先生は素晴らしい先生だと思っている」
「うわ、ひどっ!」
隼人の平坦な口調の言葉に大袈裟に反応する智輝。そんなお互いの様子に、どちらからともなく吹き出すと、楽しそうに笑いだした二人は、そのままわいわいと賑やかに話をしながら教室へと移動するのだった。
◆
「疲れた……」
隼人は部屋に帰るなりベッドに倒れ込む。正直ダンジョンでの全力疾走が結構効いていた。その後の座学は眠らないようにするのでいっぱいいっぱいで、授業の内容は頭に入っていなかったが、記憶はいまいちはっきりとしていないのに、どうやら眠気と格闘しながらもノートだけはしっかりととっていたようで、これについては明日にでも復習するとしよう、と、隼人は鞄を勉強机に放り投げた。
「眠い、けど、ご飯食べに行かないといけないし、宿題も少し出てたな……」
隼人はベッドからのろのろと起き上がると、服を着替え始める。制服から私服に着替えるだけでも大分気分が変わった。
「食堂に行くか」
着替えが終わり、隼人は壁に掛けられた時計で時間を確認すると、眠たそうにゆっくりと歩みを進める。
食堂に着くと、既に結構な数の席が埋まっていて、隼人は出入口から食堂内を見渡すと、空席を確認する。
「奥の方はまだ空きが有るね。とりあえずご飯を取ってきますか」
隼人は食事の注文をするための列に並ぶ。列はそこまで並んではいなくて、直ぐに隼人の番になった。
「どっちにするね?」
「A定食で」
食堂のおばちゃんの問いかけにそう答えて、隼人は横に在る受け取り口に移動する。基本的にここの食堂はA定食かB定食の二択である。食堂のおばちゃんの気紛れなのか、たまにC定食も用意される事があるらしい。
「はい、A定食ね」
「ありがとうございます」
隼人は食堂のおばちゃんに礼を言って定食を受け取ると、そのまま食堂の奥にある空席へと移動する。
隼人が食事を始めてしばらくすると、食堂が更に混みだして空席がほとんど無くなっていた。
「隣、いいかしら?」
そんな事などお構いなしで、自分のペースを崩さずゆっくり食事を楽しんでいた隼人に、艶やかな長い黒髪に、少し勝ち気な感じがする顔立ちをした少女がそう話しかけてきた。
「どうぞ~」
隼人がそう返すと、少女は静かに席に着く。ただそれだけの仕草なのに、その優雅な所作についつい見惚れてしまう。
(確か隣のクラスの……は…は…はやま…羽山…恵?とかいう名前の女の子だった気がする)
我に返り、なんとか名前を思い出せてすっきりした隼人は、食事を再開する。
「………」
「………」
静かに食事を楽しむ隼人の隣で、同じく静かに食事をしている羽山恵。特に会話が発生することもなく黙々と食事は進み、
「ごちそうさま」
羽山恵は手を合わせて小さくそう唱えると席を立ち、膳を返却口へと持っていった。
「……早い…んじゃなくて僕が食べるのが遅いのか」
隼人は自分の膳へと視線を落とす。まだあと少し残っていた。
◆
「ふぅ、食べた食べた」
部屋に戻ってきた隼人は、お腹を擦って満足そうな息を吐き出す。
「さてと、それじゃ宿題するかな」
隼人は緩慢な動きで鞄から一枚のプリントを取り出す。それはダンジョン内で確認されているモンスターについて書かれていた。
「えっと、確かモンスターの名前と特徴を今日配られたこのプリントの空欄に書く、と。とりあえずこのノートがあれば大丈夫そうだね」
そう言うと隼人は本棚から『モンスター図鑑その1』と表紙に手書きで書かれた一冊ノートを取り出して、プリントの空欄を上から順番に埋めていく。
「一応ノート出したけど、まだ問題が簡単だから要らなかったかもな」
結局、隼人がプリントの空欄を全て埋め終えても、ノートの出番はこなかったのだった。
◆
「ん、ん~~」
窓から差す光に顔を顰める隼人。
「……朝、か」
ゆっくりと瞼を開けると、ぼんやりした瞳で室内を見回し、まだ眠気の残る声で隼人はそう呟いた。
もそもそとベッドから這い出ると、殆ど反射的に着替えを済ませた隼人は洗面所へと移動する。
「おや、おはよう隼人。今日は早いね」
隼人が洗面所に到着すると、陽気な声が掛けられる。
隼人は声がした方へと顔を向けると、そこには隼人の友人で、昨日パーティーを組んだばかりの智輝が、顔でも洗っていたのだろうか、タオルで顔を吹きながら片手を上げていた。
「おはよう、智輝。相変わらず智輝は早いね」
隼人はそう挨拶を返すと、持ってきた歯磨きセットで歯磨きを開始する。
「明日、また始まりのダンジョン探索があるけどさ、隼人は何か案浮かんだ?」
「んん、ん」
智輝の問いに首を横に振る隼人。昨日はあまりの眠たさに、そんな事すっかり忘れていたとはさすがに言えなかった。
「そうか。俺も色々考えてみたんだけどさ、そこまで広いダンジョンじゃないから結局ごり押しか、出来るだけ見つからないように慎重に進むしかないんだよね。だから早く進むには基本は隠密で、必要な時は戦ってってやり方が良いと思うんだ。さすがにごり押しはまだキツいし……」
手を広げてため息を吐く智輝。
隼人はうんうんと頷きながらも口を濯いだ。
「ダンジョンの主に勝たないと、はじまりのダンジョンを攻略した証の品が手に入らないからね、それまで無駄な消耗は避けたいから隠密で良いんじゃない?」
「やっぱりそうだよな。ごり押しもいつか出来たら良いんだけどね」
「それは結構強い人が居ないとさすがに無理だね。まぁ、大抵の人は無用な戦闘は避けつつ進むしさ、僕達もそれに倣うとしようよ」
「……そうだね」
智輝は仕方ないとばかりにため息を吐いた。
そんな智輝の様子に、隼人はついつい呆れたような笑いを漏らしてしまうのだった。
◆
「で、あるからして、ダンジョンが世界各地に何故存在するのかについてはまだ不明な点が多く、様々な説が唱えられています。例えば昔の権力者が財宝を隠すためや、力在る秘宝を封印するため、他にも何か重要なものを隠すため、あるいは守るためなど―――」
ダンジョンについての授業中、隼人はふと窓の方へと視線を向ける。
視線を向けた先では、短髪にキリリとした表情で、ともすれば凛々しい男子のような顔立ちの女性、相瀬 美留が真面目に授業を受けていた。
(ん?あれは)
そんな相瀬の様子を何とはなしに眺めていた隼人は、相瀬が真面目に板書された文字をノートに写しているようで、実際は別の何かを書き留めていることに、腕の動きで気がついた。
(何を書いてるんだろ……)
さすがに席が離れているので何を書いているかまでは分からなかったが、なんとなく気になった隼人は、次の休み時間にでも訊ねてみようと思うのだった。
◆
「相瀬さん、ちょっといい?」
授業が終わって休み時間、隼人は先生が教室を出てくと、早速相瀬の下へと移動してそう訊ねた。
「ん?何かな」
相瀬は席についたままだったので、隼人を見上げる形で返事をする。その何気ない視線でも、相瀬の力強い眼差しに見詰められると、隼人は軽く睨まれたような圧迫感を覚える。
「え、えっと、その、さっきの授業中、何か書いてたから、何を書いていたのかな?と思って」
多少どもりなりながらも、勇気を振り絞ってそう問いかける隼人。
「ああ、見てたのか。ダメだよ、真面目に授業受けないと……まぁ人の事は言えないけどね」
相瀬は子どもを叱るような口調でそう言うと、最後に自嘲気味な笑みを零す。
「あれはダンジョンの地図を書いてて、進む道順を考えてたんだよ」
「ダンジョンってどこの?はじまりのダンジョンのなら地図は配られてたと思うけど」
「はじまりのダンジョンじゃないよ、ワタシはもうはじまりのダンジョンは攻略済みだし。今書いてるのは霧のダンジョンの地図」
「霧のダンジョンって……はじまりのダンジョンから更に東に行ったところにある?」
「そうそう、はじまりのダンジョン以外の地図は各自で調達しないといけないからさ」
疲れたように肩をすくめる相瀬。地図作製には大分苦戦しているらしかったが、そんなことより隼人は、相瀬がもうそんなところを攻略していることに驚いていた。
久遠魔法学園にはいくつものダンジョンが存在していて、中には学園島と言われる、学園の存在する島の外にあるダンジョンも存在する。その中で霧のダンジョンは新入生向けの比較的簡単なダンジョンだが、一般的に久遠魔法学園の生徒が攻略していく順番で言えば、隼人が攻略中のはじまりのダンジョンよりは二つ先にあるダンジョンだった。つまり相瀬は、隼人より二歩以上先を行っているということだった。
「凄いんだな。相瀬さんはパーティーって組んでたっけ?」
「うん、ワタシと別のクラスの友達との二人パーティーだよ」
「そうなんだ、それでもう霧のダンジョンとは……僕も頑張らないとな」
どこか他人事のような響きのある呟きをする隼人。
「棗君は今どこ?」
小首をかしげて訊いてくる相瀬に、
「……まだはじまりのダンジョンの攻略が終わってないんだ」
少し答え辛そうに話す隼人。
「そうなんだ、まだまだ今年度も始まったばかりだもんね」
相瀬はうんうんと何かに納得するように頷きながらそう返した。
新学期が始まってまだ一月と少し。つまりは隼人達が久遠魔法学園に入学してからまだ一ヶ月を過ぎたばかり、入学して直ぐにダンジョン攻略が出来る訳ではないので、まだまだはじまりのダンジョンを攻略中の新入生も結構居るのである。寧ろ相瀬のようにどんどん先に進んでいる方がまだ少数派であった。
「うん、そうだね。でももうそろそろはじまりのダンジョンは攻略したいかな。……まだパーティーに入ってくれる人も探している途中だけどさ」
隼人の言葉に相瀬が「そっか」と呟いたところで次の授業の始まりを告げる鐘が鳴り、先生が入ってくる。隼人が「それじゃ」と手を上げると、相瀬は「またね」と手を上げ返してくれた。
◆
「ふぁ~あ」
本日の授業が終わり、隼人は伸びをしながら欠伸をすると、椅子から立ち上がる。今日は一日中座学だったが、なんだか疲れてしまった。昼休みに智輝とはじまりのダンジョンの地図を見ながら攻略ルートを決めたり、パーティーに誘う相手を話し合ったり出来たのは収穫だったが。
隼人は疲れたというより眠たそうな顔で学校を後にして寮へと帰宅する。
昨日とは微妙に質が違うが、今日も眠そうにしながら食堂に入る隼人。
本日もA定食だが、さすがに座れた席は昨日とは違った……のだが、
「………えーっと」
隼人は小さく戸惑いの声を上げると、恐る恐る隣に視線を向ける。そこには昨日と同じ様に羽山恵が座っていた。
「………」
羽山恵は気にすることなく静かに食事をしている。
(何故に!?偶然か、狙ってか……)
つい先ほどのこと、隼人が席について食事をしていると、今日は何も言わずに羽山恵はそっと隼人の隣に座ってきた。
隼人は思わず周りを見回すと、人が大勢居るには居るが、昨日のようにほとんど席が空いてないということはなく、軽く見回しただけでもちらほらと空席を確認することが出来た。
「………」
別に嫌という訳ではないし、騒がしいとか不快な臭いがするとか、見た目が不潔だとかはないのだが、何故だか恐怖を感じたのだった。こう、本能的ななにかと表現すればいいのだろうか、直感的なものが働いたのだ、『この子は危ない』と。
そんな事を考えていると、嫌な汗が背中を伝う。
「あっ!」
思わず出てしまった声を押し戻すように、咄嗟に片手で口を覆うと、隼人はキョロキョロと目線だけで周囲を確認する。
(そういえば……)
隼人はふと、自分の隣に座っている羽山恵と初めて会った日の事を思い出した。
(あれは確かこの学園に入学して直ぐくらいだったから―――)
今から約一ヶ月前、隼人がクラスメイトと言葉を交わす程度には学園に馴れてきた頃、隼人がクラスメイトと学園の廊下を歩いていた時に出会ったのが最初だった。羽山恵もクラスメイトと歩いていて、隼人の連れと羽山恵の連れが知り合いだったらしく、挨拶がてら少し言葉を交わしただけであったのだが。
(今思えば、あれからよく羽山恵さんを見かける機会が増えたような?……き、気のせいだよね。…う、うん、変な勘違いしそうになって恥ずかしい)
隼人は小さく首を左右に振ると、恥ずかしい(という事にした)気持ちを誤魔化すように、目の前のA定食を少し荒っぽく口に運ぶ。
しばらくすると、隣でかたりと小さな音がして、隼人が恐る恐るそちらに目線をやれば、羽山恵が食事を終えて立ち上がったところだった。
膳を持って去っていく羽山恵の後ろ姿に、密かに息を吐く隼人。一度ついた苦手意識は、直ぐには取れそうにもなかった。