私の前から消えないで
「んぅ……」
気が付くと目の前は真っ暗だった。
そして、額と後頭部がやけに冷たい……というか寒い。
「ックシュン!」
盛大なクシャミをすると目の前の闇が晴れた。
「あら、気が付いたのね。おはよう、リン」
私の顔を覗き込んでいるウンディーネ。
暗いと思っていたのは額と目の上に手を乗せていたからね。
と、いう事はこのフニフニと柔らかくて冷たいものはウンディーネの太股かな。
男ならこういう状況は喜ぶだろうけれど、生憎私は30年間女として生きているので何も感じない。
……いや、気持ちよくはあるのだけれど。
歩く度に揺れそうな胸や、肉付きの良いふっくらとした太股なんて羨ましくなんてない。断じて、無い。
「……そんなに触られるとくすぐったいですわ」
フフと笑われ、初めて自分の無意識の行動を意識する。
思考と裏腹に私の指はウンディーネの太股をムニムニと摘まんでいたようだ。
……う、羨ましくなんて!
……羨ましいです、ごめんなさい。
「う……。私は……?」
ごろりと横に向きを変え、ウンディーネの太股をいじりながら主語の伴っていない質問をしてみる。
「庭先でリンは倒れたのですわ。私がベッドまで運びましたの」
あぁ、そっか。ウンディーネに口説かれて体がガクガクと熱くなって倒れてしまったんだ、私。
そういえば耳の奥でドクドクと心臓の音が鳴っているほど鼓動が強く早い。
……もしかして本当に私、ウンディーネに恋を……?
「どうやら体に冬が宿ってしまったようですわね。トレントに聞いたら人間は頭を冷やすと良いと聞きましたので、こうしていますの」
あ……そうなんだ。
少しだけ拍子抜けしてしまった。
でも冬が宿るって事は私風邪引いちゃったって事かぁ……。
先程トレントが言っていた事を思い出す。
この鼓動の強さも風邪のせいね。
……一瞬本当に女性に恋をしたかと思ってしまった。
うん、私はノーマル、問題無い。
「ありがとう、ウンディーネ。でも冷やしすぎるのも問題だから大丈夫よ。それよりぽむとぽこは?」
気を取り直して聞いてみた。
「あの二匹ならリンの足元で寝ていますわよ。御覧なさい」
その言葉に足元を見るとくぷーくぷーと可愛らしいイビキと鼻提灯を膨らませながら寄り添って寝ていた。
あ、足元が妙に温かかったのはこの二匹のおかげなのね。
窓の外を見ると橙色の光が射してきている。
……もう夕方なのね。あぅぅ、今日こそゴーレムを作ろうとしたのに……後お風呂にも入りたかったのにぃ……。
悔しかったのでウンディーネの膝に顔を埋めてみた。
ワンピースから澄んだ水の香りがする。
山から流れる川の匂いと言えば分かり易いかもしれない。
マイナスイオンたっぷりの。
そういえばウンディーネもかなり濡れたのにどうやって乾かしたんだろう。不思議だなぁ。
物思いに耽っているとうなじに手を置かれ、その冷たさにビクッと体が震える。
「リンは甘えん坊さんですのね? もっと手こずるかと思いましたけれど、これなら……ふふ……」
なにやらウンディーネの声色に不穏な気配を感じたので慌てて起き上がり離れる。
「あ、甘えん坊なんかじゃないです! ただ……!」
抗議の言葉を口にしようとした瞬間、視界が暗くなる。
不味い、貧血が……。
「あ、ふ……」
トサリと音を立てて再びベッドに沈む私。
それを何かと勘違いしたウンディーネが小悪魔的な笑みを浮かべたのが倒れる直前に見えた。
「良いですわ、たぁくさん私に委ねたいのですわね」
いやいやいや!?待って!?そういうんじゃないから!貧血で体動かないだけだから!
うつぶせ状態で動けない私のワンピースを留めている首元の紐がスルスルと音を立てて解かれてしまう。
いやー!やめてー!おかーさーん!
剥き出しになった背中をウンディーネの冷たい指がなぞっていく。
「動かないでくださいましね……」
いや、動きたくても動けないんですけど!?
ていうかウンディーネの指が背中をやわやわとなぞっているのが寒さのせいなのか貧血のせいなのか体中が総毛立つ。
「……あら? リン、これは……。リンはもう吸血鬼の御手付きですの?」
首にそっと触れられる。
「ひゃうっ!?」
指の冷たさに思わず悲鳴が出てしまった。
あうぅ、昨日のアルカードさんの残した痕だ。
どれだけこのせいで騒動に巻き込んだら気が済むの。
今度来たらニンニクでもぶつけてやる!
……怒ったせいで少しだけ血圧が上がったらしい、少しだけ頭がハッキリとしてきた。
「……違います。それは昨日、ちょっとした事故で吸われてしまいました」
「そう……。リンの生命力が少しだけ弱くなっているのはこのせいでもありそうですわね。えーと……人間の心臓は右だったかしら、左だったかしら……。まぁどちらでも構いませんわね」
何か不穏な言葉が聞こえた気がする!?
「ひ、左です! 左!」
私の背中を撫でくり回していたのは心臓の位置を探っているからかも?
ウンディーネに慌てて答える。
「ふふ、良い子ですわね。では……!」
スゥと息を吸い、ウンディーネが私の背中に掌を押し付けた。
「水の精霊が命ず! 清爽の水、生命の根源を我が手に! 生命の水!」
一瞬心臓に氷を流されたような感覚があり、そのすぐ後にドクドクと異常なほど鼓動が早くなる。
「ぁう、ぇ? ゴホッ!?」
何がなんだか解らないけれど、ウンディーネが詠唱した魔力がそのまま流れ込んでいる感覚にたまらず咳き込んだ。
「私の魔力を変質させて、生命の根源と言われる生命の水を注ぎましたの。これで弱った体も元に戻る筈ですわ」
ウンディーネから得意気な声が聞こえた。
本当にそのようで、咳が収まると貧血は収まった。
けれども、さっきより寒い。
「さっ! 寒!?」
起き上がり、慌てて寝ているぽむとぽこを毛布ごと抱きしめて横になる。
「ぽー!?」
「ぷー!?」
無理矢理起こされて驚いているぽむとぽこにごめんねと謝りながらぎゅうと抱く。
「あ、あら? 何かいけなかったかしら……」
ウンディーネが戸惑った様な声を出す。
……うん、悪気は無いといえウンディーネにはもう少し人間の事を学んで欲しい。
毛布から顔だけ出して、オロオロするウンディーネに今の状況を話す。
「ウンディーネ、治療してくれようとしてくれたのは有難いけれど、今の私の体は冬が宿っているのに更に温度を下げたら……」
ブルブルと震えながら話すとウンディーネもハッとした様子だ。
どうやら気付いたらしい。
「ごめんなさい、人間はとても弱い生き物でしたわね……。忘れていましたわ……」
しゅんとしょげているウンディーネ。
「ううん、ウンディーネが心配してやってくれた事だから嬉しいけど……まずは体温を上げないと……」
寒気が走る体を必死で押さえ、ウンディーネを傷つけまいと言葉を紡ぐ。
「ぽ、ぽぽぽー!」
私の胸に抱いたぽむが一声大きく鳴くと、熱を発し始めたと同時に左胸、鎖骨の下辺りをざりざりと舐め始めた。
「ちょっ!? ぽむ!? 熱!? 痛!?」
私がベリとぽむを引き剥がすと床に着地したぽむがベッベッと毛玉を吐き出すような仕草を見せた。
あれ、これって昨日の……?
一際大きく吐き出す音が聞こえると同時に澄んだ青色の石が吐き出され、コロンと音がした。
「……これは……私の魔力……? アクアマリン、みたいですわね」
ウンディーネが一際驚いたようにその宝石を拾い上げる。
「ぽひゅー……」
ぽむが心底疲れたと言う風に鳴き声を上げる。
その声に視線を向けるとぽむの体が透けていた。
「……え?」
私の半笑いの様に開いた口から声が漏れる。
━━魔力が切れるとすぐに世界と同化していったねぇ━━
トレントの言葉が頭をよぎる。
そういえばぽむが魔力を使ってから糸を食べさせたのはいつ!?
「ぽむ!? 今、魔力をあげるからね!」
ベッドから転がり落ちるようにして、ぽむの近くに行き、糸を取り出そうと詠唱する。
落ちた体が痛んだけれど、そんな事気にしている場合じゃない!
……しかし、出てくるのはプチプチとすぐ千切れる粗悪な糸。
千切れる側から空中に溶けていった。
「ッ! どうして!? どうして出ないの!?」
半泣きになりながら、必死で指の先から取り出そうとするけれど、取り出すそばから千切れていく。
「……リンの体の中で私の魔力の残滓とぽむと言う生き物の魔力が混ざり合っていますわ……。その状態では詠唱しても満足には……」
ウンディーネが悲哀を湛えた瞳で私を見下ろす。
「そんな……! お願い、ウンディーネ! 何でもするから貴女の魔力を!」
必死で縋るけれどウンディーネは哀しそうに頭を振った。
「……ごめんなさい。私の水の魔力を注いだら太陽の魔力を持つぽむには致命的ですわ……」
「そんな……! ……うっ、うあぁぁぁん!」
せっかく出会えた友達なのに、こんな事になるなんて……倒れる前にもっと糸を出しておけば!後悔に押しつぶされそうになりながら年甲斐もなく泣きじゃくってしまう。
「ぽひゅ……」
私の指を直にペロペロと舐めるぽむ。
粗悪な魔力糸だけれど、何とか出し続けていれる間は世界と同化していくのは防げているようだ。
でもそれも時間の問題、魔力量の少ない私が糸を出せるのは……それに粗悪な糸を無理矢理出している事に寄っていつもとは明らかに魔力の減衰が激しい。
……すぐに魔力が尽きた。
「ぷっぷぷー!」
視界が涙で滲んで何も見えなくなった時、今までベッドの上に居たぽこが一際大きく鳴いた。
ぽこがみょんっとぽむと私の前に割り込んで、ぽむの口に自分の口を合わせる。
所謂ぽこがぽむに口移しというかキスをしている状況だ……。
「な、なにしてるの? ぽこ……」
「……ぽこから少しずつ魔力がぽむに流れていますわね……。これなら……」
戸惑う私の言葉にウンディーネが答えてくれた。
その言葉を裏付ける様に段々とぽむの体がしっかりと実体を持って色が濃くなっていく。
どのくらいの時間が経ったか解らないけれど、長い時間そうしていたように思う。
「ぷひゅー……」
ぽむから離れたぽこが疲れたと言った風に離れて、ベッドに上がって目を閉じた。
「ぽー……」
私の涙を下で受けているぽむが心配そうに見上げてくる。
……私の事なんて心配しなくても良いでしょう。
でも、良かった……良かったよぉ!
「ごめんねぇ、ぽむ。ぽこもありがとうぅ……」
ぽむを抱いてベッドの上に居るぽこも抱きしめる。
「ぽ!」
「ぷ!」
自分は元気だと言っている様なぽむとしょうがねーなと言っている様な鳴き声を上げるぽこ。
滲む視界の隅で安堵の涙が次から次から落ちていく私を、これまた貰い泣きしたのか目尻の涙を拭っている様子のウンディーネが見つめていた。
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