運命を紡ぐ者
「えーと……。どちら様ですか?」
滝のような雨となった地下水の噴流も収まってきた頃、私の……いや、リンの体よりなお白い腕を首に絡ませている相手に問いかける。
こちらも少し落ち着いてきたし、こうしているって事は害を加える気は無いんだろうと思ったから。
「私? ふふ、誰なのかしらね」
からかうような答えに困惑しながらも、絡められた腕をそっと外して初めて相手を視界に捉えた。
まず最初に目に付いたのは長い、ウェーブがかかった青緑色の髪。
続いてエメラルド色の瞳。
白い肌はさきほどから分かって居た事だけれど、濡れた肌は太陽に当たるとまるで真珠のように白く輝いている。
その肌を水色のドレスが覆っているけれど、服越しでも魅力的な質感がわかるくらいのボリュームがある胸とくびれたウェスト。
あまりにも綺麗でほぅと、つい溜息がでてしまった。
「わからないかしら。そこのお爺さんに聞いてみると良いかもね?」
スッとトレントを指差す女性が悪戯っぽい笑みを浮かべている。
その指に釣られてトレントを見るとひどく驚いているようだ。
トレントの反応でなんとなく分かってしまった。
おそらくこの人(?)は高次の存在か、それが乗り移っている存在。
「さ、行きましょう?」
トレントの驚愕した顔なんて何処吹く風、といった様子で私の手を取り導く。
なんとなく逆らえず、そのまま連れられてトレントの前に歩いていった。
……ぽむとぽこはたぶんそのうち落ちて来るかな。
トレントの時もそうだったからあまり心配はしていない自分に気付き、慣れたものだなぁと苦笑しながら。
「……こうして顔を合わせるのはひさしぶりだねぇ……」
トレントが私の手を引く女性を見て感慨深げに話しかける。
「そうですわね。山が雨に削られ、湖となるほどの時間……でしょうか」
なにやら人間としての時間の概念を真っ向から否定されるような挨拶を目の前でされた。それって何百年単位じゃないの……?
「……えーっと、トレント? この方はどなたでしょう……?」
この二人が話していると何やら自分が時間の流れに取り残されていくような感覚に陥ったので意を決してトレントに聞いてみる。
「ああ、リン。これはウンディーネだよ。見ての通り、水を司る精霊だねぇ」
「ふふ、どうぞお見知りおきを。幼子よ」
「あぁ、ウンディーネ。この娘はリンという名前なんだ。私の今の話し相手なんだよ」
「あらあらそれは、随分とお気に入りのようですわね」
精霊と事も無げに談笑しているトレントもすごいけれど、水の精霊って……。
私も文献と紡時代のゲームとかでしか見た事無いけれど、ウンディーネって確か魂が無くて人間と子を為すと人間になれるとかそういう存在だった筈。
まぁ見る限り女性みたいだし、私とじゃ無理よね、うん。
「おや、リンはウンディーネと添い遂げたいのかい? ウンディーネは精霊だから性別など有って無い様なものだよ?」
「にゅやっ!?」
私の思考をトレントに読まれて動揺しているとウンディーネがすかさず畳み掛けてきた。
「あらあら、嬉しいですわね。でも私、人間の生活に関しては何もできませんよ?」
「い、いや! そういうんじゃなくてですね! その、私の知識ではウンディーネって魂を得るために人間と結婚するとか、そういう事をどこかで見たような気がして……」
あわあわと手を振りながら、必死で弁解する。
少しだけ軽率な事を言ってしまったかも知れないと後悔しながら。
だって、魂が無いとか言ったら失礼かもしれないし……。
「……おそらくそれは人魚の悲恋と混同されているようですわね。確かに私達精霊には人間の言う魂というものは持ち合わせていませんけれど、根源の、所謂原初の生命というもので繋がっておりますわ。人間で言うならそれが魂の代わりになると思って差し支えないのでは無くて?」
私の言葉に、機嫌を悪くする事も無く答えてくれるウンディーネ。
響きが水のせせらぎのように優しくて、聞きほれてしまう。
「ぷー!」
「ぽー!」
……再びドップラー効果を響かせながらぽむとぽこが上空から落ちてきた。
みょんみょんと着地して、私のローブの裾に入り込む。
「あら、これは珍しい生き物ですね。そして随分と懐かれていますわね」
ウンディーネにクスクスと笑われ、顔が赤くなる。
「ぽむとぽこだねぇ。今はリンが親代わりのような状態だよ」
「ぷ! ぽ!」
トレントの声にお腹が空いたといわんばかりにローブの裾をグイグイと引っ張るぽむとぽこ。
……やめて、あんまり引っ張ると脱げちゃうから。
あぁ、もう! しょうがないなぁ。
苦笑して指先から魔力糸を紡ぎだす。
あっけに取られた表情のウンディーネを余所に、ぽむとぽこはハムハムと糸を食んでいる。
「……驚きました。まさか再び見る事ができるなんて」
フルフルと震えているウンディーネ。
もしかしてぽむとぽこを久しぶりに見たから感動しているのかな、と魔力を使いすぎてしまった頭でボンヤリと考える。
ところがそうでは無くて、ウンディーネに感極まった様にがばと抱きしめられた。
「ふぇっ!?」
何が何だか分からないままヒンヤリとした腕が体に回される。
「また、会えましたわ! 紡ぐ者に!」
「つ、紡ぐ者?」
確かに私は紡と言う名前も持っていたけれど……。
「そうですわ! 魔力も体もちんちくりんですけれど、運命の女神を彷彿とさせる稀有な魔力の質……! あぁ、私、感激ですわ!」
……ちんちくりんで悪かったですわね。
あれ、何か語尾が移ってしまった。
それよりも運命の女神って何ですか。私はそんな御大層な存在では無くて、ちんちくリンなんですぅ……。
「……クチュッ!」
そんな事を考えているとクシャミが出た。
不味い、びしょ濡れの所に体温の低いウンディーネに抱きつかれた事でかなり体が冷えて来たようだ。
「あぁ、ウンディーネ。離してやってくれないか。人間の子供は体に冬が宿るとすぐに死んでしまうんだ」
「……そうでしたわね、ごめんなさい。私としたことがつい、興奮してしまいましたの」
カチカチと歯の根が寒さで鳴る私をウンディーネが離してくれた。
おそらく私の唇は紫色になっていることだろう。
「リン、その濡れた服を着替えておいで。井戸の周りは根を張って何とかしてあげよう」
トレントの言葉にコクコクと頷き、濡れた服を着替えようと家に入る。
本当はあまり力を借りるとか甘えたくは無いんだけれど、今は一刻も早く着替えたい。
少なくとも風邪を引く前に。
「ぽ~……」
ぽむが心配そうな目と鳴き声で着いてくる。
ぽこは外でまだ遊んでいるようだ。
大丈夫だよ、と目線を送り二階に上がって濡れた服を全て脱ぐ。
水を吸って重くなったローブがベチャッと音を立てて床に落ちた。
……お風呂場で着替えた方が良かったかしら。
後で拭いておこう。
全裸になり、タオルでワシワシと濡れた体から水気を取る。
「ぽぽぽ! ぽ~!」
「わわっ! どうしたのぽむ!?」
一声鳴いて全裸のままの私の胸元にみょんと飛び込んできたので慌てて抱きとめる。
「ぽー!」
あ、なんだか温かい。……ていうか熱!?
ぽむの体がホッカイロのごとく発熱している。
あぁ、そうだっけ。ぽむって太陽の……。
温めてくれようとしているんだ。
「ありがとうね、ぽむ」
「ぽひゅー……」
私のお礼の言葉に少し疲れた様子のぽむが鳴き声で返す。
あまり魔力を使わせるわけにもいかないので、そっと胸に抱きしめていたぽむを床に下ろす。
胸元にじんわりと太陽のような温かさが残る。
……裸の胸に毛が当たって、ものすごーくくすぐったかった事は言わないでおこう、うん。
朝にも着ていた藍色のワンピースに着替えて、ぽむを抱っこしながらトレントとウンディーネが居る庭へと降りる。
ローブや帽子はベランダに干しておいたけれど乾くといいなぁ……。
「おかえり、リン。井戸の周りを私の根で覆っておいたよ。これなら水も漏れない筈だ」
「ありがとう、トレント。頼ってばかりでごめんなさい」
「良いんだよ。私は望まれれば与える者だからね」
見ると根が井戸をドーナツ状に囲んでいる。
私のお礼の言葉にトレントが返すのを、ウンディーネが茶化してきた。
「あら、随分と丸くなりましたのね。創世の頃は岩すら容易く砕くほどでしたのに」
「ほっほっほ、昔の事だよ……」
あちこちにできた水溜りをぽこがみょんみょんと飛び越えて遊んでいるのをぽむも私の腕からスルリと抜け出して加わった。
それをトレントとウンディーネが微笑ましそうに見つめている。
「あの、ウンディーネ? 紡ぐ者ってなんですか?」
「あら、気になりますの? 教えて差し上げても良いけれど……」
ウンディーネが悪戯っぽい笑い方をする。本当は話したそうだなーと思っていると、続けて語られた。
「昔、リンと同じような魔力を持つ殿方と添い遂げようとしましたの。クロトと言う名前で、運命の女神の記憶を引き継いでいると自負していた不思議な方でしたわ」
クロト……?もしかして運命の女神って事はクローソーかしら。
日本で読んだギリシア神話にそんな記述があったような気がする。
……この世界でクローソーと言う女神が居るかどうかは分からないけれど。
「で、でも私はただ魔力を糸にできるだけで、女神の記憶とかそんな御大層な物は無いですよ?」
ウンディーネが私の瞳の奥を見つめて、そのクロトとか言う男性を思い出しているような様子に目を逸らす。
前世の記憶はあるけれど、ごくごく普通な一般女子高生だったし、あんなのを女神なんて言ったら女子高生が全員女神になっちゃう。
「……良いんですわ。もうあの人は居りませんし。……悲恋で終わるのは人と人ならざる存在の常ですから」
ふふと、下を向き寂しげな表情で笑い、足元の水溜りに映った私を見るウンディーネ。
「……! そんな事ありません! 例え、種族が違っても想いと対話を重ねればきっと!」
なんとなく儚げな笑いが昨日来ていた吸血鬼を彷彿とさせた。
あの人も人間との恋は叶わないと諦めている節があった。
……私は特にあの人の相手になりたいわけじゃないけれど、それでも幸せになって欲しい。
気が付くと水溜りの上でウンディーネの手をギュッと握る私が居た。
私の姿とウンディーネの姿が波紋で重なり混じり合う。
少し、驚いた様子のウンディーネだったけれど、そっと抱きしめられた。
ウンディーネの体はすでに濡れていなくて、けれどヒンヤリとしていて真珠色の肌と柔らかい胸に顔が押し付けられて妙に安心すると同時に少しだけ鼓動が早くなった。
「……こうすればもっと一つになれますわ。貴女のような人間と溶けて混じり合ってしまえばどれだけ幸せなのでしょうね」
ウンディーネの言葉通り、藍色のワンピースを着た銀髪の私と水色のドレスを着た青緑色の髪を持つウンディーネの境界線があやふやになっていく。
「あぁ、どうしましょう。トレント、私この子が欲しくなってきましたわ! できれば水の底でずっと一緒に……!」
「にゅやっ!?」
水の底は困ります!人間は水の中では呼吸できないんですぅ……!
トレント何とか言ってあげて!
ウンディーネの豊満な胸に顔を押し付けられてモゴモゴする私を見かねたのかトレントが声をかける。
「うーん……。人間は水の中では生きていけないからねぇ。ただ、もしリンが自主的にウンディーネに付いて行きたいならば、その時は祝福しよう」
ちょっと!?それ助け舟でも何でもないような気がしますけれど!?
しかしウンディーネは少しだけ落胆した様子で私の体を離し、その代わりに顔を両手で挟み込んだ。
ヒンヤリとした手が頬に、小指が首筋に当たってくすぐったい。
「……残念ですわね。でも、この澄んだ水のような瞳……、神が紡いだような銀糸の髪、欲しいですわ。ずっと貴女に見つめられていればそれだけで私は幸せになれそうな気がしますの」
……今なんとなく気付いてしまった。
この人、恋愛脳だーーー!
「……でも無理矢理は私の主義に反しますわね。いつかリンに私の事を好きで好きでたまらなくさせて差し上げますわ」
そう言って、ニコリと微笑まれる。
まるで澄んだ湖に月が映るような笑顔にドキリとさせられる。
……ドキリってなんだ、ドキリって!私はノーマルの筈なんだー!
慌てる私を余所に妖艶な表情をしたウンディーネの顔が私の顔に近づく。
━━不味い!キスされる!?━━
逃げようと思ったけれど体が硬直して動けなかった。
目をギュッと瞑り、胸の前で組んだ両手が震えてしまう。
……傍目から見たら絶対誤解されるだろうなぁと。何故なら女子高時代に見たキスをねだる下級生と上級生の図だったから。
後で思い出してもベッドの上をゴロゴロと転がるほどの恥ずかしさが襲ってくる。
でも予想に反して、唇にはされなかった。
瞑った瞼の上に左右一回ずつ柔らかい感触を落とされ、少しだけ安堵する。
「……さきほども言ったでしょう? 無理矢理は主義に反しますの。リンが進んで私に唇を捧げるようになるまで我慢してあげますわ」
ふふと、先ほどの笑顔を向けられてぽーっと顔が熱くなる。
いや、だから私はノーマルだから!いや、それ以前に今は恋愛とか要りませんってばー!
プシューと顔から蒸気が出るような感覚の後、私の意識はオーバーヒートしてしまい、暗転する。
……その日、リンは、考えるのを止めた……、なんちって。
こんな事考えるくらいには余裕があるらしい私の思考にビックリだ……。
読んで頂いてありがとうございます。
誤字・脱字・文法の誤りなどありましたらお知らせくださいませ、勉強させていただきます。
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