仄暗い水の底からこんにちは
体調を崩してしまい、更新が遅れがちです。すみません。
「落ち着いた? アンヘル」
嗚咽が聞こえなってしばらくしてから、声をかける。
「……うん……」
アンヘルは恥ずかしいのか、顔を上げずに私の胸に顔を押し付けたまま答え、そのまま動かずにいた。
このままではどうしようもないので、こちらから声をかける。
「……この村、良い村だね」
「え?」
私の言葉にどう返していいものかわからない様子のアンヘルに言葉を続ける。
「私は好きだよ。アンヘルが育った村。素朴で優しい感じがするから」
「……うん、俺も好きだよ。だからここにずっと居たいんだ」
アンヘルがようやく顔をあげ、答えてくれた。
目の縁に涙の欠片が太陽の光を反射してキラリと輝いていたのでハンカチで拭いてあげたら嫌がられてしまった。
子供じゃねーよ、とか少しだけぶっきらぼうに言って。
その様子にクスリと微笑んでしまい、何笑ってんだよと怒られた。
本当に弟をみているようで飽きないなぁ。
「ゴメン、ゴメンってば! アンヘルがね、私の弟に少し似てたんだ。顔じゃなくて仕草とか」
アンヘルにむにーと軽くほっぺたを抓られながら弁解する。
「ほら、パン屋さんに案内してくれるんでしょ? 行こうよ」
「ああ、うん。なぁ、リンの家族の事も教えてくれよ」
「ん? 私の? いいよ、んじゃ歩きながら話してあげるね」
アンヘルに私の家族の事を話しながらパン屋への道を歩く。
できるだけ面白おかしい話を選んで。
アンヘルがせめて自分の家族の悲しい思い出を思い出さないようにと。
隣を歩く男の子がククと笑い出した頃、赤い屋根と高い煙突がある建物に着いた。
おそらくここがパン屋だろう。
小麦の焼ける良い香りが漂っている。
「ここのパン屋にはウチで作った牛乳やバター、生クリームを卸してるんだ。味は保障するよ。おーい! おばさん、お客さん連れて来たぞー!」
少し得意気なアンヘルに続いて私も店に入る。
パンを焼いているのはアナタじゃないでしょ、と苦笑し心の中で突っ込みながら。
「おや、アンヘルいらっしゃい。……と可愛い子だね。魔術師見習いの子かい?」
「ああ、紹介するよ、アデラおばさん。こいつはリン。山向こうに家を構えた魔術師見習いだよ。お菓子作りがスッゲー上手いんだ!」
あああ……、やめてアンヘルそんな紹介のされかたをするとプレッシャーが。
「へぇ、お菓子作りがねぇ。その様子だと随分と仲良くなったみたいだねぇ」
アンヘルにニヤニヤと意味深な視線を送るアデラおばさん。
その視線が此方を向いたので慌てて帽子を取り、おじぎをする。
「はじめまして、この山の向こうに居を構えさせて戴いたリンと申します。アンヘルには色々と良くして貰っています」
ニコリと微笑み、少しだけ大人な挨拶を心がける。
「おやおや、これは御丁寧に。私はアデラ、見ての通りパン屋だよ。お客さんなら大歓迎だし、アンヘルの知り合いならいつでもおいで!」
ワハハと笑いつつふくよかなお腹とエプロンを揺らしながらカウンターから出てきて私の肩をパシパシと叩く。
……うん、なんだかイメージどおりのパン屋のおばさんって感じ。
でも人の良さそうな笑顔と笑い皺が人となりを表しているようで安心できた。
「ありがとうございます。このパンは全部アデラさんが?」
お礼を言い、お店の中を見回す。
紡時代に見たパン屋さんやうちの村にあったパン屋より、品揃えは少ないけれど素朴で日持ちしそうなパンを主に取り扱っているようだ。
……比べる比較対象が少ないのはアレだけれど、この世界のお店ってあまり見た事ないのよね。
基本的に出不精だったから、街なんて行かなかったし。
「うん? ダンナもいるよ。今は街まで小麦を買い付けに行っているよ。ついでに娘に会いに行っているんじゃないかね」
「そうなんですね。もし一人でやってらっしゃるならすごいなって思ったので。……えっと、注文してもよろしいでしょうか?」
言葉の限りではアデラさんには娘が居るのね。街にいるって事は吸血鬼の被害には合わなかったのかもしれない。
少しだけ安心した。
「あぁ勿論! リンちゃんはまだ幼いのにしっかりしていそうだねぇ。アンヘルがリンちゃんくらいの時は何も言わずにウチの店のパンを齧ってしまってよく叱ったもんだよ」
アンヘル、そんな事してたのね。
じとっとした視線をアンヘルに向けるとしどろもどろになりながら弁解しだした。
「い、いや、だって美味そうなモンが目の前にあったし……。お金ってなんだか解らなかったし……」
……アンヘルはアンヘルだった。
「じゃあバゲットを二つと、……これはデニッシュですか? 良い香り!」
「あぁ、アンヘルのとこのバターと牛乳、この山で採れたクルミを入れてあるんだ。味はアンヘルが保障ずみだよ」
バスケットに置かれたふわふわのパンに視線が固定されてしまう。
「食べてみるかい? 形が崩れたヤツがあるんだ。はいよ」
アデラおばさんがパンナイフでカウンターの後ろにあったデニッシュを薄く切って一枚くれた。
何回か切った後があるのは店番しながら食べていたんだろうな。
「ありがとうございます。いただきますね」
お礼を言い、齧り付こうとするとアンヘルがじーっと見ていたので半分に千切ってアンヘルの口元に運ぶと親鳥から餌を貰う雛鳥のようにパクリと食いついた。
……モムモムと満面の笑顔で口を動かしているアンヘル。頭が左右に揺れているから随分と御機嫌なようだ。
私も半分になったそれを口に運んでみる。
表面のサクサクとした食感の次にもっちりとした歯ごたえ、ローストしたクルミが香ばしい。でもそれだけじゃ無いような……?
あ、わかった!
「……美味しい! これ、クルミとバターだけじゃないですね。すごく優しい甘さと香りがあります。……カスタードかな?」
「へぇ、当たりだよ! 隠し味に少しだけ練りこんであるんだ。ウチの娘でも当てられなかったのによく判ったねぇ」
判ったのは紡時代に抹茶のデニッシュを作った時にカスタードを入れた時の風味に良く似ていたから。
「すごいな、リン。俺は全く判んなかった」
アンヘルに言われ照れ笑いで返す。
そういえばアンヘルはカスタードを作ろうとして失敗してるんだっけ。
「お菓子作りが得意って言っていたもんねぇ。リンちゃん、アンヘルは美味しい物さえ食べさせればイチコロだからね。覚えておくと良いよ」
ニヒヒと笑うアデラおばさん。
……もう!なんでこの村の人は私とアンヘルをくっつけようとするの!
そう思いつつも人のよさげなアデラおばさんと、そんなんじゃねーよ!と慌てるアンヘルのやり取りを見て、こういうのも良いなと思う自分も居た。
「ありがとねー! またおいでー!」
アデラおばさんのよく通る声におじぎで返して、アンヘルからバスケットを受け取る。
バスケットにはバゲットが二本と先ほどのデニッシュが一つと半分入っている。所謂1.5個だ。
というのもさっきアデラおばさんが切ってくれたデニッシュをおまけとして貰ったから。
現代日本の感覚じゃあまりいい気はしないかもしらないけれど、この世界では別に普通だし、割と慣れてしまった。
……このデニッシュも別にそのまま齧られていたわけじゃないしね。
「リンはこの後どうするんだ?」
アンヘルに聞かれて考えて居た事を話す。
「うん、家に帰って井戸を掘ろうかと思って。ありがとう、アンヘル。すごく助かったかも」
雨に降られてしまってあまり下見をしていなかったのは私の落ち度だけれど、村が近くにある事で街までわざわざ行かなくてもすんだ事もあるし、好意的に迎え入れてくれた事もありがたい。
「良いって事。その代わり氷冷箱の魔力の補充とかはたまにで良いからしてくれると嬉しいな」
ニシシと鼻を掻きながら笑うアンヘル。
「うん、また材料を買ってきたら言うからカスタードの作り方教えてあげるね。でもどうしてアデラさんに教えて貰わないの?」
私が聞くとアンヘルは少し気まずそうな顔をして答える。
「……アデラおばさん家の厨房には俺、出入り禁止なんだ。つまみ食いするからって」
……うん、やっぱりね。なんとなくそんな気はしていた。
「笑うなよ、このやろ」
苦笑していた私のほっぺたをムニムニとつままれる。
「いひゃいいひゃい」
痛くはないけれど、アンヘルが笑っているので私もつられて笑ってしまった。
アンヘルの雰囲気は人を笑顔にさせるなぁ。
「それじゃあ、私は帰るね。アンヘル、今日はありがとう」
バスケットを箒に引っ掛けて、腰掛ける。
「ああ、気をつけてな」
「すぐそこだよ。でもありがとう、また来るね」
「そうだったな、またな」
女神像の前でまたねと言い合って空に浮かぶ。
その上をくるりと回って家路についた。
山を越えるとすぐにトレントが宿る木が目に付いた。
……うん、やっぱり目立つなぁ。
街に行っている村の人が見たら驚くだろうなぁ……。
あまり過度な期待はしないで欲しいな、私は魔力も少ない見習いぺーぺー魔法少女ですぅ……。
複雑な気持ちを抱えてトレントの前に降りた。
「おかえり、リン。随分と複雑な感情だね。憂鬱と優越と他にも色々な感情が交じり合っているみたいだ」
「ただいまトレント。うん、アンヘルと少し仲良くなれた気がするのと、村の人達に大魔女と思われていないか心配になっただけ」
首を傾け、トレントに苦笑してみせる。
「ほう、そうなんだねぇ。まぁ思いたい人間には思わせておけば良いんじゃないかな」
むぅ、人事だと思って。
まぁ人事なんだし仕方ないか。
人間諦めも肝心よね。
さて、じゃあパンを家に置いて井戸でも掘りますか。
「トレント、井戸を掘りたいんだけれど、あなたに害が無い程度で水脈が通る所を教えて欲しいの」
「なんだ、そんな事を気にしているのかい? 私は別に気にしないよ。強いて言うなら……そうだなぁ、家を正面に見て右側正面が一番掘り易そうだ。大きい岩も無いみたいだしねぇ」
トレントのごはんとも言える地下水を貰う事になるから一言断ったのだけれど、全く気にしてないようだ。
「ほっほっほ、私は根が広く深いからね。もしかして水を使いすぎる事を考えていたのなら、それは杞憂だねぇ」
……そうだったのね。
なんだか少しへこむ。
……気を取り直して井戸を掘ろう。
すぅと息を吸い、詠唱を……と思ったら脛にワサワサとした毛の感触が。
「うひゃひぃ!」
肺から全部吸い込んだ空気が悲鳴と共に抜けてしまった。
「ぷ!」
「ぽ!」
ぽむとぽこが私の後ろからローブに潜り込んでいる。
「もう! 妖怪すねこすりじゃないんだから! あと、あまり人のローブの中に潜り込むんじゃありません!」
「ぷ! ぷ!」
「ぽ! ぽ!」
みょんみょんと跳ねて不満気な二匹、何か言いたげだ。
「……もしかして手伝ってくれるの?」
「ぽぷー!」
私が問いかけると綺麗にハモってコクコクと返事を返すぽむとぽこ。
「ありがとう、でもあまり無理しちゃだめよ? それにあまり深いと、もし落ちた時に死んじゃうからほどほどにね」
ぽむとぽこが手助けしてくれるなら魔力消費は少なくて済むけれど、またトレントみたいな事になったらひどいことになりそう。……私は平穏に暮らしたいのだ。
「ぷ!」
「ぽ!」
分かったとばかりにコクコクと頷く二匹。本当に分かってくれてるのかしら。まぁ気を取り直して詠唱しよう。
「水澄まし、身肉の糧を、垂水に足りて、針孔に導け!」
地面に両手の人差し指と親指で円を作って指定しながら井戸を掘る……というか穴を穿つ呪文を唱えて、一息つく。
私の魔力だと深くても5メートル程度が限界かなぁ。
ちなみにこの世界では長さの単位がオルムという。
大体1メートルが1オルムだと思ってくれれば良いかも。
つまり5オルムも掘れれば上々だ。
モコモコボコボコと順調に地面が掘られている音がしている上をぽむとぽこが踊り跳ね回っている。
一応あれもぽむとぽこなりに手伝ってくれてるのよね。
って、あれ……?
何か地面が揺れている様な?
なんだか既視感が……。
そこまで考えてハッと気付く。
「ぽむ! ぽこ! だめ! そこまで!」
私が叫んだ時には遅かった。
ボコッと音がした瞬間、凄まじい水柱が吹き上がり、ぽむとぽこが空高く飛んで行った。
「ぷー!」
「ぽー!?」
ドップラー効果を残しながら。
……ぽこの方はなにやら楽しげな響きが乗っていたのは気のせいだろうか。
ビシャビシャと滝の下にいるような量の水に打たれながら盛大な溜息をついた。
「全く……、どうしていつもこうなっちゃうのかしら」
「大変そうですねぇ。随分と楽しそうでしたので久しぶりに起きてしまいました」
「楽しくなんてないですよぅ。こんな事がいつも続くようなら……って、あれ?」
そういえば誰と私は話したんだろう。
トレントとは違って水の様に澄んだ高いけれど優しい声。
慌てて後ろを振り向くと誰も居なかった。
「ふふ、幼子、こちらですよ?」
後ろから声がして今度こそと、振り向こうとしたら流れている水より冷たい腕で抱きしめられた。
「ひゃいあ!?」
咄嗟に言葉になっていない悲鳴をあげてしまった。
「んん~……。良い香り。久しぶりの人間の香りがしますわね」
その響きで何となく悟ってしまった。
うわあああん!!また変なのが沸いてでたぁ!!!
……私の天に向けた嘆きは振り落ちる水のように地面に吸い込まれていくだけだった。
読んで頂いてありがとうございます。
誤字・脱字・文法の誤りなどありましたらお知らせくださいませ、勉強させていただきます。
ご意見、ご感想などもお待ちしております。
ブクマ・お気に入りありがとうございます。
感想頂けたら、小説を書かれている方でしたら読むのに時間がかかってしまうかもしれませんが此方も拝読させて頂いて感想をお返しします。




